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その6


 山の向こう側から、陽が昇ってくる。橙色が斜面を覆い尽くす緑を照らし出す。

「ふあ」

 と甘斗は小さくあくびをした。この家に住む他の人間は朝寝坊の常習犯だから、自然と甘斗が一番最初に起きだしてくる。

 裏の小川から、さぁさぁと水の流れる音がする。

 梅雨も中休みを過ぎると途端に夏が近づいてくる。毎日雨ばかりなのに、晴れると突然強い日差しが照りつける。

 まるで、季節が駆け足で通りすぎるようだった。



 江戸から三日も四日も歩いて辿りつく、武蔵野の山奥。

 そこに、小さな屋敷がある。大きさは土間と数部屋があるくらい。けれど、ぐるりと回り込むと、こんな僻地に畳が持ち込まれていることに来客は驚くだろう。それと、張り替えたばかりのような障子と、埃ひとつ落ちていない廊下にも。

 見ようには名のある寺にも見えるが、実はここが鈴代の家である。

 なんでこんな辺鄙な場所に、と甘斗は一度だけ鈴代に聞いたことがある。師曰く、

「だって、町中に家があったら女の子が大勢押し掛けて来て大変でしょ?」

 と、真顔で返された。もう二度と聞くまいと心に誓った。

 開け放たれた戸から、爽やかな風が通り抜け、足早に去って行く。

「むむむ――」

甘斗は眉根を寄せて書を読みふけっていた。

 集中し、他の音も一切耳に入っていない様子だった。

 だからして。

「甘ちゃん! 何してるの~?」

「おわあ!?」

 突然、目の前に割り込んできた少女の顔に、悲鳴をあげて飛び退いたのも無理はなかったのである。

 慌てて飛び退いて、すぐに安堵の息をはく。相手は見知った顔。この家に住む同居人であった。

「なんだ輪廻さんか……驚かさないでくださいよ!」

 まだ十にも満たないような少女で、明らかに甘斗よりも年下だろう。髪はまだ結い上げておらず、簡単にまとめているだけ。淡紅色の着物がいかにも可愛らしく、まるで咲き初めた桜のようだった。

 甘斗のあまりの驚きように、輪廻は頬を膨らませた。その仕草は年相応に幼い。

「む。『なんだ』ってなぁに? かんじわるーい。あたしじゃいけないの?」

「いや、そういうわけじゃないんすけど……」

 こうしていると普通に元気のよいだけの普通の少女そのものである。

 だが、彼女は他の少女――それどころか大人も含めた全ての人間と一線を画している。

風になびく明るい麦の穂色の髪、くりくりと動く青い空色の瞳。黒髪黒目が普通の日本では、そうそうお目にかかれない髪と目の色だ。

甘斗も最初は驚いたが、毎日目にしていれば嫌でも慣れる。なにせ、輪廻は髪と目の色以外はまったく普通の少女――いや、子供っぽさは普通以上ではあるのだが。

数秒前はふぐかほうづきのように膨れていたのに、ころっと機嫌を直した様子で、輪廻は手に持っていた毬をずいっと前に差し出した。

「それはともかく、今日は久しぶりにお日様が出てるからお庭で遊んでるの。ね、甘ちゃんも一緒に遊ぼうよ!」

 この年頃の娘は万華鏡だ。不満げにしていたと思えば、一瞬後には笑顔になる。

「あ、オレ、今日は本読みたいんで――」

 甘斗が答えると、それまで大輪の花のように咲いていた輪廻の笑顔が、一気に曇る。

「えー。ご本はいつでも読めるでしょ? こんなにいい天気なの久しぶりなんだから、甘ちゃんも遊ぼ。遊ぶってことで決定なの!」

 甘斗は慌てて立ち上がった。勝手に決められては困る。

「いや、勝手に決めないでくださいよ。ていうか、なんで輪廻さんが決めるんすか」

「だって、あたしの方がお姉ちゃんで上なんだから、決めるのは当たり前でしょ?」

 そう言って、輪廻はえっへんと胸を張った。張りすぎて後ろに転びそうになっていたが。

「…………」

 ああまた出たよ……と甘斗としてはげんなりした表情で応えたつもりだったが、鈍感な輪廻に通用するわけもない。

 そう。彼女も鈴代の弟子、甘斗にとっては姉弟子にあたる。

 けれど、甘斗としては納得ができていないのである。なんで年下から威張られなきゃならないんだ? と思えてしかたがない。

 なので、ちょっとした意趣返しをすることにした。

 はあ、と甘斗はため息をついた。ちらっと輪廻に目を向ける。

「上だからって、頭空っぽじゃ威張っても意味ないすよね」

「う……」

 旗色が悪くなったのを感じ取ったのか、輪廻が一歩後ずさりする。

 そこに、甘斗はさらに畳みかけた。

「ていうか輪廻さん、ちゃんと勉強してるんすか? オレ、この家の本って半分くらい読んでないんすけど、姉弟子の輪廻さんならもう全部読んでるはずですよね?」

「うう……」

 ちなみに、輪廻は読書が何よりも苦手である。彼女が本を開いたまま下敷きにして突っ伏しているのを、甘斗は何度も見たことがある。蔵書の全部を読み切るなど、夢のまた夢である。

 最後に少し意地悪く、さも思い付いたと言うように手を打った。

「ああそういえば、ちょっと輪廻さんに教えて欲しいところがあるんですけど、いいですよね? 姉弟子なんですから、わかるはずですよね?」

「ううう……うう、うわあああああん!」

三言目でついに泣いて走り去っていく輪廻を見送って、甘斗は嘆息した。

 この年頃の娘は万華鏡だ。不満げにしていたと思えば、一瞬後には笑顔になる。

笑顔になったかと思えば――土砂降りになる。


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