寄り道
おまけ的な話です。
ル=トゥは家にいた。トルクが出入り口の扉を叩くと、普通に開いて出てきた。
口元が、ニコリと微笑む。
「いらっしゃい。おや、今日は荷物があるんですね。」
軽く見上げてトルクの背負っている荷物を指差した。自身の背中の方にチラリと視線を走らせ、トルクは頷く。
「ああ、うん。俺、西の方へ行くんです。その前に、ここに寄って行こうかなと思って。」
軽く、荷物を担ぎ直した。
ラカラの街を出たトルクは、まず近くの森へと向かった。街の門を潜るまでは、直接西側の陸地への街道へ進もうかと考えていた。しかし外に出てみると、ル=トゥに挨拶をしてからにしようという気になっていた。すたすたと森へ続く道へと歩みを進めた。
ぱちくりとル=トゥは瞬きをする。
「西へ? お仕事で、ですか?」
首を傾けた。トルクは頭を左右に揺らす。
「うーん。仕事で、というかしばらく西の街へ行く事になったんです。ラカラの精霊宮を一度出て、向こうにある水の精霊宮に。」
手の平を上に向け、西の方角を示した。つられてル=トゥはそちらへと顔を向ける。森の木々に遮られて、遠方は眺められそうにない。森の木々の向こう、西へと続く街道の先に向かう街があるはずだ。
さわさわと風が流れ、木々の葉の影が揺れた。
ル=トゥは視点をトルクへと戻す。
「へええ、西の方には水の精霊宮があるんですね。へえー。なるほど、それはいいかも知れません。」
両手を広げて、胸の前で重ねた。感心したように、一度深く頷く。
「でも、そうですか。しばらく向こうへ。」
するりと手を下ろす。
「そうなんです。ここにも来れなくなるんで。それで、行く前に寄っていこうと思って。」
ぽりぽりと、トルクは頬を掻いた。頷いた時に下がったル=トゥの頭が、ぱっと上を向いた。その勢いで、伸びた緑の髪が揺れる。トルクは少しだけ驚いて、びくっと手を頬から離した。
「それなら、まだ寄る場所があります。」
ル=トゥは家の外に出て、扉を閉めた。森の方へと足を向ける。トルクを振り返り、歩き出した。
森の中にある道。整備されているというほどではないが、人が通るのに不自由を感じる事もない。ル=トゥの家はその道からは外れていた。ル=トゥは迷わず木と木の間を進み、その森の中の道へと出た。ガサガサと草や茂みを抜け、見慣れた道に出たところでトルクは歩みを止めた。
森にある祭壇へと通じる道だ。
目の前を、さっと何かが横切る。反射的に、それを目で追う。透き通った羽を背に持つ妖精が、飛んでいったのだ。クスクス笑いながら、木の陰に入ってしまう。トルクやル=トゥの事を気に留める様子もない。ただ通りがかり、通り過ぎた、そんな感じだ。
ル=トゥが数歩前で、トルクを待っている。小さく笑い、横を指差した。
そちらを見れば、祭壇がある。森を祭り、精霊を讃える、岩でできた祭壇だ。
その影に、何かが居た。
「え……。」
トルクが目を凝らすと、祭壇の後ろからふわりと人影が姿を現した。浮いている。トルクよりも、少し大きい。褐色の細い手足に、木の葉のような濃い色の髪と瞳。トルクの方に顔を向けたまま、祭壇の岩の出っ張っている部分に座った。口元を笑みの形にして、腕を組む。
『ああ、やっと私が見えるようになったみたいね。』
音として、というよりも直接トルク自身に響いてくるような声。
「……もしかして?」
トルクがル=トゥを振り返ると、ル=トゥは頷いて見せた。
「精霊ですよ。ここによく来る。」
密やかに風が流れ、木の葉がさわさわと擦れた。木漏れ日が揺らぐ。
トルクとル=トゥは祭壇の前に並び、精霊を見上げた。精霊は岩の中ほどに座っているので、若干高い場所に居る。
『やだー、すっかり水に寄っちゃってるじゃない。』
精霊は眉をひそめ、手を伸ばした。しゅるしゅると細い蔦がその指先から伸びて、トルクの腕を掴む。
「えっ。」
トルクは驚いて腕を引っ込めかけたが、既に絡まった蔦でそれは出来なかった。左腕に蔦が巻きつき、引き寄せられている。
精霊は頬を膨らませた。
『待ってたのに、なんで水のモノになっちゃってるの。』
ル=トゥがなだめる。
「まあまあ、落ち着いて。」
しゅるしゅると蔓が解かれて、トルクの腕は開放された。思わずトルクは反対の手で巻きつかれていた場所をさする。精霊を見上げた。
「あ、あの、それってどういう事ですか?」
精霊の不満の理由がよく分からない。ル=トゥがクスクスと笑った。
「トルクはよっぽど気に入られていたんですね。」
ふい、と精霊は横を向いた。何食わぬ顔になり、頬杖を付く。また、二人に顔を向けた。
『あーあ、狙ってたのになあ。あなた、水の精霊と名前を交わしたでしょ?』
肩を竦める。仕草が妙に人間くさい。
トルクが頷くと、ル=トゥが人差し指を立てた。
「精霊にとって、個の名前というのはとても大切なんです。それこそ、本当に重要な時にしか用いません。普段は属性で呼ばれますし。森の、とか火の、とか水の、とか。」
少し考えて、続けた。
「名前を交わす、というのは人間でいう結婚みたいなものなのでしょうね。一時に契約できるのも一つの相手のみですし。」
「へー……って、へっ? そんなに?」
納得しながら、トルクは驚いた。
ちらりと精霊は目線を流す。ル=トゥは腕を組んだ。
「思ったんですが。普通、人間には精霊や妖精が見えないんですね? という事は、精霊力の流れも見えないのでは。」
「流れ?」
「どの属性の精霊力がそこにあるか、といった事です。トルクは、今まで森の精霊が見えていなかったのでしょう? ならば自身の身に含んでいる精霊力も分からなかった。」
トルクが頷いていると、精霊がふーっとため息を吐いた。
『そういう事、なのね。』
すっとトルクを指差す。その指先からまた蔓が伸びた。シュルシュルとトルクの額の先を示し、止まる。
『あなたね、元々土の属性も持っていたのよ。水も、だけどね。属性に依った精霊力を持ってる人間も珍しいんだけど、異なった複数の属性持ちなんてすごく珍しいじゃない!』
きょとん、とトルクは呆気にとられてしまう。ほんの指先ほどの距離、すぐ目の前にある蔓の先を見ていた。鮮やかで濃い緑の葉が付いている。少し動くだけで、その先が目に入りそうだ。
「複数の、属性持ち?」
やっと、その言葉が頭に入った。ル=トゥは苦笑している。
「私も気付かなかったんですけどね。それほど会ったわけでもなく、よく見ていませんでしたし。」
精霊は岩にもたれるように、背を傾けた。
『そんな珍しい素体が精霊術士になったんなら、気になるじゃない? まだこれから成長していくわけだし、精霊が見れるくらいの力が付いたら声かけようと思ってたのに、ねー……。』
ふう、と肩を上げて下ろす。
『まさか先に水のと名前交わして、水に拠ってくるなんて。ああ、もう、先越された。』
しゅるっと素早く、トルクに伸ばした蔓を引く。祭壇にくるくると巻き付けた。
祭壇に巻き付いた蔓を見ている内に、トルクは気が付く。
「……あ、あれ? でも、あなたはここで既に契約を交わしているのでは? 俺と契約ってできるんですか?」
一呼吸の間を置き、精霊はニヤリと笑う。大きな祭壇に、長い蔓が絡みついている。その蔓をゆっくりとほどいた。
『私は契約してないよ? ここの祭壇は森の精霊力を安定させて留めておくためのもので、どの精霊も縛られないの。これがあるから、精霊界との行き来がすごくしやすくなってるってだけで。遊びに来やすいから、私もよくここに来てるんだよね。』
ル=トゥがぽんと手を打つ。
「あ、へえ。そうだったんですか。よく居るので、てっきり契約していたのかと。精霊が来たり通ったりするだけでも場の精霊力が上がりますもんね。」
精霊が目を細めてル=トゥを見た。
『え、知らなかったの? もう、どのくらい顔合わせてると思ってんの。』
あはは、と無邪気に口を開く。指先をさっと動かすと、伸びていた蔓が消えた。
微かに、風が通る。さわ、と木の葉が揺れた。
「森の精霊。」
ル=トゥが祭壇に体の正面を向ける。トルクにちらりと視線を流し、その背を押した。
「トルクが、しばらくここに来なくなります。」
トルクは精霊を真っ直ぐに見上げる。その深い緑色の瞳を見て、ゆっくりと頷いた。しばし精霊もトルクを見詰め返す。
「俺、これから西の方の街へ行くんです。」
トルクがそう口にすると、精霊は目を閉じた。そっと瞼を上げ、表情をほころばせる。
『あなた自身の基礎の力は上がったけれど、使える精霊力の方が枯渇している。うん、それを満たしてきなさい。そんで、もっと力を付けておいで。もっと大きな精霊術士になっておいで。』
ふわりと体を浮かべ、くるりと宙で一回りした。そうして、その姿が見えなくなった。
祭壇の下で、いつ咲いたのか明るい橙の花が開いていた。
トルクはル=トゥと顔を見合わせる。ル=トゥは一歩、足を後ろへ引いた。
「帰っちゃいましたね、精霊。」
背で指を組み、歩き始める。くるりと、踵を返した。
「気を付けて、行ってくださいね。」
またくるりと、体を回して家の方へと向かう。トルクもその後ろに続く格好で、声をかけた。
「ル=トゥも、元気で。またこっちに戻ったら、挨拶に来ます。」
歩きながら、ル=トゥは顔だけ振り返った。ニコリと口元を上げる。
「是非。また遊びに来てください。」
手を上げて、木々の間に入って行った。
トルクは一旦足を止め、荷物を担ぎ直す。森の出口へ続く道へと足を向けた。
森から出て街道へ戻り、西へと向かうために。




