魔王と散歩
魔王と鷲の側近は本拠である北の魔城に転移して、執務室へと着地する。
鷲の側近は何事もなかったように歩き出して、執務室の資料棚から紙を何枚か抜き取る。
その間、魔王は自分の服を見つめて自嘲した。
「やれやれ…、服を台無しにしてしまうとはな。少し手加減しすぎてしまったか」
「新しいお召し物を用意しますか?」
「いや、自分でやる。それより今回の参謀の件を頼む。勝手で悪いが後は頼んだ」
「分かりました。ではここで失礼します」
鷲の側近は紙を手にしたまま執務室からでていき、各地へ伝達する仕事へと移りに行った。
それを見届けてから魔王は着替えようと同じく執務室から出ていき、睡眠時以外には滅多に行くことがない自室へ向かう。
そして何気なく自室への扉を開けると、普段はシワ一つないようなベッドはぐしゃぐしゃにされていた。
それもそのはずで、魔王のベッドの上ではシャルがくつろぐように、寝転がりながら羽をはばたかせて足をぱたぱたと動かしている。
何をしているのだと魔王はついため息を漏らした。
「何をしているシャル。なぜ俺の部屋、しかもベッドの上にいる」
魔王が声をかけると、そこでシャルは魔王の存在に反応して振り向いてきた。
相変わず眼に力や輝きはない。
「あ……魔王…。おはよう……。これは…暇、だったから…」
「暇だからと言って他人の部屋でくつろぐ必要はなかろう。せっかくの自室があるのだ、そこでゆっくりしろ」
その魔王の言葉に、シャルは少しだけムスっとしてみせた。
その表情も何となくそう見えるだけで、実際は全くの表情の変化はないのかもしれない。
シャルは消え入りそうな声で口答えするだけだ。
「それも…いいけど、私、魔王を待ちたかったから……」
「…悪いが遊んでやる暇はないぞ。それに着替えたいのだ、部屋から出ろ」
「……?服、どうしたの?」
「戦闘して破けただけだ。それだけで何でもない」
シャルはベッドから降りて立ち上がり、魔王の近くへ駆け寄る。
そして魔王の服が破けた部分である腹部へ、さする手つきで直接触れた。
軽く撫でながら、シャルは上目遣いして魔王へ尋ねる。
「ケガ…、しているのなら回復の魔法…かけますよ…?」
「必要ない。それよりシャル、俺は最初に他人の魔法は受け付けないと言ったはずだ。お前の回復魔法は、付加魔法の応用によるものだろう。ならお前の回復魔法は俺には無駄だ」
「そう……なんだ」
シャルは少ししょんぼりとしたように、暗い表情と声を落として呟いた。
これだけでがっかりされては困るようで、魔王は何気なくフォローを入れてやることにする。
「まぁ、その気遣いは感謝するぞ。無駄になるかもしれないが、今度は俺に効く薬でも探しておくんだな」
「分かった…。そう、します…。それなら…せめて、私が服を着替えさせて…あげますよ」
「結構だ。どうしたんだ、突然。何もいきなりそんな召使いの真似事をする必要はないだろう」
シャルは視線を落として、落ち着きがないように手を組んで指先を動かす。
照れているのか考えているだけなのか、表情からは何も読み取れない。
「その、お世話になるだけなのも嫌だから……何かできないかなって…」
「まだシャルは戦いに出ていないだけで、これからはお前の魔法を頼りに戦って貰うのだぞ。それだけで充分だ、雑務の必要はない」
「それでも…、魔王のために何か……したいんです。だからさせて…貰いますね」
そう言いながらシャルは身長が足りないために少しだけ空を飛んで、魔王の服に手をかけた。
妙に意地張ってしまっているのは分かるが、何も無理して何かする必要はないだろうと、魔王は内心思いながらも無言でシャルに任せることにする。
シャルは魔王の上着を脱がして綺麗に服を畳む。
次にクローゼットから悩みながらも、純白なワイシャツを取り出した。
そのワイシャツを手間をかけながらも魔王へ着せ、飛ぶのをやめて床へと静かに着地した。
そして見事にひと仕事を終えたように、満足そうな表情を少しだけしてみせる。
本当にそのような表情になっているかは魔王には自信はないが、たぶんシャル本人はそのつもりだろう。
「じゃあ魔王…。着替えたので、散歩…しませんか?」
「散歩だと?」
「うん、散歩…。魔王と一緒なら……、安全だよね…。だから………このお城の近くだけでもいいから…」
「仕方ないやつだ。この辺は環境が厳しく寒いぞ。それでもいいか?」
魔王が渋々ながらも了承してくれたのが嬉しかったようで、シャルは口元だけ微笑んでみせた。
それは無表情に近いながらも、女の子らしい反応だった。
「大丈夫…、魔王は私を死なせないって約束……したから…。ね…?」
「そうだな。昨日のことだ、さすがに覚えているぞ。俺がお前を守ってやる」
シャルはもう一度微笑んでみせて、魔王の手を引きながら魔王の自室から出て行った。
しかしシャルは城内を把握していないので、途中からは魔王が先導する形なる。
でも魔王は出入り口に向かうことはなく、近くの窓へ向かっていき手を窓にかざした。
「俺とお前ならわざわざ丁寧に門を通る必要などない。普段は結界を張っているのだがな。今は何も問題あるまい」
魔王は魔城全体を包んでいる魔法結界を今いる窓の部分だけ器用に解いてみせて、窓を開け放った。
そしてシャルの小さな体を抱き抱えて、窓から身を乗り出す。
激しく冷たい風が窓を通し、魔城内へと流れ込む。
その冷たさは魔王には何ともないが、シャルはそうもいかないはずだった。
シャルは魔王が手渡した黒色のローブを着ているから、ローブに付加されている魔法の働きによって、体温の保温は大丈夫だ。
それでもローブから出ている手は冷たいに違いない。
「いくぞ、シャル。あまり驚くなよ」
魔王はシャルを抱き抱えたまま窓淵を蹴って、勢いよく外へ飛び出した。
外は山脈だらけで、魔王が飛び出した窓は地面から相当の距離が離れている。
下手したら何百メートルはあろう高さからの落下だ。
しかしシャルは不思議と怖くはなかった。
むしろ落ちていく感覚が心地いいほどだった。
それは魔王が抱き抱えて、傍にいてくれているおかげかもしれない。
見下ろせば、うっすら白い大地が広がっていた。
寒さによるものか、雪がわずかばかり積もっていたようだ。
魔王は落下しながら飛び出した窓を指先からの魔法で閉めて、結界魔法を張り直した。
そして落下する衝撃を殺すために自分の周り全体に風魔法を展開させて、できるだけ落下が緩やかになるようにと試みた。
普段なら魔法など必要ないが、シャルが衝撃に耐え切れない恐れがあった。
そのための魔法だ。
更に念のためにと、魔王は着地が近くになるとシャルに話しかけた。
「足元の重力を一瞬だけ殺す。気持ち悪くなるかもしれないが耐えろ」
「うん……魔王」
着地する場所に魔王は魔法陣を展開させる。
それは黒く輝く魔法陣。
重力に干渉できる魔法など、魔法に長けたと言われているエルフや妖精の種族でも存在はしないものだ。
だから魔王は呪いの力を使って創りあげた。
転移のように空間すら物とする魔法を。
魔王の足が地面に着地する直前だけ、ほぼ完全な無重力を発生させる。
そして風魔法でゆっくりと押されながら、地面へと静かに足を着けた。
魔王はすぐに周りの魔法を解き、シャルを優しく白き大地へと下ろす。
シャルは薄い雪を踏みしめて辺りを見回した。
一方は山の険しい道や光景で、もう反対側の方を見ると雪の白色混じりの緑深い森が広がっていた。
「魔王、行こう…?」
シャルは再び魔王の手を握り締めて、森の方へと引っ張りながら歩き出して行った。