エッセイまとめ
・過去にプロフィールに載せていたもの
たとえば誰かが自分を評価したり気に入ったりしても、もともとそれを感じる能力がないので、ただ形式的にお礼を言うだけだ。それでも作品をネットに上げているのは、誰かの足しになる可能性があるからで、ただ他人のためだけで、自分にはなんの意味もない。だから余計なことは、無駄だからなるべくしないようになった。詩人でもなんでもないのにカッコつけて詩を書いて朗読なんぞをしていたが、余計なことなのでやめた。好きでもないことは無駄である。なにか得でもあれば別だが、恥かくだけでなんの得もないなら、それを続けることは、むしろ相手に失礼だ。たとえ最低限度認めてもらえてもだ。自分が好きならいい。そして自分が好きなことは、他人にはなんの意味もない。相手が「いていい」と言ったからって、イコールそこが自分の居場所だとはならない。生まれてからこの世に自分の居場所はなかった。それでも何十年も生きてこれたから、余生も変わらず居場所なしで行くだろう。というわけで最低限度よろしく。
・サイトから消える言い訳
(2025年に一度、全ての投稿サイトから脱会したときのもの。数か月後には、しれっと復活)
自己愛性パーソナリティ障害は、得られなかった親の愛の代わりに賞賛を求め、自分を高めるために嘘をつく病気である。そしてそれを実際に得られても、親の愛の代わりには全くならないため、どこまでも賞賛欲求がエスカレートし、やがて周囲に嫌われて自滅するオチになる。幸い自分はそこまで深刻ではないようだが、幼児期から続けてきた「自分にはずば抜けた才能があり」「必ず成功し」「社会から愛される」という妄想を強固に信じ込む訓練と、それによる現実と自己イメージの救いがたい乖離により、対人恐怖を抱えたまま還暦前まで来てしまった。それでも務まる仕事と兄弟のおかげで生活はかろうじて出来ているが、今さら人生を根幹から変えることは不可能だし、その資金もない。このまま残り少ない寿命を全うするしかあるまい。
詩でも小説でも、書いた作品を世に発表するには、それが本人と離れていなくてはならない、といわれる。作者と地続きになってしまっているものは、もし誰かに否定されたら、イコール作者本人の否定になるからだ。そのようなものが出来たら、しまっておいて誰にも見せないのが一番よい。彼しか知らない宝のようになるわけだ。逆に、否定されて嫌な気分にはなっても、それが正当な批判なら受け入れられる余裕がある作品であれば、発表してかまわない。
ところが、自己愛性パーソナリティ障害を抱えた自分には、それがかなりやっかいな問題になる。自分には、自分から離れた作品などただの一つもないのだ。自分には好きで書いたものがほぼなく、賞賛欲求や、親の愛の代わりに名声と自己肯定感を得るため、などの理由で、やむにやまれず衝動的に「書かされた」ものがほとんどである。しかもゆがみきった人格がもろに出たグロや暴力的な内容ばかりで、それでも、それらが今日までほとんど否定されなかったことは奇跡としか言いようがない。最近、詩の投稿サイトに登録して即座にやめたが、それは最初に上げた詩を否定され、それに耐えられなかったからだ。自己愛の自分にとって、作品は自分自身である。世界から賞賛され愛されているという嘘を信じ込むことで精神を保ってきた病人にとって、客観的に見れる作品、自分と離れた作品を作ることは、ほぼ不可能である。
今後はもう創作活動はしないと思う。その決定的な理由は、生来書くことが好きでもなんでもなく、むしろ嫌いだったのに、前述の障害のせいで、ただ賞賛を得るためだけに、がむしゃらに続けてしまった。それに気づいても蓋をして見ないふりをしてきた。だがそれを直視しなくてはならないことがおきてしまった。それが詩のサイトへの投稿であり、自分が本当は何者かを嫌でも思い知る機会だった。自分は俺が思っているような天才どころかアーチストですらない。ただの嘘つきのクズである。
では何か好きなことがあるのか、やりたいことはあるのか、と自分に問うても、なにもない。幼児期に自分を嘘で塗り固めたことにより、可能性を全て潰してしまったからだ。それに気づくと、とたんに創作を続けることがバカバカしくなった。そしてネットに発表した全ての作品がただの恥にしか見えなくなった。さらしておく価値がない(もちろん気に入っていただけた読者の方には、なんの関係もない勝手な解釈です)どころか、むしろ社会にとって有害な毒物でしかないという確信が生まれた。全て消し去らなくてはならない。
以上が、私がサイトから消える言い訳です。発表した無数の作品は全て私自身なので、死ぬまで私だけの宝のようにしまっておくつもり。
詩のサイトは一日で追い出された(これも自分の勝手な解釈。私を批判した人は当然のことを言っただけで何も悪くない)が、ここではかなり長期間にわたりお世話になった。このサイトと集う方々の優しさと、お慈悲のおかげだと思っている。ありがとうございます。
・活字から卒業した話
(脱会後に書いてpixivに載せたもの)
先月でなろうとカクヨムを卒業し、スッキリしました。活字が好きでもないのに、理由つけてよく何年も続けたものだと自分でも思います。こちらでもオリジナルは勝手に大量削除してご迷惑をおかけしましたが、アニメのSSは愛着があって残してます。詩も何も書く気が全く起きないので、中絶している作品は当分完結しないと思います。もしお待ちの方がいらしたら申し訳ないです。なにぶん人間が出来損ないで、自分がどういう人間なのかを把握するためだけに五十五年以上生きてきたポンコツの中のポンコツなので(でなければこんな真っ暗な名前にするわけもないのですが)、そこは少しでも汲み取っていただけだらありがたいです。誕生から死までを嘘で塗り固めて生きてきた人間も世の中にはいます。ただ幸い自分は親のように、自分を全く受け入れることが出来ず虚構で塗り固めたあげく、それによって破滅するまではいたらず、人にも最低限の運にも恵まれて、まあまあ幸福な人生を歩むことが出来ました。本当に感謝の念は大事ですね。それだけであとはいらないくらいです。これでもまだ自分を充分に分かっているとは言い難いですが、シティポップの角松敏生さんのライブ動画を観ると確信が持てます。あーこれは俺の妄想も何も入ってない、正真正銘の現実なんだと。以前は「この人と同じことして一発当てるぞ」みたいな妄想なしでは何も観れない聴けないという酷い現実逃避状態でしたから。角松さんだけは普通に素直に好きと思える。こんな簡単なことが私には革命だったのです。「俺にはでかい才能があって、いつかでかいことして評価されるんだ」という嘘をずっと信じていると、一瞬は快感でも心は常に苦しい。逆に「私にはたいして才能がなく、そのことは動かぬ事実だ」と知ることはとてつもなく悲しいかわりに、ずっと気楽で心地よい。もちろん性格が変わったわけじゃないから、相変わらず苦手なことは苦手だし、冴えないままですが、今のまま余生を遅れたらと思っています。読んでいただいて、本当にありがとうございます。
・つまらない私の話
自分を長年苦しめてきたのは、トラウマよりも、たんに「かっこよさ」だとわかってきた。もし普通育ちだったら、確実にお笑いの方に行ったはず。最近チャップリンを見て、かっこ悪いことはなんと気分がよくて気楽なことか、と。自分がミチロウでもマルクス兄弟でもなく、こっちだったとはなあ(注意・2023年の話で、今は全くそうは思っていない)。
いや、スターリンの遠藤ミチロウと縁もゆかりもなかったわけじゃなく、彼の歌詞のシュールな感覚とかは共通してたと思うし、ほかに無理やり手本にしてきた過激で狂った人たちも、どこか似た部分てのはあったろう。が、同類では決してなかった。ただ、自然では絶対にいられず、常に極端にかっこつけなくてはならなかったせいで、それらの人たちと自分が「同じ」だと「思い込んだ」わけである。
もちろん実際は過激でもなんでもなく、むしろ前向きだが大人しく、人畜無害で小心者だったはずなのだが、親にそれを完全に否定され潰されたので、「誰よりもかっこいい自分」という虚像を作りあげるしかなかった。80年代という時代も悪く、ホラー映画やパンクロック的に過剰なエログロ作品が子供が起きていようが平気でテレビから垂れ流され、あるいはマンガなどに、子供時代に蝕まれた人は多いだろうが、自分はかなり悪い方向に影響された。当時の表面的な暴力表現が、血肉になるほど残っているのは、五十代半ば(2024年現在)では自分くらいだろう。それらは平凡な自分を偽り「大きく見せる」のに格好の素材だった。
母親は、平和なお笑い系の私を全否定したが、それで仕方なくかっこいいふりをしようとしても、全く上手くいかなかったため、ますますバカにして潰すだけだった。女だがマカロニウェスタンが好きだった。これは長男には「死ね」というのと同じである。なれるわけがない。第一架空の人物だ。演じる役者だって、たとえばイーストウッドだって別に夕陽のガンマンじゃなかった。
だが奴には生まれながらのヒーローが必要だった。なんせ幼少から父なしで、それも長女として無理ばかりさせられて育ったので、長男の私にはなんとしても、強く立派で、自分の父親が務まるほどの男になってもらわねばならなかった。普通に考えれば、これはどうしたって無理だろう。親子の逆転は、毒親にはよくあるパターンらしいが、こっちは役割を押し付けられるだけで本当の親ではないから、権限もなく、向こうはいい気になってやり放題だ。毒親に卑怯などという言葉はない。常に溺れてアップアップして、足を引っ張ってやっと海面から顔を出して息をする。代わりにガキが沈められて窒息する。生きるか死ぬか。食うか食われるか。毒親家庭では、人間はただの動物である。
といって暴力で応戦すれば、たちまち弱いふりをして被害者面だ。実際自分も親からやられてきた被害者だが、これは虐待されて育った通り魔が被害者ぶって殺人を正当化するのと同じだ。母親から学んだことは、人間は薄汚くて腐っていて当たり前。なにもいいところも、なんの魅力もなく、ただ不快で恐ろしくて嫌なだけの避けるべき存在である。はるかにマシな弟と共依存でなければ、最悪犯罪者か、よくて重度の精神疾患だったろう。中途半端に運がよかった。現在も全くなにも幸せではない。といって不幸のどん底でもない。なんなんだよてめえは。と自分に殺意しかない。
自然にしていると殴られ、嘘をついても下手なので殴られたが、上手くてもどうせやられたろう。相手は、ただ殴りたいだけだからだ。卑怯と卑劣に手足が生えた糞野郎の汚物の黴菌なので、自分の親からされた恨みを無抵抗な弱者の子にぶつけて、やっと精神を保ってるだけだ。はたから見ると可哀想な人だろうが、こっちはそんな場合ではない。いかに生き延びるか、それだけである。サバイバルといっても、無力なガキに策などなにもないので、いかに絶望に耐えるか、あきらめるかが課題である。昭和にはネットもないから、子供は同志の存在も知らずに、ただ一人で地獄に耐えるだけだ。
何をしても殴られるだけだと、何もしなくなる。親が全く信用できないと分かれば、最低限の会話しかしなくなる。といって独立する能力もなく、親元にいるしかないので、黙ったまま憎悪だけが溜まっていく。母は「いつか子供に殺される」とよく騒いでいたが、それは自分が親に持っていた殺意を自覚しそうになってあわてていたのだと思う。ただ、自分が殺されるようなことをしたという自覚はあったようだ。
自分の母親から何ももらえなかった母の願望は、ただの死だった。よく私に「私は愛情をもらえなかったから、お前には何もやれない。ない袖は振れない」と、はっきり言っていた。死んで楽になるのが夢だったと思う。火葬しても頭蓋骨が残るほどに頑丈だったので、体を壊すにも相当苦労したようで、数日おきにゴミ置き場にビール瓶が山のように並んだ。五十代にやっと肝臓癌になり、入退院を繰り返して、七十で無理に作ったような家族に看取られて死んだが、誰かを責めたり非難したりはしなかった。寝たきりで世話をされることで「誰かに頼る」という夢がかなって満足だったのだろう。
私は幼少は性格の悪い父方の祖母にゴマをすり、母が家を出てからは、すぐキレる母におびえては殴られる(私のおびえは、イコール自分に対する攻撃である、という解釈だった)、それでますます気弱に情けなくなり、かっこよさの殻を着込んでは、すぐ剥がされて丸裸で切り刻まれる、の繰り返しにより、本来の自分というものは意識下に深く封印された。呑気でお笑いの自分を、まず祖母が消し去り、次に母がないものにして葬る、という具合に二重にやられたせいで、私は今の五十五歳の年齢になるまで、自分の性格というものをろくに知らないどころか、容姿すら知らない。
自分を見るのが気持ち悪くて常に無視して育ったので、周りの証言から元は結構なイケメンでスタイルも良かったらしいが、育つにつれ、ゆがんだ幽霊のようなおぞましい顔になり、みっともない猫背になった(さらに悪いことに怒り肩だったので、見た目はヤクザそのもので、どこへ行ってもやたら絡まれ、職質の常連だった)。今はやっと鏡を見れるようにはなったが、見てもまるで知らない一人の爺さんが、気味の悪い目でにらんでくる恐怖しかない。
もちろん外見だけでなく、自分の性格も性質も無視して年老いたので、なにをやっても全て失敗した。あるものを好きだと思っても、大抵はカッコつけのために無理してハマっているだけで、まっかな嘘だからだ。「俺はこういう人間だ」とか「こういうのが好きだ」と誰かに言っても、「へー、全然そうは見えないね」と言われ、まるで納得できなかったりした。そして続けるうち、しんどくなって、急に嫌いになってやめる。もし人並みに人付き合いしたり恋人なんか作っていたら、今頃そこら中で家庭を作っては壊しして不幸を撒き散らし、「男のクズ」「女の敵」と呼ばれていたろう。
そうならなかったのは、完全に弟のおかげである。というか彼が精神的に依存してあれこれ世話してくれなかったら、生活力ゼロの私はおそらく二十年も生きられなかったろう。弟は母の遺伝をもろに継いでいて性格がとてつもなく悪いので、みんな怖がって逃げてしまい友達がおらず、同じく不適応な私にはちょうどいい相棒なのである。
最近は私が彼の「求愛」を受け入れてきたせいか八つ当たりもしなくなった。彼は太宰のようなお道化という名の「求愛」をするが、若いころの私はそれを嫌がっていた。が、ほかに相手が誰もいないので、彼は無理に押し付けてきた。実はこっちもそのお道化を嫌いなわけではなく好きだったが、それでも拒否していたのは、たんに自分が誰にも受け入れられないのに、他人を受け入れねばならないという理不尽に耐えられなかったのだと思う。
そして今年で五十五歳。無理をすることに心身が耐えられなくなり、ちっぽけで無才な自分を、あきらめて「大人しく」受け入れるようにはなってきた。
自分は自己愛性パーソナリティ障害(以下、自己愛)の軽いやつだが、両親はともに重症で、酷い嘘つきだった。自己愛は、親に愛されなかった事実を隠蔽するために、嘘をついて自分を防護する病気だが、私も幼少から今日に至るまで映画や音楽、詩の世界で大成功した自分を妄想し、なんとか自尊心を保ってきた。子供のころ、無価値な自分を完全に忘れ果て、「自分は世界から評価され、好かれ、愛されている有名人である」「偉業を成し遂げた価値ある偉人である」という大嘘に耽溺しうっとりしていた、あの甘い快感を思い出すと、今ではぞっと恐怖するが、それでもその時代に帰りたい自分がいる。普通の人には想像するのもおぞましい世界だろう。
実際、忌み嫌われて学校でも社会でも散々いじめられた。いつも親しめず不自然で、頭が妄想でいっぱいの人間なんて怖くて気持ち悪いだけだし、仕事が出来ないとかで自分に害が及んだら、攻撃して当然だろう。その地獄は、少なくとも五十過ぎまでは続いた。が、五十五になると、なぜかぴたっと止まった。もう無理をする体力がないからだろう。
といって、そこから抜けれたわけではない。五十年以上も続けてきた悪癖だ。ゆるぎない血肉になっているのは間違いない。
詩などは才能が皆無だったわけではないので、勘違いに拍車をかけたが、「どこぞの大企業の誰かと知り合いだ」と大嘘を吹いていた義理の父(離婚後、母が連れ込んだ)と違い、そんなふうに他人に吹聴して承認される必要があまりなく、ある程度は妄想だけで済んでいた。
私はその義理の父を腹の底から憎んだが、それはなんのことはない、「自分と全然違う」「少なくとも自分は、あんなのよりは全然マシだ」と思い込んでいたのが、実はほとんど同じだったからだ。近親憎悪である。
その嘘つきの義理の父と同じく、私も妄想が現実と完全に乖離していた。だが、それを認めることは、別の意味で死んでも無理だった。息子の自分に全く愛情をくれなかった母が、そいつの言うことなすことは全て喜んで肯定し、身も心も捧げて愛してやっていたことに、ガキの自分はとても耐えられなかったのである。これじゃハムレットにハマるのも無理はない。
そいつが酷い死に方をして十年以上になる今では、「なぜ、ああもそいつを嫌っていたのか」とか、「あれは完全に自分そのものだったじゃない」とか、後悔の念もおきる。が、向こうも厳格な父親面して虐待しかしてこなかったし、ぶっちゃけ幼い同士のいがみあいでしかなかったから、仕方なかったとしかいえない。
とにかく自分は、わずかな才能と弟の存在のおかげで、酷い自己愛にはならずに済んだ。それでも現実との乖離や、対人恐怖は変わらないが。
今の目標がなにかといえば、簡単なことで、カウンセリングを受けて少しでもまともになることだ。若くて金があるときには、どんなに鬱状態で苦しもうが、周りから虐待されようが、受ける気がしなかった。「自分が世界的に認められる天才である」という甘美な「設定」を放棄し、「ろくに才能がなく、誰が見ても、ただの平凡なダメ男でしかない」という現実を知ることになってしまうからだ。年寄りの今でも、そう思うのは怖いくらいである。
しかし、もうそうは言っていられない。このままだと鬱が高じて悲惨な最期になることは明らかだ。だが、切羽詰ったときに限って、先立つものがない。一回に一万もかかる治療のため、何ヶ月もかけて貯金するしかない。もし、そのあいだにくたばったら、それはそれで仕方がない。それまでだったということだ。
最近は頻尿による不眠鬱になっており(夜中に何度も尿意で起こされて睡眠が激変し、鬱状態になる)、医者に泌尿器の薬をもらったが、そんなに効くわけでもない。そして鬱になると大食いになって金がかかり、また治療が遠のく。
行く末には絶望しかないが、これも元は親のせいとはいえ、長きにわたり嘘に溺れていた自分の自己責任というやつだ。六十まで生きられると思ってはいないが、まだ最低限度の仕事は出来るので、手遅れではないし、まあやってみようと思う。
思えば人生は、自分という変な物体を使った実験のような感覚がある。前例がなく手本もない。道なき道を開拓するしかない。
いやカウンセリングくらい誰でも受けるから前例はあるが、自分の顔も姿も中身も知らずに年老いた人間なんて、ほかに見たことがないからね。
(追記)
神「これだけバカを繰り返して苦しめば、もうてめえがただの詩人でしかないことが分かったろう!」
私「はあ、そうすね」
神「なんだ、歌の用意はせんのか? 小説の新人賞は? ネットでバズる手もあるぞ。承認欲求さえ満たせば、それでいいんじゃないのか?」
私「詩の朗読はします。ギターを使って」
神「ほらほら、まぁたミュージシャンになって大成しようって魂胆だな! よしよし、また嫌になって苦しんで、泣いて詩に戻るまで、せいぜい動かぬ指を駆使して大恥を――」
私「弾きません。ノイズを出すためです」
神「そんなんじゃ、成功しないぞ。また誰も理解できないことをして引かれたいのか? 有名になって、お前を無視し、バカにしてきた世間を見返す。それがお前の望みだろう?」
私「それ、私じゃなくて母親の望みなんで。しかも奴は死んでもう十年以上にもなります。もう幻影に振り回されてバカを繰り返す体力も気力もありません」
神「バカが! このバカが! それじゃ今まで散々苦労し、傷ついてきた悲惨な人生は、一体なんだったのだ?! 今まで生きた地獄の日々を全て無駄にし、フイにし、まるっきりなかったことにして、いいのか?! それではただのバカではないか。フヌケではないか。この負け犬が! やり返せ! 復讐するのだ! お前をいじめ抜いてきた全ての糞どもに!」
私「全部無駄でいいですよ。私はただ、幸せになって気楽に生きたいだけです」
神「よくぞ言った。その言葉を待っていたのだ」
・ミチロウさんの影響と恥ずかしい過去など
幼児期に親に「お前なんか存在しないから、なにを言っても聞くやつはいない」と呪いをかけられてから、今でいうコミュ障になり、誰ともろくにかかわらずに五十五歳になったが、もともと頭が悪く分かりやすく話せなくて、相手からよくキレられて終わったが、高校のとき、メタルしか聞いていない耳にパンクのそれも一番過激なのを聞いて人生が決まった。時は1985年、スターリンはすでに解散し、リーダーの遠藤ミチロウ先生は「オデッセイ1985sex」というソロを出していた。小遣いをはたいてそれとスターリンの「虫」を買ったが、ソロは音が全然違っていた。だが歌詞の書き方はまるで違っても傾向は変わっておらず、急にポップになってもピンクフロイドで鍛えられていたせいか気にならなかった。歌詞の最初の印象は、「とても日本人とは思えない」という、それまで聞いていた洋楽と同じクールさを感じた。今はそうでもないが、当時は音楽でも映画でも日本の奴はとにかく嫌いで、島国根性からくる「自分の言うことはとりあえず相手に通じて当然」みたいな連帯感と安心感に巨大な嫉妬を持った。自分の場合、育ちのせいで同じ日本語を話しても言葉は通じなくて当然、人間は分かり合えなくて当然、という認識で、メッセージがとりあえず通じると思っている感覚とは端から相容れなかった。それで日本人の作品は全部自分にはダメだと決め付けていた自分の前に、いきなりスターリンの「虫」が現れた。ミチロウさんはそんなつもりはなかったろうが、その意味不明な歌詞は「言うことが相手に通じなくても全然かまわない」と言っているように聞こえた。親から虐待されながら高校から大学に行って就職するまで、自分には信じられるのはミチロウとスターリンしかなかった。高校時代からまねしてデタラメな詩や歌詞を書くようになったが、幸いどこか似たセンスがあったのか、40代半ばに親が死んだあと、ミチロウさんが出ていたライブハウスのAPIA40に出られるようになった。が、たぶん歌をうたいたかったはずなのを、楽器をまともに弾けないからと朗読でごまかしていたため上手くいくことはなく(それでもなぜか「もう来るな」とは言われなかった)、時は流れて五十代になってコロナで金欠になると、数年に一度しか出演しないままで今に至っている。またやるとしたら、ろくに弾けなくてもなんとか超スローのギターで歌うことになるだろう。それでなにか言われたら即座にやめて二度とステージに立たないだろう。なぜならギターを自分らしく弾いて歌うことが、結局は自分にとって最高に安心できる瞬間であり、この世に存在できる唯一の方法だと最近知ったから(注意・2023年の話で、今は全くそうは思っていない《注意・2025年の話で、今は全くそう思っていない》)、それを否定されることは、すなわち己の存在の否定であり、それは今までの長い人生とまるで同じ不毛と無駄と悲惨に戻ることでしかないので、それでなにかを表現し続ける自体に意味がないのである。アピアは普通とは違うアンダーグラウンドの表現者の集まる場ではあるが、ギターに関してはえらく厳しいので、どうなるかはやってみないとわからない。てかその前に練習スタジオでやってみなさいっていう(笑) 指がダメでエレキしか弾けないのがネックで、だってエレキって音がでかいから、またあせって必死に弾いてギャースカわめくことになったら台無しだ。あ、ディストーションもなんもかけなきゃいいのか。とにかく静かにやりたい。人生で一度でいいから、落ち着いて、じっくりとなにかをしたい。夢なんてそれしかない。金も地位も名声もいらない。人前で、誰かの見ている前で、ただ自分らしくじーっと座って、ゆっくりしたいだけだ。誰も見てなきゃ今のままでもゆっくりできるが、それじゃ意味がない。自分が、いるかいないかの瀬戸際なんだ。
私の詩や歌詞が意味不明でデタラメなのは、ミチロウ先生のやり方をまんま踏襲してるからだが、そういう人をほかに見たことがない。普通は何も考えずただズラズラ書いても(自動筆記というらしい)、まともな思考の持ち主ならある程度は理路整然として意味が通じると思うが、自分はもとがバカでまともにものを考えられないので、前後関係や文節などが完全にぶっ壊れた文の断片が撒き散らされるだけで、本当は何が言いたいのか、なんのつもりでこれを書いたのか、を解き明かして整理するのがあまりにもめんどくさく、最低限の推敲だけで、あとは放置するほうが、むしろ面白くていいか、という結果になる。だから解釈とかは全く出来ないので、勢いとかを楽しむくらいしか鑑賞のしようがないから、一般受けはありえない。ミチロウさんによくある、「ずっとあとになって意味がわかった」みたいな感動は皆無である。ただ彼の「自分と世界、あるいは自分と自身に対する違和感を、分かりやすくせずに、そのまま表現する」というやり方は、おそらく自分の中に染み付いているので、個性っちゃ個性だろうから、それでいいと思っている。ただ、あまりに無意味でまとまりがないのはボツにしてるが。そのさじ加減は自分のセンスに頼るしかない。「ダメだこんなもん」で放置していたのが、見返すと実はまんざらでもなかったりする。マルとバツの基準はどこかというと、一文の中で全然関係ない言葉が出てくるとまずいので言い換えたりするが、一連の中で意味が一貫していれば、前後でいきなり無関係な言葉が出てもオッケーである。詩の全体に実はおぼろげにテーマみたいのがあり、それにのっとっていればよし、でなければボツにしたり書き換える。そう考えるとべつに変なことはしてねえな、と思う。どんなに異常で変態でも普通の人じゃなきゃいかん、てのを聞いたことはある。客観性ってことか。しかし言いたいことなんて、ひとこと「生きるのがつれえ」だけなんじゃないかと思う。どんなにねじ曲がっていてもね。あとは「あなたが好きです」というラブソング。ラブったって根がエロいのでエロくなりやすく、そのほうが受けがいいが、あえてやろうとは思わない。というか受けるとかはもうやめた。自分を大事にする。それだけだ。
・複雑性PTSD
自分の病気はおそらく複雑性PTSDという奴だと思う。持続的な虐待などのトラウマで生活が困難になるという症状だが、本人が無自覚のこともあり、たとえばなんの理由もなくいきなり被害妄想などに陥っても、「子供のころからこうだから」「自分はもともとこういう体質だから」と普通のこととして済ましてしまうことが多く、特に自分は根性論のはびこった昭和の人間なので、その今でいう「生きづらさ」を感じても無視して、幼少から五十五歳の現在まで来てしまっている。
自分の持続的な虐待は、親からのものと、社会からのものが子供の頃から延々続き、なくなったのは本当につい最近である。毒親の親も毒親というパターンが一般的らしいが、自分の両親も(貧しさにより)親から道具扱いされコキ使われるような虐待を受けており、特に母親はその影響でわざわざ自分からいじめっ子に近づいてやられては「誰も自分を助けない」「自分は不要である」ことを確認するという、自傷に近い行為を繰り返してきた。それは夫の母親、つまり姑にいびられて、ひたすら黙って耐えることが、実は自分の母親に対する抗議だったと思う。姑による「嫁いびり」は昭和には珍しくない行為だった。
もちろん「誰も助けない」ことの確認とは、ぶっちゃけ親への「助けてくれ」という悲鳴なので、おそらく自分は母の背中からそれを感じ取っていたのだろう、自分が母を「助けられない」「なにもできない」という罪悪感を持つにいたった。これで母が好きならまだしも、ただ恐怖感しかなかったので、家に安住の場所はなかった。
また母がそのような自虐に浸るのに忙しいため、私は長男だったことで、弟の教育係、世話係のようになった。たとえば彼がいたずらでもすると私の責任になり、殴られた。それでいて弟は私のことをバカにして言うことを聞かないので(私には兄らしさというものが皆無だった。よく母は私に「お前には兄の貫禄がない」と怒鳴っては殴った)、また悪さして、また私だけが怒鳴られて殴られる、という不毛の繰り返しになった。
母は私の内面にはまるで興味がなく、ただ自分にとって有益か、利用価値があるかという点だけをひたすら重視し、私がそれにそぐわないと、直ちに暴力が振るわれた。ただ、親の「教育」の名のもとによる暴力は、当時はきわめて普通のことだったので、私がここまでゆがんだのを見ると、その仕打ちはよほど度を越していたのだろう。往来で私を何度も張り倒す母に、通りがかりの主婦らしき女性が「奥さん、そこまでしなくても」と話しかけてきたこともある。
だがそんなに強く殴られた記憶はなく、ただ恐怖ばかりが脳裏に焼きついて体が覚えこんでいるので、その行為がはたから見たら、殺意すら感じられるほどに憎悪むき出しだったのかもしれない。もしそうなら、親への恨みが子供に直行する典型的パターンだ。
母に安心をまったく感じないどころか恐ろしさと嫌悪感のみが与えられたので、私は母性というものがなんなのか知らない。むしろ祖母だった姑のほうにはいささかの安堵を感じたので、そっちが母親のようだったイメージがある。
が、いわゆるお婆ちゃん子ではなかった。祖母は私に母の悪口を言わせて喜ぶような人間で、時々意地悪くなったので、結局安心感はなかった。嫁をいじめていたくらいだから、孫のことは息子を盗った女の子供で、かたきの所有物だから、それに優しくしてなつかせることは復讐であり、私のことは敵である母から奪った戦利品くらいにしか思っていなかったろう。
母には恐怖しかなかったと言ったが、親の愛を欲さない子供はいない。それがないということは自分という存在もないということだから、精神崩壊にすら至るかもしれない。だが私の母親は、無神経で粗暴であっても、私に対して全く愛情がないわけではなかったので、幸いそうはならなかった。ただ、彼女はまともな対人関係を知らないので、結局は親が自分にしたのと同じように、私のことも利用して使い捨てることしか出来なかった。そしてそれを、「これくらいしても、たいしたことなかろう」と高をくくっていた。実際には、それが子供の人生を破壊しつくしたわけだが。
自分が母親を助けるための道具でしかないこと、母親を見殺しにした罪人であるという自覚が、私を自罰的にし、学校などでいじめっ子に自分から近寄ってやられるようになり、それは成人して仕事に就いても同じ、同じ社内の者だろうが客だろうが、わざわざ失敗したり失礼なことをして、相手を怒らせて脅かしてもらう、という不毛を何十年も繰り返した。それが「自分の場合は普通のことだ」と無理に納得していた。母親とまるで同じ道を歩んだのである。
ただ結婚しないどころか、ただの恐怖の対象でしかない世間一般の女性には、できるだけ近づかなかったから、子供を作って親と同じことをする地獄からは逃れた。
この持続的虐待により、複雑性PTSDが発症したわけだが、てっきり最近のことと思っていたのが、思えば実は幼児期から既にその症状は起きていた。ただ昔は、特に70年代から80年代はよほど明確で重くなければ精神病と見なされず、私の程度だと、ただの能力の劣ったバカ扱いだったので、最近までそれが病気だと自覚できなかったのである。
私の症状は、まず気温が急に上下したとか、本当にささいな理由が引き金になり、周りの人間に対して不信感が一気につのり、普段なら気にもならないことで深く傷つき、ダメージを受ける。眉間のあたりがぎゅっと詰まったような不快な感覚になり(ときに酷い片頭痛が伴う)、これになるともう何も冷静に考えられず、ひたすら被害妄想に苦しめられ、仕事などのやる気が一気にうせる。またささいなことで怒りに襲われ、他人に手を出したり暴言を吐いたりはしないものの、過呼吸になり、ぎょろ目をむいて、手ががくがく震えたりする。ただでさえ無いに等しい自己肯定感が完全に消えうせ、もともとあった醜形恐怖が酷くなり、人に顔を見られるのも、向こうから誰かが来たり、たんにすれ違うのすら苦痛になり、必死に相手の顔を見ないようにする。
これでも勤まる仕事を選んでいるのでなんとかなってきたが、それでも、ある程度は支障になるのは仕方がない。そんないわゆる鬱状態が数日、長くて五日は続き、いきなりふっと収まる。これが鬱抜けである。これらの苦痛は、長いこと続けられてきた周囲からの暴力と暴言によるトラウマの蓄積が、ふとしたことで一気に吹き出すことによるもの、と素人考えでは思う。
では専門家に相談して治せないのか。治ればもちろん助かるが、自分の場合はそれが出来ない理由がある。カウンセリングを受ける金がないという金銭面の問題もあるが、それだけではない。
PTSDの治療では心理療法というのをやるらしいが、過去のつらい記憶を掘り起こしてトラウマと向き合うことで克服する、というやり方だ。だがこれは、もしその記憶を封印することで精神をかろうじて保っていた場合、それが崩れて、症状がさらに悪化する場合がある(ある医療サイトには、実際にそういう例が載っていた)。
自分の場合、幼児期にさかのぼると、記憶がない、思い出せない部分があちこちにある。たんに他人と比べて記憶力が弱かったんだろうと思っていたが、おそらくそうではない。幼児期に、そのままでは致命的なダメージを受けるような体験をいくつもしたために、その記憶を封印し、無いことにして、その場しのぎで、なんとか生き延びてきた可能性がある。それらをもし掘り起こしたら、今までにない巨大なダメージを食らい、最悪、恐ろしい結果になるかもしれない。
ある強烈な体験で、その後の記憶が完全に欠落しているものがある。たぶん本当に思い出すとヤバいものなのだろう。そんな欠落が、過去の記憶の中にいくつもある。無数の不発弾が体中に埋まったまま生活しているようなものだ。安易に触れたら、洒落にならないことになるかもしれない。だから、うかつに治療は出来ないと思う。
今のところは鬱になっても、苦しいのは本当に苦しいが、生活が困難になるレベルではないので、今のままでなんとかやっていくつもりでいる。自分は詩人で、鬱抜けのときに良い詩ができたりするし(精神疾患のあるアーティストは、みんなそうらしいが)、ほかにしようもないから、このままでいくしかない。これ以上悪化したら専門家に頼るしかないが、その場合は神経科で薬を出してもらうことになるだろう(じつは経験あり)。もう歳だから、先も短いしね。
親が両方死んでからは、自罰傾向は徐々に減り、現在では、もう誰かにいじめてもらうとか、虐待してもらうようなことはなくなっている。だが、その代わりに鬱に苦しめられている感じだから、なんも変わっていない気もする。少なくとも歳を経るごとに、状態や状況が良くなっていくことはなさそうだ。
鬱になると、もう次の季節を迎えることなく死ぬに違いない、という絶望に苦しむが、じつは五歳の小一のとき既に、どうせ二年生にあがる前に死ぬだろう、と絶望していたので、同じである。もう、自分はこういう人生だ、と把握でもしておくしかあるまい。分かっていたからって、鬱が来たらどうせギャーで何も出来ないし、なんも変わんないんだけど。
とりあえず、人に感謝だけは出来るだけしておくつもり。今度はいつ出来なくなるか分からないから。
ここまで読んでいただいて、本当にありがとうございます。
・蝉は地底の生き物で単に死にに出てくるだけだそうだ
普通の人たち、ならびに普通の表現者にとっては、親の愛を得ることは意識すら必要ない当たり前の大前提であり、作品はそれの「上乗せ」でしかない。逆に、それをろくに得られなかった代用としての作品しか作れない自分は、端から普通の人たちと同じ土俵にあがるどころか、そこに達すること自体が決してありえず、死ぬまで一般人の誰にも及ばない、はるか下のレベルでうろうろするだけである。この世に達しないということは、死者の世界にいるのと同じだ。要するに幽霊である。逆にいえば誰とも無関係なのだから、なにも気を使う必要はない。幽霊だから、誰にも声が届かなくても気にすることはない。当然、成功する必要もない。というか世間に達しないのだから子供と同じであり、成功も失敗もない。人として出来損ないに生まれ育ったなら、無理に人になる必要はない。少し前までそれが分からず、なぜ自分は成功できないのかと苦しみ続けた。それは無駄ではなかった。今わずかに気楽になっているから。幽霊だから、幸福はほんのわずかでよい。もう無理に光の中へ顔を出したがって、地の底から這い出ようと躍起になることはないだろう。闇が自分の住処である。
ただ一つ問題は、そのせいで死ぬまで虐待され続けること笑。ガキだの幽霊だの開き直ってるやつは社会から「あーそうかい」とバカにされ殴られ潰される。幸い爺で人生あとわずかだし、差別の横行した昭和世代なので、自分が理不尽な目にあっても「自分はダメだから、やられても仕方がない」とまあまあ納得できる。自分にとって良いことはそれくらい。またこれも昭和の強み(?)だが、男が自ら犠牲になるのは美徳だと思えるので少しは気楽。もちろん若いほうがいいに決まってる。体力があって未来が多いだけで、まだ人生に猶予があって希望になる。最近知ったが、蝉は地底の生き物で地上には単に死にに出てくるだけだそうだ。まるで誰かを見るようだ。詩的ですね。せめてうるさく鳴けたらいいね。




