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その11

「ナイスです、輪廻さん。あのタイミングはまさに神業。まさにゴッドハンドというのにふさわしい」

「えへへ~」

 ほめられ、照れた様子で輪廻が相好を崩した。

そんな彼女をちらっと見て、甘斗は問うた。

「ちなみに、輪廻さんもなんでここにいるんすか?」

「べ、別に甘ちゃんが気になって、楽浪さんと後を付けて来たわけじゃないもん! その……たまたま通りかかっただけ! 甘ちゃんが危ないって思って!」

「…………じゃあ、なんでオレが危ないってわかったんですか」

 う、と黙った輪廻の代わりに、目の前をちらちらと過る影に気づく。

 真っ黒で、豆粒のように小さな鳥がひよひよと鳴いている。

 甘斗はだいたいの事情を察して嘆息した。

「なるほど。これでずーっと様子見てたってことすか。それで、あんなにタイミングよく助けに来ることができた、と」

「え、えへへ」

「今回は助かりましたけど、次に後付けてたら怒りますから」

「……ご、ごめんなさい」

 輪廻はしゅんとうなだれた。これで聞けばいいのだが、もう明日には忘れているだろう。

 ふと、甘斗は嫌な予感がした。さっきから、同じような景色ばかり見えるような――

「……そういえば、どこに向かってるんですか? 楽浪さん、この家の出口がどこにあるか知ってます?」

「はて。直感という名の適当でございますが、何か問題でも?」

「ちょ、待ってください!」

 このままぐるりと回っていったら――

 角を曲がると同時に、輪廻の首根っこを押さえ、楽浪は大きく飛び退いた。子供二人を抱えていようと、身のこなしに鈍ったところがまるでなく、曲芸師のようだ。

その元いた場所を、障子を通して無数の黒い槍が貫く。

「……まぁ、同じ場所に戻ってくるのは必至でございましたな。ほうほう」

「ございましたな、じゃないでしょうが! どうするんすか!?」

 ずるり、と音を立てて綾目が姿を現した。白い夜着から覗く手足は見るも無惨にただれ、真っ黒に腐っていた。ほどかれた包帯を引きずる様子は、髪を引くようにも、尾を引く鳥のようにも見える。その姿に、輪廻が小さく悲鳴をあげて楽浪の後ろに隠れた。

『あなたたちは何者? ただの人間じゃないわね』

「と、言われましてもねぇ――名乗っても貴女わからないでしょうからねぇ」

 楽浪は困ったように肩をすくめた。

 元より綾目に聞く気はなかったようだ。振り上げ、一瞬たわんだ布が甘斗たちを目がけて殺到する。もはや、軍勢の槍衾に等しい。

「ほいっ」

 無数の槍を、楽浪は軽い声と片手で構えた刀を振り下ろし、二の太刀で振り上げる。

それだけで槍の大半が千切られ、狙いを逸らされ、勢いを殺された。どれが必殺となるか見極めた上で、片手のみで剛刀を振るう。人の身でできる業ではない。

 はらりと散ったのは彼女の手足たる穢れた布――この短時間でさらに量を増しているようにも思える。何せ、空気すら彼女の身体に触れるだけで腐り落ちる始末だ。そういう性質を持った物の怪と化してしまったのだ、綾目は。

 数が多すぎる。物量戦になれば不利なのは目に見えている。楽浪は小さく唸った。

「坊ちゃん、できれば降りてくださればありがたいんですがね?」

「この状況で無茶言わないでくださいって! って、危ない!」

 勢いを止められ床に沈んでいた黒布が、生き物のようにうごめく。その場で弾み、死角から楽浪へと襲いかかる。

 その刹那、高い少女の声がやや控えめに響く。

「が、画竜点睛!」

 拳ほどもある数匹の黒鼠に食らい付き、そのまま根元まで噛み破る。

「おお、輪廻さん!?」

「ほほう。これは大助かりでございますな。うむ、特に鼠というところが実にいい」

 金銀があしらわれた襖絵に、輪廻が筆を走らせる。ひと筆書きに描くはぬばたまの墨鼠。描いた端から滑らかに動き、鳴き、一筋の矢のように廊下を疾駆する。

 墨色をした鼠ではなく、元は本当に墨で描かれた絵であったのだ。

 本物違わずに描かれた絵には魂が宿る。異国にて、絵師が竜に瞳を点したところ、本物の竜となって空へと昇って行ってしまったという伝説があることがその証明だ。

 また、同国に画霊という伝説がある。絵の中に描かれた美女が夜な夜な動き、するりと絵から抜け出すという怪談だ。あまりに人間と変わらなかったために、生きた絵となったのである。

 幼いながらに輪廻は『生きた』絵を描くことができるのであった。が――

「あ! 今の子、尻尾描き忘れちゃった! ちょ、ちょっと待って! ……ううう」

「いや尻尾とかどうでもいいっすから! 手止めないでくださいって!」

 泣きそうな顔になっている輪廻に甘斗は叫んだ。並みの絵師にはできないことをやっているはずなのに、いまいち頼りにならないのはなぜだろう。

 昔話にて、米蔵を食い潰したと言われる鼠だ。大食らいなのは折り紙付きである。見る見るうちに黒い槍と化した包帯を食っていく。

丸裸も同然となった綾目へと楽浪は刀を向け、とぼけた口調で言った。

「さて、そろそろ観念していただけませんかねぇ? 貴女も、そっ首落とされたら死んじゃうでしょう、多分。私としましても婦女子を撫で切りにするのは多少の抵抗が……」

『死ぬ、ですって?』

 ふふふ――綾目は、おかしそうに笑った。それはすぐに寒気のする低い声に変わる。

『なめるんじゃないわよ!』

 斬り落とした包帯が水のように溶け、蒸発し、黒い霧に変わった。

 同時に、布を食らったはずの墨鼠も膨らんだ。腹が河豚のように膨れる。

 楽浪は面の下で異様な光景に目を見張り、甘斗と輪廻の悲鳴を呑み込み――

 屋敷ごと、廊下が爆ぜた。


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