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臆病者の上手な慣らし方  作者: 田山
入門編
1/8

プロローグ

 昼下がりの優しい木漏れ陽が落ちる、白塗りの漆喰の屋敷の中心には、一本の大きな大樹が植えられている。その大樹の根本には、小さな子どもが二人は入れる広さの大きな(うろ)があるようだ。

 洞の中には、ほとんど白髪と言えるほど白いブロンドの少女が、毛布に包まってうたたねをしていた。

 生成り色の薄い寝着から細い腕を無防備にさらけ出している彼女は、色白に薄ピンクの頬を上気させ、すやすやと眠っている。その瞼の奥には、光の加減によって赤く見える神秘的な瞳が隠れていた。


 一方、大樹のある庭を囲うように建てられた屋敷の、二階部分の廊下では、一人の女性がひときわ大きな声を張り上げて周囲を見回しながら小走りしているのが見える。


「フローラ様、フローラ様! もう、どこに隠れたのかしら。13歳にもなって、かくれんぼが大好きなんて困ったお姫様ね」


 フローラと呼ばれる少女を探している女性は、フローラの乳母のカタリナだ。カタリナは恰幅の良い大柄な女性で、薄茶の髪の毛をひとつにまとめ、麻生地の茶褐色のエプロンドレスに身を包んでいる。愛嬌のあるきらりと光る濃い緑の瞳が印象的な女性だ。

 カタリナはフローラを探して屋敷中を見て回っていたが、その姿を見つけることが出来なかった。彼女はフローラのために用意した衣類を両腕に抱え、途方にくれた。


 実は、フローラは使用人だけでなく、家族とすら親密に接することを苦手としており、時折こうして物陰に身を隠してしまうのだ。そう、まるでハリネズミのように。

 唯一、フローラに近付いて世話を焼くことの許されたカタリナは、毎回隠れたフローラを探し回っては困り果てていた。カーテンの裏や机の下にもぐりこむ程度であれば可愛いものだったが、時に戸棚の下、衣装箪笥の中、はては蔵の屋根裏にまでもぐりこんで身を隠すフローラに、カタリナは毎回手を焼かされていたからだ。

 そうして屋敷の使用人の間でついたフローラあだ名が「ハリネズミ姫」だ。有名な侯爵家の娘とは到底思えない、小柄な彼女が毛布に包まって小さくなる姿は、たしかに本物のハリネズミが丸まっているようにも見える。


 そう、フローラの本名はフロレンツィア・イーゲル。宮廷で宰相まで務めるジグムント・イーゲル侯爵の一人娘であり、目に入れても痛くない宝物だ。

 フローラは子煩悩な父ジグムントと、同じくらい娘を愛している母ツェツィーリアに、蝶よ花よと育てられた。しかし生来身体が弱く、体調を崩しやすかったフローラは、なかなか直接両親と関わる機会を与えられなかった。

 せっかく起き上がることが出来ても、すぐにまた倒れてしまうのではないかと心配し、腫れ物のように大事に大事に扱いすぎた両親は、フローラとうまくコミュニケーションを取ることができなかった。

 そうして人見知りを克服できなかったフローラは、ほとんど屋敷から出ようとしない、引きこもりの令嬢となってしまったのだ。とはいえ、屋敷内であれば、かくれんぼと称してあちこち入り込むお転婆な部分もあったのではあるが。


 もちろん、両親はこのことを大変心配した。身体の弱い大事な娘が「人付き合いが苦手」というならば、無理に連れまわすことはできない。しかし、あと数年もしないうちに彼女は成人し、結婚しなければならないのだ。

 淑女としての教育は最低限済ませることができたが、満足に教師とも話すことができないフローラのために、父ジグムントは一計を案じた。

 可愛いフローラのために、信頼のおける子供を友人としよう、と考えたのだ。しかし、社交界に出る前から子供同士でやりとりをするなど、それこそ将来婚約を約束したもの同士でもない限りは難しい。親戚に同年代の少女のいないイーゲル家一族にとって、誰か少女を友人とする、ということもやはり難しかった。

 そこでジグムントは、自身が後見人を務めていたシュタインフェルト男爵の嫡男であるテオドールに目を付けた。


 テオドールは現在若干15歳。両親が巡礼地への馬車での移動中の事故で亡くなってしまったため、若くして男爵位を引き継いだ、社交界きっての期待の新人だ。

 テオドールの両親が亡くなったのは数年前、彼が12歳の頃だった。本来であれば、爵位は天涯孤独となったテオドールから親戚の手へ移譲され、財産も失い、テオドールは修道院に入り僧侶となることを余儀なくされるはずだった。

 しかし、たまたま領地が隣合わせで、テオドールの両親とも親しかったジグムントが、テオドールの傍流の親戚をすべて押しのけて後見人として立候補した。そのおかげで、13歳となってすぐに男爵位を継ぐことになったテオドールは、両親の爵位を放棄し自らの家系を断絶させずに済んだのだった。


 テオドールは父親譲りのブルネットの髪のくせ毛に、母親譲りの明るい茶の瞳を持つ。溌剌とは言い難い、どちらかといえば生真面目な性格である。少しばかり線が細く、筋力がないのが欠点ではあったが、頭の回転ははやく、同じ年の宮中に出仕し始めた少年たちに比べても非常に優秀だった。

 最近では宮中で文官の真似事も初めていた彼は仕事の覚えも早く、ジグムントは後見人や隣の領地を統治する友人の息子としてよりも、ほとんど自分の息子といっていいほどに、テオドールのことをかなり気に入っていた。


 もともとジグムントの妻であり、フローラの母であるツェツィーリアは身体が弱く、一時は出産すら出来ないかもしれないといわれたほどだった。実際、フローラを出産してから体調を崩しがちだった彼女は、生きていたいのであればもうこれ以上子供は望むことはできない、と医者に強く諭されてしまった。

 嫡男が出来なかったことを二人は残念がったが、フローラが婿をとることが出来たのなら、なにも直系が断絶するわけではないのだ。むしろ、せっかく授かった命を二人で大事に愛情をこめて育てよう、と決意した。

 そのような経緯もあり、ジグムントはフローラの婿候補を非常に、それは大層慎重を期して選び抜き、その結果、テオドールに白羽の矢が立ったのである。


 ある日、ジグムントは宮中にある自らの執務室に、当日たまたま宮廷へ士官していたテオドールを呼びつけるとこういった。


「テオドール・シュタインフェルト男爵、わたしの娘と婚約しなさい。といっても、まず娘の友人として仲良くして欲しい。娘は少々人見知りが激しくてな。同年代の友人が出来れば、あるいは変わることができるかもしれぬ。だが使用人の子供にも親類にも、近しい年代のものがおらず困っていたのだ。なに、もし仲良くなれれば、娘をお前にやらぬこともないぞ。まあ、仲良くなれたのなら、だが」


「はあ……つまり、ジグムント様のお嬢様と友人として仲良くすればよい、ということですか?」


「うむ、そうだな。その通りだ、テオドール! さすが我がイーゲル家が後見人となるべき優秀な若者だ。おおそうだ、ちょうど良い機会だな。ついでに我が家に来なさい。文官見習いとしてお前を鍛えてやろう」


 ジグムントは呑み込みの早いテオドールの返答に満足したように数度頷くと、とってつけたように付け加えた。


「おっと、婚姻の約束の件は、娘が拒否したら破棄するのを忘れるなよ。いいか、娘が良いといえば結婚するだけだ。けして期待するでないぞ!」


 こうして、テオドールはイーゲル家に当分の間、半強制的に行儀見習いとしてイーゲル家に滞在することが決定された。もともとジグムントに世話になっていたテオドールは、この誘いを断れるはずもなかったのだが。



 ジグムントの強引な誘いによりテオドールがイーゲル家へやってくることになったのは、ちょうど今日の夕刻、晩餐の時間の前であった。

 つまり、カタリナはテオドールとの面会の時間までに、フローラをなんとしてでも見つけ出し、訪問着に着替えさせなければならない、という使命を負っていたのだ。


「もう、ぜえはあ。フローラ様ったら……一体どこへおいでになったのです……」


 屋敷中を走り回ったカタリナは、息を切らしてフローラを探したにも関わらず、どうしても彼女を見つけることが出来なかった。約束の時刻はもうすぐに迫っている。なんとしてでも見つけなければ。焦る彼女が中庭の大樹の近くにある泉で、ほてった体を冷やそうと近付くと、はたしてそこで、大樹の洞の中でうたたねするフローラを見つけた。


 カタリナの歓喜の悲鳴が屋敷中を震わし、それに驚いたフローラが飛び起きて木の洞の天井にしたたかに頭をぶつけたのは、避けられない出来事だった。

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