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「お前に云って置かなくてはならん。」
そう云ってクロウは二つの月が綺麗な夜、弓月の部屋のベランダに現れた。
この三日、忙しく働いていたが明日にはべべリア王国に発たなくてはならない。
「もちろん我もお前と行動を共にするが、グレィス王国同様、余人には知られたくないので今まで通りに黙って居て呉れ。
いや、特に秘密と云うのではないが、我の存在が公になると我が一族が少々困る。
我がお前、北城弓月と契約したはゼラフィスに頼まれた故だ。
奴には借りが有っての。
その昔、流離っていた我が窮地に陥った時、命掛けで救って呉れたのだ。
あやつはそんな事は気にするなと云ってくれたがな、そう云う訳にも行かん。
旅をするゼラフィスに着いて三年、このグレィス王国に居ついて既に十年になろう。
借りを返す機会を待っていたのだが。
あやつは強くてな。
魔物と呼ばれる我でもおそらく敵わぬであろう。
ゆえに恩を返すことも出来ずに此処まで来てしまった。
今回の事が起き、異世界に住まい始めて半年後、あやつは初めて我に尋ねた。
『俺の頼みを聞いてくれるか。』と。
諾と応えた我に云ったは、
『弓月の護り手になって欲しい。』との事だった。
無論、我とてお前は知っておった。
お前が我らのもとに来る度に見て居ったからの。
お前の性格も気質も魔力も全て知っておった。
それゆえゼラフィスの願いを我は受けた。
お前が我の身に名を入れた時、契約は成立したのだ。
我はお前、北城弓月をわが身に変えて護ると。
お前の後ろにはゼラフィスと我が控えて居る。
それを忘れて呉れるな。」
翌早朝、べべリア王国魔導伯爵マークビル卿に率いられた弓月一行はグレィス王国から旅立った。
ゼル、聞いて良い?
何でマークビル卿は馬車に乗ってるの。
え・・・
身分の差ですか。
ほっほう―。
偉いとつまんないもんですねえ。
お馬に乗る方が楽しいのに。
って、云う事は。
大国のべべリア王国の偉い人たちは乗馬が下手と云う事ですか。
情けない。
実に情けないです。
この私でも乗れると云うのに。
もちろん!
お師匠の魔道具が有るからに他なりませんがっっっ。
あら、見て。
綺麗な畑がいっぱい。
あれはキャベツですね。
美味いんですよ、ロールキャベツ。
ええ、有りますとも。
知る人ぞ知る、グーニーズカフェのトマトスープ煮が。
この優秀な≪皮袋出木杉君≫には入ってま・・・・・・・・。
出来れば三人の時に食べましょ。
そうですね、べべリアで夜こっそりと。
まったくなんと長閑な奴よ。
こんな時にまで食い物の話か。
べべリアと云う国を教えたにも拘らず緊張の欠片も無い。
あの軍事大国を率いるヨシュア王が今のお前を見てどう出るか見当もつかぬと云うに。
それでもかの国の魔導師はマークビルが最高位。
あの程度ならば私と弓月なれば問題は無い。
如何に馬車に閉じ篭って魔力の分散を抑えようとも、基本容量のレベルが違うわ。
ククク・・・
それにしてもあの顔は嗤えた。
弓月の火球を見て驚かぬ者は居ないだろうが、腰を抜かした挙句のくちパク状態。
大国べべリアの魔導伯爵と名高いマークビル卿らしからぬ間抜け面と云い。
それ見た弓月のドヤ顔と云い。
まぁ、何だ。
先払いで嗤わせて貰ったからには付き合ってやろうではないか。
べべリア王国の奴等の呆けた顔がどうでも見たい訳では無いが。
まして、ロールキャベツとやらに釣られた訳も無い。
だが弓月が美味いと云うものにハズレは無いからな。
少々楽しみでは有る。
うむ、それは認めよう。
私も素直になったものだ。
まるで人と呼ばれた昔に還ったようではないか。
ククク・・・
それもまた一興である。
おかしい。
ガイが嗤ってる。
いつもなら人の言葉尻を捉えて頬っぺた捻りあげるのに。
不気味だ。
何時にもまして不気味だ。
嗤うような何が有ったガイ。
まさかロールキャベツか。
ま、良いか。
どうせ陰険腹真っ黒魔導師。
素直で可愛いお姉さんには計り知れない暗黒の世界。
それより失敗したな。
取って置きのロールキャベツの存在がうっかりバレてしまったなんて。
まったく口は災いのもとだ。
これからは気を引き締めなくては。
汗水流した労働で得た細やかな賃金で手に入れた諸々の。
その存在をうっかり簡単に知らしめてしまわない様に。
何と云ってもこの二人、異常な食い意地を誇っている。
デリデリ本舗のローストビーフサンドの失敗は繰り返してはならない。
もう二度と。
旅の間のご飯はマークビル卿の従者が作ってくれるんですね。
楽しみです。
お国お国に名産在りです。
ところ変われば味変わるです。
何しけた顔してるんですか、ゼル。
さあ、元気よく行きましょう。