カルバトの塔 10
パカラッ、パカラッ、パカラッ!
疾走する馬の背中は激しく揺れて、とてもじゃないが心地良いとは言えず、乗馬も得意では無い(と、言うよりは大の苦手なんだ)トンフィーは、何とか振り落とされないように必死でそのたてがみを掴んでいた。
(――メルメル!)
風圧の為か、感情の高ぶりの為か、トンフィーの目尻には涙が浮かんできていた。霞む目を無理やり開いて前方を見ると、まるで闇の中にぼんやりと浮かぶようにように、カルバトの塔は目の前に迫ってきていた。それと同時に、むせかえるような生臭い風が前方から吹きつけてくる。手綱を握っているペッコリーナ先生の手に、ぐっと力が入った。
「もうすぐ着くわよ……。伏せていなさい、トンフィー!」
言われるがままにトンフィーは体を伏せる。それで仕方なく下を見ていると、びっしりと生えていた草が急に消え失せて、地面が赤色の乾いた土に変わった。感覚的に開けた場所に出た事に気付いて、トンフィーは懸命に体を横にずらし、顔だけ上げて前を向いた。
「――!」
遠目だが、たくさんの悪魔の兵隊が見える。――しかし、何故だか皆、こちらに背中を向けて塔の方に向かって行っているようだ。そちらに、何かあるのだろうか?
ペッコリーナ先生は背中から矢を取り出し、素早く弓を構えた。塔には入口とおぼしき重厚な扉があり、悪魔の兵隊はそちらを目指すように集まっている。扉の左右には、大きな銅像が立っていて、銅像は上から下まで見事な甲冑をつけた兵士の姿を模っており、空に向かって高々と剣を掲げていた。
「ら、ライン! もうあんな所に……」
銅像の足元を見ると、周りの悪魔の兵隊を跳ね飛ばすように動き回る赤い影があって、ペッコリーナ先生は目を丸くした。こちらからそこまでは、まだ百メートル近くある。これだけの数の敵を薙払いながら、あそこまで辿り着くのは容易な事じゃなさそうだ。
「く、来る……!」
背を向けていた兵隊の一人がクルリと振り返って、どうやらトンフィー達存在に気付いてしまったようだ。――慌てたように近づいて来る。周りにいた兵隊もそれに習うように立ち向かってきて、トンフィーは顔色を無くした。ところが、横並びにこちらに向かって来ていた兵隊達の胸に、突如矢が突き刺さり、皆その場に倒れて動かなくなってしまった。体を伏せたまま顔だけで後ろを振り返ると、ペッコリーナ先生が猛スピードで矢を放っていて、トンフィーは目を輝かせた。
「まったく……。切りがないわね!」
どんなに倒しても、次から次へと立ち向かってくる悪魔の兵隊に、ペッコリーナ先生はイライラとした声を出した。休みなく矢を放ち続けながら、ルルル~ララララ~と呪文を唱える。
「――火の針よ!」
叫び声と共に、悪魔の兵隊めがけて無数の針が飛んでいき、五、六人がいっぺんに倒れた。兵隊達は、針の刺さった場所から火を吹き出させて、辺りをのた打ち回っている。ペッコリーナ先生は呪文と矢を放ち続けながら、徐々に入口へと馬を進めて行った。
その姿をチラリと横目で見つつ、ラインは入口の扉に手をかけた。
ヒュ~~……パス!
余裕を持ってかわしたものの、先ほどまで自分の立っていた場所に深々と突き刺さった矢を見て、ラインはギロリと上を見上げた。
パス! パスパスパスパス! ヒュ~~パス!
次々と放たれる矢を、身軽な体で踊るように避けながら、ラインは頭の中で、――厄介だな、と呟いた。
先ほど、二階の外廊下に、弓を構えた兵隊達が並んでいるのが見えた。まさかペッコリーナ先生のようなすごい矢を打ってくる事はないだろうが、切りが無く沸き出てくる兵隊を薙払いながら矢を避けるのは、ラインには多少厄介な事に思えた。ところが、少し扉から離れると矢を打つ手が止まってしまった。――なるほど。中に入るのを阻止するように指示されているのだろう。
ラインは立ち向かって来る悪魔の兵隊に斬りかかりながら、チラリと二階の兵隊を見て、次いで、扉の横に置かれた大きな銅像、それからラインから少し離れた所で敵を蹴散らしているスリッフィーナに視線を移した。
「スリッフィーナ!」
呼びかけると、長年連れ添った赤毛の豹は耳を立ててラインを見た。「行けないか?」大声で問い掛けながら二階の兵隊を見る。
ラインの視線を追って、スリッフィーナも弓を構えた兵隊をじっと見つめた。そして襲いかかって来た兵隊の心臓を鋭い爪で深くえぐると身を翻し、ラインの真横をスルリと抜けて、伸び上がるようにジャンプした。
まずは銅像の台座部分に足をかけ、二度目のジャンプで銅像の腕を蹴り上げ、最後に頭の上を器用に使って飛び上がった。二階の兵隊達は唖然としていたが、このままだとこちらに来ると気付いて、慌てて弓を構えた。しかし、スリッフィーナは二階に飛び込むと同時に数人の兵隊をなぎ倒し、残りもほとんど一瞬で倒してしまったようだった。
一階から見守っていたラインは、弓を構えた兵隊がいなくなった事を確認し、再び扉に手をかけた。思いの外あっさり開いてしまって、少し警戒しつつも中に体を滑り込ませる。
ラインが塔の中に入るのを見て、ペッコリーナ先生はいささか安心した。
――彼女なら、メルメルを助け出してくれるだろう。
勿論、自分も直ぐに後を追うつもりだ。しかし余りの敵の数に前へと進むのが容易では無い。
「ルルル~ララララ~、――火の息よ!」
ペッコリーナ先生がふうっと息を吐くと、その口から炎が勢いよく吹き出して、目の前に群がっていた悪魔の兵隊達が燃え上がり、一気に道が開けた。燃え盛る悪魔の兵隊を跨ぎ越しながらじりじりと馬を進める。
ところが、扉までわずか十メートルの所でアクシデントが起きた。
燃えてプスプスと音を上げている悪魔の兵隊を跨ぎ越そうとした、その時、
「ぐわお~!」
突然、飛び上がるように悪魔の兵隊が起き上がった。
「うわぁぁ!」
ドサッと、トンフィーは地面に叩きつけられて、したたかにお尻を打ってしまった。
「トンフィー!」ペッコリーナ先生が真っ青になって叫ぶ。
トンフィーは一瞬何が起きたのか分からなくて、目をパチクリさせた。
「と、トンフィー……! 早く手を――」
ペッコリーナ先生が体を傾け、手を差し伸べる。それを見てトンフィーは我に帰り、慌てて起き上がった。足元を見ると、先ほど馬の上からトンフィーを引きずり落とした悪魔の兵隊は、再びプスプスと煙をあげ今にも燃え尽きようとしていた。
「さあ。早く、トンフィー……」
トンフィーはペッコリーナ先生の手を掴もうと手を伸ばす。しかし、
「お~……お~……」
兵隊達がわずか数メートルの場所まで迫ってきて、ペッコリーナ先生は仕方なく手を引っ込めて弓を構える。
ヒュッ! ヒュッ! ヒュッ! ヒュッ!
「ルルル~ララララ~、――火の針よ!」
トンフィーは、忙しく攻撃を繰り返すペッコリーナ先生を見上げ、次いで、迫り来る悪魔の兵隊を見回し、自分の力で登るしかないと気付いてぴょんぴょんと飛び上がった。しかし、何度挑戦してもトンフィーには自力で馬の上に乗る事は出来そうになかった。困ったなと、トンフィーが手の甲で汗を拭った、その瞬間、
「サンダーボール!」
「――! 水の壁よ!」
どこからか雷の玉が飛んできて、ペッコリーナ先生は慌てて魔法の壁を作り出した。
ヒヒヒヒーン!
雷の玉はトンフィー達の前に立ち塞がった水が吸い取ったが、魔法に驚いた馬が後ろ足で立ち上がり、トンフィーは思い切り跳ね飛ばされてしまった。
ペッコリーナ先生はその事に全く気付いていない。その見つめる先には、先程魔法を放ってきた張本人が倒れている。既に、こちらの放った矢によって物言わぬ姿になってしまっていた。その者はまわりにいる悪魔の兵隊と違ってまともな人間の姿をしていた。おそらくは小隊長か何かだろう。闇の軍隊の中には、勿論普通の人間もいて、それらが言葉も喋れないような悪魔の兵隊達をまとめているのだ。――それを少し悲しい瞳で見つめて、ペッコリーナ先生はようやく周囲に目を向けた。
「いててて……」「――トンフィー!」
馬に跳ね飛ばされたトンフィーは、運良く足を擦りむく程度の軽症で済んでいた。しかし、直ぐに自分が今いる場所に気付いて蒼白になった。肩がぶつかるほどの場所に、悪魔の兵隊がひしめいているのだ。
「ぐわ~!」「わぁ!」
一番近くにいた悪魔の兵隊が襲いかかって来て、トンフィーは転がる様にして避ける。
「トンフィー!」
叫びながら、ペッコリーナ先生はトンフィーの周りの兵隊に矢を放つ。
「うわっ! ……わわわ!」
「トンフィー! 駄目よ! 戻りなさい!」
トンフィーは兵隊の足元を転がりながら逃げて、いつの間にかペッコリーナ先生からどんどん離れてしまっていた。ようやく少し落ち着いて周りを見れば、もう塔は目の前で入り口のすぐ手前まで来ている。
「トンフィー! ――早くこちらへ!」
ペッコリーナ先生が呼びかけるが、トンフィーは扉を見つめたまま身動きしない。
「トンフィー!」
次の瞬間、トンフィーは扉に向かって走り出した。
「トンフィー! ――まったく! 火の玉よ!」
仕方なく、ペッコリーナ先生はトンフィーを援護するように矢と魔法を放つ。
トンフィーは扉に辿り着くと、大声で叫んだ。
「先に行きます! 先生……僕、大丈夫だから!」
ペッコリーナ先生が頷くのを確認して、トンフィーは塔の中へと飛び込んだ。




