優秀なる魔王
巨大な大陸が一つ、海に浮かんでいた。
その大陸の半分は作為的に荒れ果て、あらゆる種族の血や傷が歴史と大地に刻まれた世界。
そしてこの世界には大別すると魔物と呼ばれる存在、人間と呼称する存在が相容れずに生存していた。
まさに今この世界では、互いに大きな力を持つ魔物と人間が相手を滅することに必死となり、何百年も日夜戦争をして資源や土地の略奪と生物の殺戮を繰り返している。
そんな衰弱していく世界で、大陸の最果てとも呼べる北の果ての荒れた地。
そこには地面から見上げても、空から見下ろしても全体像が掴めないほどに大きく禍々しい城がそびえ建っていた。
そこは魔物の頂点である魔王の根城。
無駄な装飾は一切されていない、まさに戦争に備えた堅牢な城だった。
強い魔法結界で守られていて、並大抵の兵器では傷をつけることも敵わない物質でできている恐ろしき魔城。
「魔王様、南の戦況報告でございます」
魔城の上階にある、魔王の執務室に一体の魔物が紙を片手にそそくさと舞い込んだ。
その魔物は美しくも剛毛なる羽に身が包まれており、背中には鷲のような翼があって姿も鷲の鳥に近いものだった。
ただ鷲のようであっても、どちらかと言うと姿や大きさは成人男性に似たものであった。
「うむ、ご苦労。南の軍はどうだった?うまく人間の軍を殲滅できたのか?」
執務室の椅子に座っていた魔王は声をかけられたので、作業していた手を止めて顔を上げる。
魔王はその呼び名に相応しい風貌だ。
血のように赤い髪、異様に尖って鋭利な歯と爪、鋭く冷たい目、体系そのものは屈強な男性に近く、顔立ちは魔物というより人間に近かった。
だが、人間に似たところがあっても魔王には違いない。
何故なら人間とは明らかに違う禍々しき雰囲気があった。
「結果を先に申し上げますと、こちらの惨敗だそうです。熱帯林に誘い込まれ、乱戦と火攻めにあったようで………」
側近である鷲の魔物の報告に魔王は疲れたようにため息を吐く。
報告に来た鷲の側近の説明だけで、南の戦況を思い描いたのだ。
「………混乱して、対処できずに負けたか。配下の魔物達は身体能力は高いが、些か力任せすぎるな。被害は?」
魔王が訊ねると、鷲の側近は事務的に報告を続けた。
魔王にとっては聞くに耐えない酷い内容だが、鷲の側近は至って冷静に淡泊に語る。
「部隊の六割と指揮がやられ、最早機能しておりません。撤退を余儀なくさせられ、近くの砦で籠城しているようです」
「疲弊しきっているのに籠城戦となったら人間のように容易く死ぬな。ましてそこの砦は防備は軟弱だったはず。………今、南の軍に壊滅されては面倒だ。仕方ない。私自ら行こう」
「魔王様直々にですか?危険でございます」
鷲の側近は口ではそう言うが、危険とは一切思っていない。
何せ魔王の強さは鷲の側近がよく知っている。
それに魔王は力だけでは無く、魔物の中では知力が異常に長けていた。
おまけに相手の心を見透かすような洞察力もあって、魔王に敵う者は間違いなく鷲の側近が知る限りでは世界に存在しない。
「俺が創立させた組織だが、魔物の王は強さで決まると言っても過言ではない。その強さの頂点である魔王が座しては居られぬだろう。なに、相手は少しばかり知恵が回るだけの雑兵だ。それを逆手に取らしてもらえば、大したことはない。では行かせて貰うぞ」
魔王は近くにかけておいた漆黒のマントを羽織り、動作不要に床に魔法陣を展開した。
転移魔法だ。
魔法陣が青く輝いたと思うと魔王の姿は一瞬で消え、瞬間的に南の戦地へ魔王は飛んでいった。
飛んだ先は厳密には南の熱帯林にある老築した砦内への転移だった。
すでにそこはケガを負った魔物が多く、動けずにただ呻く者すらいた。
「さて見た所、負傷した魔物が多いようだな。戦えるのは生存した魔物の中でも半分ぐらいか」
突如の魔王の登場に驚きながらも、この部隊である副官が魔王に近づいて頭を下げた。
指揮官は側近の報告通りすでに死んでしまい、この世にはいない。
だからこの部隊の最上官は実質、副官となってしまっている。
「ま、魔王様……。すみません。あいつら獣魔の毛皮を被り臭いを消していたもので、狼の魔物でも気がつくことが出来なかったんですよ………。それで簡単に奇襲を掛けられてしまって、この様です」
「ふん、小賢しい人間達だ。気にするな。南の人間の力量を見誤った俺にも責はある。そしてここから巻き返せば何も問題はない」
魔王は簡単にそう言うが、副官は苦々しい反応しかできない。
すでに消耗仕切っている上に、もはや敗けしか見えない戦いだから当然の反応だ。
それに士気も底まで落ちていて、まだ戦えるという気力がほとんどない。
「は、はぁ………そうですが戦える魔物は少ないですよ。相手の数は倍以上ですし…」
「ならこちらが少数という利点を使おうではないか。幸い、人間共は勢いづいてすぐに戦いを仕掛けるはずだ。更にもう勝った気でいるだろうし、知恵はこちらが劣っていると証明されている。それら全てを利用する」
「どういうことでですか?魔王様が何を仰りたいのか私にはさっぱりです」
魔王様が何をするつもりか分からない。
だけどあまりにも自信満々余裕綽々とした魔王の態度で、どこかで勝てるのではという気持ちが早くも副官には芽生え始めていた。
魔王様なら、何とかしてくれる。
自信満々な表情の魔王を見ていると魔物の副官は根拠なく、そう思えた。
「なに、戦いが始まればすぐ分かる。まずは皆を集めよ。こちらも策を使うため、徹底とした士気向上と阿呆にも分かる説明をしようではないか」
魔王は集合をかけ、魔物達に作戦の概要を説明し始めた。
一方、人間軍は魔王の読み通り追い討ちをかけようと砦へと進軍しつづけていた。
しかし勢いに乗って負傷した魔物を殲滅しようとするのは自然なことだ。
魔物の部隊に魔王さえいなければ当然の作戦である。
人間の一人の指揮官が、魔物が籠城している砦を指して声を上げた。
「あそこだ!あの砦に魔物達は籠城しているはずだ!」
隣にいた人間の副指揮官は篭城されている砦を見て嘲笑う。
まさに魔物を馬鹿にした嫌な笑みだ。
「正門以外の扉と窓を全て即興に石で詰めていますね。防備を堅くしたつもりでしょうか。なんと浅はかな魔物達だ。自ら逃げ道を無くし、全滅する選択するとは」
「よし!一気に畳み掛けろ!魔物が態勢立て直す前に、我が部隊は突撃だ!」
指揮官の号令と共に人間軍の大体は声を荒げて突入していった。
武器を高々く上げ、まさに魔物を狩るに相応しい兵士の気概だ。
「うおおぉぉぉぉおぉ!」
人間の兵士達は勢いよく砦内へと突入はしたが、おかしなことに魔物の姿は全く見当たらない。
砦内は壁が敷き詰められた石により日が入らないために薄暗く、足元は魔物の血かよく分からないもので石床がぬめりとしている。
魔物を探し出そうと人間軍は砦内の奥へ奥へと進むが、襲いかかる魔物どころか本当に一体の魔物もいなかった。
「魔物共め、覚悟!」
「臆して隠れたか魔物め!」
「どこに行きやがった!」
いくら兵士達が挑発しても叫んでも砦内からは魔物反応がない。
これには人間の指揮官も違和感を感じずにはいられなかった。
まさかわざわざ利点であろう砦を棄てて逃げるなど、単純思考である魔物の行動とは思いもしなかった。
「………妙だな。砦は空っぽだと?なぜだ。………わざわざ石で出入口を塞いで………。しかも地面には血のようなものがあるから居ないはずが………、まさか………しまった!」
暗闇だったとは言え、指揮官は気づくのが遅かった。
床にあるのは血ではない。
燃料となる油だ。
近くの熱帯林に身を隠していた魔王と魔物の副官達はジッと様子を見ていたが、ついに魔王は合図を送った。
「もっと奥に誘き寄せたかったが、そろそろ気づくか。仕方ない。火を放て」
複数の魔物達は松明を投げ入れ、油に引火させる。
すると瞬く間に火は外壁から砦内へと燃え上がり、あっという間に砦内は火の海へと化した。
「こちらも焼かれたようなのでな。火攻めには火攻めで返そうか。さて戦える者は砦の正門を塞げ。逃がしてはならぬぞ。俺は外に待機されている人間軍を殲滅しよう」
殺気立たせながら言う魔王のその一言に、さすがの魔物の副官は驚いて制止をかけた。
「お一人で!?いくら魔王様でも無茶です!」
それを聞いた魔王は愉快そうに笑った。
魔物の副官の心配は杞憂というより、ジョークのようにすら聞き取れたのだ。
「はっはっはっは!心配で来てやったのに、逆に心配されるとは面白い話だ」
「そ、そんな愚弄してるわけでは……」
たじろぐ副官に対して魔王は不敵な笑みを浮かべる。
あまりにも滑稽で、少しばかり愉快だったのだろう。
「分かっている。しかし心配無用だ。俺は魔王。あの程度の数、単独なら策を用さずとも人間など殲滅できる」
魔王は口元を禍々しく曲げて嬉しそうにそう言い放ち、漆黒のマントをなびかせながら森の中へ歩き出した。
そしてほぼ同時刻、人間軍には早くも仲間が敵の計略にかかったことが伝わろうとしていた。
「大変だ!突入した部隊が………!」
人間軍に伝えにきた伝令兵の言葉がそこで区切れる。
血が吹き出る間もないほどに伝令兵の首が宙を舞い、地へ生首が落ちた。
首の無い伝令兵を見て、一人の兵士は騒ぎ出す。
「なんだなんだ!魔物か!?このっ」
今度は一人の兵士の上半身ごと消えた。
言葉も消えるほどに一瞬の事だ。
「速いぞ!なんだこの魔物は!こんな魔物、聞いたことがない!」
動揺する兵達の前に漆黒のマントを羽織った魔王は姿を現す。
その手には先ほどの人間の上半身があった。
だから容易に想像できる。
魔王は人間の上半身を手で容易く引きちぎったのだ。
その人間の上半身を道端に転がるゴミのように地面へ捨てて、魔王は悪魔のような恐怖しかない歪めた笑みを見せる。
「なるほど、聞いたことがない、か。なら人間よ。その脆弱な血肉に刻め、脳と目に焼き付けろ。今!お前らの前にいるものが魔物の頂点だ!!」
「あ……あぁ…!ま、魔王だ!魔王なんだ!ひぃいいぃぃぃいぃぃ!!奴が魔王だ!魔王が来た!魔王が魔王が………!敵わない!奴には敵うわけがない!」
一人の兵士は叫ぶ。
それは当たり前だった。
魔王の脅威的な戦闘能力は人間でも噂となっていた。
一つの城を消した、月の欠片を落とした、いくつもの種族を単騎で蹂躙した、と信じられないような噂は他にも沢山ある。
だから何重にも弄した対策をしてない限りは、魔王に出逢ったら必ず逃げろとすら人間は教えられていた。
「そんな馬鹿な!魔王は北の地にいると聞いているぞ!そもそも先の戦いには魔王はいなかったじゃないか!ここにいるわけがない!」
人間は魔法の存在さえ知らないため、転移魔法を知らない。
だから認めれなかった。
目の前にいる絶望が、噂の魔王であることを。