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臆病者の上手な慣らし方  作者: 田山
入門編
7/8

06 ハリネズミ姫と読書

 テオドールの1日は朝の散歩から始まる。今日も朝から着替えを済ませると邸宅の眼の前に広がる広大な庭へ繰り出した。外に出ると今日も朝の早いうちから庭師達が手入れを初めている様子が見えた。

 イーゲル家が現在邸宅としている屋敷の庭木は、庭師が丁寧に手入れをしているのがわかる整然とした造りだ。小ぶりながらも池や噴水が点在しており、ところどころのガゼボには聖人を模した彫刻なども飾られている。テオの両親であるシュタインフェルト男爵の住んでいた邸宅にも庭師はいたが、イーゲル家のそれと比べるとあれはただの雑木林だったのだはないかと思われるほど見事で立派な庭園である。

 朝霧がキラキラと輝く秋の紅葉で彩り豊かに整えられた草木を眺めながら、テオはひんやりとした空気で頭を冷やして思考をリセットするのが好きだった。

 イーゲル家が生家ではなく年の近い友人もいないテオは、両親の死もありイーゲル家に来たばかりの頃は気落ちしたままの日々が続いていた。毎日のように朝早く起きてしまっていたため、両親とともに暮らしていた頃を思い出して散歩に出たところイーゲル家の素晴らしい庭に感銘を受けた。それから朝の散歩が習慣になったのだ。

 日課として散歩を続けていくうちに、テオは同じ年で庭師見習いをしている少年ラントと顔見知りになった。彼との交流を通してテオは両親の死による心の傷を癒やし元気を取り戻したといっても過言ではない。もちろん今も会えば会話をする仲である。今日は庭の入口での作業をしているらしく、ちょうど庭のあぜ道の入口でラントが庭木を手入れしているのが見えたので、テオは彼に声をかけた。


「ラント、今日も精が出るな」


「へぇ、テオドール様。おはようごぜぇます。あっちに今日咲いた花があるので見て行かれますかい?」


「そうなのか、ぜひするとしよう。案内してくれ」

 

 ラントに庭を案内されしばらく世間話をしたあと、テオは現在ジグムントから課されている課題について思索に耽りながら庭を一周している小道をぐるりと周って屋敷へと戻った。執事に一声かけてから私室で課題を1つこなし、朝食へ向かう。

 ダイニングに入室すると、どうやらテオ以外の家人は全員席についていたようだった。フローラとツェツィーリアは、テオが入室して来るのを静かに見守ると一言ずつ朝の挨拶をした。


「おはよう、テオドール。今日も朝から散歩に出たんですってね。気に入って貰えて嬉しいわ」


「おはようございます。ツェツィーリア様。はい、こちらの庭師の腕は本当に素晴らしいく、毎日見ても飽きません」


「まあ!ジグムントも聞いたら喜ぶわ。ありがとう。ねぇ、フローラ?貴女も中庭ばかりではなく外庭へ遊びにいってらっしゃいな」

 

 ツェツィーリアに話を振られたフローラは、そっとスプーンを置いて口周りについたスープを丁寧に拭ってから口を開いた。


「……私、あまり日差しが強い場所は好みでないの。ですから外庭は遠慮いたしますわお母様。テオドール様、今度また中庭でお茶をご一緒させてくださいませ」


「あ、ああ、お誘いありがとうフロレンツィア嬢。課題の合間でよければ参加させて貰うよ」


 表情こそ相変わらず硬いが、テオがイーゲル家の屋敷へ帰城して以来、テオとフローラはきちんと会話が成り立つようになった。フローラとテオの関係性そのものが親密になったといって過言ではないだろう。テオがフローラへ話しかけても無視をされることはなくなり、それどころか中庭でお茶を共にする仲にまで進展したのだ。顔さえまともにあわせられなかった頃に比べれば、大きな一歩である。

 これまでは話しかけても返答がなかったり、必要以上に距離を取られるため2人の距離感を一定に保つため移動中も気が抜けなかったのだ。それに比べればフローラの顔が笑顔のない澄ました表情だとか、視線も凍てつくように冷たいことなど、テオにとっては瑣末事なのだった。


 体調不良から回復したフローラはテオの後ろを四六時中ついて回ることこそなくなったものの、会話の回数と比例するようにテオと行動することが増えた。今日も食事後談話室へ向かうテオの後ろに続いて、彼の日課である朝食後の読書の時間をともに過ごしている。2人は場所こそ共有しているが、やることといえばひたすら読書だ。各々好きな書物を取り出すと書見台に立てかけ黙々と読書をする。

 どちらかが気が向けば一言二言雑談を交わすこともあり、はじめの頃は会話すら難しかったテオにとってはフローラとこのような関係が築けたことすら偉業であった。


「今日も良い天気だな」


「ええ、そうですわね」


「……」


 歓談室に誂えられた座り心地の良い三人掛けソファーの端に座っていたテオは、反対に座っていたフローラへ気まぐれに話しかけたが、2人に共通の話題などほとんどないので相変わらずその日の天気や体調を伺う程度の内容である。案の定というべきか、二言目は続かずお互い無言に戻った。

 何となしに話しかけてみたは良いものの、特段フローラといますぐに話すべき他の話題も思いつかなかったテオは、そのまま眼の前の本に集中するしかなかった。そうこうしているうちにすっかり読書へ没頭してしまい、気付いたら時間が経っている……いつもならそのように時間が過ぎていくのだが、今日はなにやらいつもと違うことにテオは気が付いた。休息のためサイドテーブルに置かれた茶へ手を伸ばした時に、視界の端にフローラがいつになくソワソワと体を揺らしている様子が見えたからだ。

 常にない様子が気になったテオはフローラへ話しかけるべきか逡巡する。


 (なにかあったのだろうか?差し障りのない範囲で話しかけるべきだろうか……)


「あの……」


「……!」

 

 悩んだ末、再び本へと視線を落とそうとしたところへフローラのかすかな声が聞こえたテオは勢いよく顔を上げた。

 目の前にはフローラが困ったような表情で立っている。わざわざソファの反対側からこちらへやってきたようだ。テオはフローラが自発的にテオドールへ声をかけたことに驚きを隠せなかった。いつもならテオから一方的に話すばかりなので無理もない。

 テオはフローラの続く言葉を待ったが、フローラはなにか躊躇しているのか二言目が出てこない。視線が交わった二人はしばし無言で見つめ合った。談話室の開いた窓から吹き込む風でヒラヒラとカーテンが揺れる音だけが部屋に響いている。テオはじっとフローラを忍耐強く待った。

 

「…………あの、テオドール様、わからない言葉があるのです」

 

「俺が読んでわかるとも限らないが、それでもいいだろうか?」

 

「……は、はい。構いません。どうぞ、こちらです」


 フローラの手元に目をやると、小さな指が1つの単語を指していた。位置はわかるが、2人の間には少し距離があるのでそのままでは読めそうにない。なんとか距離を保ったまま文章を読めないかと努力したテオだったが、文字が小さいためこのままの距離で読み取るのは難しそうだった。


「……すまない、読めないのでもう少し近くに寄らせて貰うぞ」


「はい。お願いいたします」

 

 一瞬迷ったが、近付く以外に方法がない。本人に許可を得たのだからきっと大丈夫だろう。そう信じてテオは勇気を振り絞り一歩前へ身を乗り出した。 

 あと少しで手を伸ばせば彼女へ触れられそうな距離まで来たところで、やっと文字が判読出来るようになった。ただ、文字を読み取ろうと必死になるあまり、思っていたよりも大分近付いてしまったようである。フローラが流石に嫌がっているのではないかと不安になったテオはチラリとフローラを仰ぎ見て様子を伺ったが、特に嫌がる素振りや我慢しているような表情ではなくホッと胸をなでおろした。


「テオドール様、読めましたか?」

 

「いや、まだ読めていない。少し待ってくれ」

 

 そう一言添え、テオは指し示された文章に集中した。ざっと目を通したところ、どうやらフローラが問うているのは外国語を元にした単語のようだ。たまたまテオは既知だったが、それほど頻出する用語ではないのでフローラが難しく感じても無理はない。むしろ、同年代で読める方が珍しいだろう。友人でも意味までは知らない者が多そうだ、とテオは思った。

 流石、イーゲル家の一人娘であり、読書好きを名乗るだけはある。フローラが真面目に勉強している姿をテオはついぞ見たことがなかったため半信半疑だったが、単純に家庭教師が嫌いなだけで勉強は嫌いでないということなのかもしれないとテオは認識を改めたのだった。

 

「ああ、これは外国語が元になっているものだな」

 

「そうなのですか」


 答えたは良いもののそこから先の会話が続かず、談話室に再び静寂が訪れた。フローラはテオが何か続きを話すだろうと思っているようで、身動ぎもせず黙ったままだ。

 何か言わなければいけないと焦ったテオが本を読むために俯いていた顔を上げると、思いの外フローラの顔が近くにあり、思わず見入ってしまった。

 初めて近距離で見る彼女の瞳は、白い睫毛が太陽光の反射できらきらと輝いている。睫毛に陰る薄い紅色の中で光る黄金色の虹彩が奥に揺らめいていて、テオは吸い込まれるように見惚れ、そのまま硬直した。思わず心臓がドクリと跳ねる。奥から込み上げて来た熱は、テオを耳まであっという間に赤く染めあげた。

 なにしろ、テオが5歩以内の距離をフローラに許されたのは今日が初めてだったのだ。いままでこんなに近くで彼女を眺めたことはなかったのだから、至近距離の美少女にノックアウトされてしまったとして無理もない。

 茹でダコのように顔を赤らめて完全にフリーズしたテオを目の前にして、フローラは何かおかしいことに気付いたようでテオへあらためて声をかけた。


「テオドール様?意味をご存知でしたら教えてくださりますか」

 

「……!あ、ああ、すまない。この単語なら分かるが家庭教師もそろそろ到着する時間だろう?そちらへ尋ねれば良いのではないか?俺の拙い説明で構わないだろうか」


 話しかけられたことで意識が戻ったテオが慌てて早口でまくし立てると、想定外の返答だったのかフローラは目を瞬かせた。


「とんでもない。テオドール様にお願いしたいのです。」


「そ、そうか……」

 

 思わぬ発言にテオの頬は再びゆるく熱くなる。震えそうになる唇をなんとか叱咤し、テオはつとめて冷静を装った。途中で何度もつかえながらも単語の解説を終えると、フローラはみるみるうちに笑顔になった。


「とてもわかりやすかったですわ!解説ありがとうございます。良かったらまたお願いさせて下さいませ」


「お、俺でよければ……」


  

 それからというもの、読書中にフローラが困ったときは時折テオが解説するようになったのだった。


「テオドール様、本日はこちらがわからないのですが……」


 フローラとの距離を縮めることがジグムントからの課題の一つと認識しているからなのか、個人的にフローラと親しくしたいという理由でか、最早わからなくなっているテオドールが談話室に留まる時間も必然的に増えた。時にはテオの課題も談話室で作業するなど、毎日のように2人で隣り合い同じ空間で時間を過ごす。

 そうして半月も経った頃だろうか。城に詰めていたジグムントからの伝令を携えた早駆けが到着し、明日の正午に屋敷へ帰ると知らせが届いたのだった。

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