魔王と残された者
その光景を呆然と見つめていたセイラは、呆気に取られたように驚くしかなかった。
式術の爆発による威力は、よく式術を扱うセイラ自身が一番分かっている。
だからこそ、アテナのような真似は絶対にできない。
あんな至近距離どころか密着した状態での爆発は、体が文字通りに消し飛んでしまうからだ。
「アテナ!」
遅れてセイラは叫んだ。
でもアテナの姿は魔王の近くにはなかった。
ほんの数メートルか、それぐらいの距離に天狼がアテナの体をくわえている。
本当に爆発する直前に、天狼がアテナをくわえて距離を見事にとってみせたのだ。
しかし直前すぎる救出だ。
それはアテナも天狼も無傷では済まなかった。
天狼は息切れするアテナを地面へと放り投げる。
「…っはぁはぁ。悪い、天狼……。助かった」
「ふん、無茶するやつだ。お前は本当に自爆する気だったのか」
天狼の顔半分と体には焼け跡ができていて、毛や皮膚の表面も焼けているほどで赤い血肉が見えていた。
それらの焼け傷は浅いが、ひどいケガには変わりない。
その傷を見てアテナは無理して苦笑してみせる。
「天狼、お前も……相当無茶する奴だよ。あんな瀬戸際で助けにくるなんて…」
アテナは皮膚が焼け爛れた手の痛みをこらえながら、地面から立ち上がる。
札を押し付けていた手は大したことはないが、焼けたせいで握る動作すら難しい。
この様子では、もうこの戦いではまともに使えそうではなかった。
「それより魔王に追撃をかけないと…」
アテナは天狼のバックからナイフを抜き取りながら、さっきまで自分がいた爆発した場所へ視線を移した。
だがある意味、一種の予想通りではあるが、魔王は平然とその場所に立っていた。
ただ腹部の服が焼けた跡があるだけで、決死の思いで爆発させた肝心の傷はない。
それでもアテナは落胆するわけでもなく、苦痛で表情を歪ませながらもナイフを構えるだけだ。
魔王の脅威は単純に世界規模だ。
今仕留めないと、これから後々起きるであろう更なる悲劇をくい止めないといけない。
だから勝てないとしても戦うしかなかった。
そのためにも戦う意志を、捨てるわけにもいかない。
「っくくく、くははははははは!っくはははははははははっは!」
そのとき、魔王は愉快そうに笑う。
アテナの爆発の式術は決して無傷では済んではいなかった。
確かに傷は与えられてはいたが、再生したに過ぎない。
再生したことによりダメージは消えても、確かに大きな一撃を魔王に与えた。
これは本気ではなかったにしても、魔王にとっては驚嘆すべき出来事だった。
「いいぞアテナよ!やはりお前は常人ならぬ勇気の持ち主だ!あんな真似、他の誰ができようか!怯まぬ意思、諦めぬ強さ、そしてその無謀さよ!最高だ!案外、お前は本当に勇者とやらかも知れぬなぁ?」
「うるさい!俺が勇者だろうとそうではなかろうと、お前を叩き切ってやるだけだ!」
「ふむ…、ならもう少し抗ってみせろ。お前らとの遊戯、嫌いではないぞ。次はどれほどまで耐えれるか試してやろう」
今まで魔王は遊んでいるだけだった。
だから今度は少しだけ戦う意思として、殺気という悪意を僅かばかりだけ漏らしてみせる。
それは強者が弱者に与える威圧感そのもの。
筋肉が萎縮して、硬直する身が竦むような感覚、溢れ出そうになる冷や汗に自然と荒くなる息。
まさに肌が刺激を受けて、電撃が走っているような感触があった。
アテナ達は全てが悪意に包まれているように見えて、風の流れすら違和感に思え始める。
そして天狼は初めて捕食される側という感覚もあじわえた。
「魔王様、ここにいましたか」
魔王が動き出そうとした時、空から鷲の側近が舞い降りて魔王の隣に降り立った。
新しい仲間かと、アテナ達は鷲の側近にも警戒を向ける。
しかし鷲の側近はアテナ達の存在など気にせずに、魔王に報告をした。
「部隊撤退の体勢は整いました。もうここに長居する必要は皆無です。一度、本城である魔城へ戻りましょう」
「む、そうか。なら戻ろうではないか。いつまでも俺だけが遊んでいるわけにもいくまい。そういうことだ、アテナよ。またいつか戦おうではないか」
魔王はそう言って転移しようとするが、その前に天狼が吠えた。
「逃がすか!」
天狼は魔王への攻撃が通らないと分かっているため、いきなり現れた鷲の側近の方を狙って飛びかかる。
その初速は、今までと変わらない目にも止まらない驚くべき速さ。
しかし鷲の側近はまるで問題ではないと言わんばかりに、平然とした顔で飛びかかってきたタイミングに合わせて天狼の頭を殴って叩き伏せた。
鈍く殴る音が鳴り、天狼の頭は揺れるような強い痛みを感じながら気絶して、鷲の側近の目の前で倒れ込む。
簡単に撃墜されたことに、アテナとセイラは驚くしかなかった。
「……こういうことだ、アテナ。この側近の実力は俺の半分にも到底及ばぬ。にも関わらずこの様だ。お前たちはまだまだ弱すぎる上に、強くなれる余地が充分にある動きだ。もっと鍛え上げるのだな。そしてもっと俺を楽しませろ。さぁ、いくぞ側近よ」
「はい、魔王様」
魔王は最後にアテナを嘲笑って、北にある魔城へと転移する。
残されたアテナ達は情けなく命が助かったと思いながらも、魔王との実力の差に大きな無力感が確かに心の中で溢れて出ていた。
それはアテナ達を飛躍させる原動力となるのか、このまま心が折れて諦めてしまうのかは本人達次第となる。