カルバトの塔 12
三階へと続く階段を駆け上がりながら、メルメルは一人悲しくなってきていた。
――おじいさんの身が危ない。トンフィーの先ほどの言葉が蘇る。考えてしまうとどんどん泣きそうになってしまうから、何とかその事を振り払って、気合いを入れるように、「よし!」と呟いた。
「どうしたのメルメル?」トンフィーが不思議そうな顔をする。
「うんうん。ワタシ……ラインさんの足を引っ張らないように、頑張って戦うわ!」
「そうだね。ぼ、僕も頑張ろ」
「フッ……。どちらかと言うと、頑張って戦うんじゃなくて、いざという時は頑張って逃げてもらいたいがな。しかし、せっかくの二人の気持ちだ――これを渡しておこう」
ラインは言いながら、手にしていた弓と矢筒をトンフィーに差し出した。
「これって、さっき――」
「一応持っておくといい。いざという時は――メルメルを守ってやるんだぞ?」
「え? ……あ、はい!」
実は先程三階へと上がる前に、ラインは倒れた兵士から弓と矢筒を拾っていたのだ。自分に渡す為だったのかと考え、そして、まったく当てにされてない訳では無いのかも知れないと思って、トンフィーは嬉しくなった。肩にやたらと力を入れながら隣を見ると、メルメルは何故かこちらを見て口を尖らしていた。
「い~な~……トンフィー」「……へ?」
羨ましそうにトンフィーが手にした弓を見つめるメルメルに、ついトンフィーは後ろ手に弓を隠してしまった。ラインは堪えられずにプッと吹き出した。
「クックックック……。どうやらおてんばメルメルは、人に守られるだけじゃご不満らしい。それじゃあ――」腰に差した短い方の剣を外し、メルメルに差し出す。「これを持っていろ」
「え! で、でも、それじゃラインさんが――」
「私には、このカルバトの剣があるから大丈夫だ。――さあ」
差し出された剣を、メルメルはおずおずと受け取った。短い方といっても、子供にはずっしりと重く感じられる。これを振るって敵を倒す事など出来るだろうか?
「教えた事を覚えているだろう?」
ラインに言われて、メルメルの頭の中にラインと稽古した記憶が蘇った。
「……はい!」
元気いっぱいに頷いた少女を満足そうに薄っすらと微笑みながら見つめ、ラインは厳しい顔に戻り、前方に視線を移した。再び階段をゆっくりと登って行く。それに続きながら、トンフィーはこっそり弓を構えて弦を伸ばしたり戻したりしていた。
「……三階にも敵の気配はしないな。上の敵も二階に駆けつけたのかも知れない」
三階へと出る少し手前でラインは立ち止まり、子供二人にも止まるようにと手の平をかざした。耳を澄ませるような素振りをした後、一歩ずつ階段を上がって行く。片手を、一本になってしまった剣の柄に添えている。
ラインのすぐ後ろを行くスリッフィーナの長い尾を見つめながら、メルメルとトンフィーは息を殺していた。ラインはゆっくり三階へと上がって、ぐるりと周りを見回す。すると、警戒するように柄に添えていた手をはなし、メルメルとトンフィーを呼び寄せるように手招きをした。ホッとして二人がラインの元へ駆けつける。
「あれれれれ?」「――何にもない……ね」
三階は広々としたフロアで、床には一面に白いタイルが張られていた。そして、トンフィーが呟いた通り、その部屋には一切何にもなかった。敵もいない。
「やっぱり、二階にみんな集まっていたのね。――あ! ほら、あそこに階段があるわ!」
メルメルが指差す先に、確かに上へと上がる階段が見える。今いる場所から、ちょうど反対端辺りになる。
メルメルは嬉々として駆け出した。
ラインは何かを思案するように床をじっと見つめている。メルメルの後を追いかけ、更には追い越して行ったミミとシバが、急にピタリと立ち止まった。そんな事にはお構いなしで、メルメルはスキップするように走り続ける。トンフィーが、動き出さないラインに首を傾げながらも、メルメルを追いかけようと駆け出すと、
「――待て!」
突然ラインが大声を出して、メルメルとトンフィーは驚いて(トンフィーは思わず転んじゃったんだ)立ち止まった。
「ど、どうしたのラインさん?」
「…………」
ラインは無言で歩き出し、トンフィーの横を通り越し、メルメルの横まで来て立ち止まった。そうして、じっと床を見つめている。すると何故か、ポケットの中をゴソゴソと探ってコインを一枚取り出した。
「? ? ?」
不思議そうに首を傾げているメルメルの隣で、ラインは前方にコインをポーンと投げた。そのコイ
ンが床に落ちた、その瞬間、
ガゴーン!
「あーー!」メルメルは思わず悲鳴をあげ、トンフィーはガックンと顎を落とした。
二人が見つめる先には、白く敷き詰めたタイルの床に、ぽっかりと開いた巨大な落とし穴があった。
「な、な、な、な……」
「やはりな……」
その穴は、ミミとシバが立ち止まったすぐ目の前に出来ている。メルメルはあのまま走りつづけていたらと思って、冷や汗を掻いてしまった。しかも、穴をそろりと覗けば、
「うへぇ~……」
呟いたメルメルの横に来て、トンフィーも穴を覗き込む。「……ひえ~!」
「また……ご丁寧な事だな」
ラインは呑気そうな声を出したが、メルメルとトンフィーは青くなってしまった。穴の底は巨大な針が隙間無く敷き詰められていて、鎧を着た骸骨が幾つもその針に突き刺さっていた。
「さて、いつまでも穴を覗いていても仕方ない。行くぞ」
「い、行くって、……どうやって?」
トンフィーは情けない顔でラインを見上げた。嫌な予感がする。
「跳べばいい」
「……やっぱり」
ガックリとトンフィーは肩を落とした。穴の幅は大体三メートルくらいあり、どう考えても「跳べばいい」などと軽く言える距離ではなかった。
「……跳べるかしら?」
メルメルが軽く首を傾げて、トンフィーは目を丸くした。
「む、む、無理だよ! 跳べるわけない――」
泣きべそで叫んだ瞬間、隣でラインが勢いよくジャンプした。トンフィーは再びガックンと顎を落とした。ラインはフワリと着地し、メルメルとトンフィーを振り返った。
トンフィーは無理だと言わんばっかりに、首を振り振り後ろに下がった。すると、隣のメルメルも同じように後退りして、トンフィーはメルメルも同じ気持ちなのだと思って少し安心した。
でもそれは、まったくの勘違いだった。
メルメルは一人、どんどん後退りしていく。どんどんどんどん。どんどんどんどん――。
「め、メルメル?」何故そんなに後ろに下がるのか、トンフィーはまたまた嫌な予感がした。
メルメルはふと立ち止まって大きく深呼吸した。嫌な予感はやっぱり的中して、メルメルは落とし穴に向かって猛スピードで走り出した。
「わ! わわわわわ……」
跳んだ瞬間、トンフィーは思わずぎゅっと目を瞑ってしまった。そうして、そろ~りと片目ずつ開いて見てみると……落とし穴の向こう側でニコニコと満面の笑みを浮かべてメルメルが手を振っていた。
「トンフィーも早くっ!」
トンフィーは思わず泣きそうになった。「ぼ、僕は無理だよ~」
情けない声を出して、首を横にブンブン振っているトンフィーをラインは腕組みをしながら眺めている。その横に立ち、メルメルは、少し困ったなと思っていた。
まさかラインとはいえども、人をおぶってこの距離を跳び越えるのは無理ではないだろうか? だからといって、まさかここにトンフィーを置いて行くわけにはいかない。
どうしようかと、メルメルがラインと同じように腕を組んで首を捻っていると、ふとラインが、既にこちら側に渡って仲良く並んでいた二匹の犬と豹の方に視線を移した。
「スリッフィーナ!」
顎をしゃくって、あちら側に渡るように示す。スリッフィーナは主人の意志をすぐにくみ取って、ヒラリと落とし穴を跳び越えた。メルメルはこれから起こることに気付いてワクワクとして、トンフィーは少しドキドキした。
「トンフィー、スリッフィーナに乗れ」「あ、はい……」
既に伏せをして待っているお利口なスリッフィーナに、トンフィーはおっかなビックリ乗っかった。「わっ!」
すっくとスリッフィーナは立ち上がり、トンフィーという重石など一切感じさせない軽やかさでジャンプした。フワリと降り立ったスリッフィーナの背の上で、トンフィーは高揚して顔を赤らめていた。そんな様子を羨ましそうにメルメルが見つめていると、
ブルブルン!
「――いて!」
突然スリッフィーナが思い切り体をふるわせて、トンフィーは振り落とされてしまった。
「いたたたた……何でさ? スリッフィーナ……」
お尻をさすりながら情けない顔で見上げるが、スリッフィーナはしれっとした顔をしている。
「トンフィーったら、強く毛を掴み過ぎたんじゃないの?」
「そ~かな~? ……あいたた」
「フフフ……。そうじゃない。スリッフィーナはとても気位が高くて、本来は私以外の人間など絶対に乗せたりしないんだ」
つまり、今はラインに指示されて仕方なしにトンフィーを乗せただけだという事だ。メルメルは一つ納得したように頷いた。
「しょうがなく乗せたのに、トンフィーがいつまでも乗っているから腹を立てて振り落としたのね」
「とほほほほ……」
トンフィーは情けない顔で、しばらくお尻をさすっていた。




