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その3


 教えられた部屋は、屋敷の中でも目立ってひっそりとした一画だった。

 静寂の中に、雨の音だけが響く。

 最後の障子を開けると、部屋の前に控えていた女中と目が合う。

 見慣れぬ二人に困惑していた様子だったが、誰かはわかったのだろう。音も立てず、戸を開く。

 すると、すぐに煙に混じった清涼感のある匂いに気づく。香を焚いているのだろう。

「……ん。だれ?」

 人の気配に気づいたのか、部屋の中から寝ぼけたような声が聞こえてくる。

 この部屋は、今まで通り過ぎてきた部屋に比べれば殺風景なものだった。もっとも、病人の部屋を飾り立てたところで意味もないだろう。

 部屋の大半は中央に置かれた衝立によって隠され、声はその奥から聞こえてくるようだ。

「お初にお目にかかります、お嬢さん。僕は鈴代と申します。貴女の父上に治療を頼まれた医師です。もう一人は僕の弟子で、甘斗と申します」

 部屋には入らず、鈴代が声をかけた。通りの良い涼やかな声はまっすぐに相手に届き、一人娘だという少女はすぐに返事をした。

「お父さまが?」

 まだ若い、少女の声だった。高すぎず、聞き手に落ち着いた印象を与える。鈴よりも、鳴らすのは瑠璃か瑪瑙か。ただし、その声は、今は警戒しているように強張っていた。

「そこから先には入らないでください――お父さまが頼まれたのですよね?」

「ええ。できれば、貴女の病について知りたい。ご存じかもしれませんが、医術は直接触れ、顔を見て判断するもの。ですから、可能なら部屋に入って貴女の目を見てお話したい。もちろん、部屋の外から糸を使って脈を取っても良いのですが」

 声の主は、しばらく悩んでいたようだが、やがて心苦しそうに言った。

「……いえ、構いません。どうぞ部屋に入ってください。少々お見苦しいものを見せるかもしれませんが……」

「ありがとうございます。では、失礼して――」

 鈴代は部屋の敷居を超えてやすやすと衝立の前まで進み出ると、棒立ちになっていた甘斗を手招きした。大丈夫ということだろうが、本当にこの男は物おじしない。

 恐る恐る甘斗も部屋の中に入る。と、殺風景な部屋の中に唯一の飾りを見つけた。花だ。器に生けられた花が鮮やかに咲き乱れている。華道について詳しくは知らない甘斗も感心する出来であった。

 と、衝立の向こうで起き上がる気配があり、甘斗は緊張に身を固くした。

 それを見て、鈴代が小声で囁いた。

「こら甘斗。女の子の寝室に入ってから躊躇するのはダメだよ。兵は拙速を尊ぶって昔の人も言ってるじゃないか。ここまで来たら一気に押し切るのがコツで――」

「あ、あんた、いったい何を言ってんですか!?」

 即座に止めさせたが、顔が赤くなるのは隠せない。

(……ったく、もう。こういう話題を振るなっつーの。苦手なの知ってるクセに)

 意地の悪い師に内心で文句を言いながら、ともかく緊張はほぐれた。ガチガチに緊張して病人まで不安にしてはいけない。そういう意味で、鈴代は常に柔軟だった。ときどき、あとほんのちょっとでいいからお堅くなってほしくもあるが。

 ずっ、ずっと何かを引きずる音が、衝立を僅かにずらした。

 その瞬間に、ぱっと広がるのは花のような甘い香りと、あの鼻を刺す生臭い匂い。

そして、甘斗は言葉を失った。鈴代の目もわずかに鋭さを帯びる。


 まず見えたのは切れ端だった。樹の幹に似て、ごつごつとした黒い塊。

 それを引きずって出てきたのは袖と布。いや、包帯を巻かれた手だった。

何重にも巻かれ、地の肌を窺うことはできない。黒い塊はそこからほどけた切れ端だったようだ。

 ほどけた布は黒く染まり、石のように固まっている。それは、流したままにしている綺麗な黒髪に混ざろうとするが、紛れようもなく違う異物だ。

 いや――その隙間から見える肌まで青黒い。生きているものの色をしておらず、まるで池の底に積もった泥のようだった。

 手の平、首、顔と露出した場所すべてが包帯で覆われている。

 自らの手で目隠しを外し、寝床から這い出したのは少女だった。それとも、少女の形を取った包帯か。

「よくおいでくださいました、鈴代先生――私が綾目です」

 黒く輝きのない目を伏せたまま、綾目は頭を下げた。


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