滞在する不在
プラントゴーレムの核を砕き、戦闘の余韻で空気が震えている。周囲をきょろきょろと見回しながらヒナが不意に呟いた。
「アリエルを見つけるのにアンチサッケード使えないかな」
「それは……どうやって?」
アンチサッケードは初歩的な光の魔法、対象の視野を狭める効果がある。用途は主に侵入や逃亡であり、盗賊が悪用することはあっても実戦で使われることはあまりなかった。
戦闘において敵の視線を逸らすのなら眉間に炎の魔法でもぶつけたほうが早いからだ。
地表に露出した根につまずきそうになったヒナの腕を掴まえて支える。彼女は俺たちというよりもナタリーに向かって話した。
「無機物系の敵には効かないじゃん、あれって」
「無機物系……ですか?」
「あ、そうそう。人間属性でも獣属性でもない敵ね。で、この森にはアリエルしか生き物がいないはずだから」
俺の困惑をよそにナタリーの表情が明るくなる。
「分かりましたわ! わたくしが先頭に立ってアンチサッケードを使えば、それはアリエルにしか反応しないのですね」
「そういうこと!」
「いいこと思いつくじゃねえか、お嬢ちゃん」
ロベルトもまた満足げに頷いて、ヒナの頭をぐりぐりと撫で回した。
「では、ロベルト。ナタリーの護衛についてくれ。あまり離れないように」
「おうよ。後ろは任せるぜ」
「ナタリー、気をつけてね。魔物じゃなくてロベルトに」
「ええ、気をつけますわ!」
「私の妹に指一本でも触れれば塵ひとつ残さず消し去るので覚悟しておけ」
「お前ら俺をなんだと思ってんだよ」
宛てもなくアリエルを探し続けていたが、こうしてある程度の方針が定められた。ナタリーが前衛として魔法を行使し続け、ロベルトがそれを護衛する。
ナタリーほどに連発はできないが、俺も多少はアンチサッケードを使えるので、ヒナを守りつつ後衛で背後を警戒する。この配置なら一方で戦闘が発生した時にすぐ駆けつけられるだろう。
俺はヒナの無機物系という言葉が引っかかっていた。「人間属性でも獣属性でもない敵」……ヒナは独特の体系で魔物を見ている。
彼女の視点では人間の敵も“魔物”の一種なのだ。そしてまたアリエルをそこに加える視点を持っているのも少女らしからぬ冷静さを秘めている。異世界人から見ればこちらの存在は人間も獣も等しく“見知らぬ生物”なのかもしれないが。
生物だけに効果を発揮する無害な魔法でアリエルを探す。まるで軍略に長けた知将の発想だ。感情を脇に置き、戦場を地図として、人を駒として見る視点を知っている。
にもかかわらずヒナは戦争どころか喧嘩の経験もない、無力な少女。知識と思考、そして人柄が釣り合わない。その違和感が警戒に繋がらないのがまた奇妙だった。
先に行くナタリーとロベルトが離れたのを確認して、言葉を選びながら切り出した。
「……アンチサッケードのことなどよく知っているな」
「今のナタリーの推奨レベルだったら習得してるはずだからね」
そういう話ではない。確かにナタリーがあの魔法を習得したのはずっと以前のことだが、それをヒナが知っているのはおかしいと言いたいのだ。
視点の高さが不自然だ。しかもヒナはそれを自覚していない。つまるところ俺が彼女に疑問を抱きつつも警戒できずにいるのは、彼女自身が無警戒すぎるせいだ。
「なあ、ヒナ。そういえば君は最初から私の名前を知っていたような気がするのだが」
ナタリーは城の外では俺を「お兄様」と呼ぶし、ロベルトは決して愛称では呼ばない。誰かが呼ぶのを聞いてヒナがグレッグという名を知る機会はなかった。
もしも彼女が異世界人でなければ、俺の名前くらい知っていてもおかしくはない。しかしそれはとうの本人が否定しているのに。
「知ってるよ。グレゴリー・デ・サヴォアでしょ? マグレディ王国の第一王子、二十六歳、装備武器は剣で、得意属性は水」
そうやって淀みなく答えてくれるから困惑するのだ。……ヒナは自分の知識を、隠すべきことだと思っていない。
騙そうという意志がまったく見られないのだった。
正直なところ女性を詰問するのは心苦しい。それでも捨て置けはしない。ヒナが万が一にも魔帝が差し向けたスパイであっては困る。
「分からないか? 君は知っているはずがないんだよ。アリエルの件についてもそうだ」
「ん? どういうこと?」
「異世界からきたと言ったじゃないか。それも普段は繋がっていない、と。なのにこの世界について、私たちについて、熟知しているのはどうしてだ?」
彼女にとっては見るもの聞くものすべてが初めてであるはず。ヒナは何の衒いもなくあっさりと答えた。
「私このゲームのプレイヤーだったもん」
何を言っているのだろう。
「ゲーム?」
「うん。あっ、ゲームってボードゲームとかカードゲームとかじゃなくって。本の読者って言ったほうが分かりやすいかな。この物語を知ってるっていうか」
「確認したいんだが、君は俺たちを『物語の登場人物』だと言っている……ということで合っているか?」
「そうだよ」
そう……なのか……。
思わず足を止めた俺につられてヒナも立ち止まる。どうすればいい。尋ねる前からあまりにも明け透けに答えてくれる。これでは詰問にならない。
「オープニングはブラッドムーンの回想シーン。主人公の住んでるヴィロン村が魔物に襲われるところから始まって、育ての親がそれで怪我したから、アリエルは魔法を使っちゃうのね」
「育ての親?」
「そう。エドワードとアンナ、村のはずれに捨てられてた赤ちゃんのアリエルを拾った二人。アリエルの力を知ってて、でも白髪だから魔法が使えることは隠すようにって言われてたの」
アリエルは天涯孤独だったのか、初耳だ。彼は自分の過去について多くを語らない。どこか達観したような態度は、そういう経緯からきていたのだな。
「ヴィロン村はアリエルのおかげで守れたけど無双しすぎて怖がられて、いられなくなっちゃって旅に出ることになった。マグレディ王国にきた時にお忍びで町にいたナタリーを助けて、そこからはグレッグも知ってるよね。仲間になったから」
「……ああ」
確かに。我が妹君が「私と衛士隊で魔帝を討伐しますわ!」と言い出して聞かず、魔物の群れに襲われていた時にアリエルに助けられ、その礼にとナタリーが彼を城に連れてきた。それが俺とアリエルの初対面だ。
「それから三人でいろんな町を回って。ロベルト加入は港町ヴェリテ。大陸に渡れなくて困ってたら、発明家のロベルトが船を改造してくれた」
旅のあらましを芝居の筋書きでも諳んじるかのように言われると、これまでの選択が予め定められた“物語”に見えてくる。
だが、まだだ。それはすでに起きたこと。ヒナが俺たちには計り知れぬ途方もない力で世界を俯瞰していたから知っているだけ、という可能性もある。
「君がその“物語”を知っているのなら、これから起きること……世界の運命も知っていることになる」
「うん。シルヴィウスに操られてるアリエルと戦って一回逃げられて、レベルリセットされた状態で再会するよ。シルヴィウスはアリエルの魔力を使ってここの地下に……あ、シルヴィウスはアリエルの実のお父さんだから魔力を吸えたんだけど、それでこの森の地下にラスダンのアルカンタラが現れて、メンバー固定だからここの主人公弱体化でのラストバトルが面白くて」
「ちょ、ちょっと、待ってくれ。ついていけない」
どう語るのか、どう隠すのかで計ろうとする俺を嘲笑うかのようにヒナはまったくもって正直だった。予知にも等しいことをただの事実として羅列する。高密度の情報があまりの速さで提供され、頭が追いつかなかった。
世界を変え得る情報を握っている少女は俺を見上げ、初めて少し淋しそうな顔をした。
「頭やばいやつだと思ってるでしょ」
「……正直、否定はできない」
「だよね。私がグレッグの立場でも思うもん」
馬鹿げている、信じられない、そう一蹴できる段階はとうに過ぎていた。ヒナの言葉が事実であると理解したうえで考える。
「俺が君の立場なら、そのことは誰にも言わない。だから初めて会った時には隠したんだろう」
「そうだね。異世界からきたー、だけでも怪しいのに、先の展開知ってます! までは言えなかったよ。アリエルのこともあるし」
「ではなぜ今すべてを話す?」
「だってグレッグなら大丈夫でしょ。なんで隠す必要があるの?」
心底不思議そうに問われて心臓が跳ねた。
アンチサッケードのこともあるが、話していてよく分かるのは、ヒナには知性と教養があるということだ。なのに俺に利用されるかもしれないとは微塵も考えない。
彼女のまっすぐな信頼はなぜか俺を不安にさせた。
気づけば距離が開きすぎてナタリーたちの姿が見えない。離れたところで俺たちを呼ぶ声が聞こえた。
「お兄様、反応がありましたわ!」
「とっとと合流しろ!」
「……ひとまず、行こうか」
「うん」
これからのことについては隙を見てもっと詳しく尋ねる必要がある。だが今は時間がない。
物語か。ヒナにとって俺が物語の登場人物だったとして、俺自身の認識は変わらない。天の上から誰かが見ていたとして俺は俺の現実を生きるだけだ。
しかしヒナにとってはどうなのか? 彼女の楽観的な態度の源泉は物語を知っているという無自覚な知識にある。
異世界の観客であるヒナは、彼女が知る物語には登場しない人物だ。その知識という強大な武器がヒナ自身に向いた時、“ここ”に存在しない彼女は物語の加護を得られないのではないか。
そんな疑問を口にする暇もなく、俺たちは魔力の渦巻く森の奥へと踏み込んでいった。




