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荒野のデイジー  作者: Ono


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2/3

既知の無自覚

 魔帝シルヴィウスの作り出した樹海は不規則に拡大と収縮を繰り返している。

 さっきまで道だった場所が次の瞬間には茨の壁に閉ざされ、安心して足を置いた岩場が急に泥沼のように沈み込む。

 そんな過酷な環境下で、俺たちの新たな仲間――異世界から来たと自称する少女キクノ・ヒナは、驚くほどに無力だった。


 襲いくる魔物から彼女は今のところただただ逃げ惑うばかりだ。業を煮やしてロベルトが嘆く。

「お嬢ちゃん、もうちょっとお得意の魔法で協力してくれりゃ助かるんだがな」

「へ、私?」

 女性にしては短く切りそろえた漆黒の髪を揺らし、ヒナが首を傾げる。

「私は魔法なんか使えないよ。魔力ないもん」

「ハァ? んな馬鹿な」

「私の世界には魔法がないんだよ」

 その言葉には三人揃って絶句してしまう。いかに異なる世界とはいえ、まさかそんなにも根本的な違いがあるとは思っていなかった。いや、やはり無意識に彼女の元いた世界をタルタロアと結びつけてしまっていたのだろうか。


「ナタリー」

「ええ、お兄様」

 試しにナタリーがヒナに向かって手を翳し、マナドレインで魔力を吸収する。しかし妹君はすぐに手を引っ込めた。

「魔法が、発動しない……ヒナには吸う魔力がありませんわ」

「すでに魔力が尽きているということか?」

「いいえ。もともと、まったくないのです」

 まったくない。魔力が低い、ですらなく。

「しかし、ならその髪は?」


 俺の言葉にきょとんとしながら、ヒナは自分の黒髪を一房つまんで見つめる。

「あ、そっか。この世界の人ってみんな灰色っぽい髪……魔力涸れで色素が薄いんだっけ。シルヴィウスのブラッドムーンのせいで」

 そうだ。今ここにいる誰もまだ生まれていなかった三十年も前のこと、若かりし頃の魔道士シルヴィウスが邪悪な魔法で月を支配し、あらゆる生命から魔力を吸い上げ始めた。

 老人たちの中には褐色に近い瞳を持つ者もいるが、魔力涸れ以降に生まれた俺たちの世代は必ず灰色の髪と瞳をしている。ナタリーのように稀有な魔力を持つ者でさえ、ほんのり青みがかった影があるだけだ。

 それは俺たちにとっては改めて言うまでもない世界の歴史だった。しかし、なぜ異世界の存在であるヒナがその歴史を知っているのだろう。


「その体のどこにも魔力がないのなら、なぜ君の髪はそんなにも深い夜の色をしているのかな?」

「口説いてるみたいなクサい台詞ですわ、お兄様」

「誤解だ、ナタリー! 私は他の女性を口説いたりしないよ。お前の薄鈍色の髪こそ俺たちの愛すべき故郷の城が恵みの雨に濡れたかのように潤いに満ち、」

「あーうるせえうるせえ話を逸らすんじゃねえよ。で、ヒナ。あんたの黒髪は何なんだ?」

「何って言われてもなー。私がいた世界……は髪の色もいろいろだけど、私が生まれた国では大体みんなこれくらいの黒なんだよ」

 よその国に行けば金髪や茶髪が一般的な地域もあるが、ヒナがいた場所では黒髪はむしろありふれていて、そこに魔力の有無といった意味はないのだという。


 父上や母上もブラッドムーンの発動前は金色に輝く髪を持っていたと聞く。しかしその姿は肖像画の中にしかなく、今は二人とも老人のようにくすんだ灰色だ。

 もちろん俺も、ナタリーも、おそらくロベルトも生まれた時からそうだった。アリエルの輝く白髪は少し違う気もするが。

「君の世界は、どうやら根本的にすべてが異なっているようだな」

「そりゃそうだね。異世界だもん」

 なのに平然としているのはなぜなんだ? 彼女の世界では誰もがこんなに悠然としているのか。


 アリエルの探索に苦労する中、ただ魔法を使えないだけでなく、ヒナは体力も乏しかった。

「はぁ、はぁ……ご、ごめん……ちょっと、待って……」

 木の根につまずきかけた彼女を抱き留めるように支える。細い。そして軽い。こんなにも存在感があるのにまるで夢の世界の住人のように儚い。

「ヒナ、大丈夫か?」

「大丈夫~……じゃない……かも」

「お姫さんより体力ねえなあ」

「あら、わたくしは王立衛士隊の皆と一緒に普段から訓練してます。あなたより体力がありますわよ、ロベルト」

「脳筋王女」

「なんですって!」

「私もむしろ体力馬鹿なほうだったんだけど……」

 とてもそうは思えない、という無言の視線を感じ取ったのかヒナはムッとして続けた。

「魔物だらけで、ずっと周りに気をつけながらのハイキングなんて、普通しないもん……普通以上に疲れるよ……」


 魔力がないという事実で体力にも差が生じるのだろうか。それともアリエルの旅に加わって以来、当たり前のように死線を潜り抜けてきた俺のほうが感覚がずれているのかもしれない。

「私が背負って行こうか?」

「え。うーん……さすがにそれは、いざって時にタンクが動けないほうが怖いかも」

 遠慮するだろうとは思ったが、想像した遠慮の仕方ではなかった。案外冷静に状況を見ている。


「深窓の御令嬢ってわけでもあるまいしよ」

「魔法も使えないというのに、そちらの世界で魔物に襲われたらどうしていたのですか?」

「ん? 魔物いないよ。野生動物はいるけど、町に住んでたらそんなの遭遇しないし」

「しかし町でも争いは起きるだろう。巻き込まれた時、どうやって身を守るんだ?」

「身を守る必要がないっていうか、町中で戦闘とか発生しないから」

 それはつまり彼女が争いのない平和な場所で生まれ育ったということだ。

 魔物も野盗もおらず、己の命を脅かす脅威が存在しない異世界。

 ロベルトの言う「深窓の御令嬢」はあながち間違いではないのかもしれない。そんな温室のような場所から、ヒナはいきなりこの死地へ放り込まれたのだ。


 足手纏いになると思う。邪魔にならないようにする。……元の世界に帰れるまで。

 ヒナの言葉は、その軽い口ぶりから感じるよりも切実だったのかもしれない。

「いやー、人間は自然界ではめちゃくちゃ雑魚って向こうでも言われてたけど、こういう環境に置かれると実感するよね」

 魔物に対して為す術がなく、警戒しながら歩いているだけでも精神的に疲弊してしまう。彼女のことは、ナタリー以上によく見てやる必要がありそうだ。

「グレッグの前に出ないようにするから盾役よろしく!」

「……あ、ああ」

 密かに考えていたことを先に言われて動揺した。

 王族である俺を守ろうとする者は多いが、俺に守られることをこれほど堂々と要求する者は珍しい。


 アリエルの痕跡を追い求め、樹海の中を彷徨い続けて一週間。

「こんなに時間かかるとは……」

 今夜のキャンプで焚き火にあたりながら、ヒナが愚痴をこぼした。

「変わり続ける森で、どこにいるか分からないやつを探してるわけだしな」

「くうぅ、地図さえ持ってれば!」

「新しく生まれた森ですもの。魔帝本人ですら容易に地図なんて作れませんわよ」

 さも地図が存在するかのように言うヒナに妙なものを感じつつ、それよりも気になることがあった。


 昼頃からヒナの歩き方は少し不自然だった。本人は平気そうな顔をしているが、やや右足を庇う素振りが見られたのだ。

「足を見せてくれないか」

「ん? あ、うん。ありがとう」

 ヒナは俺の意図を察して素直に靴を脱ぎ始めるが、傍らのナタリーの視線が凍りついた。

「お兄様? レディの肌に気安く触れるだなんて……」

「待てナタリー、誤解だ。私はお前以外に興味がない」

「それはそれで問題発言だろ」

 しゃがんでいるヒナの頭をロベルトが不躾にぐりぐりと撫で回す。

「こんなガキの足なんか見たって仕方ねえよなあ?」

「ガキじゃないわ! ヒナは立派なレディよ!」

 怒ったのはヒナ本人ではなくナタリーだ。同年代として自分が子供扱いされた気分なのだろう。


 この一週間でずいぶんとボロボロになった靴を脱いだヒナの足には血が滲み、皮が剥がれかけていた。

「やはり傷になっているようだね」

「んー。我慢してたけど学校指定の革靴だし、実はわりと限界きてた」

「治しておこう」

 細い足を膝の上に乗せて手を翳す。治癒魔法の青白い光がヒナの傷に触れた瞬間。

「ありが、いだだだだ!! え!? ちょっ、痛!! ヒールって痛いの!?」

「それはもちろん、治癒しているのだから」

 ブラッドヒールは体を必要以上に健康にして自己回復能力を高める魔法だ。本来ならば数週間かけて治る過程を数秒に圧縮するのだから、それ相応の痛みを伴う。

「うぅ……即効性の足つぼマッサージみたいなもの……?」

 そのたとえはよく分からないが、とりあえずヒナの傷は完治した。


 夜になると今日もヒナは自分の掛け布を持ってやってくる。就寝時、ヒナは俺の隣に陣取るようになっていた。嫌とは言わないが奇妙な感覚だ。

「ナタリーにしか興味がないとはいえ、一応私は男なのだが」

「あーはいはい、似非シスコンね」

「……似非?」

「似非っていうのは、向こうでは偽物って意味で」

「いや、意味は分かっているよ。私が聞きたかったのは、なぜそう思うかだ」


 ヒナは無防備に寝転がりながら、あくび混じりに答える。

「だってロベルトは女好きだから論外だし」

 確かに事実だが、付き合いの浅いヒナには知る由もないことだ。

「ナタリーの隣で寝たら間違えて燃やされそうだし」

 それは子供の頃の俺と妹の体験であり、ロベルトやアリエルでさえも知らない些細な思い出だ。

「だから、重度のシスコンって建前で異性を遠ざけてるグレッグの隣が一番安全じゃない? まだ『俺』じゃないから私に興味ないしさ」

「……」

 俺のシスコンが単なる建前だということは、とうのナタリーですら気づいていない。ただの盲目的な過保護をずっと完璧に演じてきたのだから。


 焚き火の爆ぜる音が響く。ヒナはすぐに目を閉じ、安心しきった顔で眠っている。

 俺を警戒するでもなく、かといって地位目当てに近寄ってくる女とも違う。ただ俺の性別も素性も“気に留めていない”のだ。


 異世界からきた身では知るはずのないことを知っている。俺たちの名前、性格、魔帝のこと、アリエルのこと。

 ナタリーたちは「まあ、異世界を越えた力というものでしょう」と納得しているが、それで済む話ではないように思えた。

 ヒナは何を知っているのだろう。なぜ知っているのだろう。

 理解するには、まず俺が彼女のことを知らなければならない。

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