魔王と大悪魔の契約
大悪魔の胸の穴から、赤黒い血が噴き出た。
辺りに血飛沫をあげて、ついに大悪魔は大きな体を床へと伏す。
大悪魔の再生力はどれほどのものか分からないが、生命力だけなら間違いなくとんでもないはずだ。
魔王はもっと攻撃の手をくわえるために、大悪魔の傍へ歩いて近づく。
その歩いている間にも魔王の傷は更に治癒が進んでいき、完全な状態へと戻りつつあった。
対して大悪魔は荒く息を吐いて、自分の血だまりに手を突っ込んだまま動けないでいる。
魔王は攻撃する前に大悪魔の様子に、これで勝負あったかと大悪魔に接近してから声をかけた。
「終わりか?素直に観念して屈服してもいいのだぞ?」
「はぁはぁ……!それも……いいだろう。我は貴様を甘く見ていたようだ……その力、驚嘆に値する…!」
そこで大悪魔が顔をあげたかと思うと、素早く赤黒い長身の刃を手にして魔王へ振った。
まだ警戒していた魔王はその赤黒い刃を紙一重で躱して、後ろへ何メートルか跳んで距離を取る。
しかし大悪魔は躱させれたことなど気にせずに笑いながらも、地下室すらを揺らす声で吠えた。
まだまだ元気はあるようだ。
「だから!我は本気を出そう!見せてやるぞ、魔王とやらよ!我の力を!」
大悪魔の足元には、あの赤黒い血だまりがなくなっていた。
そして大悪魔の手元には赤黒い刃……、つまりはあの刃は血の結晶だと察せた。
さっき吐いてみせた赤黒い石も、血反吐を吐いた時についた血を結晶化させて吐いたのだろう。
どうやら血液を自由に操るようで、その血の硬さも並のものではないと、その身でくらった魔王は理解している。
魔王は警戒しながらも、大悪魔を攻撃しようと飛びかかろうとする。
だが大悪魔は指先を魔王に向けて言った。
「おっと、貴様……我の血を浴びていたことに気づくんだったな」
大悪魔が言うと、魔王はさっき赤黒い石を触った時に手に付着していた赤黒い液体が形を変えた。
その血は刺となって魔王の手を貫く。
それだけではない。
今は傷はなくとも、撃ち抜かれた箇所にも大悪魔の血はついていた。
それら全てが鋭利な刃物へと形を変えて、魔王の体を刺し貫く。
風穴ができた場所と同じ所に、また魔王の血が噴き出る。
刺さったままでは再生しても無駄だ。
しかも一度刺されば、大悪魔の血が何度も形を変えて何度も体を貫き続けるという代物。
非常に厄介なものだった。
これで全身に刃が刺さっていることにより、魔王の体は自由が効かなくなる。
魔王は膝を床につけて、地べたに座り込む事となった。
「良いざまだぞ、貴様。その首、撥ねてやる」
大悪魔は不敵に笑いながら、悠々と魔王へと近づいた。
そして手にある赤黒き刃を振りかざし、魔王の首を狙う。
これで切られると刃の悪魔の血が魔王の首について、頭の再生を遮断してしまうだろう。
さすがの魔王にもそれは厳しいものがある。
なんとかしないといけない。
しかし魔王の体が動かない。
気づけば大悪魔の血が魔王の体内を蝕み、刺となって肉体の筋肉組織すら破壊しようとしていた。
「さぁ、終わりだ!魔王よ!」
大悪魔が血の刃で魔王の首を切ろうと、力強く振り下ろした。
だが…、刃は魔王に届くことはなかった。
魔王が刃を手でへし折ったのだ。
そのことに大悪魔は驚きの表情を隠せなかった。
「な、なぜ……!?」
その驚いている間に、魔王は大悪魔を殴り飛ばす。
魔王の放たれた拳により、大悪魔が音を立てて壁へと衝突した。
大悪魔にとってこの隙は動揺によるものだが、それは仕方のないことだった。
なぜなら魔王の身を貫いていたはずの血の刃の全てが、液体へと戻っているのだ。
大悪魔にとってそれはありえないこと。
完全に意のままに操っているのに、血が結晶化しない。
なぜ、どうして、ありえない。
このことに大悪魔は焦燥感すら覚え始めた。
しかし魔王にはなぜ突然自分の身に付着した血の結晶のみが解けたのかは分かっていた。
魔王だけではない、シャルも理由はよく知っている。
シャルが付加魔法をかけたのだ。
魔王の全身に軟化の付加魔法を。
何度も言われていた魔王のみには魔法が通じないというのを逆手に取り、魔王の体内にある大悪魔の血液のみを軟化させることにより、結晶化が維持できずにただの液体へと変化した。
それにより、魔王の身に付着していた大悪魔の血液も液体へと変化する。
もう、シャルの魔法が発動されている限りは大悪魔の血は魔王を蝕むことはできない。
「魔王……。負け…ないで……」
もし大悪魔がシャルの魔法のせいだと気づいても、妨害はできない。
魔王の厳重なる結界魔法がシャルの身を完全に守っているからだ。
お互いの魔法が、お互いを守りあっていた。
「どうした、大悪魔よ?お前の力を俺に見せつけてくれるのではないのか?」
「くそがぁ……!!」
大悪魔は立ち上がって胸の風穴に手をかざして、更に刃を作り直しながらもう一本の刃も作り上げた。
二本の血の大刀を手に、大悪魔は魔王へ飛びかかる。
しかし全力で振っても魔王は一瞬で太刀を打ち砕き、血の刃の欠片が宙に舞うだけだ。
さらに大悪魔は口から血の結晶を吐いて撃ち出そうとするが、魔王が顎を拳で撃ち抜いて大悪魔の口を閉じさせた。
それでも大悪魔は攻撃をやめず、鋭利な尻尾を振った。
しかし魔王は今度は手のひらが切れても尻尾を掴みあげて、大悪魔を床へと叩きつける。
「がぅあっ!?」
すかさず魔王は軽く跳んで、仰向けとなった大悪魔の上へ移動する。
それから大悪魔の腹へと、振りかぶって拳を全力で振り落とした。
その衝撃により、床にある結界魔法が全て壊れて魔法の光りを撒き散らし、今まで以上の地響きをあげて地面にヒビをいれる。
石床の破片すら舞い上がり、この一撃で魔城が崩壊するのではと思わせてしまうものだった。
それでもシャルは付加魔法の発動に集中を切らさず、魔王を信じて発動させ続けていた。
「き……貴様ァ……!!」
今の一撃は今までの攻撃とは比較にならない威力となり、大悪魔の腹をほとんど吹き飛ばしてしまった。
そのことに魔王は笑みをみせて大悪魔の上に降りないようにして、床へと着地する。
着地まで魔王の身のこなしは至って普通で、万全な時と何ら動きは変わらなかった。
対して大悪魔は動けないでいた。
床で仰向けになったままで、途絶えそうなほどに荒く息を切らしながら呻いている。
まだ命があって痛みで叫んだりしないのは、さすが大悪魔と名乗るだけはある。
「どうだ、大悪魔よ。まだやるか?」
「貴様…。いや、魔王よ。ぐっ…、わ…わかった。この傷、我にも致命傷。もはや抗うこともままならん。だから……我の負けだ…。誓おう……我がここに顕現する限りは魔王が主だっ…!」
この大悪魔の言葉は完全な従属を意味する。
悪魔は唆したり惑わす言葉を口にするが、この宣誓だけは嘘偽りではあってはならない。
それが悪魔としての絶対の制約。
「そうか、お前のその力は頼りにさせて貰うぞ。ぜひとも魔王軍とは仲良くしてくれ。よし、シャル。契約は終わりだ、大悪魔の傷を癒してやってやれ」
魔王は地下室に展開させていた結界魔法を全て解き、シャルを大悪魔に駆け寄らせた。
このことにシャルは戸惑いながらも、魔王の命令であるがために口は挟まずに大悪魔の治癒へあたる。
そして鷲の側近は魔王へ近寄り、ひとまずは労わる言葉をかけた。
「お疲れ様です、魔王様。かなりの激戦でしたね、正直驚かされました」
「そうだな、俺も思っている以上に手間をかけてしまった。魔法全てを結界のみに回すとこうも辛いとはな。拘束魔法だけでも使えれば、辛勝する真似はなかったのだが。大悪魔の力となると、並半端な拘束ではいかなかったから使えなかった」
「地下室での戦いがよくありませんでしたね。外でなら魔法のみで大悪魔様を蹴散らせたでしょう」
「そのときは、一帯が吹き飛ぶだけでは済まなくなる。そのためにわざわざ地下室で結界を張って戦ったのだ」
「なるほど、そうでしたか」
鷲の側近が納得したところで、魔王はシャルに視線を移した。
そして疲れ混じりに小さな声で呟く。
「全ては…シャルのおかげでうまくいったのだ。これには感謝しないとな」
そう言って、魔王は優しい笑みを一瞬だけ浮かべた。