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カルバトの塔 9

 木の下では、手綱を握る者のいなくなってしまった馬が、自由に歩き回って辺りの草をついばんでいた。その馬上では茶トラの猫が二匹、ぼんやりと主の消えていった木を見上げている。

 特にやる事も無くて退屈なトンフィーは、そんな二匹を、更にぼんやりと眺めていた。後ろでスヤスヤ寝息をたてているペッコリーナ先生の、背中に寄りかかってくる重みがだんだんと増してきているし、腕の中では、こちらも気持ち良さそうにアケが寝息をたてている。そんなアケの頭を撫でながら、トンフィー自身も少しずつ瞼が重くなってしまってきていた。そうして――いよいよ瞼が落ちかかった、その時。

 突然、見つめていたミミの耳がピクピクンと激しく動いた。

 トンフィーが驚いて目をパッチと開くと、ミミは勢いよく立ち上がり、カルバトの塔に向かって脱兎のごとく走り出した。その後をシバが慌てたように追い駆けて、あっという間に二匹は走り去ってしまったのだ。トンフィーは目だけでなく、口もぽっかりと開けてそれを見送った。

「い、一体どうしたんだろ……。二匹ともなんだって急に――」


 バザザザザザザザザザーーー!


「うわ~!」

 突然、今度は木の上から何かが目の前に降ってきて、トンフィーは思わず両手で頭を抱え込んだ。

「な、何? ――ら、ライン!」

 トンフィーの悲鳴に目を覚ましたペッコリーナ先生が、落ちるような勢いで木の上から駆け降りてきたラインにたまげて、目を見開いた。

「メルメルがさらわれた! 例のハゲタカもどきだ――先に行くぞペッコリーナ!」

 ラインは叫びながら、既にカルバトの塔に向けて走り出している。残された二人は一瞬ぽかんとした。

「さらわれ……た?」

 その言葉をはんすうして、ようやく二人の眠気は完全に吹っ飛んでしまった。

「メルメルが……ハゲタカもどきにさらわれた! ――た、大変だ!」

 トンフィーが叫ぶと、ペッコリーナ先生は年に見合わない素早さで馬の手綱を握り、勢いよくその腹を蹴った。

「行くわよトンフィー!」

 思わずトンフィーは空の彼方を見上げたが、メルメルを抱えて飛翔するハゲタカもどきの姿は全く見えなかった。代わりに見えているのは、不安を余計に煽るように不気味に佇み、少しずつ近づいてくるカルバトの塔だけだった。


 ――まったく! なんという失態だ、大馬鹿者め! 

 ラインは、胸の中で自分自身に向かって毒づいた。飛び去るハゲタカもどきに抱えられたメルメルの姿が目の裏に浮かぶ。

「――スリッフィーナ!」

 人の足とは思えないような猛スピードで走りながら、ラインは声を張り上げた。

「スリッフィーナ!」

 二度目に声を張り上げた、その時。後ろから獣の走り寄る足音が聞こえて、ラインは前方に大きく飛び上がった。体が落下し始めると同時に、固く温かみのある背中を両足の間に感じた。

「頼む……。急いでくれ」

 赤い毛並みを一撫ですると、ぐんっとスピードが上がったのが分かった。ラインはそれを確かめて、スラリと左右の腰にぶら下げた剣を抜く。


 その者は、かつてハルバルートの城の門番をしていた。

 彼は十一年前のある日、押し寄せる闇の軍隊に飲まれるように、一瞬にしてその命を落としてしまった。その後彼は、ある者によって胸に命の石を埋め込まれ、再びこの世に舞い戻ってきたのだ。

 喜び、悲しみ、痛み、温かさ、冷たさ。

 それらの物が彼に残っているのかは、彼自身にも分からない。ただ、今の彼にある明確な感情は、依存心だけだ。自らに命の石を埋め込んだ主の命令にだけは、絶対に従わなければいけない。――というよりも、従いたいという強い気持ちがあるのだ。

 そうして、その主が命じるままに、このカルバトの塔へとやって来て、毎日他の兵隊と共に不審な者が来ないか入口辺りをウロウロしている。ここに来てからこれまでの間は何事もなく過ごしてきた。――いや。

 一度だけ、彼はキジ虎の猫を見つけて報告した事がある。

 言葉を喋る事の出来ない彼は、隊長の袖を引き猫の見える場所まで連れて行ったのだ。塔の入口で欠伸をしている猫を見た途端に、隊長は真っ赤になって怒鳴り(隊長は普通の人なので、怒鳴る事も怒ることも出来たんだ)彼を殴り飛ばした。彼は口の中を切ってしまい、血の代わりに白い液体を飛び散らせたが、特に痛みはなかった。

 それからは何事もなく――彼には退屈だと感じる心もなかったので――どうという事もなく過ごしていたが、つい先ほど、空の彼方からハゲタカもどきに抱えられた小さな子供がやって来て塔の中へと飛び込んで以来、何だか周りがやけにざわついていた。小隊長達が集まって、何事か話し合っているようだ。そんな様子にも勿論無関心な彼は、何とはなしに塔をぐるりと囲んだ森の方を見つめていた。そして――、

 最初それに気付いたのは、やはり彼だった。

 森の奥から現れた時、遠目だったせいもあるが、彼はそれを一頭の赤い獣だと思った。ただ、恐ろしい程のスピードでその姿が大きくなり、あっという間に目の前まで来た時は、それが獣にまたがった人間なのだという事が分かった。しかし、分かった同時に、彼の胸は深々と剣で刺し抜かれ、青く光る石ごと、彼のかりそめの命は壊れて――終わってしまった。

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