彼女の歩き方
賑わい始めた午後の通りを歩くと、道行く人々の視線がヒナに集まり始めた。
「なんか見られてる気がする」
「気がするのではなく、実際に見られているよ」
あちこちから声を潜めた囁きが聞こえてくる。まさか魔帝の手先ではないか、あるいは魔帝を超える新たな脅威の先触れか。
この異質な漆黒の髪だ、人々が警戒するのも無理はない。
町の有力者を訪ねて俺が名乗れば人払いをさせることもできるだろう。しかしそれで新たな厄介事を招く可能性もある。引き留められるのも面倒だ。
俺は風除けのマントを脱いで彼女の頭から被せた。
「わっ、びっくりした」
「すまない。これで隠しておいてくれ」
「ああ、髪ね。ありがと!」
ひとまずヒナの黒髪は布地に覆い隠された。瞳を覗き込まれでもしない限り、これで多少は目立たなくなる。
ヒナが現れた時に着ていた服も靴もすでにぼろぼろで、今の彼女はロベルトの着替えを借りている。サイズが合わないこともあって居心地悪そうにしているが、魔力を高める能力を織り込んだナタリーの衣類は予備に回せなかったのだ。
「さて、まずは靴だな」
爆薬や暗器を仕込めるようにしてあるロベルトの靴は、ヒナには重そうだった。
「ナタリーが履いてるみたいな軽いやつがいいなあ」
「魔道士向けのものは防御力は見込めないぞ」
「大丈夫。私の弱さは足装備で変わるようなもんじゃないから!」
「それは大丈夫と言っていいのか?」
「食らったらアウトなんだから一緒だよ」
本当なら軽い鎧でも着込んで身を守ってほしい。だがそう言われると確かに焼け石に水ではあるかもしれない。
店主は女性好みの洒落た刺繍が施された高価な靴を勧めたが、ヒナが選んだのは簡素で軽く、なおかつクッション性が高いものだった。
「こっちのほうがコスパよさそう」
「コスパ?」
「費用対効果が高いってこと」
なるほど。実際的な考え方だな。
新しい靴を履いて何度か地面を踏み鳴らし、次にヒナは服を探す。ここでも彼女が見るのは身に着けた時の動きやすさばかりだった。
女性と買い物にきておいてこんな安物ばかり与えるのは妙な気分だ。
「もし資金面で遠慮しているのなら、余分な着替えを買う余裕はある。もっと贅沢品を選んでもいい」
「ん? べつに遠慮なんかしてないよ。単に走り回りやすい服にしたいだけ~」
そう言ってヒナは簡素なチュニックとズボンを二着ずつ購入した。どうにも調子が狂う。彼女は着飾ることにはなから興味がないようだった。
店を出て、周囲に聞き耳を立てる者がいないことを確認しながら声を潜める。本題だ。
無防備にすべてを呆気なく晒すヒナに、その知識の危険性を理解させるにはどう伝えたらいいものか。
「……なあ、ヒナ」
「何? あっ、あそこの串焼き、おいしそう」
「宿の晩飯が入らなくなるぞ。君は自分が知っていることを隠したほうがいい」
「じゃあ明日あれ買おうよ。私が知ってること、って?」
「異世界の住人であること……は、もういいとして、この『物語』についての話だ」
きょとんとした顔でヒナが俺を見上げてくる。フードで影になった褐色の瞳は宵闇のように深く、彼女の視界に映っている世界がより鮮明に伝わってくる。
「アリエルの居場所とか、敵の弱点とか、そういうやつ?」
「ああ。俺たちが知るべくもないことだ」
「でも攻略情報は共有したほうが便利じゃん」
「便利すぎるのが危険なんだ。君の知識は戦局を根底から変え得る。魔帝がこのことを知れば、間違いなく君を捕らえようとするだろう。あるいは各国の統治者たちが……政治に利用したがる。君は、自分の価値を甘く見すぎている」
「統治者たちってグレッグも含めて?」
「……そう、俺も含めて」
あえて濁した言葉を躊躇なく指摘され、心臓が強く脈打つ。
そうだ。アリエルも魔帝も無視してヒナの知識を持ち帰れば、他国を出し抜いてマグレディ王国が世界の行く末を握ることさえできる。
彼女は、もっと俺を警戒すべきなのだ。
ヒナはあまり納得いっていないようだった。彼女の返答に虚を突かれる。
「誰彼構わず話す気はないけどさ。グレッグなら大丈夫でしょ」
「何を根拠に」
「だって、そうやって忠告してくれるじゃん」
「俺とて人間だ。親切そうに振舞っておいて、いつ君を利用するつもりか分からないだろう」
「グレッグが私を利用するとしたらそれはマグレディ王国のためでしょ。じゃあべつに利用されてもよくない?」
「いや、しかし……」
安易な信頼は危ういと言いたかった。なのに利用されてもいいと言われてしまうと反論が見つからない。
俺は彼女に何を言わせたいんだ?
ヒナは何の曇りもない瞳で俺の顔をじっと見つめている。居た堪れないのに視線を躱すことができなかった。
「君は俺のことを知らないじゃないか」
「まあね。確かに私が知ってるのはキャラクターとしてのグレゴリーだけど。でも今こうして目の前にいるグレッグは、やっぱり私が見てきたグレッグだよ」
思わず息が漏れる。そのため息に込められた意図が何なのか、自分でもよく分からない。
「とにかく、相手は俺だけにしてくれ。ナタリーやロベルトには迂闊なことを話さないように」
「分かった。グレッグなら私がうっかりやらかしてもフォローできるもんね!」
だから、そうする根拠がないと言っているのに、どうして当たり前のように俺が庇うと考えてしまうんだ。
――君が思うほど善良でも誠実でもない。後からそれを知って失望されるのは嫌だ。
夕暮れに染まる市場を抜けて宿に向かう。ヒナは辺りの景色を楽しそうに見つめながら俺の隣を歩いている。
「アリエルは、シルヴィウスと合流すると言っていたが」
「うん。退却させた後に主人公視点に戻って、魔力喪失のイベントがあるの」
「放っておいて大丈夫なのか?」
「大丈夫。レベルが……えっと、能力がリセットされちゃうんだけど、無事に森を出て町で仲間と合流する……私たちはその仲間側だから、アリエルのほうから勝手に帰ってきてくれるよ」
「そうか……」
ヒナは時々こうやって言葉を探している。嘘をつくためではなく、分かりやすくするために。たまに何を言っているのか分からないことはあるが。
そんな風に彼女の人柄を感じるたびに、その無防備ゆえの誠実さを知ることになる。
「主人公の弱体化が最終盤にくるっていう珍しい構成なんだよね」
「そうだな。物語の主人公には苦難が付き物だが、大抵は結末に向かって強くなるものだ」
つまるところアリエルがいる限り俺たちはシルヴィウスに勝つ未来が定められている。彼は文字通り、この物語世界の守護者というわけだ。
そしてヒナは少し早口になって続けた。
「単純なレベリングじゃ攻略できなくて、でも主人公の離脱中に自然と他メンバーを育てることになって、アリエルはサポート能力も高いからラスダンが強制縛りプレイになるのが戦略的で面白いんだ」
「戦略か。あのソウルリンクを使った戦術も『物語』の知識か?」
「そうだよー。ほんとはグレッグとロベルトが交互に魔法を食らって、リンクが切れたら回復して、ってちょっとずつ削る攻略法なんだけどね」
「なぜそうしなかったんだ?」
「だってゲーム画面ならいいけど、リアルに『黙って攻撃食らえ』って言うのは嫌じゃん」
それで自分の身を挺するほうが難しいことだと思うのだが。
互いに役割を分担し、計画的にダメージを与えていく。確かにそれはチェスやバックギャモンのような『ゲーム』と呼ぶに相応しい戦い方だ。
ヒナが時折見せる、自分自身をも駒として扱うかのような冷徹な戦術眼。それは彼女が観客としてこの世界をシミュレーションしてきたからこそ辿り着ける極致なのだろう。
感情を脇において最大効率の勝利を求める。その姿勢はある種の統治者や軍略家に通じるものがある。
彼女は、玉座に向いているのではないだろうか。冷静に状況を分析し、最善手を導き出す能力。それでいて人を思いやる優しさを持っている。
俺が王位に就いた時、隣にいてほしい人に求める素質を――。
馬鹿げた思考が脳裏をよぎり、慌てて頭を振った。
何を考えているんだ。ヒナは政治にも戦争にも無縁な、命のやり取りとは程遠い異世界の住人で、この戦いが終われば去っていく存在だというのに。
「これからも使える戦略があれば教えてくれればありがたいが、無茶をするのはやめてくれ。君は登場人物ではないんだろう」
「登場人物じゃないから無茶しても大丈夫な気がしてたんだけど」
「違うな。それは物語の加護がないということだ」
俺たちには物語上の役割がある。それは筋書きという名の加護、その時がくるまで死なないという一種の保障だ。しかし世界の異分子である彼女にはそれがない。
「私だけ生存フラグが立ってないって意味かあ。考えたことなかった」
願わくばもう少しくらいは考えてほしいものだ。
「……帰る手立てに見当はついてるのか?」
「セオリー的にはエンディングまで行ったら帰れるんじゃないかな。っていうか、ラストダンジョンがタルタロアへの道だから、私がいた世界にまた繋がるかなーって思ってる」
「もし、帰れなかったら?」
「その時は、なるようになるでしょ。マグレディ王国のお城で雇ってくれてもいいよ」
「なかなか魅力的な提案だな」
元の世界に帰れるまでは俺たちについてくる。最初からそういう話だった。重々、胸に留めておかねばならない。
しかし彼女はどうしても帰りたいとは言わなかった。そのことになぜか俺におかしな期待をもたらしている。
宿に戻ると部屋の前でナタリーとロベルトが待っていた。
「おかえりなさい。ヒナ、その服とてもよく似合ってるわ」
「ただいま、ナタリー。気分的には素早さが上がったよ!」
「夕食が運ばれてるから、一緒に食べましょう」
「やったー」
早々に部屋へ引き取ってゆく女性陣に肩を竦め、ロベルトは俺に意味ありげな視線を寄越す。
「で、どうだったよ」
「どうとは?」
「しらばっくれんな」
「何も問題は起きていない」
「お前がお姫さんそっちのけで女を追っかけるなんてよっぽどのことだろ。さっさと自覚しといたほうが身のためだぜ」
余計な世話だと言うのも面倒で、扉越しに彼女の声を楽しそうな聞きながら俺も自分の部屋に向かった。
元の世界に帰れるまで。それ以上のことを望んではいけない。彼女には帰る場所があるのだ。
そう自分に言い聞かせても、胸の奥に何かが引っかかり続けている。




