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怖そうな話

怖そうな話 ~屁理屈な人~

作者: 歌多琴

 私が大学二回生だったときの話。



 当時、私は適当に活動する音楽サークルに所属していました。ギターで語り弾きする人もいれば、チームを組んで合奏する人達もいました。そんな中私はというと、大して音楽に取り組むわけでもなく、ただ部室に集まっては仲の良かった部員と駄弁る日々を過ごしていました。


 そんな夏のある日のことです。この日も私は何をするでもなく、ただ部室で時間を潰していました。

「やっぱり夏と言えば肝試しじゃないか?」

 唐突に発言したのは運動部の面影が残る筋肉系の男子部員です。その場には私と彼の他に、男が二人、女が一人います。普段からつるむ五人です。

「いきなり何? 肝試しがしたいの?」

 反応したのは私とは別の女性です。背が低くショートヘアで、いわゆる可愛い系の子。可笑しそうな発言に、筋肉くんは――。

「そう。何か今までにしてこなかったことをしたいと思ってな。車で一時間も走れば、いわゆる『でる』墓地があるらしぜ。そこに肝試しに行こう」

 この五人で何かを始めるときは、ほとんど筋肉くんの提案から始まるのです。私は怖いのが苦手ですし、何より男女まじえての肝試しなんて、男の欲望が大半満ちているでしょう。私は正直に言って反対でした。

「……私は行きたくないなぁ」

 ですので、私は興味がなさそうなフリをして言いました。自分がある程度整った顔をしているのは自覚していましたので、クールな美女を気取ってどうにか他の男二人を私の味方にしようと努めます。

 ですが、どうにも流れが良くありません。

「いいじゃないか、俺は賛成だ。車をとばして肝試しなんて、大学生らしいしさ」

 そう言ったのは部内でも一番の男前くんです。彼はチラと私の顔を見て、爽やかな笑顔で賛成しました。

 そんな表情に私はギクリとします。ドキリではありません。彼から漂う「俺恰好良い臭」が私はどうにもダメなのです。事あるごとに、男前くんは私に気を使うので、彼は私のことが好きなのでしょう。自意識過剰だと思われるかもしれませんが、人間二十年近くも生きていれば、他人の自分に対する好意なんて嫌でも気づくものです。

「えぇ……。私はぁ……」

 ショートちゃんも嫌そうな顔をしていますが、態度がノリノリです。もう味方は一人しかいないと思い、私はあと一人の男子部員の顔を見ました。

 それに気付いた彼は淡々と言います。

「馬鹿馬鹿しい。幽霊なんてモノは存在しないだろ、普通に考えて。俺も行きたいとは思わない」

 あぁ、良かった。私はとりあえず反対派が一人でなくて安心しました。

 私の味方をしてくれたのは眼鏡をかけた地味な男性です。決して不細工ではないのですが、筋肉くんの厚い顔や男前くんのイケメンに埋もれている、そんな顔の方です。彼は変わっており、私の中で彼は屁理屈くんという称号を与えています。何かにつけて理屈っぽく話すためです。理屈的ならいいのですが、どうにも彼の言葉はひねくれています。だからこその屁理屈くんです。

「なんだよ、怖いのか?」

 そう屁理屈くんを煽るのは筋肉くんでした。見た目通りというか、彼ら二人は考え方も行動も大体が真逆なのですから、こうして仲の良い五人として集まれているのが甚だ疑問です。

「くだらないと言ってるんだ。どうせ暗闇に紛れて婦女子とくっつくのが目的だろ?」

 良く言ってくれた、と私は内心ガッツポーズです。

 しかし当然のことながら場の空気が荒れ始めます。筋肉くんは「あ?」と睨みつけながら不満を声に出しました。

「まぁまぁ、落ちつけよ」

 二人を止めたのは男前くんです。そこで私はなんだか嫌な展開を予想してしまいました。

「男なんだからさ、女性とくっつきたいのは誰だって同じだろ? それと(屁理屈)、幽霊がいないという証明をお前はできているのか?」

「いや、証明なんてできるわけ――」

「じゃあさ、お前も参加しろよ。それで幽霊がいるかどうか、それを確かめる意味でもさ」

 あぁ、屁理屈くん頑張って。

「行っても確実に会えるわけないだろ」

「それこそ行ってみないと何とも言えないな。お前が望むなら、現地で何日か泊まっても面白いかもしれない。どうだ?」

「……」

 結局屁理屈くんは男前くんに言いくるめられ、私たち五人は今日の夜、肝試しに行くことになってしまいました。私は最後まで拒否していたつもりなのですが、最後はほぼ強引にです。

 だから君は理屈くんじゃなくて、屁理屈くんなんだよ。なんて私は心の中でボヤキながら、どうにか笑顔を作って彼らのイベントに参加するのでした。


 筋肉くんが運転する自動車に乗ってから約一時間。私たちは目的の場所へと到着しました。

 街灯がほとんどない山中です。グネグネと曲がる道の、少し広くなったところに車を止めました。

「こんなところに停めていいの?」

 誰も文句は言わないだろう、と思いながらも私が筋肉くんにそう尋ねました。

「平気だろ」

 そう一笑し、彼はエンジンを切ると、最初に自動車から降りました。それにつられるように助手席の男前くんが降り、また後部座席の私たち三人も続きます。

「この少し先にさ、降りられる場所があるそうだぞ」

 筋肉くんがそう言ってガードレールの方を指します。そっと覗くと人が飛び下りれば十分生死に関わる高さの崖がそこにはありました。その崖の奥は今いる場所よりずっと暗く、ただでさえ微かしかない光を茂る木々が塞いでいるように見えます。

 彼の発言から分かってしまうのは、この後そのまるで現代らしかぬ暗闇に足を踏み入れるであろうことです。それを思うと私はもう帰りたい、と今にも言ってしまいそうでした。

 そして私たち五人は筋肉くんの先導で肝を試す場所へと向かいます。

 崖の下に降りられる場所というのは本当に自動車から少し先へ行ったところでした。その辛うじて人や自動車が難なく通行できる道の上で、演出なのか知りませんが、ここが『でる』理由を筋肉くんが話し始めます。


 それはよくある話でした。

「ここってさ、カーブが多い道だろ? それに加えて道路の片側は崖だ。だから事故があったらしいんだよ。ガードレールを突き破ってバスが落下。バスは地面に叩きつけられて、さらに一転二転したそうだ。乗客はほとんどが死亡ってなわけ」

 怖がらせようというつもりは毛頭ないらしいです。筋肉くんはただここであったという事実を話すだけでした。こんなところをバスが通るかな、と私は思いましたが、いちいち指摘するなんて、まるで屁理屈くんみたいな真似はよしておきました。

「まぁ、無残な事故でしたね。で、本来は終わりなはずだけど、そうじゃなかったらしい」

 オカルト関係に疎いであろう筋肉くんの耳に入るくらいです。それで終わりでないことは言われなくとも分かります。

「それでその事故現場付近で、さらに事故が多発。ってなわけか?」

 口を挟んだのは男前くんです。筋肉くんは「そうだ」と言って続けます。

「当時の関係者は、これは何かある、と思ったそうでね。崖の下の森の中に、弔いを兼ねてきちんと慰霊碑をつくったらしい。それでその後は事故もなくなり、一件落着だ」

 私はできるだけ前を歩く友人の背中を見つめていました。ショートちゃんは「怖い怖い」と言いつつも、表情はにこやか。屁理屈くんは黙ったまま大した反応を見せません。

「だけどそういう場所って、肝試しには持ってこいだろ? 地元の学生やら、オカルト好きな奴が深夜に集まる場所となったわけだ」

「ふうん。罰あたりではあるけど、言ってみれば無関係な奴らにとっては、それこそ関係ない話だものな」

 へらへらと男前くんが言いました。まったく。その罰あたりの仲間入りしようかという人の表情としては、至極正しいのでしょうね。

「結局は弔われたわけだから、最初のうちは何もなく、ただの肝試しで終わったらしいんだ」

「てことは、追々何かあったんだ?」

 筋肉くんの話にショートちゃんが興味を示します。

「その通り。とある肝試しに来ていた連中が、何もないじゃないかと笑い飛ばし、暴れたそうなんだよ。慰霊碑をぶち壊したとも聞いている」

 そこで一言、屁理屈くんが「ありえない」と呟きました。何に対しての言葉かは少々分かりづらいです。

「それからさ、ここに幽霊がでるっていう噂が立ったのは。聞いた話によると、肝試しに来た連中の中には慰霊碑の近くで気を失っただとか、頭がいかれちまっただとか、それ以来姿を見なくなった奴までいるんだってよ」

「なんだか嘘っぽい話ね」

 そう言ったのはショートちゃんです。それには私も同感でした。バスの事故があったという話はまだありそうですが、どんどん話が進むにつれ胡散臭さが漂っています。だからと言って、怖くないかと言われればそんなこともないのですが。

「で、それはどんな幽霊なんだい?」

 男前くんがチラと屁理屈くんを見ながら言いました。その視線に気づいた屁理屈くんはすっと顔を森の方へ向けます。

「なんというか、証言が様々らしい。白い服の女性が立っていたとか、運転者の恰好をした若い男が笑いながら降ってくるとか、老若男女様々が一斉に現れて襲ってきただとか、だな」

「尾ヒレついた典型みたいな話だな。幽霊の正体見たり枯れ尾花、的なことが原型なんじゃないか? それこそ肝試しに来た人同士がかちあって、お互い恐怖したとかさ」

 男前くんがさらりとそう言いました。それには筋肉くんも同じ考えらしく、笑って同意していました。

 そんなとき、どうやら崖を降りられる場所とやらに着いたようです。筋肉くんが「ここか」なんて呟きました。

 見ると、道というにはあまりにもお粗末です。しかし慰霊碑をわざわざ建てたくらいの場所ですので、人が下れないわけではなさそうでした。

 ここを通る時点で肝試しだなぁ、なんて私は項垂れつつ、さっさと下る彼らに私もついていくのでした。


 慰霊碑があるという場所までは、整備されていないものの、確かに人が通れる道がそこにはありました。

 夏らしく鬱蒼とした森の中を、男前くんが用意した三つの懐中電灯を頼りに進みます。男性三人分なのは、果たして偶然でしょうか。

 先頭を男前くんと筋肉くんが並んで歩き、その後ろをショートちゃんが歩いています。そして最後尾として私と屁理屈くんが歩いていました。ショートちゃんのポディションが非常に羨ましいです。

 風や小動物でしょうか。ふとした瞬間に暗闇から立つ音が嫌でも耳に入ってきます。そのたびに私はビクッと身体を震わせていました。

 前の三人が取りとめのない話をする中、そこからもれてしまった私は仕方なく隣の屁理屈くんに話しかけます。

「ねぇ、本当に幽霊はいないと思う?」

 すると屁理屈くんはきっぱりと言います。

「当たり前だろ」

 それだけです。もう少し話を続ける努力をしてよ、と思いながら私が促してあげます。

「どうして?」

「だって俺には見えないから」

「え? それだけ?」

 なんとも彼らしい理屈でした。

「見える人と見えない人がいても不思議とは思わない。だけど見える人ってかなり少数だろ? 少なくとも俺の身近にはいないし。そう考えると、幽霊がいて見えているのではなく、頭がおかしくて居もしないものを見ていると考えた方が自然だろ」

 ううん。そう言われるとそうだとも思えてきます。

「それに人を呪い殺すだとか、そういう意味不明な力を幽霊が持っているのも変だ。なんで生前より強力な存在になってんだよ。それが事実なら人の進化が幽霊ということになる」

 ここで確かに、と思ってしまう自分に私は呆れました。屁理屈くんは本当に正しそうな事を言ってくれます。

 そうこうしている間に目的の場所に着いたようです。

「あれだな」

 そう筋肉くんが出した声が耳に入りました。


 その場所は崖からそう離れていませんでした。

 着いてみれば呆気ないもので、確かにそこには慰霊碑の残骸とも思えるものがありました。あまり長時間いたい場所ではありませんが、その空間だけ空気がつめたいだとか、不審な気配を感じることもありませんでした。それでも気味が悪いと感じる私です。

「ま、事実なんてこんなものかな」

 あっけらかんと男前くんが言いました。

「でもここまでの道が怖かったよぉ」

 なんてショートちゃん。そうは見えなかったけど。

「どうする? もう少し待って、幽霊が出るのを待ってみるか?」

 そんな筋肉くんの提案に私は断固反対でした。というより意味がわからない提案です。居るかどうかもわからないものを、こんな場所で待つなんて考えられません。

「えぇ、目的も達成できたし帰ろうよ」

 そうは言っても私以外の人からすれば期待外れだったのでしょう。筋肉くんと男前くんはなんだか消化不良を起こした顔をしています。

「(屁理屈)はどうだ? 幽霊の証明をしなくちゃいけないんだろ?」

 茶化すような筋肉くんの発言に屁理屈くんが否定します。

「誰もそんなこといってないだろ。それに――」

 と、彼は私の方を見ました。何? と思っていると――。

「帰りたいっていう人を放っておくのかよ」

 屁理屈くんが私のことを気にかけてくれるなんて思ってもみませんでした。

 それを筋肉くん、男前くんは気に入らないらしく、目を細めて肩をすくめたりしています。きっと私やショートちゃんに抱きつかれるようなイベントが起きなくてつまらないのでしょう。

 屁理屈くんがそう言った以上、男前くんはというと、私にこれ以上の無理強いをさせることができるはずもなく、「じゃあ、帰ろうか」と言ってくれました。

 私がよかった、と安堵していると一番不満を漏らすのは筋肉くんでした。

「あぁあ、期待はずれだったな」

 仮にも慰霊の場でその発言はやめてほしいものです。さらに彼は足元に落ちていた小石を広い、慰霊碑の残骸らしきものに投げつける次第です。

「ちょっと――」

 さすがに不謹慎だと感じた私が筋肉くんのそれ以上の行いを止めようとしたときです。

 不意に辺りが静まり返りました。一気に身体が緊張します。さらにそれを追い打つように、妙な空気が流れ込んできます。

 場の変化に他の四人も気がついたらしく、お互いに顔を見合わせました。違和感、恐怖、驚愕と人によって様々です。

 一刻も早く逃げた方がいい。私はそう感じましたし、恐らく他の人もそう思ったでしょう。

 しかし誰も動かないのです。

 と、そんなときです。筋肉くんの小さな驚きが声として伝わってきました。

「はっ?」

「え?」

 続けて男前くん。

「ひっ!」

 さらにショートちゃん。

「―――っ」

「…………」

 そしてそれを見た私は何も発することができませんでした。それは屁理屈くんも同じだったようです。

 私達が見たものは、枯れ尾花ではありませんでした。

 ソレは先ほど筋肉くんが小石をぶつけた残骸の中に、立っていたのです。

 見た目は老父です。身体のあちこちがぐちゃぐちゃに潰れ、また折れています。

 そうかと思うと、老人はぐちゃりと捩じれ、そこに今度は女性が現れました。その女性も先ほどの老人と同様に、間違っても生きている人の姿ではありません。

 一歩。一歩とソレは私達に近づいてきます。

 女性から少女に。少女から青年に。……。

 汚れた髪に恨めしそうな眼球。手を伸ばす仕草をするも、すでに手がないものもいました。

 私は短い呼吸を続け、今にも気を失ってしまいそうでした。

 私の前に立つ男前くん、筋肉くん、ショートちゃんも大差ありません。

 変わらず、ソレはゆっくりと近づいてきます。

 そんなとき、ついに何かを弾けさせてしまったのは筋肉くんでした。

「ぅうああああああああぁぁぁぁぁーーー!」

 彼は叫び声を上げて、元来た道を駆けだします。途中、彼はショートちゃんにぶつかりましたが、見向きもしません。ショートちゃんは「あっ!」と短い悲鳴とともに尻もちをつきます。

 男性の恐怖した叫び声に私はさらに恐怖してしまい、もう自力で動くことは叶いませんでした。

 さらに近づくソレに怯えたショートちゃんが気を失います。小柄な体が地面に倒れこみました。

 それを横目で確認したのか、男前くんが彼女の前にじりじりと移動しました。彼女を守ろうとしているのでしょうか。

 しかしそんな男前な行動にためらいが生まれることはなく、ソレは迫るのです。

 そのときのソレは女学生に見えました。そして、筋肉が一斉に弛緩するように男前くんも地面に倒れ伏します。

「ぁ……あぁ……」

 もう逃げられない。私はすでに逃げる意思を失っていました。ソレは男前くんとショートちゃんを抜け、私に近づいてきます。いっそ、気を失えたらどんなに楽だろうとも思いました。

 そんな中、一言も発しなかった隣の屁理屈くんの声が聞こえてきます。小さな呟きです。

「……ありえない」

 一体彼が何を考えているのか、もう私にはわかりません。

 ソレと私達の距離はすでに数メートルしかないと思います。

 と、いきなり私は横に引っ張られるのです。

「―――えっ?」

 引っ張った人はもちろん屁理屈くん。なおも彼は「ありえない」と呟き、じっと正体不明のソレを睨んでいます。

 気づけば私は屁理屈くんに抱き寄せられている恰好となっていました。

 こんなときに何? と私はうろたえました。恐らく私達五人の中で一番自由を奪われていないのが彼でした。だったら私を抱えて逃げるなりしてほしいものです。

 それでも屁理屈くんに恐怖がないわけではなく、私を抱きしめる彼の身体からは震えが伝わってきます。

「―――チッ」

 なんとこのタイミングで彼は舌打ちをしたのです。

「あっ……」

 逃げよう。と言いたかったのに、私の喉は空気を吐く能力しか残っていないようでした。

 そんなとき、さらに強い力が加えられます。まるで自身を奮い立たせている。彼はそんな様子でした。

「ありえない!」

 一層強い口調で、再度そう言った屁理屈くんはまさにありえない行動を取るのでした。

 なんと私を抱きしめたまま、逃げるどころかソレに近づくのです。

「あっ―――あっっ!」

 声にならない悲鳴を上げて、私は彼を止めようとするのですが、彼の足は止まりません。

 ゆっくり、ゆっくりと彼は前に進みます。また怨念の塊のようなソレも私達に近づき、互いの距離が縮まります。

 もう嫌!

 耐えられなくなった私は目を固くつむり、視覚だけでも逃避に努めます。

 ……………。

 ……。

 どうなったのでしょう。私が目を閉じてからしばらくしないうちに、彼の足は止まりました。そのままじっと立っています。

 まさか立ったまま気を失ったりしてないよね、と私が目を開こうかとしたときです。

「彼女に触るな!」

 いきなり私の真上から屁理屈くんの怒号飛びだしました。ビクリと私は身体を跳びあがらせます。

 するとどうでしょう。辺りに漂っていた不穏の感覚がすぅと薄れていく気がするのです。

「え?」

 驚いた私は目を開き、辺りを窺います。目の前には屁理屈くんの胸がありました。そっと首をねじり、背後を確認します。

 私達に恐怖をもたらしていたソレの形が曖昧になっているではありませんか。

 それどころか透けているように見えます。屁理屈くんが握っていた懐中電灯の光がソレを透過しているように見えるのです。

「……何が――?」

 ハッと私は屁理屈くんの顔に目をやります。彼は逸らすことなく霧散しようとするソレを睨んでいました。

 そして追い打ちをかけるように彼は再度言葉を吐きます。

「成仏しろ」

 するとその言葉に従わされるように、ソレは風で吹き散らされる煙のように、ふっと消えてしまいました。

 何が起こったのだろう。

 意味がわからず、私が混乱していると、彼は私を抱きしめているという事実に気が付いたようで「お……ごめん」と言って私を解放するのです。

「ううん、別に大丈夫」

 ようやく機能を取り戻した私の喉がそう彼に伝えます。

 薄暗い中屁理屈くんの顔を良く見ると、彼にはすっかり恐怖の気がなく、なんだか照れているようでした。


 その後、屁理屈くんは男前くんを叩き起こすと、次にショートちゃんを抱きかかえ、四人で元来た道を変えるのでした。

 崖に沿う小道を登り、駐車してあった自動車の元まで戻ります。その頃にはショートちゃんも意識を取り戻し、屁理屈くんに支えられ歩いていました。

 自動車はライトをつけてそこにありました。ただ元の場所とは若干違うように思えたのです。まさか筋肉くんは一人で逃げようとしたのだろうか、と思ったのですが、尋ねることはやめておきました。

 ガタガタと震えていた筋肉くんは道路の奥から私達が現れるのを見ると、安心と恐怖が一度にやってきたそうです。慌てて自動車から降り、「大丈夫か?」やら「すまん」と言っていたのを私は覚えています。

 そして屁理屈くんは、筋肉くんの頬を一発殴り「帰るぞ」と言い放つと、運転席に乗り込みました。


 行きとは異なり、自動車は屁理屈くんが運転しています。私はなぜか彼の隣に居たいと思い、助手席に乗り込みました。

 しばらくすると後部座席の三人は眠りこけてしまったようです。元より会話はなかったのですが、それにより車内は人の気配が薄れてしまいました。

 それを嫌った私は運転する屁理屈くんに話しかけます。どうしても、あのときのことが気になったからです。

「ねぇ、あのとき何があったの?」

 彼の横顔を眺めながら私はそう尋ねかけました。

 屁理屈くんは「あぁ」と呟き、チラと私の方を見ます。そして頭を掻き、やはりなぜだか照れているように私には見えるのです。加えてあまり話したくない、という思いも感じ取れます。

 それでも私は引くわけにはいきませんでした。彼のあのときの行動は、どう考えても異常だったからです。

「ねぇ、教えてよ」

 彼もまた私の想いを理解しているのでしょう。しばらくは固く口を閉ざしていましたが、溜息を吐き、それを解きました。

 その後バックミラーで後ろの三人の様子を確認します。

「皆、寝てるよ」

 それを確信づけるため、私はそう言いました。すると屁理屈くんは観念したように口を開きます。

「誰にも言うなよ」

「え……、うん」

 何を内緒にしたいのかは不明でしたが、彼がそう望むなら私はあのときの出来事を秘密にしようと思います。

「俺はお前が好きだ」

「――えっ?」

 それは突然の愛の告白でした。私も多少はモテるので、何度か告白をされたことはあります。けれどこれほどあっさりと、ムードも皆無での告白は初めてでした。加えてなぜここで告白してきたのか、何一つ繋がりが見えません。

「何、いきなり。……嬉しい、けど。今は関係ないで――」

「あれって、やっぱり幽霊だったと思うか?」

 私の返事を拒むように屁理屈くんが私に尋ねました。

「え……、うん。そうなんじゃないかな」

 あえて先ほどの告白を引っ張ることもないだろう、と私は答えます。

「あれがねぇ……」

「あれを見て、それでもいないと思うの?」

「……いや、あれは幽霊とか悪霊とか、たぶんそんなものなのだと思う」

 肝試しの前。彼はその存在を否定していました。それが今では認めています。

「いるんだな、本当に」

 彼は一人で何もかも納得しているようでした。けれど私の疑問はまったく解消されていません。

「ねぇ、教えてよ。あのとき何があったの?」

 そして屁理屈くんは少しのためらいを見せた後、話し始めます。

「あのとき(男前)と(ショート)が気を失っただろ。すると次の標的は俺達になったわけだ。でも俺はそれが気に食わなかったんだよ。なんであろうと、自分の愛する人を傷つける奴なんて我慢できないだろ?」

 これにはさすがの私も頬を赤らめてしまいました。

「だから思ったわけさ。俺がこいつを退けなくちゃって」

「うん。……でもどうやって?」

 できるだけ彼が私のことを好いている事実には触れないように私は気を使って尋ねました。

「あれも元は人だ。その想いが形を成し、それを原動力として人を祟っているんじゃないかと俺は思った。だけどそう思ったとき、なんで祟られなくちゃいけないのか腹が立ってな」

 うん。確かに私達より筋肉くんの方が祟るべき相手のような気がしますが、幽霊相手に腹を立てる屁理屈くんも変でしょう。

「なんで生きている俺の想いが死んだ奴の想いに負けるのかと、普通思うだろ。俺のあのときの想いはお前を守りたい、だった。だったらそれが負けるはずない」

「……」

「だから俺はアレに向かったわけだ。祟れるものならやってみろと思ってな。そしたらアレはすごい形相になってたよ。殺してやるって聞こえてきた気がした」

 そう言うと屁理屈くんはハハッと笑うのです。

「それでよく考えたら、俺よりお前の方がアレに近かったんだよ。だからアレは手を伸ばしてお前に触れようとしてきたからさ、怒鳴ったわけだ」

 それがあの「彼女に触れるな」という発言だったわけです。

「俺は念じたよ。『美咲を愛している』ってね。そしたらアレの身体が揺らいできたんだ。これはいける、と思った俺は最後に『成仏しろ』といったわけだが、本当に消えたから驚いたよ」

 また彼は気軽な笑い声を上げました。

 これがあのとき起こった真実だったようです。

 それを聞きを終えた私は、こんなことなら疑問を抱いたままの方がずっと良かったと思ったものです。吊り橋効果、なのでしょうか。やけに屁理屈くんが恰好よく思えて仕方ありませんでした。


 その後、私と屁理屈くんが付き合い始めたのは自然の流れだったでしょう。

 しかし私と彼の関係が深まる中、あのときの他のメンバーとは疎遠になっていきました。特にあれ以来、筋肉くんとまともに会話している者はいないようです。

 私が屁理屈くんと付き合おうと思ったのは、もちろんあのときの彼の奇妙な勇ましさに惹かれたということもあります。

 けれどそれが決定打ではありませんでした。

 あの後帰宅した私は、彼の行動や発言を思い返してみたのです。

 彼の理屈は生きている者の愛が、死んだものの恨みには負けないという、やはり屁理屈でした。これは証明のしようがなく、本当にこの屁理屈が通じたのかはわかりません。

 それでももし、彼の屁理屈が事実で、あの幽霊を退けたのだと考えると、彼の私に対する愛は本物であると証明できてしまうのです。

 だってどう見てもアレは一人の怨念ではなかったのですから。

 大人数の恨みを退けるほどの愛。

 これに思い至ってしまうと、彼に惚れるなという方が間違っています。



 今日は彼とデートに行く約束の日です。

 彼の提案でホラー映画を観ることになっています。私はやはりホラー関係は苦手なのですけど、彼が隣に居るなら大丈夫かなと思っているのです。


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