黒き異端の花
轟音をたてて巨大な蔦がしなり、寸前まで俺が立っていた地面を抉り取る。
ナタリーの放った無数の風がその肉厚な葉を切り落とすと、切断面から粘着質の液体が糸を引いて滴った。
悲鳴の一つもあげることなく、魔物本体はまだ蠢いている。
「しぶといわね!」
「ナタリー、出すぎるな。その美しい肌に傷がついたらどうする」
「シスコンやってる場合じゃねえだろーが、王子様よ」
妹を庇いつつ側面から迫る蔦に剣を突き刺して動きを止める。剣身に伝わるのは植物というよりも動物の筋肉を貫く感触だ。
「お兄様の後ろに隠れていたって戦えないわ」
苛立った様子のナタリーがさらに追い打ちをかけてゆく。狂暴化した食獣植物が内側から打たれたように砕け散る。
この異様な森にあてられて我が妹君の魔力が普段以上に高まっているようだ。
「おいおい、お姫さん、盛り上がりすぎて火魔法なんか使ってくれるなよ」
俺が縫いつけている間にロベルトがパイルハンマーを突き立て、根から破壊する。そして魔物はようやく動きを止めた。
まったく植物型の魔物は厄介だ。必死で斬っても一向に倒れやしない。
ついさっきまでは砂漠だったはずの場所に突如として現れた、植物型の魔物が密集する原生林。
鮮烈すぎる緑が目に痛い。雨がほとんど降らぬ我がマグレディ王国の民ですら、このように醜悪な植物を求めはしないだろう。
「森ごと焼き払ってしまえば簡単ですのに」
「さすがは私のナタリー、豪快な発想だ」
「馬鹿か。このどっかにアリエルがいるんだぞ」
「分かってますわよ!」
雪のように白い髪と澄んだ銀色の瞳を持ち、にもかかわらず膨大な魔力を有する我らが守護者――アリエル。
魔帝シルヴィウスに対抗し得る唯一の希望である彼は今、俺たちのもとにはいない。
足元が振動する。
「くるぞ。新手だ」
そう言うが早いか地面が隆起する。咄嗟にナタリーの腕を引いて背後に庇う。
大樹の根から生まれたゴーレムが地を裂きながら現れた。硬質な樹皮に包まれた腕が振り上げられる。
「アイスシールド!」
俺の前に青白い光の障壁が展開され、重い一撃をなんとか受け止める。背後に回っていたロベルトがパイルハンマーでゴーレムの足を砕き、バランスを崩した巨体が傾いたところへナタリーの魔法が降り注いだ。
「ウィンドファング!」
圧縮された空気の塊が核を吹き飛ばすと、地響きと共に倒れた巨体は沈黙し、ただの木片へと戻った。
「きりがないな」
「こんな中、アリエルは無事でいるのかしら」
「ああ……」
アリエルは俺よりも耐久力がある。ナタリーを遥かに凌ぐ魔力と、ロベルトでも追いつけない敏捷性を持つ。普段の彼ならば孤立したところで悠々と切り抜け、俺たちのところに戻ってくるだろう。だが妹に頷いてやることはできなかった。
いつものように皮肉っぽい口調でロベルトが告げる。
「シルヴィウスの野郎に操られちまった時点で、すでに無事とは言えねえぜ」
別れ際の彼の様子を思い出してナタリーが表情を曇らせた。
「……言葉を慎め、ロベルト」
「事実を言っただけだろ」
内心では同感だ。しかし士気を下げる事実をわざわざ口に出す必要はない。
かつて一介の魔道士に過ぎなかったシルヴィウスはいつしか『魔帝』を自称するようになり、あらゆる生命の魔力を吸い上げて地底世界への扉を開こうとしている。
異世界タルタロア――古い伝承、あるいは幼子に聞かせる御伽噺にしか存在しない死者の国。
ただ一人の男の世迷言によって地上の魔力は涸れつつあった。
やっとシルヴィウスを追いつめた時、対峙した魔帝の魔法によってアリエルは精神を操作され、彼の凄まじい魔力はシルヴィウスではなく俺たちに牙を剥いた。
彼を救い出すべくこの森を探索している。しかし彼が今も我々の、世界の救い主であるのか、見つけてみるまで分からない。
ふと奇妙な気配を感じた。咄嗟に剣を構え直して周囲を探るが、ゴーレムを倒したことで辺りは一時の静けさを取り戻している。
「おい、王子様。あれを見ろ」
ロベルトが指差した先には魔力の残滓が黒く渦巻いていた。
「……まさか、本当にタルタロアへの入り口が開いたのか?」
もしそれが異世界に通じているのなら、あちら側から出てくるのは一体何者だ。異形の魔物か、甦った死者か。
正常な動物などいないはずの森で茂みが揺れる。一気に警戒心を高めた俺たちの前に転がるように現れたのは――。
「うわっ、人だ!」
奇妙な衣服を身に纏った、一人の少女だった。
あちらも予想外の遭遇だったらしく、お互いに緊張が走る。
磨いた黒曜石のように艶やかな漆黒の髪、見開かれた瞳は吸い込まれそうな深い濃褐色。それは彼女が魔帝をも超える魔力を有することを示していた。
「君は……何者だ? どこから現れた」
切っ先は地面に向け、しかしいつでも斬るつもりで構える。彼女のほうは俺と目が合った瞬間、奇妙なほどあっさりと警戒を解いた。
「え、グレッグ?」
なぜ名前を知っている? それもまるで旧知の仲のように親しげな呼び方をする。
「ナタリー、ロベルト……うわ、やっぱそうだ」
王族である俺とナタリーだけならまだしも、ロベルトの名まで把握している。
これまでに一瞬でも邂逅したことのある者を思い返すが、これほど鮮烈な黒を持つ者を忘れるはずがない。
絶対に、初対面だ。
彼女はもはやまったくこちらを警戒していない。強者の自負からくる余裕だろうか。
「あ、えっと、私は菊野陽菜……ヒナ、です。ちょっとこの辺で迷子になってたんだけど」
「迷子ってお前、そんなわけねえだろうが」
普通の町娘ならば身を縮ませるであろうどすの効いた声でロベルトが告げても、ヒナと名乗った少女は平然としていた。
「そうだよね。そんなわけないのにね。でもそうなんだもんなあ」
「一体何を言ってますの?」
「うーん。アリエルがいないってことはほぼ終盤でしょ。なんでこのタイミング? 意味分かんない。いやどのタイミングでも意味分かんないけど」
衝撃に心臓が跳ねる。――ここに姿のないアリエルの名が、どうして出てくる。
「もう一度尋ねたい。君は、何者だ?」
「名前以外に紹介できるようなプロフィールないんだもん。八重咲高校二年……とか言っても仕方ないし」
数秒悩み、ヒナは「今から変なことを言います」と前置きして告げた。
「私、別の世界からここに引っ張られてきたみたい」
彼女の言葉に、私とロベルトだけでなく楽観的なナタリーまでも硬直した。
シルヴィウスの邪悪な魔法とアリエルの暴走が生み出した、この魔力の森で、言うに事を欠いて「別の世界からきた」とは。
しかし自分の言ったことの重大さを理解していない無防備さが不自然でもある。彼女からは微塵も敵意を感じない。
「アホらしい。タルタロアから出てきたなんて言うつもりじゃねえだろうな」
引き攣った笑みで我々全員が抱く疑問をロベルトが投げかける。ヒナは、「あ、違うよ」とまたしてもあっさり言ってのけた。
「そんな設定上の異世界じゃなくて、もっとほんとに関係ない、外部の世界で……説明が難しいな~」
そう言って彼女はしゃがみ込み、ゴーレムの断片とそばにあった小さな石を並べて目の前に置いた。見上げる濃褐色の瞳に困惑した俺の姿が映っている。
「このプラントゴーレムの破片が『世界』だとするでしょ。で、『タルタロア』はここに生えてる苔だとするじゃん。私がいた『世界』は、こっちの石ころなの。いつもは繋がってない。でも私はこっちからこっちに飛んできちゃった。たぶんアリエルとシルヴィウスの魔法の共鳴で境界線がバグった、のかな?」
彼女の細い指に触れられ、石は心許なげに転がっている。
「……意味がよく分からない」
思わずナタリーの顔を見た。アリエルがいない今、俺たちの中で最も魔法に精通しているのは我が妹君だ。
「ええ……あり得なくは、ないと思います。魔帝は扉を開けようとしていたのだから」
「アリエルとの接触によって彼奴の想定とは違う扉が開き、そして君が現れた、と?」
世界の転移。魔帝が志す『冥府の顕現』にも似た世迷言にしか聞こえない。
「ってことだと、私は思う。でもほんとにそうなのかは私にも断言できないよ」
実際、ヒナ自身も戸惑っているようではあった。そこに嘘は感じられない。その正直さにかえって動揺を深くさせられる。
ロベルトが困ったように頭を搔く。同性の同年代ゆえにか、ナタリーは瞬く間にヒナの存在を受け入れつつあった。
素性はあからさまに怪しく、言っていることも正直なところ意味不明だが、ここでヒナを野放しにするのもむしろ更なる厄介事を招くように思われる。
「お兄様、ヒナも連れて行きましょうよ。アリエルがいなくなったと同時に現れたんですもの。これも何かの縁だわ」
「そうだな。我が麗しの妹君がそう言うならば」
「んないい加減に決めていいのかよ。犬や猫とはわけが違うんだぞ」
犬猫とはわけが違うからこそ、だ。このよく分からない異端の少女を放置して、魔帝の手先になったらどうする。
ナタリーに期待の眼差しを向け、ヒナが続ける。
「えっと、足手纏いになると思うけど、がんばって邪魔にならないようにするから、元の世界に帰れるまでついて行かせてほしいかな~」
「帰れるまでとは、帰る手立てに心当たりでもあるのか?」
「ない!」
「……はあ」
ともかく放っておけないのは確かだった。




