優秀なる魔王と勇者
突如の脅威の出現により、恐怖に怯えきった兵士は悲痛にも続けて叫んだ。
「分かるんだよ!奴が魔王なんだ!魔王としか考えられない!あんな無茶苦茶な魔物、普通に居てたまるか!あれが魔王なんだよ!分からないのかよぉ!奴が」
「そうだ、俺が魔王だ。貴様らにとっては憎くて仕方ない存在だろうな」
魔王は先ほどから叫ぶやかましい兵士の頭を吹き飛ばす。
痛みも感じずに死ねたのはその兵士にとっては幸福だったろう。
でも、周りの兵士はその残虐な魔王には恐怖するしかない。
「やめろ、やめてくれ!くそくそォ!!なんでここに魔王がいるんだ!おかしいだろ!逃げろ!逃げろぉぉ!」
一人の兵士が叫びながら武器を捨てて魔王から逃走しだした。
その姿はみすぼらしい。
しかし逃走した先には、何故か魔王が目の前にいた。
「悪いが」
転移魔法無しの速さで魔王が先回りしたのだ。
ただの人間と魔王ではあまりにも全てが根本的に違いが出過ぎてしまっている。
恐怖の対象を目の前にした兵士は短い悲鳴をあげる。
「ひッ……!!」
「逃げれんよ」
魔王が腕を振ると、逃走した兵士の身体の中身がぶちまけられた。
まるで破裂した水風船のように液体も地面に飛び散る。
「他の奴等は地に伏してろ」
次に魔王は方腕を高く振り上げ、そのまま握りこぶしを作る。
それだけで突風は起き、沢山の兵士の喉が全て切り裂かれていた。
風で切り裂く風魔法だ。
あっという間に森の中は血の海となる。
「もう終わりか。む?」
突然、一つの掛け声と鉄の刃が魔王に向かって降り下ろされた。
「魔王覚悟!」
魔王は向けられた剣を避けて半歩距離を取り、目の前の人間を見据える。
魔王の前には如何にも屈強な男の戦士がいた。
他の兵士と同様に喉から血は出てはいるが、どういうわけか傷が浅かったようだ。
「俺が魔王と理解して、逃げる者が全員と思ったがそうでもなかったか。誉めてやろう」
「このッ!」
屈強な戦士は力強く剣を振る。
だがどんなに振っても剣は魔王に簡単に避けられ、全く話にならなかった。
魔王は剣先を避けながら、退屈そうに呟いた。
「まぁ、勝てる力があるかどうか別だかな」
「え…?」
戦士が振っていた剣はいつの間にか魔王の手元にあり、戦士の胸元に深々と突き刺さっていた。
戦士の手はまだ剣を握る形をしていて、魔王に剣を取られたことすら気づけなかったのだ。
別に戦士が間抜けだったわけじゃない。
魔王の行動が認識の範囲外をこえていただけだ。
「ありえ…ない……!」
「人間にはな」
魔王が突き刺して赤く染まる剣を抜き捨てると、戦士は胸元からゴポリと血を垂れ流して地面へ倒れた。
魔王は死体に興味を湧かすこともかける言葉もなく、すぐに燃え上がる砦の方角を向く。
「次は砦に行かなければな。あの状態だ。副官共がまともに戦えているとは思えん」
この魔王の思考は正しく、砦の出入口では人間による激しい抵抗にあっていた。
士気を高めたとはいえ、まだ魔物達の集中力は散漫としている。
そのため魔物の副官は指揮を取ろうとするが、ある男性がそれを邪魔している。
おかげで副官は一体一で、その男性と戦わざるえなかった。
その一人の軽装の若者の男性が、魔物の副官に向けて剣を素早く振るった。
「はぁ!」
魔物の副官は地面に落ちていた人間の槍を拾って剣を無骨ながらも払い受け、槍を構えて態勢を立て直す。
「くっ、この人間風情が!ただの一人も、この砦から逃すか!」
魔物の副官の言葉に対抗するように若者は大声を張り上げて、剣を構え直した。
その構えはこんな戦況の中でも乱れは無く、揺れることなき強い目で副官の動きを捉えている。
「このままでは部隊はみんなが死んでしまう!せめて俺の手で一人でも逃がさなければ!たぁあっ!」
飛びかかる若者に副官が先に槍で突こうとしたが、慣れた動きで槍は剣により鮮やかに弾かれた。
それから若者は副官の懐に入って剣を斬り上げる。
しかし惜しくも剣は副官の体をかすめる程度に終わり、副官が反撃として槍で突いた。
「あまい!」
若者は避けながらも槍の柄を素手で掴み取り、副官と槍の引っ張り合いとなる。
普通なら魔物の方が力が強いためにすぐ若者は払われるはずだが、意外にもそうはいかなかった。
全くの互角の力で魔物の副官は驚きを隠せずにいる。
「この人間、真正面でこれほどとは。お前が指揮官か?」
「違う!俺はただの傭兵だ!」
傭兵と名乗った若者は槍を手離し、僅かに生まれた隙を狙って剣で副官の腕を素早く切り裂いた。
副官の腕の切り口から血が飛び、痛みで表情を歪める。
「まだまだぁ!」
「調子に乗るな!」
副官が慌てて槍を投げ捨て、素手で若者の傭兵を攻撃しようとする。
だがその判断は良くなく、若者の傭兵は剣を片手に持ち替えて空いた手で先に副官の腕を殴るようにして叩きのけた。
更に魔物の副官の腹部に蹴りを入れて、若者の傭兵はすぐに姿勢を直して剣を持つ手に力を込めて叫ぶ。
「くらえ、トドメだ!」
完全に隙ができた所で若者の傭兵は剣で副官を突こうとする。
しかし若者の傭兵が振るった剣先は副官にぶつかる直前で止まり、鈍い金属音が鳴った。
不自然すぎる現象に若者はつい戸惑った。
「えっ!?な、なんだこれは!?」
若者の傭兵が驚くのも無理はない。
なぜなら得体の知れない小さな魔方陣により、剣の攻撃を防がれたのだ。
気がつけば副官の隣には魔王が立っており、鋭く赤い目で若者の傭兵を見つめていた。
「魔法、というものだ。この地上では現状私しか使えんがな」
若者の傭兵は魔王を警戒して数歩下がって、再び剣を構えた。
「なんだお前は!いや、それより式術ではなく魔法だって!?そんな馬鹿な。魔法ってのはおとぎ話の存在じゃないのか!」
「そうだな。今の生物達にとってはおとぎ話同然だろう。まぁ、それでも私が使えるには変わらんがな」
魔王は指先を僅かに動かして魔方陣を消し、挑発するように不敵に笑った。
若者の傭兵は剣を空振りさせて魔王に対して威嚇する。
だが魔王にとってはそんな威勢はどこ吹く風と同然だ。
「訳が分からない!お前は何者だ!ただの魔物じゃないな!」
「魔物にただも特別もあるか、愚か者が。ではなんだ。お前はただの人間ではないのか」
「俺はただの人間で何てことはない傭兵だよ!」
答えながらも若者の傭兵は飛びかかって剣を振るが、完全に見切られていて魔王は剣を避けた。
いくら全力で素早く剣を振ろうが、魔王には止まって見えると大差ない。
「その割には他の者を救おうと必死でないか。傭兵なのに、自分の命が惜しくないのか」
「これは魔物と人の戦い!ならば人を救うのは当たり前だ!」
また剣を振るうが、やはり魔王には当たらず空を切るだけだ。
それでも若者の傭兵は魔王に向かってただ剣を振るうしかなかった。
全てが魔王の少ない動きで避けられてしまいながらも、手は決して休めない。
「当たり前、か。その当然という考えは勇猛な武人でなければ至れぬ、常人にはない思考だろう。何せ説明するまでもなく、お前は絶体絶命なのだ」
「何を言う!悠長に喋り続ける奴に負けてたまるか!たぁぁあああぁ!!」
渾身の力を込めて若者の傭兵は剣で魔王を斬ろうとしたが、魔王は剣を素手で簡単に弾いてみせた。
まるで飛んだハエを落とすようにも容易く。
その弾かれた力で若者の傭兵は体を大きく仰け反らした。
「言葉はいらぬか。そうだな、戯れが過ぎた。しかしもう少し楽しもうではないか。貴様のような愚直な奴は最高に素晴らしい」
若者の傭兵が再び振るおうとした剣を魔王は手で折り、そのまま若者の傭兵の首を掴みあげた。
すぐに若者の傭兵は魔王の手をほどこうとするがビクともしない。
これでも魔物の副官とは同等の腕力はあるはずなのにだ。
「ぐぅっ………!」
「人間共よ、よく聞け!この者は魔を滅する人間の希望!勇者だ!まだ未熟故に力は無いが、この者は必ず世界を救う星となろう!しかし今殺す!お前ら無様な人間に希望など与えぬ!」
魔王の狂言に人間の兵士達はどよめく。
極限状態のため、嘘か真実かも判断できないのだ。
何より魔王からの言葉というのが説得力があった。
「ゆ、勇者だって………?あぁ、なんとか助けないと」
「俺はもう死んでしまう…。ならせめて勇者だけでも………」
ざわめく兵士の声を聞き、若者の傭兵は苦しそうにしながらも慌てた。
自分が勇者という大それた者じゃないと一番分かっているからだ。
「な、何を言っているんだお前は!?勇者?冗談もほどほどにしろ…!」
「しかし面白い冗談だろ?お前はただの人間だ。それを魔王の俺が、今お前を勇者と昇華させた。まだ呼び名に過ぎないが周りの反応は愉快だぞ?」
魔王の言う通り、兵士達は若者の傭兵を勇者と思っておかしなものだった。
あまりにも茶番だ。
でもこの危機的な状況から生まれる勇者という小さな希望、それにすがりつきたくなるのは仕方もない話ではあった。
「本当に、訳が分からない。お前達魔物はそもそも何が目的で大きな争いを起こすんだっ…!」
若者の傭兵の問いかけに魔王は鼻で笑ってから返答した。
まさに下らない質問に応えるみたいに、どこか嘲笑ってすらいるようだった。
「愚問だな。人間と同じ理由だ。人間は完全な安寧を求めて生きている。それはなぜか。お前らが知恵という力を使おうとしているからだ。なら、魔物は単純に暴力という力を使おうとしている。そしてたまたま戦いが一番力を使うから、人間と争う。支配はおまけに過ぎん」
「自分の力を使うのが楽しいと…?」
「そうだ。自らの能力を使ってこそ、生という実感を味わえる。それは生物にとって至福!子孫繁栄など未来の事より、現在の自分に恍惚するのが楽しいだろォが!」
若者の傭兵は苦痛で顔を歪めると同時に、魔王の無茶苦茶な考えに混乱した。
とても同意できない。
魔物と人間が相容れないのを明確にした魔王の戦う理由だった。
「本当に………そう思っているなら、お前らは魔物は………哀れ…だ……!」
「哀れでいい。言い分を聞く前に言うが、人間の見方がそうならそうに違いない。貴様ら人間にとってはな」
「面倒な屁理屈ばかりを…!もう殺すなら早く殺せ……」
魔王の茶番に若者の傭兵は付き合いきれなくなり、投げやり言葉をかけた。
しかし若者の傭兵の目は決して生きるのをやめた目ではない。
そして魔王も若者の傭兵を殺す気は全く無かった。
「お前は殺さんよ。それに我らはこれで引き上げる。俺の部下が大半の人間を殺害した。この戦いはこれで十分だ。さて勇者よ。お前の名を聞いておこう。そうすれば再びこうして対することもあるだろう」
その魔王の言葉に若者の傭兵は再戦することを望んだ。
次こそは剣の刃を魔王に届かせるために、自らの名前を言う。
「………アテナだ」
「ふん、アテナか。勇者に相応しい名前だな。俺は魔王。名前は……、まぁ教えなくてもいいだろう。勇者アテナ、また俺に剣先を向けるのを楽しみにしている」
勇者と勝手に呼称させたアテナを投げ飛ばして、魔王は響く大声で魔物達に号令をかけた。
「聞け!我が勇猛な魔の将兵らよ!ここの戦いは決した!しかし被害が多く、もはやこれ以上の進軍は難しい!一度南の魔城へ撤退して体勢を立て直せ!」
魔王は途中から手を出す暇もなく指令に徹していた副官に話しかけ、後の事を任せるよう伝える。
「あとはお前に任せた。魔物の傷が癒え次第、もう一度南の侵略をしろ。俺は魔王城へ戻る」