魔王とシャルの魔法
魔王はシャルに手を引かれるがままに、森の中を進んでいく。
この辺は昔はよく歩いたことがあるもので、今更この森は目新しくもない風景だ。
そもそもただの森で、特殊な魔法はかけていないからどこの森ともたいして変わらないだろう。
「ねぇ…魔王。魔王には……、お父さんやお母さんは…、いるの?」
「ん?あぁ…、もちろんいるぞ。母親はとっくの昔に死んだがな」
魔王はほんの少しだけ母親の顔を思い浮かべる。
緑の長い髪に細い体、そして白い肌で優しい眼差しをしていた。
母の姿など見たのはあまりにも昔すぎて、明瞭に思い出すことはできないが、シャルの姿を見ていると僅かだけ思い出すことはできた。
どこか母親とシャルは似ているからだ。
だが雰囲気やら顔つきがうっすらと似ているのは当たり前か。
なぜなら魔王の母親の種族は…………。
シャルは魔王へ言葉を返すように、続けて質問をした。
「………ならお父さんは、生きて……いるんだ」
「まぁな。今も元気にのんびりと隠居生活でもしていると思うぞ」
「人間と戦争してるのに…のんびりと……」
「人間との戦いは俺が勝手にやっているだけだ。父から見たら遊んでいるだけにみえるのだろうな。この戦いにおいて、口出しされたことは一度もない」
それどころか、人間との何百年も続いている戦いが始まってから会ってすらいない。
それでも父親は存命していると魔王には確信がある。
おそらく父親が死ぬより、早く自分が死ぬだろうなと思っているほどだ。
「魔王のお父さん、会って……みたいな」
「機会があればな。少なくともこの戦いをしている間は会えないとは思うが」
「どうして…?」
「俺の父親はそういう輩なんだ」
魔王はあまり語ろうとはせずに、そこで両親の話についてはやめるようにする。
あとは二人は肩を並べて歩いていき、白い吐息を漏らしながら、特に何かに視線を奪われるわけでもなく黙々と歩いていくだけだった。
ただ少しばかり退屈だから、魔王はシャルが何を考えているのかと、さり気なくシャルの顔の方へ魔王は視線を移した。
しかし見たところでシャルは前を見つめながら歩いているだけで、特に何かを考えている様子もなく、本当にその場にいるだけの存在という空気みたいであった。
何か目的があって外に出たのではないのかと魔王は思っていたが、本当に散歩をしたかっただけみたいで、肩透かしをくらったような気分に勝手になる。
「………む?」
魔王はシャルの様子のせいで呆れ気味になって気を抜いていたが、今とは歩いている方向から外れた場所から気配を感じ取った。
それは魔物の気配ではなく、間違いなく人間特有の息遣いからでる気配だ。
しかも異様に荒い。
手負いか。
突然魔王はシャルから手を離して、黙ったままシャルの進行方向とは別の方である気配を感じた方角へと足を進める。
そのことに人の気配には気づいていないシャルは一瞬だけ疑問を持ったが、深く考えることはなく魔王の後ろを口を出さずに追って行く。
数十メートル歩くと呼吸音は確かに聞こえるものとなり、そこには森に積もろうとしている白い雪を赤く染めている人間の姿があった。
倒れている人間は女性で、血の色混じりの黄土色のマントをしていた。
マントで完全に身を包んでいるために服装は分からないが、やたらと丈夫そうな黒いブーツを履いているのだけが見える。
あとは真っ黒で毛先がウェーブかかったセミロングの髪で、とても白い肌に鮮やかな青い瞳。
体は全体的に細いが、身長は160センチほどで子どもには見えない体格だ。
「旅人か?小娘、生きているか?」
魔王が声をかけると、勝手に小娘呼ばわりした黒髪の女性は苦痛で表情を歪ませながら、慌ててマントの内側に手を忍び込ませる。
武器を取り出す気か。
もし攻撃するなら始末するしかないと、魔王は目を細めて黒髪の女性を睨みつける。
それから黒髪の女性が手を動かそうとしたタイミングで、シャルがひょっこりと現れて魔王の前に立つ。
そして物珍しそうにジッと黒髪の女性を見つめながら、魔王に尋ねた。
「魔王…、この女……誰?」
魔王という単語を耳にした黒髪の女性は目を見開いた。
今の魔王はワイシャツ姿だから、どこかの異種族の民か魔物の仲間に過ぎないと思っていたに違いない。
すぐに黒髪の女性は驚いたリアクションをやめて、強く鋭い目で魔王を睨む。
その眼はまさに強者のものだった。
いくつもの死体と敵、殺しや戦いを見てきた淀みなく純粋でありながらも闇深い眼だ。
きっと戦闘経験だけで言ってもアテナやセイラ、天狼とは比べ物にならないと、動きを見なくても察することが魔王にはできた。
「さぁな?こんな魔城の近くに来ているのだ。ただの街の人ってわけではあるまい」
「……ケガ、してる。魔王……、この人殺すの…?」
「シャル、言っておくが俺は別に好んで人を殺しているわけではない。殺すのはあくまで戦闘として対した敵のみだ。気まぐれで殺戮をするかもしれないが、会った者を全て殺すような、浅はかな残忍さは持ち合わせていない」
「………なら、治しても…いい?」
シャルは手のひらに魔力を集中させて、暖かく安らぐような光りを生み出す。
その魔力によって発生した光りを当てれば、傷は癒えるだろう。
「治す?それは何の意味があるのだ?お前は仮にも魔王軍の一兵卒で、相手は人間だぞ。それなのに治すとは、本気で言ってるのか?」
「本気…だよ。ねぇ……魔王、いい?」
さすがに魔王は苦々しい表情しかできなかった。
シャルは強引な一面があるのは、魔城から出る前の着替えの時に理解している。
だからこの治してもいいかという質問は、魔王がいいというまで問答が繰り返されることに違いない。
そのため、魔王はどこか納得できないまま渋々と了承するしかなかった。
「ふむ、好きにしろ。襲われても知らんぞ」
「………?守って…くれないのですか?」
「…………。守るさ…、約束だからな」
「そう……、なら大丈夫」
こういう場面で守るという口約束を引き合いに出されると面倒この上ない。
だからと言って、安々と約束をたがえるわけにもいかない。
シャルの魔法にはそれだけの価値があると、同じく魔法が扱える魔王は確信している。
シャルは光りを警戒する黒髪の女性に当てると、みるみると傷は癒えていってるようで、黒髪の女性は驚きながらも警戒する意思を弱めていた。
そして余裕もでてきたのか、いきなり立ち上がってシャルに早口になりながらも優しく礼を言う。
「ありがと…。私、もう行かないと。魔王と一緒にいたなんて上にバレると厄介だから…。この恩はいつか返すわ。じゃあね、小さな半精霊さん」
黒髪の女性は軽く頭を下げると、地面を蹴って空に立ってみせた。
魔王はそのことに一瞬だけ驚くが、すぐにひと目でどうやって空に立っているのか分かると、黒髪の女性に対して関心を持つ。
黒髪の女性は障壁の式術を使い、発生させた障壁を足場代わりにして空中を立っていたのだ。
あんな式術の扱い方、魔王は今まで戦いでは見たことはなかった。
だからこそ黒髪の女性には驚かさせられる。
黒髪の女性は魔王には睨みを、シャルには頭を小さく下げてから、更に障壁と木々を蹴りながら飛んでいくように軽快に森の中を進んでいった。
魔王とシャルはその後ろ姿を見えなくなるまで見届けて、やがて魔王が口を開いた。
「あれはかなりの手練だな。あの移動する時の体の使い方は相当訓練させられている。いつか戦うことがあるかもしれん。しかし、なぜ助けたのだシャル。理由ぐらい尋ねてもいいだろう?」
「理由は……なんとなく…、かな。でも良い事をしていたら………きっといつか巡りめぐ回って、良い事になり…ます…」
不幸ばかりを体験していたはずなのに、よく言えるものだと思うしかなかった。
完全に気が削がれてしまった魔王はシャルの方へ向き直り、シャルの小さな手を掴んだ。
外の気温のせいか、冷たい手だった。
「もう帰るぞ。帰りは歩きじゃなく魔法でだ」
「そう……、わかった…。ねぇ…魔王」
「なんだ?」
「魔王との散歩、私……好きだよ。また…、しようね……?」
シャルはほんの僅かだけ、声のトーンをあげてそう言った。
でも楽しんでいたのか嬉しかったのか、それすら分からない表情だ。
しかし、ここは素直に言葉通りに魔王は受け取ることにした。
「そうか。ならまた時間があればまたしてやろう。それと、今度はもう少し暖かい所にしてやる」
また手を冷たくされても困るしな、と魔王はシャルには聞こえない程度の声量で呟いて、転移魔法を発動させた。