魔王とシャルの眠り
シャルが結晶石を懐にしまうのを見届けると、魔王は頷いた。
「うむ。では後々、俺の側近から魔族について詳しく説明をさせよう。それまでは部屋でくつろぐが良い。バスルームやトイレは一応設備されているからな。不便はしないはずだ」
「分かりました…。魔王、また後で」
シャルが背中の薄い羽をパタパタとさせながら手を振る。
たったそれだけの動作なのだが、今までで一番大きなアクションじゃないだろうか。
応えるように魔王も手を振り替えし、踵を返しながら別れの挨拶を交わした。
「また後でな、シャル」
魔王はシャルの部屋から出て、早足ながらも真っ直ぐに執務室へと向かった。
仕事に取りかかるためだが執務室には入ると、もはや例のごとく鷲の側近が先に執務室にいた。
だから魔王が執務室に入室すると、鷲の側近は魔王に頭を下げる。
「側近か。新しい奴をスカウトした。妖精とエルフのハーフで、半精霊のシャルと言う。非力だが魔法が扱える貴重な戦力だ。丁重に扱ってやってくれ」
「分かりました。あとでどの程度の能力があるか測定します」
「ふむ、頼んだ。そういえばお前の方のスカウトはどうなっている。使えそうな奴はいるのか?」
魔王は執務室の椅子に座り込み、戦況の確認のために新しい資料とこの世界の地図を広げる。
それらに目を通しながら鷲の側近の言葉に耳を傾けた。
「すでに何体かは目ぼしいのはいます。あとは各自の持ち場に行かせ、選定していくだけです」
「さすが側近。仕事が早いな。昔と違って、つくづくお前は俺には勿体無いほどに有能となった」
「お褒めにあずかり光栄です。これも魔王様のご鞭撻のおかげです」
「恐縮するな。さて、では今の所は順調ということか」
新しい報告にある戦況も悪いものでは無かった。
負けはあるが全滅とまではいかない程度だ。
戦いが全勝とはいかなくても、被害が少ないなら気にすることはない。
「はい。今日は戦いも小規模なものが多いそうで、ひとまず心配は無用かと思われます」
魔王はふと人間側の特殊部隊についての話を思い出した。
思い出せば、一体どうやって人間は特殊部隊を決めるのか謎のままだった。
現在、魔王軍のほとんどの戦力集めは鷲の側近に任せてしまっている。
今いる魔王軍の最高幹部も全て側近が集めてきた魔物だ。
そのためどのように魔物の格付けをしているのか、詳しい所までは理解していなかった。
「……そういえば、側近の選定はどのようなもの何だ?」
「選定方法ですか?実戦指揮を執らせると同時に、丸一日間指揮官としての仕事をさせるつもりです。あとはあまり意味がありませんが、能力測定でしょうか。基礎能力に加え、その種族の特色の力など…。しかし、なぜ急にそのような事を?」
「いや、大した理由はない。参考までに訊いただけだ。そうか、実戦の指揮を取らせるのか」
人間もそうするとは考えにくい。
何せ人間は慎重だし、今回の人間の行動は特殊部隊の隊員募集だ。
こちらの指揮官募集とは根本的に違う。
しかし鷲の側近はさっきの言葉に付け足すように魔王に説明を続けた。
「指揮を執らせると言っても小規模な野戦の指揮ですよ。さすがに大きな戦いは安々とは任せられません」
「うむ。その野戦の指揮、俺も視察していいだろうか」
魔王の提案に鷲の側近は僅かに目を細めて驚く。
てっきりこの件に関しては全て鷲の側近に任せるものだと思ってたからだ。
何せ魔王にしかできない仕事というのは多いため、普通ならそちらを優先するべきだ。
だから魔物の格付けや仕事の与えは鷲の側近が一任でやってきていた。
「魔王様自らが選定なさるつもりですか?」
「まぁ何かあれば口を出すが、基本的に静観するつもりだ。ただどういうものなのか見てみたいだけだ」
「魔王様がそうお望みなら何も文句はありません。そのように準備致しましょう」
「あぁ、特等席を頼む。では俺は明日の観戦のために今日の内に雑務はできるだけ終わらせよう。お前も仕事に戻っていいぞ」
「かしこまりました、魔王様」
側近は執務室から出ていき、雑務をしようと魔王は資料と地図に羽ペンを走らせた。
そのまま魔王は一切席を立つことなく仕事を続け、時が刻々と経っていってあっという間に夜にまでなってしまう。
白き月が空へと高々と身を現して、空気が冷たく周りの音が静かに落ちていく。
そして完全に暗くなったため魔王が執務室に置いてあったランプに魔法で火を点ける。
すると、ちょうど不思議な声がどこからか聞こえだした。
『魔王、魔王………』
「これは、テレパシー?魔力あるものしかできぬはずだが………。あぁシャルか」
シャルの呼びかけに、魔王は魔法でテレパシーを送り返した。
このテレパシー行為は互いに魔力があって初めてできるものだ。
発する魔力の振動により意思の伝達を行う妖精が好んで使用していた魔法技術。
『一体何の用だ?』
『魔王、来て……』
『先に用件を言え』
『魔王聞こえてる?聞こえてるなら来て。魔王……魔王………』
シャルはただ呼びかけてくるだけだ。
これが意味することは一つしかない。
魔王はため息を吐いて呆れ気味に呟いてしまう。
「お前が聞こえていないではないか………」
どうやらシャルは意思の送信はできるらしいが、受信はできないようだ。
一方的にしか連絡できないとはなんと迷惑なテレパシーだ。
魔王は椅子から立ち上がり、ランプを片手に持って執務室から出てシャルの部屋の前へと訪れた。
一応入室する前に、魔王はシャルの部屋の扉を軽くノックする。
するとシャルのか弱い声が扉の先から聞こえてきた。
「魔王?入って、下さい…」
了承を得た魔王は静かに扉を開けて、シャルの部屋に入っていった。
するとシャルはベッドに潜り込みながらも、あの虚ろな目で魔王を凝視していた。
まさに待ちかねていたみたいだ。
「どうかしたのか」
魔王はランプの灯りでシャル顔を照らしながら枕元に立って尋ねた。
何か特別な要件かと思ったが、シャルは夜なら当たり前と言えることを言い出した。
「眠いの」
「なら眠れ。今は夜だ。……と、妖精なら夜が活動時間だったか?」
「大丈夫、私は夜は…眠くなる」
「ならもう一度言うが眠れ」
「………ん」
どういうわけかシャルは黙り込んでしまった。
一々面倒にも程がある。
仕方なく魔王はシャルが先に喋りだすのを待っていたが、いくら待っても答えそうにない。
だから魔王は痺れを切らして、命令から質問に変えた。
「………なんだお前は。では一体なぜ俺を呼んだ?」
「眠って、いいのかなって思って………」
本当によく分からない奴だと、魔王は再び思うしかなかった。
魔王にとってはどうもシャルの考えが非常に読みにくい。
人間の思考を読むのは容易いのに、どうしてこうもシャルにペースを乱されてしまう感覚がある。
「意味が分からない。シャル、お前は眠る時はわざわざ誰かの許可が必要なのか?」
「……必要、ないけど。今までは………、眠たくても眠れなかった。いつも誰かに狙われる。私、力が弱いから………」
今まで以上に消え入りそうな声でシャルは言った。
それはいつも怯えて生きていた経験をしていたと、暗い表情と発した短い言葉が物語っていた。
「なるほど、今までシャルは逃げ続けて生きてきたわけか。お前は仲間がいなかったと言ってたからな、当然か。だが安心して眠れ。この城にはちょっと変わった結界が張ってある。だから城がいきなり崩れることは無い。それに万が一ネズミが入ったとしても、その魔法のローブを着ていればシャルを守るだろう」
結晶石もあるしな、と魔王は聞こえない声で呟く。
それでシャルは魔王が孤独をほんの少しだけ分かってくれた嬉しさと、今の安全性に喜んで素直に魔王の言うことを聞くことにした。
「分かった。私、安心して眠る……」
だけど言葉とは裏腹に、次にシャルは魔王に自分の小さな手を差し出した。
やはり少しばかり素直ではなかった。
魔王にはその手の意味がさっぱり理解できない。
「なんだ、その手は。眠るなら布団に潜っていろ」
シャルは魔王の言葉を無視して、眠そうな声でありながらもはっきりと言った。
それはさっきまでと違って無駄に力強い言葉だった。
「魔王、抱いて」
さすがの魔王も一瞬面をくらう。
たいした意味は無いのだろうから、余計にシャルの意図が分からない。
「………本当に意味が分からない奴だ」
「この手を、ギュッと魔王の手で抱き締めて。ここは安心するけど、魔王が手を握ってくれたら………。もっと安心………する、かも」
「…なんだ、仕方ない奴だ。快く仲間になってくれたからな。今夜だけは特別だ」
魔法使えるとは言え、少し変なのを仲間にしたなと魔王は苦笑しながらシャルの小さな手を握る。
シャルの肌白な手は脆そうで、簡単に潰れてしまいそうだ。
それほどにシャルの手は柔らかく、かすかに冷たい手で生物にしては貧弱すぎる。
「魔王の手………、温かいね…」
シャルは精一杯ながらも弱い力で魔王の手を握り返した。
このままだとシャルが手を離す様子が見られないので魔王はランプをすぐ近くの台に置き、シャルが眠るまで雑談することにする。
多分、目が据わり始めてはいるからシャルはすぐに眠るだろうと魔王は推測していた。
「シャル、お前は今まで何をしてきたのだ?まさかずっと放浪としてわけではあるまい」
「ううん、ただ………生きてた。年月も分からないほどに………ぼんやりと、生き続けていた」
「千年近くもか?」
「分からない……けど、多分、そう」
分からないというが、もし本当に千年も孤独にぼんやりと生きていたら、心は自分に苛まされて壊れてしまうだろう。
人間なら自己嫌悪に陥い、自殺してしまうかもしれない。
それほどに千年という月日は長いと、魔王は身を持って知っている。
「なら両親はどうした?独り身だと言っていたから俺は勝手に死んでいると思っていたが、まさか千年も前に死んだわけではあるまい」
「お母さんは、私が生まれてから………数年で死んじゃった。お父さんも多分、死んじゃった」
曖昧な答えに魔王は突っ込む。
特に気になるわけではないが、シャルの言い方には違和感があったからだ。
「多分?なぜ母親の死は憶えているのに父親の生死ははっきりしない」
「消えた……の。私を置いてどこかへ……。だからいつしか私はお父さんを探して、遠くへ遠くへ………旅に出ていた」
つまりは最初は消えた父親を探して放浪していたが、いつの間にか生きることが目的となっていたということか。
恐らく何百年も探したのだろう。
それでも再会できていないから、自然と諦めてしまったわけだ。
そして今のように自閉症のような性格に至っているのか。
「そうか、しかしシャルの父親は魔法が使えるのではないのか?」
「お父さんはエルフだったから、きっと……使えます」
「では、テレパシーはしたのか?妖精が使っていた印象が俺の中では強いが、エルフも魔力持ちなのだから可能なはずだ」
「私、魔力が弱いから………テレパシーの距離が短い、です」
「………あぁ、そうか」
魔力が弱いからテレパシー受信もできていないのか。
俺として魔力が弱いというより扱い方が雑な感じしかしないなと、魔王は内心思っていた。
そんなことより、どちらにしろもうシャルの父親は生きてはいないだろう。
なぜ父親がシャルを置いていったかは皆目検討つかないが、探し始めてから何百年も出会わないのというのは再会が不可能に近い。
世界は広いかもしれないが、さすがに何百年単位で探して会えないという広さではない。
「魔王……」
「なんだ」
「私、寂しい………」
シャルはうとうとしながら目を瞑る。
やっと眠気が強くなってきたようだ。
シャルがまどろみに落ちていくのが見て分かる。
「俺には、寂しいという気持ちは分からんな」
「…寂しいが分からないのは寂しいことだよ、魔王………」
シャルはそう呟いてから目を完全に閉じ、そこに魔王はバレないようにそっと催眠魔法をシャルにかけた。
そしてシャルは魔法と元からある眠気により深い眠りに落ちていく。
「………寂しい、か。俺には……、ずっと分からない感情だ」
そうぼやきながら魔王はシャルから手を離して執務室へと戻ろうと扉を開けた時、シャルの目からは小さな雫がこぼれた。
魔王はシャルのその涙には、気づかなかった。