魔王と大悪魔
シャルとの散歩から翌日。
魔王、シャル、鷲の側近は北の魔城の地下室にいた。
地下室には二日前に魔王が展開させていた紫色に輝く魔法陣が、より強い輝きをみせている。
そろそろ召喚される頃合だ。
魔王は念のためにと地下室の内側に何十にも重ねた魔法結界を張りながら、シャルと鷲の側近に声をかけた。
「シャルと側近よ。一応離れていろ。おそらく出てくるのはかなり凶暴だ」
「わかりました。半精霊、離れましょう」
「うん……、側近さん。あと魔王……気をつけて…。なんか嫌な力…、感じるの」
心配するシャルと鷲の側近が地下室の壁際へ離れたのを確認すると、魔王は更に結界魔法をシャルと鷲の側近に纏わせるように発動させる。
それから魔法陣に手を触れて、腕に魔力を込めた。
「さぁ、来い!俺の新たな下僕となるものよ!お前の力、俺に貸してもらうぞ!」
魔王が大声をあげると、魔法陣は黒い煙のようなものを吐き出した。
そして結界魔法によって密閉された地下室にも関わらず、暴風が魔法陣から吹いて爆発するような轟音も鳴り始める。
魔王の赤い髪が暴風によって揺れた。
やがて風は吹き出るようになっていたが、今度は逆流していって魔法陣に風が呑み込まれていく。
まさに異様な状況だった。
何でもない床のはずなのに、風をどこかへと呑み込んでいくなんて奇妙すぎる。
それからやがて吹き出てた黒い煙は魔法陣の中央に集まり、一つの形状を作り始めた。
その姿は何か。
一体どのようなものが出てくるのかと三人は期待していたが、魔王だけは煙が翼の形を作ったのを視認した瞬間、暗闇に落とされた。
なぜ魔王だけが暗闇だけを見るはめになったのか。
それを理解することは本人には叶わずに、やがて魔王は膝を石床に落としてゆっくりと倒れ込んだ。
じわりと広がっていく血液。
石床はあまりにも大量の血液に、吸い込みはせずに外側へと流していくだけだ。
シャルは目を見開いた。
絶望的な表情。
鷲の側近も同じように目を見開く。
こっちは驚きの表情。
魔王は目を見開けない。
いや、そもそも見開くための目どころか顔がなかった。
魔王の首から上が綺麗になくなっていたのだ。
その肝心の魔王の頭だった物は石床に、赤い何かとして潰れたパンのように落ちている。
魔王の首なき体と、頭だった物を見てシャルは唇を震わせた。
そして嗚咽のような、言葉とも言えない声を漏らす。
「ま、魔王……?そん…な……。なにが……」
シャルは無意識に回復魔法をかけようと、魔王に近寄ろうとする。
でもそれは隣にいた鷲の側近によって引き止められた。
「危険です、半精霊さん。今は動かないで」
鷲の側近は厳しい口調でいいながらも、視線はシャルにではなくある一点の場所を見つめていた。
そのことに気づいたシャルは、鷲の側近が見ているところへ視線を向けた。
そこは魔法陣があった場所だった。
今はすでに魔法陣は消え失せていて、魔法陣があった場所には一つの影が立っているだけだ。
赤と黒が混じった硬そうな二枚の羽、曲がった金色の角、醜悪な牛を連想させるような膨大な筋肉で強ばった顔、黒くて生物とは思えないウロコを纏った肌。
そして異常なまでに鋭利な爪を持った丸太のように太く無骨な二本の腕、同じく張り裂けそうなばかりの筋肉を表面化している二本の脚、後ろには銀色や金色、黒と三色も入った奇妙な長く鋭利な尻尾を持っていた。
その姿を適切に一言で表現をするなら、まさに悪魔そのもの。
見るだけで戦意や理性を奪う姿をしている。
赤一色の眼は、動かぬ魔王の体を視界に入れもせずにシャルと鷲の側近を見つめた。
その視線は魂すら奪われそうな、悪意と殺意があるもの。
恐怖や脅威に敏感なシャルは逃げようと思ったが、魔王に回復魔法をかけようとする思考が最優先となっていて他のことなど考えなかった。
「貴様等か?この大悪魔である我を呼んだのは?」
大悪魔と名乗るそれは、酷く低く聞き取りづらい声でシャルと鷲の側近に話しかける。
鷲の側近は警戒を強めながらも、大悪魔の質問に返答した。
「いえ、私たちではありません。大悪魔様、あなた様の足元にいる…魔王様が呼んだのです」
「なに?こいつが…?っぎははあははははははははあぁはぁ!!なんだボロ雑巾ではないか!なるほどなるほど、我は召喚されると同時に召喚者をつい殺してしまったのか!これは愉快な失態!ぎっあはははははっははははっ!!」
大悪魔は地に伏したまま動かない魔王を見て、馬鹿笑いをした。
それは侮辱で、魔王を尊敬する鷲の側近にとっては耐え難い屈辱だっただろう。
それでも鷲の側近は、魔王の側近として居る以上は態度に出さずに怒りは飲み込んだ。
だからといって、状況が改善するわけではなかった。
大悪魔は笑いを突如やめて、まさに悪魔に相応しい見るものを心底恐怖させる笑みを浮かべた。
「では、召喚者が絶命済みなのなら、好き勝手にしても異論などないなぁ?まずは腹ごしらえだ。そこの羽の生えた女とデカイ鳥を喰らってやろう」
大悪魔はそう言って歩き出し、シャルと鷲の側近に近づこうとする。
それに対して鷲の側近は構えるが、対抗できるなど微塵とも思っていない。
悪魔とやらの力はどれほどか分からないが、鷲と悪魔では大きな差があるのは間違いない。
しかも大悪魔と名乗っているのだから、普通の悪魔とは更に次元が違うと思って良いはずだ。
大悪魔はまだ展開され続けている結界魔法を壊そうと、太い腕を振り下ろすために上げた。
しかしそこで大悪魔が腕を振り下ろす前に、誰かが大悪魔の腕を掴んで自由を奪った。
誰が自由を奪ったなど、鷲の側近なら見るまでもなく分かっている。
魔王だ。
「ふむ、凶暴だと思ってはいたが、まさかここまで自由にやろうとするとはな。悪いが、俺の言うことを聞いて貰うぞ」
大悪魔が声をした方へ向くと、そこには平然とした魔王が立っていた。
服には血の跡が残っているが、頭や体には傷一つない。
まるで本当に何もなかったみたいだ。
「なんだぁ貴様は?貴様、先ほど我に頭を微塵にされていたはずだが」
「…どうかな。しかしどうであろうと、俺が生きているには変わらんぞ。ならどうする?」
「もう一度…。いや、幾重にも殺す!絶対に殺す!殺し尽くしてやるよ!我を従えると思うなよ小童が!」
大悪魔は完全に敵意を剥き出しにして、魔王の拘束を振りほどいて瞬間的に移動して距離を取った。
その速さは昨日の天狼の初速と同等だ。
魔王は更に結界魔法を強固なものにしながら、不敵に笑う。
それはまさに楽しんでいる表情。
「大悪魔よ、お前程度ではいくら頑張っても俺を殺せんよ。いいだろう、俺の全力を見せてやるぞ。遅くとも半日で屈服させてやろう」
魔王はそう言って、さっきまで頭が飛ばされたことなど無かったように首の骨を鳴らして体を慣らす。
このことに、シャルは魔王が生きてた事を喜ぶより困惑するだけだった。
なぜなら魔王の頭だったものは以前と潰れた血肉とはなっていて、まだ石床に落ちているからだ。
「あ、あれ……魔王、無事……だった…の?」
あまりにも魔王が平然としているために、さっきのは幻覚かなにかだと思ってしまうほどだ。
このシャルの混乱に気づいた鷲の側近は、魔王についてそっと教える。
「無事ではありませんよ。あれは再生したんです」
「再生…?」
「えぇ。魔王様は呪いにかかっていて絶大な力を得ているんですよ。それは単純な身体強化、魔力の膨大化だけではなく、先程のような再生も呪いの力なんです。その再生力は頭がなくなっても再生と蘇生をする異常なものです。もちろん、その分だけ呪いが強力ということなんですが…」
「そう…なんだ。呪い…」
シャルは呪いについては無知だった。
そして簡単に説明していた鷲の側近も、呪いについては詳しく知らない。
ただどういうものか漠然と知っているだけで、なぜ魔王が呪いの力を使っているのかすら本人以外は誰も知ってはいなかった。
更にこの呪いの細やかなメリットとデメリットを理解しているのも魔王本人だけだ。
シャルは呪いについて考えようとしてみるが、そんな余裕は生まれなかった。
目の前で起きることを理解するために、脳内が五感から得る情報処理で精一杯になる。
大悪魔は音にも勝る速さで、右腕の拳を魔王へ突き出した。
それは鋭利な爪を利用した拳の突きで、当たれば貫通してしまうようなもの。
しかし魔王はそんな攻撃など大したことないように、手のひらで大悪魔の拳や腕を押して綺麗に受け流す。
それでも大悪魔は連続でラッシュとも呼べる、両腕による突きをする。
それは一発一発が空気の壁を裂いて、周りに衝撃を響かせるもの。
音よりも速く、繰り出される凶悪な攻撃。
「どうしたどうしたッ!貴様、偉い口を叩いておいて防戦一方ではないか!ぐぎはああははは!あまいぞあまい甘いぞ!」
大悪魔は自分を格上の存在だと信じて疑わないようで、馬鹿にした笑いをしながら魔王への攻撃はやめない。
魔王は全てを見事受け流して当たらずに済んではいても、大悪魔のいう通り防戦一方に見える。
だが、実際はそうではない。
魔王は馬鹿にし返すように口元を緩めて笑い、いとも簡単に大悪魔の両腕を掴む。
そのまま引きちぎってやろうと腕を引っ張ると大悪魔は跳んで、わざと魔王に引かれるがままにして魔王の頭上を通るようにする。
これにより大悪魔は腕を引き抜かれる心配はないが、魔王の頭上を通るのは迂闊すぎた。
魔王は大悪魔の腕を頭上を通る時には離して、すぐに腹を殴りつけてやろうとする。
しかし大悪魔も決して、油断をしているわけではなかった。
大悪魔は手のひらで魔王の拳を受け止めて、先が鋭利な尻尾を振って魔王の首元を切ろうと狙う。
その尻尾は長くありながらも速度は凄まじく、振っている途中でさえ、距離が離れている結界魔法に切った傷をつけるほどのかまいたちを生み出していた。
魔王は触れば手が切れると判断する。
まずは殴ろうとした拳を引こうとするが、大悪魔は決して掴んだ魔王の手を離さない。
してやったりと大悪魔は内心ほくそ笑むが、魔王は手を掴まれたまま離せないと知ると、大悪魔の尻尾が近づく直前に思いっきり跳んでみせた。
だから魔王の頭上にいる大悪魔は腹に頭突きをされた状態で、まるで打ち上げられたロケットのように天井の結界魔法へと魔王共々打ち付けられる。
その衝撃で大悪魔の拘束が緩むと魔王は自由になった手で大悪魔の首を掴む。
すかさず空中で大悪魔の身を半回転させて、大悪魔を台のように蹴って床へと叩きつけた。
大悪魔はわずかに反動で床から体を浮かばされて、それは大きな隙となった。
魔王は大悪魔を蹴りつけた反動で、そのまま部屋中をスーパーボウルみたく跳ね回る。
魔王が結界魔法の壁に着地してもう一度蹴るたびに魔城は揺れて、大きな地響きを鳴らす。
もう魔王と分かるのはその音だけだ。
もはや魔王のその時の速さは、シャルの目には影すら追えぬ存在となる。
だからあとは漠然と何かが起きてるとしか分からない。
大悪魔が再び地面に身を着地させようとする瞬間、激しく横の方へ吹き飛んだ。
そして吹き飛んだ先への壁に当たる前に、また別の方向へと大悪魔の身が吹き飛ぶ。
続いてまた別の方向へ大悪魔は吹き飛ばされ続けた。
「ぐがぁああああぁあぁ!このっ、このやろ…っ!!」
大悪魔は叫ぼうとするが、もはやそれすら魔王は許しはしなかった。
声すら発する暇もなく、大悪魔と魔王が部屋中を跳んで回っていく。
違いは魔王は意識的に駆けていくように跳んでいて、大悪魔は魔王の攻撃によって飛ばされていることだ。
すでに大悪魔の身には傷ができているだろうが、そこから魔王は更に速さと力をひきあげる。
これにより、やがて吹き飛ばされる大悪魔も影すら見えぬ速さとなっていった。
その威力と速さに耐え切れない結界魔法にはヒビが入り、いくつかが朽ちていく。
このために魔王は数え切れないほどに結界魔法を重ねていたが、それでもこの衝撃にはいつまでも結界魔法はもつことはできない。
魔王は大悪魔の腹に拳を当てながら、壁に衝突させて殴りつけた。
響き渡る轟音は殴ったことによって起きたものとは到底思えないもので、爆発でもあったのかと思えるものだった。
しかもこの衝撃で魔法結界すらを貫通して、地下室の壁に割れ目を作る。
魔王は更に大悪魔の顔面を蹴り潰し、気にせずに大悪魔の脳天を貫くような勢いで殴り落とす。
その痛みや威力は非常に強く、大悪魔は血反吐を吐くと同時に頭にあった一本の角が割れて床に落ちる。
それでも大悪魔は見事に耐えてみせて、悪魔に相応しき瞳と憎悪に満ちた顔で魔王を睨んだ。
そんなことを気にせずに魔王は床に降りてから、大悪魔の顔面に目掛けて飛び膝蹴りをしようとする。
だが、大悪魔はその膝がぶつかるタイミングに合わせて口を大きく開け、魔王の膝に噛みついた。
そして魔王の膝が噛み砕かれた。
「ふむ…?」
痛みや傷はともかく、魔王はバランスを崩して床へと倒れた。
大悪魔はこの瞬間を逃さない。
魔王の膝が再生するよりも速く魔王の頭を鷲掴みにして、魔王の体を持ち上げると二発ほど嬲るように殴ってから壁へと放り投げる。
そこから更に大悪魔の体から骨が砕けるような不気味な音が鳴り、なんだと思う暇もなく大悪魔は口から大量の赤黒い石を吐き出した。
その石達は銃弾のごとく飛んで魔王の体を貫き、いくつもの風穴を開ける。
この攻撃が通じると分かると、大悪魔はすかさず再び赤黒い石を吐き出す。
今度は嵐の雨みたく、隙間が全くないほどの大量の赤黒い石だ。
さすがにこのままだと面倒だと判断した魔王は、すでに砕けた数分だけの結界魔法を目の前に張って受け止める。
結界魔法はいくらでも張れるのだが、あまり張りすぎても一つ一つの結界魔法の強度が疎かになる恐れがあった。
なにより地下室に限らず、魔城全体に張っている結界魔法に影響を出すわけにはいかない。
そのためにも魔法自体の扱いは今は控えている。
魔王は体を再生させると、最初に打ち出された石を拾いあげ、その石を思いっきり振りかぶって大悪魔へとなげつける。
すると石は大悪魔の左胸を見事に貫いて、左胸には奥の壁が見えるほどの風穴ができた。