人には無い力を
魔王は心の底から愉快に感じた。
自分を信じぬき、歯が立たぬと知りながらも強敵に立ち向かうとは面白い。
まさに伝承でありそうな勇者の性質だ。
「ほんの少しだけやらせてもらうぞ、アテナ。前の戦場の続きと行こうじゃないか。お前がどれほど耐えれるか見せてもらうぞ」
魔王は魔法剣を消して、体全身に魔力をみなぎらせる。
これは魔王があらゆる魔法を瞬時に発動させるための準備だ。
大悪魔の戦いの時には使えなかった魔法の一端、それで魔王はアテナを弄ぶつもりだった。
しかし再び正常の思考に戻ったアテナは、これ以上は戦うつもりはなかった。
いかに上手く戦闘から離れるか、それだけをアテナは集中して考える。
ひとまず魔王とは距離を取ろうとアテナは脚を動かそうとする。
でも足は何かに掴まれているかのように、強い力がかかっていて動かない。
アテナは思わず足元を見ると、脚には地面から生えている光る鎖が巻きついていた。
何十本もがんじがらめに足についていて、そこから一歩も動くことすらできない。
魔王は動けずにいながら、もがくアテナの姿を見てうすら笑いをする。
「っくはははは、どうした?何もできぬか?」
「くそっ、こんな鎖!」
アテナは鎖を斬ってやろうと、剣を持つ手を上げた。
だが振り下ろす前に腕は動かなくなる。
結界魔法が手錠のようにアテナの手首に発生させられ、そこで結界魔法が固定されてしまう。
人間の腕力だけで結界魔法を壊すのは不可能だ。
だからもう剣を持っている手は動かない。
すぐにアテナは剣を手放し、地面へと落下する剣をまだ自由の利く手で見事に掴み取る。
そして力は入れきれないが、すかさず結界魔法を解かせようと剣を魔王へ向かって振る。
しかし、やはりその斬撃も防がれた。
剣の形をした結界魔法による魔法剣が、宙に浮きながらアテナの剣を受け止めたのだ。
一体何が起こっているのか、魔法に理解がないアテナには分からなかった。
「無様だぞ、アテナ。どれ、拘束を解いてやろう」
魔王がそう言うと、アテナの体に制限をかけていた鎖も結界魔法も解けた。
そのことによりアテナの体のバランスは崩れたがすぐに立て直し、魔王にもう一度剣を振るってみせた。
でも今度は二本の魔法剣が宙に浮きながら、アテナの攻撃を止める。
そこから更に宙には三本目の魔法剣が現れ、魔王の動作関係なく魔法剣自身に意思があるかのようにアテナの腕を叩く。
鈍器で殴られたような走る痛みと衝撃で腕を下げると、アテナの攻撃を受け止めていた二本の魔法剣がアテナの体を強く突いた。
「うぐっ!っは!」
アテナは呼吸が辛くなるような刺激を胸の当たりから感じた。
そのせいで魔法剣で突かれたことにより後ろへ仰け反っていると、更に魔法剣は四本…五本…六本と宙に浮かびながら本数を増やす。
更に瞬きしている間に数は倍以上に増えていく。
そうして数は一気に増えていき、もはや雨と変わらぬ数となる。
空を覆いそうなほどの魔法剣。
魔法による輝きは綺麗だが、あまりにも凶悪な光景だった。
「さて、何秒持てるかな」
魔王は嘲笑って、アテナに指先を向ける。
逃げ場のない数多き刃。
決して切れぬが、決して避けることも防ぐこともアテナには不可能だ。
一斉に降り注ぐかのように多くの魔法剣がアテナに向かっていく。
しかも一本一本が不規則に動き、見切ることができない。
それでもアテナは負けまいと剣を素早く振るった。
受け流すように、弾き飛ばすように、受け止めるようにとアテナはひと振りひと振りを全力でやってみせる。
だが防げるわけもなく、次々と魔法剣はアテナの体にぶつけられていく。
斬れなくても一撃が重く、一度魔法剣が当たってしまうと更に次の一撃を無防備にくらう。
気合でどうにかなるものではない。
技術でもどうにかなるものでもない。
単純な力でも、どうにかなるものですらない。
純粋な能力の違い、絶対的な能力の差。
それが全てだ。
「どうした。まだ攻撃は結界魔法ぐらいしか使っていないのだがな。まさかもう限界か?」
魔王の本気の魔法はこんなものではない。
それこそ一帯が吹き飛ぶでは済まないほどだ。
アテナは魔王の小手調べの魔法に対処しきれず、肉体に限界が早くも来ようとしていた。
それまでにひと振りにダメージが大きい。
逃げることもできず、やっと戦う意思ができたのにここまでなのか。
アテナは悔しく思いながらも、ついに剣を振るう力すら弱々しくなる。
そして限界を超えようとした時だ。
どういうわけか、魔王は魔法を全て解いた。
「ふん、今のお前の限界はここまでということだ。やはり脆弱な人間よ。悪いが、これ以上はお前とばかり付き合っていられんからな。次だ。次に戦う時が来たら全力で殺してやる。その時は覚悟しておけ。勇者アテナ」
魔王の気まぐれか。
いや、元から魔王は今はアテナと戦うつもりがなかったからだ。
だからアテナがいつかは本物の勇者になると、魔王の相手に相応しい敵になると見込んで次へと回した。
数日で強くなったアテナなら俺を本当に楽しませてくれると、魔王は期待せずにいられないから。
少なくとも、まだ弱いが敵と認めれるレベルにはなっている。
「っはぁはぁ…!あぁ、次だ…!次は……お望み通り斬ってやるさ!お前こそ覚悟しろ、魔王…!…っはぁ……」
「口と意思だけは立派なもんだ。どこまで俺を楽しませることができるのか、これから起きる大規模戦闘で証明してみせるのだな」
「…はぁ…はぁ……。感づいて…いるのか。人間が攻撃を仕掛けるの」
「おっと、失言だったか?…いや、お前ら人間軍の上の奴らは情報の漏洩は想定しているだろう」
そもそも四日前にはこちらに流れてきた情報だ。
これで機密にできていると思っているなら無能だ。
魔王は満身創痍となったアテナに背を向けて、これ以上は振り返ることもなく言った。
「この南の一戦、人間と魔物、果たしてどちらが勝つか。せいぜい足掻くといい。まぁ俺が出る以上、魔物に負けはないが」
そうして魔王は再び焼け跡を追って歩きだした。
雨で一帯の地面が濡れてしまっては探すのが手間だから、もうアテナとの会話に時間を割くこともない。
虚ろになった目で、アテナは魔王の背中を見ながら水たまりとなっている地面へ倒れた。
息を切らし、体中の痛みに悶え、目をあける力すらも失い始めている。
そのまま気を失ってしまいそうだが、その前にアテナは今回の魔王の魔法を見て一つ感じたことがあった。
力や技だけではない。
もっと別の力がなければ魔王とは対等に戦えないと。