魔王と式術使いセイラ
ナイフの銀色に輝く鋭利な刃が魔王に刺さる直前、魔王は結界魔法でその刃を見事に弾いてみせる。
この突然の魔法壁との衝突の反動により、女の子は尻餅を着いて後ろに倒れた。
「な…なんなのこれ…!?まさかこれが…噂の魔法ってやつなの?」
「ふむ、俺に魔法を使わせるとは大した女だ。どうも人間には見所が多いものが現れてきてるようだな。面白い。式術とやらの扱いも相当の手練だ」
魔王は体勢を立て直して、女の子の腹を蹴り上げた。
その衝撃で女の子は後方に転がり吹き飛ぶが、腹には血のあとはなかった。
つまりは爆発で負傷したしたはずの魔王の足は、傷どころか血の後すらなくなっているのだ。
「しかし残念だ。お前ほどの実力があれば、戦場にさえ出なければ平穏に生きていられただろうに。戦場に出ている以上、死は覚悟しているのであろうな」
「っはぁ…!くぅ…!あ…甘くみないでよね!」
女の子は蹴られたことによる腹痛で表情を歪ませていたが、その顔はどこかしてやったりという勝利の笑みといったものだった。
それもそのはずだ。
女の子はただ蹴られるだけには済まさず、魔王の足にワイヤーのような細い糸を巻きつけたのだ。
しかも更に糸には例のごとく炎によって燃え盛る札を何枚もつけている。
式術は手間こそ増えれど単純に枚数を増やせば、その分だけ威力を増していくという電池のようなものだ。
今まではせいぜい一枚か二枚だけによる爆発と火炎。
だが今度は二桁には届くであろう枚数だ。
枚数分だけ破壊力が倍になるわけではないが、今までとは段違いの攻撃となるのは間違いなかった。
「終わりよ魔物!消し飛べ!」
女の子が叫ぶと同時に複数枚の札は点火し、足一箇所どころか魔王から数歩分の一帯を焼く業火となって絶大な爆発をみせた。
耳を衝く衝撃音と爆裂音、そして離れていても確かに肌で感じるほどの熱。
おそらくこの式術使いの女の子が、今用意できる中でも一番の攻撃だ。
いや、そもそもこれ以上の破壊力は生物には必要ない。
それほど十分な式術だ。
ただ…、それら全ては魔王からしたら少し力を出したら何てことのない些細な抵抗に過ぎない。
爆発によって起きた煙が散っていくと、その中には結界魔法に全身が包まれた魔王が何事もない姿で立っていた。
激しく燃え盛るはずの炎も魔王の足元を懸命に燃やしているだけで、肝心の魔王には一切火がついた跡がない。
完全に防がれてしまっている。
一番の攻撃が、今までとは違って通りすらしていない。
「なるほど、なかなかの破壊力だ。…俺がその気になれば、今までの攻撃全ては防げてしまえる程度ではあるがな」
「そ…そんな……」
さすがにこれまで簡単には防がれているとは思っていなかったようで、女の子は恐怖で顔を青ざめてしまう。
それは絶望する前兆の様子。
ここで魔王が攻撃を加えれば、女の子の心は負けを認めるだろう。
そうだと勘づいていても、魔王は結界魔法を解くだけで攻撃はしなかった。
それどころか悠長に女の子へ話しかける。
「どうだ、女よ?お前、俺の下で魔物の仲間として働かぬか?」
「……はぁ!?なに言ってるのよ!誰が魔物の仲間なんかになるのよ!馬ッ鹿じゃないの!」
「っくくく、何もいきり立つことではあるまい。しかしその力、ここで消すには惜しいと俺は思うのだ。だから仲間になれと言っている。この言葉の意味、わかるか?」
仲間にならなければ消すしかない。
魔王はそう遠まわしに言っているのだ。
もはや今までの戦いのやり取りで、女の子に勝ち目がないのははっきりとしている。
それでも、女の子は屈しはしなかった。
女の子はお腹を手で抑えながらも立ち上がり、心に闘志を燃やして勇ましく声をあげる。
「この私、セイラは決して魔物なんかに属しはしないわ!たとえここで命の灯火が途絶える運命だろうと!私は最後の一瞬まで、魔物と戦うと誓っいるから命乞いの真似なんて絶対にしない!」
式術使いの赤いローブを着た茶髪の女の子はセイラと名乗り上げ、再び札を構えた。
だがもうセイラには、先ほどのように扱える武器は数が足りず手元にはない。
ナイフも全て式術による爆発に使ってしまったし、さっきのナイフも結界魔法との衝突によって刃が欠けていて、刃物として使い物にならない。
それに奥の手である多重札すら通じなかったのだ。
もし使えるナイフがあっても、今更どうこうできる差ではなかった。
「セイラか、本当に面白いやつだ。お前のような愚直な人間、嫌いではないぞ。生かすかは別だがな」
魔王は再び地を踏みしめて、セイラに近づいていく。
その近づいてくる距離だけ、セイラは警戒して魔王から離れていくが、そんな距離の合間の取り方など何の意味もない。
このままでは一秒足らずで、魔王はセイラの首を跳ねるだろう。
魔王は一歩、歩く足に力を込めて踏み込んだ。
一気に近づこうと脚に力を込めきれば、あとは真っ直ぐ走ってセイラの体をひき肉同然にするだけだ。
「いくぞ、セイラとやらよ」
魔王の言葉に、セイラは焦りの表情しかない。
その顔は、攻撃を防げないとセイラ自身が物語っていた。
このなぶる状況を楽しみながらも、ついに魔王は勢いよくセイラへ向かって走り出した。
それは全力ではないが、真正面にいるセイラの足を竦ませるには充分の恐怖。
セイラは何とか対処しようとするが頭の中が冷静にいれず、手がおぼつかない。
式術を発動させるよりも早く、人間の兵士の血で染まった魔王の凶悪な手がセイラの首元へ向かう。
あと数センチでセイラの首を狩ろうとした瞬間、銀色の刃が魔王の手首を叩き切った。
切り落ちはしなかったが、肉を抉るほどに深い切り傷が魔王の手首にできる。
さらにその振り下ろそされた銀の刃のおかげで、セイラの首が数ミリ切れた程度で済む。
「大丈夫か!セイラ!」
セイラの安否を気遣う声は、魔王に聞き覚えのある人間の声だった。
この男性の声、魔王はついほくそ笑む。
いい状況だ。
面白いぞ、人間。
「魔王!覚悟しろ!」
突如現れた男性は兵士の鎧を着た姿で、魔王に銀色の刃を向けた。
魔王は笑う。
そして愉快そうに喋る。
「あまりにも早すぎる再会だな。なぁ………、アテナよ?」
魔王は現れた男性である、勇者と勝手に祭り上げたアテナを見据えた。
しかもアテナの後ろにはいつしか移動魔法で飛ばした、半獣である青き狼の姿もそこにはあった。