片割れの魔剣
「ルナ。俺は全速力を出していく。動きについてこれるか?」
「任せて。いくら速かろうと、私の眼が動きを逃すことはないわ」
ルナがそう言い終わる前に、天狼の姿は消えていた。
音もなく俊敏に魔王の肩に食らいついて、肉を引き裂きながら魔王から離れる。
慢心はあっても、完全に油断をしていたわけではない。
それでも魔王は天狼の動きに反応ができなかった。
ルナの持っている魔剣に気を取られてもいたが、初めて会った時のような速さなら簡単に迎撃はできた。
なのに反応すらできなかったというのは、完全に天狼の速さが別物になっているということだ。
魔王は噛み付かれた所を手で押さえながら、天狼に声をかけた。
「ほう、速いではないか。俺の記憶とはまるで違う。倍以上の速さだ。一体何があった?」
「わん、あの時は脚をケガしていたからな。見せてやろう、魔王。俺の本当の速さを」
天狼の姿がまた魔王の視界から消えた。
だが、今度は魔王は天狼に集中していたために見逃しはしない。
ただ天狼は音もなく、途中でステップを踏んで場所をずらしてくる。
一直線に向かってくるのなら気配を感じて叩くだけで済むが、こうも乱れた動きをされると懸命に目で追い続けなければいけない。
だから、魔王の警戒は天狼だけに向きすぎた。
「月の型、新月」
ルナの声が聞こえたと同時に高速の一閃、魔王の腹に刃がくい込む。
とっさに魔王は斬られる前に折ってやろうと、ルナの魔剣を叩き上げた。
でも何とか魔剣の軌道が外れただけで、折れることはない。
ルナの振るう魔剣に気を取られたその隙を狙い、続いて天狼が魔王の叩き上げた手に噛み付き片手の動きを鈍くさせる。
そこでルナは弾き上げられたにも関わらず一瞬で斬り返し、構えすら取らずに次の攻撃に入る。
「月の型、既朔」
今度の斬撃は更に早く、斬り下げと斬り上げの二度の振りが魔王へ放たれる。
それを魔王は噛まれていない方の手で、結界魔法を盾のように扱って防ごうとする。
しかし間に合わず、魔王の体に二つの傷がつけられる。
天狼はその間に離れて、何かを地面から咥えあげては再び姿を消す。
ダメだ、ルナの攻撃に集中すると天狼の速さを追いきれない。
そう魔王が少しだけ焦っていると、ルナは次の斬撃を放つ。
「月の型、待宵の月」
今度はさっきの斬撃とは比較にならぬ早さと手数、まるで片手に剣を四本も持っているかのような太刀筋だった。
三回しか腕は振りをみせてないのに、少なくとも十回以上は斬撃を出している。
それでも魔王はルナの攻撃に集中して紙一重で躱した。
だがさらに回転してくる手斧が、魔王の横から頭を狙って飛んできた。
さっき天狼が咥えたのは、ルナが地面に置いた二本の手斧だ。
しかしさすがに口に咥えたというだけだからか、二本は無理だったようで一本の手斧しか飛んできていない。
これなら簡単に避けれると、魔王は少し頭を後ろの方へ引くだけで手斧を避けてみせる。
でもこれはただの手斧ではなく、ルナの扱っている手斧だ。
手斧の柄に付いている紐が魔王の首の前を通ると、回転のかかっていた手斧の軌道は孤を描いて紐が魔王の首に巻きついた。
更に手斧は飛んでいくものだから、魔王の体を後方へと無理矢理に引っ張った。
そのせいで魔王の体勢のバランスが崩れる。
まさに大きな隙だ。
ルナは今度は避けられないようにと間合いを詰めて、更に速さを引き上げてまさに本気の全力で剣を振るった。
「月の型、月蝕」
それはもはや剣を使ったというのは信じられない斬撃。
ゆうに三十は越える斬撃が魔剣の閃光となって、魔王を切り裂く。
一撃一撃が完全に振り切られており、地面を抉り周りの葉すら細切れとなっていた。
それがルナの正真正銘の全力だからか、振り切った後はルナは苦しそうな表情をして汗を噴き出させていた。
魔王は体中の切り傷から血を噴き出させて、地面へ倒れようとする。
でもルナ達の攻撃は終わりではない。
天狼が口に二本目の手斧を咥えて、空から降ってくるかのように舞い降りながら、魔王の首を切断しようと飛んできていた。
これで終わりだと思いはしても、ルナと天狼の目つきは最後まで緩みはしない。
………だが、魔王の目つきは緩みを見せて……笑っていた。
「馬鹿が」
魔王がそう呟くと、落ちてきていたはずの天狼の体が見えぬ何かに吹き飛ばされる。
さらに黒い魔法陣が近くの宙へ展開されて、ルナの体はその黒い魔法陣に引き寄せられた。
いつしかシャルと散歩に出たときに使っていた、重力操作の魔法陣だ。
ルナは黒い魔法陣に張り付けにされて、身動きが取れなくなってしまう。
そして魔王は倒れる前に転移して紐から抜け、ルナの目の前へと瞬間移動した。
そこで余裕そうにルナの首を掴み上げる。
まさに数秒足らずの出来事で、一瞬で魔王は有利な立場となっていた。
「さすが星の騎士団。噂に違わぬ強さだ。だが、それでも俺には届かん。見ろ、お前が与えた傷などすでに治りかけている」
魔王の言う通りルナが与えた傷からはすでに血が出ておらず、傷口も塞がろうとしている。
これでは一人や二人ではどうしようもない。
天狼がいくら速かろうと、ルナがいくら戦闘に長けていようと倒せない。
やはり魔王に対しては、それなりの対策が必要だった。
「ところで、その剣はどこで手に入れた?すぐに答えろ。首をへし折るぞ」
ルナの視線は一瞬だけ別方向へ向いてから、すぐに魔王へ戻される。
そして何とか話す分だけは首の拘束が緩められた。
「西の……かつてエルフがいたという地の近くで……っ、拾ったのよ…!」
「……そうか。そこだったか。だが、もう一本同じような剣があったはずだ。それはどうした?」
「知らないわよ……!私が見つけたのはこの一本だけ…!」
そこまで話したところで、吹き飛ばされていた天狼が黒い魔法陣に引き寄せられているせいで体を動かしづらくしてはいたが、高速で魔王の背中へと手斧を咥えて飛びつく。
だが魔王は見もせずに、ルナを掴んでいる手とは別の手で天狼の頭を鷲掴みにして地面へと叩き落とした。
「気づかないと思ったか?この距離でのルナの視線の動き、見逃すわけがあるまい。しかし魔剣が一本だけか。もう一本は放置か、誰かが持っていったか。どちらにしろ念の為にいつか探し出す必要があるな」
なぜ魔王がこの魔剣に拘っているのか、ルナには理解できなかった。
ルナの持つ魔剣は、ルナの認識では絶対に折れぬ剣であり、切れ味がとても良いぐらいだ。
もしかして他に何か力があるのか。
一体何かとルナは考える。
思い出せ、魔王との戦闘でこの魔剣が起こした出来事を。
でもルナは普通に斬った記憶しかない。
確かにそうだ。
ルナは斬っただけだ。
そう、ルナが使ったときの話では。
そこでルナは思い出す。
天狼が助けに来た時のことを。
天狼はこの魔剣を背負いながら、魔王の魔法剣とぶつけて弾きかき消していた。
あれは魔王が消しただけかと思ったが、もしかしたら……。
ルナは手にある魔剣の剣先を何とか動かし、黒い魔法陣に当てた。
すると黒い魔法陣に切れ込みが入り、形が崩れたせいで黒い魔法陣が解ける。
重力から開放されたと同時に、ルナはブーツの仕込み刃で魔王の横腹を蹴ると同時に切ってみせた。
そのせいで魔王の拘束が緩み、すかさずルナは剣技を放った。
「月の型、立待月」
幾十もの斬撃が飛び通い、完全に魔王の首の拘束を外すと同時に天狼の拘束も外していた。
「天狼!撤退よ!」
そしてすかさず天狼とルナは魔王から距離を取り、そのまま全速力で走り去る。
魔王はその逃げる後ろ姿を見つめながらも、雷撃の魔法をルナへと放った。
だがすでに確信を持っていたルナはその雷撃を魔剣で切り裂き、撤退を続けた。
やがてルナは天狼に乗り、天狼が全速力を出しては姿を消す。
森の地形を上手く利用してか、どこへと向かったか察知が難しくなる。
探知魔法を使えばすぐに見つけられるだろうが、焦って仕止める必要が魔王にはない。
ただ、今のルナの魔剣の力を見て呟くだけだ。
「魔法を切るか。やはりあの魔剣は厄介だな」
魔王は自然治癒で傷を完治させてから、転移を発動させて南の砦へと戻るのだった。