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荒野のデイジー  作者: Ono


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9/10

永久の別れ

 アルカンタラの浅い階層は、外の原生林とも地上の世界とも、そしておそらくタルタロアとも隔絶した場所だった。

 天井がある、とは言えない。頭上には奈落のような暗闇が広がっているのにどこからともなく光が満ちている。その光に色はなく、ただ視界は確保されているだけだ。

 足が踏みしめるのは石でも土でもなかった。一歩進むたびに虚ろな音のする、本当に存在するのかも不明な場所に俺たちは立っている。


「なんか感覚がおかしくなりそうだね。異空間っていうか亜空間っていうか……ラスダンっぽくはあるけど」

 俺の隣でヒナが小さく囁く。彼女にしては珍しく声が落ち着いていなかった。

「ここは本来どちらの世界にも属さない、境界を繋ぐために魔帝が作り出した幻の架け橋なのだろう。俺からすれば呼称があることのほうが不思議に感じるよ」

「だってラストダンジョンが名無しだったら攻略の時に困るでしょ?」

「……よく分からないが、そういうことではない気がする」


 アリエルたちは魔帝のいるアルカンタラの最奥へと進んでいた。見送る時のナタリーの顔を思い出す。いつもならば共に行くと言い張るところを、黙って残った俺を見て妹は何やら嬉しそうだった。

 きっとお見通しなのだろう。後退路の確保という名目は嘘ではないにせよ、俺が入り口に残るのはそれだけではない。

 ロベルトはすれ違いざまに俺の肩を叩いて、「しっかりやれよ」と言った。出会った当初を思えばずいぶんとお節介焼きになったものだ。


 奇妙な色の光が明滅する中、物陰から這い出てくる魔物はどれも歪な形をしている。原生林の植物にも似て、しかし鉱物のような質感を持ち、剣で斬りかかってみれば実体がない。

「あのもやもやしたのはアンノウンAからF、ランダムに属性が決まってて、弱点をエンチャントしてコアを壊せば倒せるよ」

「弱点を特定する方法は?」

「出の速いトライアタックで!」

「了解」

 ヒナの言う通り、剣を構えて踏み込む。剣先から迸った炎と氷と雷は小さなものだが、どれが通るかで敵の属性は速やかに暴かれた。

 境界に溶けかけた存在は核を壊すと形を失って霞のように散っていった。


「グレッグの戦い方は鮮やかだね~」

「君の助言が的確なおかげだ」

「えへへ。実戦で役に立てない分、せめて応援くらいはね」

 俺たちには退路の確保という仕事がある。地上の原生林は常に蠢いており、通路が塞がれてしまえば奥にいるナタリーたちの逃げ道もなくなってしまう。

 単純だが、油断すれば終わる。そういう任務だった。戦闘の発生率は高く、敵は今の今までこの世界に存在しなかった異界の生物。ヒナの持つ敵の知識が勝利の鍵となる。


 それから一刻ほど、黙々と戦い続けた。

 ヒナはしっかりと俺の後ろに付き従って隠れ、敵を確認して倒し方を告げる。

 大きな波はこなかった。地上と地底の境界は魔物にとっても居心地が悪いのだろう。しかし散発的に、絶え間なく霞のような影が通路から滲み出てくる。

 剣を一閃するたびに魔帝との決戦が行われているはずの奥地から震動が届いた。ロベルトの爆撃か、ナタリーの破壊魔法か。

「……アリエルたちはどうなっているかな」

「ラストバトルの内容教えよっか?」

「いや、やめておく」

 下手に知っていても不安に駆られそうだ。ヒナが「知ってる」とはどういう感覚なのかと、時々思う。


「ねえ、グレッグ」

 小休止の隙にヒナが声をかけてきた。振り向けば、彼女はアリエルたちがいるのとは違う方向を見ていた。

「あっちに何かある」

 よく見ればいつの間にか、辺りに漂っていた奇妙な光が渦を巻いている。

「タルタロアへの入り口に似ているようだが」

「うん。あれはたぶん……他の異世界に繋がってるんじゃないかな。私がいた世界、とか」

 あっさりと言うが、俺は胸の内で静かに息を呑むはめになった。


「君が帰るための入り口か」

 あるいはこの世界から去るための出口と呼ぶべきか。

「かもしれない。全然違う世界に繋がってるかもしれないけど。確認しに行く?」

「行かなくていい。今は退路の確保が優先だ」

「……うん。そりゃそうだけど」

 嘘はついていない。ただ本当のことをすべては言っていないだけだ。

 あの光の近くにヒナが立ったら、境界に引き込まれてしまうかもしれない。そうはならないかもしれない。ともかく、近づけたくなかった。俺がどこからその権利を持ってきているのかは、自分でもよく分からないまま。


 再び魔物が現れ、俺は前を向く。剣を振るって霞を散らす。

 震動が大きくなった。シルヴィウスとの戦いが決着に近づいているのか。俺はそこに意識を向けながら、同時に背後のヒナを確かめ続けていた。

「グレッグって、戦ってる間もずっと私のこと見てるよね」

「安全のためだ」

「でも前に集中したほうがいいよ? こっち、外から敵が入ってくるってことはないんだからさ」

「そういう問題じゃない」

「じゃあどういう問題なのかなー」

 それには返事をしなかった。ヒナはしばらく待ってから、小さく笑ったような気がした。


 激闘による振動が次第に静まっていく。長い沈黙の後に、微かにナタリーとロベルトの声が聞こえた。遠すぎて何を言っているのかはよく分からないが、嘆いている声ではないことは分かる。アリエルがいつものように苦笑交じりに応える姿が浮かぶ気がした。

「終わったのか?」

「そうみたい」

 ヒナの声に、俺は剣を鞘に収めて深く息をついた。同時にあの揺らめく光が少し強くなった。


 シルヴィウスが倒され、タルタロアとの結びつきが解れていく。それに引っ張られるように、あの光もまた動き出している。ヒナは通路の突き当たりを見つめていた。

「……」

 何かを考えているような、何も考えていないような横顔だ。漆黒の髪は境界の光を受けても色を変えない。

「ヒナ」

「うん。なんとなくね、ここがざわざわする」

 胸元を押さえる仕草をする。俺も胸が痛かったが、理由は彼女とは違っているのだろう。


「帰りたいか?」

 問いかけた言葉が、思っていたよりも低い声になった。ヒナの瞳がじっと俺を見上げている。

「向こうの家族とか知り合いが心配じゃないかって言われたら嘘になるけどさ。でもなんか、絶対戻らなきゃ、って感じでもないかな」

「君が長く行方不明で、ご両親はきっと心配している」

「そうだね。だけど、このままあっちに行ったら今度は……」

 この世界とは永遠に別れることになる。


 俺に権利はない。俺の感情で引き留めてはならない。分かっている。分かっているんだ。――それでも。

「帰らないでほしい」

 声に出てしまってから、嘆息が漏れた。用意していた言葉ではなかった。こんなにも唐突に、こんなにも剥き出しに言うつもりではなかった。

 光の渦を見つめて迷っていたヒナが、目を丸くして俺を振り向いた。

「魔帝を倒しても、俺のそばにいてくれないか。これから先もずっと」

「え、ええ!?」

 もう止まらなかった。ここで止めれば後悔すると分かった。いや、ずっと分かっていたことを今やっと認められた。


「我がマグレディ王国は荒野の国、雨の降らない不毛の地だ。誇れるものといえば何があっても折れない民の気概くらいしかない」

 ヒナは何も言わず、半ば呆然とした表情で俺の顔を見つめていた。

「然れども我が愛するマグレディ王国で、君に咲いていてほしい」

 境界の光が揺れる。遠くからナタリーたちの声が近づいてくる。

 ヒナは、嫌だとは言わなかった。


 しばらく黙り込んでいたヒナは、やがてゆっくりと息を吐く。頬が微かに色づいていたように思うのは俺の願望かもしれない。

「あのさ。そんな死亡フラグみたいに言わないでよ」

「……死亡フラグ?」

「戦いが終わる前に終わった後の話をするやつは大体やられるんだから」

「君の世界の法則だな」

「全世界共通だよ、たぶん!」

 口調は軽いのに、声が少し上擦っていた。ヒナは俺から視線を逸らし、入り口のほうへ顔を向ける。

「……お城に帰ってからもっかい言ってくれたら、頷いてあげる」

「一緒に帰ってくれるのか?」

 こちらを向かない彼女の唇は照れくさそうに笑っていた。俺もおそらく似たような顔をしていただろう。それを隠す余裕が、今は少しもなかった。


 ナタリーの声が静寂を破る。

「お兄様! やりましたわ!」

 ロベルトが何事か揶揄してナタリーが怒り、アリエルが静かに宥める。日常が戻ってくる。

 皆を迎えに行こうと足を踏み出した時、ヒナが俺の袖を引いた。宵闇のような褐色の瞳が境界の光を映して揺れていた。

「私、エンディングのあとも見たい。……見る」

 なんとか平静を保って頷いた。口達者を自負していたのに、何の言葉も出てこない。何か言えば確実にナタリーたちの前で恥をかくことになるだろう。

「お城に帰ったらね!」

 ヒナは繰り返して俺の袖を離すと、何事もなかった顔で「ナタリーたちのとこ行こう」と歩き出す。

 通路の突き当たりに揺れる光の渦は、まだそこにあった。しかしヒナは一度も振り返らなかった。


 俺たちが原生林へと脱出すると、魔帝の死によりタルタロアへの道が閉ざされてゆく。数多の異世界へ通じていたであろう渦も、アルカンタラと共にまた姿を消した。

 遠く、空に月が見える。白い光を取り戻したばかりの月が荒野にのぼってくるところだった。

「マグレディ王国って、雨が少ないんだよね」

 隣でヒナがぽつりと言った。

「そうだな。砂と岩ばかりの国だ」

「私のいた国はね、冬は雪で寒くって、なのに夏は雨ばっかりで蒸し暑かったよ」

「……そうか」

 親しみを込めた軽口で、ヒナは故郷に別れを告げた。


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