01 ハリネズミ姫
その日、テオ、ことテオドール・シュタインフェルト男爵はイーゲル家の寄越した馬車に揺られながら、緊張に身体を硬直させていた。
今夜の晩餐からしばらくの間、両親が亡くなって以降ずっと世話になり通しだったジグムント・イーゲル侯爵の一人娘である、フロレンツィア・イーゲル嬢となんとか仲良くやっていかなければならないのだ。
生真面目なテオは、デビューしたての13歳の頃から、女性と話すのが苦手だった。社交場で香水を振りまき、厚化粧で甲高い声を上げて美男な貴公子たちに迫る同年代の貴族女性たちを見て、まさに獲物を狙う鷲の類のようにしか思えなかったからだ。
女性と話すくらいなら、むさくるしい宮中で仕事仲間と議論する方がよほど良い、とテオは常々思っていた。
人見知りという、フローラ、ことフロレンツィアがどのような少女なのかは、父であるジグムントからは容姿以外の細かいことを聞かされていない。いわく、色白ではかない美少女であるというのだが、娘を溺愛して目に入れても痛くない、と自他共に認めるジグムントの言葉には若干の誇張が含まれている可能性が高い、とテオは冷静に分析していた。
「しかし、仮にも婚約者となるというのに。あまりに情報が少なすぎるんじゃないか」
そうテオには思われたが、もともとこの婚約自体がジグムントの希望で実現したものだ。そもそも彼はテオに大して婚約者としてではなく、ただの友人としてフローラと接することが求められているらしいことは、この婚約話を持ちかけられたときから感じていた。
であるならば、社交界の女性たちとはまた違う関係が築けるかもしれない。そう淡い思いを抱いたテオだったが、今度は逆に友人として自分がどのように少女の前で振る舞えばよいのか、ということについて悩み始めてしまった。
優秀だが生真面目なテオは、自分が思っていた以上に気の利かない性質であることを、社交界の一件以来自覚していた。なに、女性の年齢を聞いてしまったのである。彼女たちの繊細な心を完全に理解することは、今のテオには難しかった。はたして上手くやっていけるのだろうか。
テオの不安な心を表すように、辺りが少しずつ陰ってくる。もちろん、それは晩餐の時間に近くなるにつれ、自然と日が落ちて行ったためであったのだが、今のテオにはそのようなことすら思いつかないほど緊張していたのだった。
「よく来たなテオドール。さあさ、夜になって寒いだろう。早くお入り」
そう言ったジグムントに温かい室内へ招き入れられたテオは、まずその屋敷の豪奢さに驚いた。壁一面が美しい壁画で彩られ、室内のあちこちを高価なタピストリーが飾る様を見るのは、テオにとって王の使用する邸宅や宮廷で使用する館以外、教会や修道院といった特別な施設しかなかったからだ。
領地が隣り合わせだとしても、富まで同等になるということは少ない。
テオの両親とジグムントは比較的親密に、一般に考えれば珍しいほどに仲も良く関係は良好だったようだが、それはジグムントへの嫉妬心を感じる必要もないほどテオの両親の統括するシュタインフェルト領地とジグムント領に明確な差があったからだ、とテオには思われた。
実際、ジグムントがテオの後見人として立候補した際、すぐにシュタインフェルト男爵の傍系の親族たちは手を引いた。そのときはハイエナのような親族があまりに簡単に手を引いたことを訝しんだテオだったが、つまりはそういうことだったのだろう。
導かれるままに入った部屋は、大きな晩餐のための卓の置かれた広間だった。そこには既に料理が並べられており、小柄な少女と美しい若い女性が座ってるのが見える。二人はテオとジグムントが入ってきたことを確認すると、すぐにすっと立ち上がった。
「ようこそおいでくださいました、テオドール様。わたくし、フローラの母のツェツィーリアですわ。これからしばらく、よろしくお願いしますね」
美しい若い女性、とテオは思ったのだが、なんとジグムント殿の奥方だったとは。
ツェツィーリアは色白ですらりとした体格で、艶のあるブロンドの髪をぴっちりと髪飾りの中へまとめている。どこか妖艶な青いまなざしでテオを見つめているのだが、反面その話し方はおっとりとしていて、見た目と声のギャップが激しい。
テオは彼女の見た目に驚いて、ぱっと反応出来なかったが、すぐ持ち直すと礼儀正しく返事をした。
「こちらこそお世話になります。それで……」
テオはそういうと、ちらりとジグムントを盗み見る。ジグムントはうなずくとフローラに向かってこちらに来るようを手まねきした。
おずおずと進んでくるフローラは、昼間とは異なり乳母のカタリナによって整えられた訪問着を着ていた。可愛らしい印象のリボンのポイントのついた、臙脂色のドレスのドレープを揺らして歩く姿は、侯爵家令嬢らしい、どこか品のある凛とした立ち居振舞いだ。
彼女が立ち止まった位置が、自分から五歩以上離れていることに気付いたテオは若干の違和感を覚えた。だが、おそらくそれが彼女の他人との距離なのだろう。人見知りというのはすでに知っていたので、テオは思わず出そうになった不満をなんとか飲み込むと、まじまじとフローラの表情を確認する。
なんと可憐な少女だろう。ジグムントの言葉は嘘ではなかった。いや、むしろもっと大袈裟に美しいと言ってもいいかもしれない。それも、言葉に出来ないほどの美しいさだ。と思わず見惚れたテオは思った。
フローラの長い白髪の髪はそのまま垂れ下げられ、ドレスの縁取りのようにろうそくの火に反射して金銀に輝いている。伏し目がちの顔には影が落ちていたが、それがむしろ彼女の儚い美しさを強調していた。
なんという美しい母娘なのだ。ジグムントが一部の貴族から妬まれるのもわかる気がした。
「フローラ、こちらが隣のシュタインフェルト男爵領を治めるシュタインフェルト家の嫡男、テオドール殿だ。お前には同年代の友人はなかったな。これからはテオドールと子供同士で仲良くなさい。彼にも多少の仕事はあるが、仕事がない間はしばらくお前と一緒に行動することになるから、そのつもりできちんとおもてなしをするんだぞ」
「……はい…………あの、フロレンツィア……フローラと申します。以後お見知り置きを……」
真顔で、しかも蚊の鳴くような細い声で尻切れトンボ気味にそういったフローラは、ゆっくりとした動作で一歩足を後ろへやってお辞儀をした。
礼儀正しい態度は洗練されていたが、いかんせん言葉と表情が硬い。しかも、どこか震えているようにも見える。これは厄介なことになったかもしれない、とテオは思った。
「ああ、俺はテオドール・シュタインフェルトという。フロレンツィア嬢、なにかと世話になるだろうがこれからよろしく頼む。俺も君のような同じ歳の子と親しくするのは、実は初めてなんだ。仲良くしてくれると嬉しい」
そう言ってテオが貴公子らしく手をとりキスをしようと一歩前に出た瞬間、もともと青白かったフローラの顔が真っ青になった。あっという間にぶるぶると震えだしたフローラは、そのまま卒倒してその場に倒れた。
それからその場は阿鼻叫喚、てんやわんやの大騒ぎとなった。
フローラの様子に引き摺られ、ツェツィーリアまでがその場で卒倒し、ジグムントはそれに慌てふためいて全く役に立たない。
やがてやってきた乳母のカタリナと執事のセバスティアンに抱えられ、ツェツィーリアとフローラはそれぞれ自身の寝室へと連れて行かれた。二人が寝室へ戻ったあと、ホッとため息をついた二人は席についたが、テオもジグムントも、結局騒動のおかげで食事が出来るような精神状態ではなく、食欲などとうに失せてしまっていたのだった。
それから再び状況の報告のために現れた、訳知り顔の乳母のカタリナを捕まえてこの状況を説明させたテオは、そこで驚くべき事実を知った。
なんと、フローラは対人恐怖症で、自分の足で5歩以内の距離に見慣れない者が近づいた途端、気絶してしまうのだという。
「い、いったい俺がなにしたっていうんだ!」
テオがそう叫ぶのも無理はなかった。




