表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
臆病者の上手な慣らし方  作者: 田山
入門編
3/8

02 ハリネズミ姫の住処

 次の日の朝、しばらくの自室にと宛がわれた屋敷の客間で目覚めたテオは、寝不足の身体に鞭を打って起き上がった。

 無論、イーゲル侯爵家の客間のベッドは、テオの生家であるシュタインフェルト男爵家のものよりも数倍寝心地が良い。しかし昨夜はフローラに嫌われただろうか、いや、あれは不可抗力だ、などという考えが頭でぐるぐるとして、なかなか眠りにつくことが出来なかったのだ。

 目覚めた今も、気を抜くとすぐにああすればよかったのか、こうすればよかったのか、などという不毛な思いが沸き上がってくるのをとめることが出来ない。

 ジグムントたちが想像していた以上に、「人見知り」であるフローラとテオがより親密になることは骨の折れることだったようだ。


 しかし、もしあの儚い美少女フローラとテオが親密になれたのならば。そう考えたテオは自分がフローラの折れそうな指先に触れ、それに彼女が笑って……などといういらぬ妄想を掻き立てられたので、慌てて想像するのをやめた。

 テオドールはまだ思春期真っ盛りの15歳である。年頃の男子にふさわしく、可憐な美少女を前にして欲望を押さえることは不可能なことだったのだ。


 気を取り直して水差しから水を汲み顔を洗って身支度を整えていると、執事のセバスティアンがやってきた。

 セバスティアンは物静かで聡明そうな焦げ茶の瞳が印象的な老人で、白髪を油で丁寧に撫で付けている。

 脳内で恰幅の良いジグムントの見た目と見比べたテオは、正反対な二人の様子に内心笑ってしまった。

 ジグムントははちみつ色のブロンドの髪を短くカールさせ、茶目っ気のある薄いブルーの瞳である。少しだけ張り出した鷲鼻は、どちらかというと愛嬌のあると形容されるような風貌なのだ。

 二人はほとんど同じくらいの背なのだが、頑固そうなセバスティアンと愛嬌のあるジグムントが並ぶ様は対称的で、テオにはまるで喜劇のコンビのように思えたのだった。


「おはようございます、シュタインフェルト殿。本日の朝食は昨晩と同じ広間で行われます。そのあと旦那様のところへ行くようにと言伝てを預かっております」


「わかった」


 階段を上がって広間に行くと、そこにはすでにイーゲル家の人々が集まっていた。

 テオはフローラの母ツェツィーリアの隣の席を勧められた。ジグムントはツェツィーリアの目の前、テオのはす向かいの席に付いたので、テオは主賓と同じ扱いに驚いた。順当にいけば、フローラはジグムントの隣に座るべきだ。しかし、広い卓には椅子が大量に余っていた。フローラはどの席に座るかしばらくおろおろとした様子で迷ったあげく、結局テオと反対側のツェツィーリアの隣に腰を下ろした。


 おそらくテオとは一番遠い席をわざわざ選んだのだろう。昨夜の一件でずいぶんと嫌われてしまったらしい。親密になるなど程遠い現状にテオはげんなりした。

 鬱々とした気分でいては、豪華な侯爵家の食事もあまり美味とは感じられない。年頃の少年なのだから、とテオはツェツィーリアにかなり食事を勧められたのだが、あまり多くは喉を通らなかった。

 テオは仕事前に胃もたれするよりはましだ、となかば自棄になりつつ、食後すぐにジグムントの執務室へ向かった。


「昨夜はすまなかったな」


「いえ、知らぬとはいえ、不用意に近付いたのは俺の方です」


 目の下の隈を隠しきれないテオを見て、ジグムントも同情したようだった。


「なに、我々もすっかり伝えるのを忘れていたし、咎を受けるべきはわたしなのだ。お前が気に病むことではないぞ、テオドール。まあ、フローラも好きでああなったわけではないのだ。出来ればで良い。仕事を覚えるまでの間、ここの屋敷に滞在している間だけでいいから仲良くしてやってくれないか」


「……もちろん、ジグムント様の頼みを無下にするわけにはいきませんので」


 一瞬、この話は断るべきなのではないか、という考えがテオの脳裏を過った。しかし、テオが口に出す前にジグムントから念を押されてしまったので、とにかくなんとかするしかなくなってしまった。

 ジグムントがフローラとテオの今の状況を気にしていないことに、少しだけ救われたテオだった。



 昼の祈りが済んで、ジグムントに言い付けられた仕事も終わり手透きになった頃、テオはふとフローラはなにをしているのかと疑問に思った。イーゲル家の屋敷には簡易だが礼拝堂が取り付けられている。祈りの時間に礼拝堂へ赴いたのだが、テオはそこでフローラの姿を見かけなかったのだ。

 正直にいうと仕事に夢中でフローラのことはすでに忘れかけていたテオだったが、すぐに近場を通りがかった執事のセバスティアンに彼女の様子を尋ねた。


「フローラ様の本日のご予定に関しまして、わたくしはなにも存じ上げません」


 セバスティアンにすげなくそう返されたので、テオは驚いた。


「……は? いくらなんでも、何時にどの部屋にいるなどという予定くらいは……」


「残念ですが、事実でございます。あるいは、乳母のカタリナであればなにか知っているかもしれませぬ」


 テオはその説明を聞いて、すぐには意味を理解出来なかった。フローラは世話を執事や侍女にさせていないのだろうか。もしや、フローラは屋敷の人間から疎まれているのではないか。そのような疑いを持ったテオは、急いで乳母のカタリナを探した。


 午前中の間にセバスティアンによって屋敷の案内は済んでいたので、すでに構造を覚えていたテオは屋敷内の目ぼしい部屋をくまなく探した。しかし、一向にカタリナを見つけることが出来ない。そもそも、今日の朝の様子を見ても、今のままでフローラと顔を会わせるのも気まずいのではないかとテオは不安になってしまった。

 おそらくツェツィーリアがいるだろうサロンへ行く気分にも、ジグムントの執務室へ戻る気にもならず、仕方がないので庭師に庭でも案内させようとテオは庭へと足を向けた。


「まあ、シュタインフェルト様、こんなところでなにをしていらっしゃるのです?」


 予想に反して、テオはそこで庭園の手入れを手伝う乳母カタリナを見付けたのだった。

 イーゲル侯爵家の庭は、屋敷の裏手にある庭園と屋敷の中央にある中庭の二つに分かれている。

 テオは屋敷から程近い庭園の一角で、日焼けしがっしりとした体格の庭師が、こちらを気にもせずにせっせと引き抜いた雑草を集めているのを見付けたのだが、そこでカタリナも一緒になって草を引っこ抜いていたのである。

 青臭い芝生の香りをぷんぷんとさせている乳母を見て、テオは困惑しつつ尋ねた。


「お前、ここでなにをしているんだ?」


「はあ、庭の手入れですよ。ウチは庭師が一人なので毎年大変で……」


「そうか。それで……フロレンツィア嬢は今どうしている?」


 カタリナはそこまで言われてやっとテオの言わんとしていることが分かったらしい。


「あまりこちらから構うと体調を崩されてしまいますので、いつもこの時間は一人になる時間を差し上げているのです。今なら自室でお昼寝中ではないかと思われますが……」


 曰く、フローラは午後は自室で読書するか、刺繍をする程度しか動くことはなく、どこかへ行くにしてもサロンなどではなく、たまに庭へ散歩に行く程度なのだという。

 そもそも対人恐怖症である彼女はどこへ行くにもこそこそした態度であるし、侍女たちを寄せ付けないため、周りは遠目でみているだけらしい。それも、じろじろ見てしまうとフローラがどこかへ隠れてしまうため、出来る限り気配を消して見守っているというのだ。


「……それは本当なのか?」


「左様でございます」


 しれっと当たり前のように言う乳母に、テオは混乱してしまった。全く悪びれていないのがテオには不思議で仕方ないのだが、どう考えても一般の令嬢に対する扱いではない。

 寝不足でイライラしていたのもあって、不機嫌さを隠せずカタリナへ語りかける。


「つまり、俺からフロレンツィア嬢の部屋へ赴いてはならない、ということなのか?」


「うーん、シュタインフェルト様はお通しするよう、旦那さまからも言い付けられております。ですから、きっとお嬢様も構わないでしょう」


「そ、そうか。では案内を頼む。あと……その、呼び名だが。テオでいい。まるで俺の乳母にそっくりなお前に変に敬称を使われるのはどうも調子が狂うんだ」


「ははあ。さてはまだお坊っちゃんが抜けませんね?まあ、あなた様のお年であれば無理もないでしょう。どうぞどうぞ。テオ様、テオ様、ふふ、さあ行きましょうか!」


 テオはその場からカタリナに引き摺られるようにフローラの元へ連れていかれた。



 二階にあるフローラの部屋の前で立ち尽くしたテオは、緊張で胸が張り裂けるのではないか、と思われるほどだった。

 薄く開いたドアからそっと室内を覗くと、白髪の前髪を昼の陽気に晒しながら窓際で椅子に座り、頭から毛布被ってうとうとしているフローラの姿を見つけた。どうやら昼寝中というのは本当らしい。テオは起こすのは忍びないと立ち去ろうとしたが、カタリナはそんなことは気にせずにフローラに声をかけてしまった。


「フローラ様! テオ様……テオドール・シュタインフェルト様がお部屋へおいでですよ!」


 カタリナの声にはっと起き上がってきょろきょろと辺りを見回したフローラは、ドアにテオの姿のあることに気付くと、びくりと立ち上がってさっとカーテンに隠れた。テオからは表情を見ることはできないのが残念だが、時折ちらりとこちらを覗き見ているのは分かる。

 テオはこの小動物のような彼女の姿を見て唖然とした。どこか人を拒否してトゲトゲとした印象であるのに、なぜか可愛らしさもある。しかも、見るだけで幸運をもたらすような儚い美しさすら感じられる。

 そう、それはまるで――


「彼女はハリネズミかなにかなのか」


「あら、テオ様ご存知でしたか?ハリネズミはお嬢様のあだ名なんですよ」


 カタリナはこっそりと小声でテオに囁いた。どうやらこの屋敷の人々にとってフローラのこの扱いは当然のこととして受け入れられているようだ。テオは驚きを通り越して呆れた。

 テオにはフローラがまるで周囲の人を全く信用しておらず、警戒しているようにしか見えないのだが、乳母のカタリナはそのことを疑問にすら思っていないらしい。

 このような状況で、どうやって仲良くなれというのだろう。無理難題にもほどがあるぞ、とテオは頭の中で嘆く。


 もちろん、ジグムントの推薦やフローラとの婚姻関係による自身の立身出世の野心がないわけでもない。

 だが、テオ自身がフローラのことをもっと知りたい、と思ったのだ。こんな可憐な少女と親密になれる機会を逃してはならない。彼女との関係はすぐにどうにかなる問題だとは思えないが、なんとかするしかないのだ。


 腹を括ったテオは、生唾を飲み込んでフローラの部屋への一歩を踏み出した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ