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その16

「り、輪廻さん? それだけの書籍を一度に運ぶのは、輪廻さんにはちと荷が重いような。ものには限度というものがですね」

「へ、平気だもん……きゃあ!?」

 勢いよく何かを倒した音を遠くに聞きながら、甘斗はため息をついた。

 最近、輪廻が急にやる気を出し始めたようで、何かと家中を巻き込んで『仕事』をしている。今も輪廻が本の整理をするというので逃げだしたところだった。

 まったく、誰が輪廻に火を付けたのやら。文句を言ってやりたい気分だった。

 どこかに輪廻に見つからない逃げ場はないかと、裏手に回る。

「や、甘斗」

 鈴代と目が合った。縁側に座って、茶と菓子まで用意してある。

「先生、またこんなとこで油売ってたんすか? そんな時間あるなら勉強教えてください」

「まあ、いいじゃん。暇だし、ちょっとお茶しようよ。いつもは女の子限定だから、今だけ特別だよ?」

「どーでもいいっすよ。けどまぁ、付き合ってもいいです」

 師の隣に座り、せんべいをかじる。

「準備、ちゃんと進んでるってさ。元気そうだったよ」

「……そっすか」

 小さくつぶやいて、甘斗は鈴代から目をそらした。

まだ、とげが刺さったように胸が痛む。

 物の怪が消えた時、気を失っていた屋敷内の人間は無事で、屋敷も屋根と障子に穴が開いた程度で済んだ。鈴代の杖から生じた樹もすぐに消えてしまったので、他の人に見られずに済んで甘斗はこっそりと安堵したものだった。

綾目は気を失ってその場に倒れていた。肌も元のように戻り、心身を蝕んでいた病は嘘のように消えてしまった。

 それと同時に、病の間の記憶もなくなってしまった。物の怪は、存在そのものが心に深く根ざしている。だから、物の怪が消えると関連することがらも忘れてしまうことはよく起きることだった。

 今は甘斗と会ったことも、話したことも覚えてはいない。

「結局、綾目さんは何で物の怪になったんですか? 物の怪は叶わぬ恋が何とか言ってましたけど」

「叶うわけないよ。相手は実の兄だったんだから」

「お、お兄さんすか?」

 その答えに、甘斗もさすがに呆気に取られた。

 今思うと、綾目は何度か受け渡しをした手紙の中を嬉しそうに読んでいた。あれは、そういうことだったのだろうか。

「同母の兄と妹が結ばれることはどうしても不可能。でも、諦めきれなかったんだろうね。恋は人を盲目にするものだから」

 納得できず憮然とした表情の甘斗に、鈴代は告げた。

「彼女は、もう平気だと思うよ。嫁ぐっていうのもあるし、今度はそのお兄さんも京に行っちゃうらしいから。今度こそ自分の気持ちに折り合いを付けたんだろう。結局、病を治すのは自分以外にいないんだ。自分で受け入れて先に進むしかないんだから」

「じゃあ、物の怪を消したのは綾目さん本人って言いたいんですか? 先生だって――」

 甘斗は口ごもった。あの力に関して、よくわかってはいない。

 この師については、まだ知らないことが多かった。それを言うなら、物の怪も人の心だって、ちっともわからない。

「いつかわかるよ。もちろん恋も含めてね」

「あんたじゃあるまいし、一生わかる気がしませんけど。まぁ、別にいいです」

 したり顔の師に、甘斗は嘆息してつぶやいた。

 と。

「あー、いた!」

 その甲高い声に、甘斗と鈴代はぎくりと身体をこわばらせた。

「もう、甘ちゃん! 先生もこんな所にいて! さぼってないで手伝って! ほらほら」

「ふ、ふふふ……ヌシ様~、坊ちゃん~、お二人だけで逃げようとしても、そうは問屋が卸しませんよ~。さーあ、キリキリ働いていただきましょうか~? ふふふ……」

 勝ち誇った満面の笑みでこちらに指を突きつける輪廻の横で、楽浪が暗く笑っている。よほどこき使われたのだろうか、声にちっとも覇気が感じられず、あちこち埃まみれになっていた。

「……甘斗」

「……なんすか?」

「僕は、急に用事を思い出した。大事な大事な往診の時間だ。というわけで、後は頼むよ。じゃあ!」

「ちょ、先生!? ていうか、走るの速っ!? ちょ、ちょっと待ってくださいって!」

「いーや待たない! 三松屋のさっちゃんが僕を呼んでいる!」

「また新しい女かよ!? 絶対往診に行く気ないすよね! って、ちょっと待てえええ!」

 一瞬で山の中へと逃げる鈴代を、甘斗は全速力で追いかけた。後ろでは輪廻や楽浪が何やら騒ぎながら追いかけてくるが、既に目的と手段を見失っているとしか思えない。

「やや、なんということでしょう!? 輪廻さん、大人しく従うどころか、あまつさえ敵前逃亡とは! 我が主でありながら嘆かわしい!」

「むむ、逃がしちゃダメだよ! 絶対に手伝ってもらうんだから!」

 こんな騒がしい連中に囲まれた忙しい日常だ。

わからないことを考えている暇なんて、ちっともないのだ。

 今はともかく師の背を見失わないよう、甘斗は大きく一歩を踏み出した。


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