カルバトの塔 8
三人がぽかんとしているなか、待っていてくれと言い残し、どんどん上へ登って行って、あっという間にその姿が見えなくなってしまった。
「うわ~……」
トンフィーが、その身体能力に呆れて、ラインが消えた木をぽかんと見上げていると、メルメルが、よ~しと気合いを入れるように言って馬から飛び降りた。
「め、メルメル、まさか――」「登る気なの? 届かないわよ……」
メルメルはラインの登って行った木を見上げている。しかし、例えジャンプしたとしても一番下の枝には手が届きそうにない。ペッコリーナ先生が、さすがに諦めるのかと思いきや、メルメルはおもむろに少し離れた隣の木に飛びついた。そして――先程のラインと同じようにどんどん上へと登って行く。しかしその木はラインの登って行った木よりも全然背が低く、おそらく上へ登っても、あまり見晴らしが良いようには見えなかった。
二人が首を傾げて見守っていると、メルメルは突然、途中に生えている太い枝の上を歩き始めた。端まで行き前方を見つめる。
「ま、まさか……!」メルメルの見つめる先を見て、トンフィーは顔を青くした。
メルメルの立っている枝に向かって、ラインが登って行った木からも太い枝が伸びてきていた。しかしその枝と枝の間は、ゆうに二メートルはあるのだ。
「め、メルメル! 駄目よ!」
ペッコリーナ先生が真っ青になって叫んだ。メルメルの場所から地面までは十メートル以上あった。トンフィーはゴクリと唾を飲んだ。
「駄目よメルメル! 降りて――」
ペッコリーナ先生の制止が効いたのか、メルメルは枝の付け根に戻るように歩き出した。二人がホッと胸をなで下ろした、次の瞬間。メルメルはクルリと向きを変え、枝の先へと走り出した。
「あぁ! わわわ~~!」
慌てふためいている二人の目の前で、メルメルはぴょ~んと飛び上がり、隣の木の枝へと降り立った。下で、ハ~っと息をはいている二人に向かって誇らしげにブイサインをする。その姿を見て、トンフィーはホッとして、思わず笑った。
「――何がピースよ、まったく! 降りてきたらお仕置きよ!」
安心して怒りが湧いてきたペッコリーナ先生にも気付かないで、メルメルはもう二人から見えなくなる高さまで登ってしまっていた。
ラインはこんもりと茂った葉の隙間から上半身を出して、前方にそびえ立つ――おそらくはこの地方最大の建築物であろう――その塔を見上げていた。訪れた事が三度あり、塔の内部に入った事が二度ほどある。しかし、最上階まで上がった事は無く、いずれも二階にある外廊下から塔の周りを見渡しただけで去ってしまっていた。
「こんな事なら、もっと中を見ておくんだったな……」
一人呟くが、勿論こんな木の上では誰の返事もなく、風で葉と葉がこすれ合う音がサワサワと聞こえてくるばかりだ。そうして、軽くでも風が吹くと、こんな木の上は少し肌寒く、むき出しになった腕が徐々に冷え始めているのを感じた。
さて、そろそろ降りようかとラインが思った、その時、
「ぷはっ!」
「メルメル!」
葉の茂みの中からメルメルが顔を出して、ラインは目を丸くした。
「来ちゃった」
ニッコリと笑ったメルメルを、ラインは半ば呆れながら眺めた。
「――とんだおてんばだな、メルメルは……。これはペッコリーナの苦労が伺える」
「ラインさんだって。――ねぇ、何か見える? うわ~! おっきい……」
言いながら、メルメルは前方の塔を見上げて、興奮した声を出している。
「メルメルは、こんなに大きな建物を見るのは初めてか?」
「もちろん! だって、ワタシの町で一番大きな建物は、大工の親方が作った三階建のお家なのよ? この塔は親方の家の――そうね……。五倍くらいありそうだわ!」
「なるほど。フフフ……。それじゃあ驚くのも無理は無い」
「ラインさんは、他にもこんなに大きな建物を見た事があるの?」
「ん? ああ……」ラインはカルバトの塔を見上げた。「ハルバルートの城はこれよりも大きかったな。それに、他にもこれより高い建物をいくつか見た事がある」
「ほ、ほんとに? うへぇ~……」メルメルは改めてカルバトの塔を見上げた。
他にもたくさんこれより大きな建物が存在する。しかも、こんな大きな塔よりも、更に大きなお城があると言うのだ。メルメルは急に自分がとても小さな生き物になった気がして、少しだけ心細くなった。
「世の中って広いのね……」
「クックック」
メルメルの妙に大人ぶったような言い方がおかしくて、ラインは肩を揺らして笑っている。そんなラインを横目でちらりと見てから、メルメルはもう一度カルバトの塔を見上げた。
「そうだ。こんな大きな建物なら、敵に見つからずに、こっそりおじいちゃんを助け出す事も、案外簡単にいくんじゃないかしら?」
「……中に入ってしまえば、あるいはな。だが――見てごらん」
ラインが塔の下の方を指差して、メルメルは目を丸くした。カルバトの塔のあまりの大きさに驚いて、上ばかり見上げていたから気が付かなかったが、塔の周りはぐるりと大きな広場になっており、そこに豆粒のように人がひしめきあっていたのだ。
「あ、あれって悪魔の兵隊?」
「そうだ。およそ――三百はいるな」
「うへぇ~」メルメルは思わず情けない声を出した。
良く目をこらすと、やけに豆粒がたくさん集まって黒くなっている場所がある。あの辺りに入口があるのかも知れない。
「あんなんじゃ忍び込むどころか、中に入る事も出来そうにないわ……。まさか、あんなに数がいるとは思わなかった」
メルメルはがっくりと肩を落とした。
「まぁ、そう落ち込む事はない。下に降りて、じっくりペッコリーナやトンフィーと作戦を練ろう」
励ますように言って、ラインはメルメルの肩を叩いた。しかしメルメルは、相変わらず不安な面持ちで塔の下を見下ろしている。
「いざとなったらグッターハイムあたりを囮に敵を惹きつけて、その間に我々が中に入るって手もある」
ラインは軽い口調で、何気なくひどい事を言いながらとっとと木を降り始めた。メルメルは目の玉を上にすると、ラインの言葉を反すうして、ぽんっと手を打った。
「な~るほど! ……ちょっと可哀想だけれど、いいアイデアだわ!」
「メルメルー! 行くぞー!」
ラインの声は既に大分下から聞こえる。
「は~い!」
メルメルが下に向かって生返事をして、最後にもう一度と塔を見上げた、その時、
バサバサバサバサ!
「キェ~!」「キャー!」
羽音と共に突風が吹き、メルメルは体が傾くのを踏ん張ってなんとか堪える。しかし――次の瞬間、背中に激痛が走り、体がフワリと浮くのを感じた。
「――メルメル!」
「ラインさーーーん!」
ラインがものすごい早さで元の位置まで木を登って来たが、メルメルはすでに手の届かない場所まで連れ去られてしまっていた。
「それ」は、鋭い鍵爪でメルメルをしっかりと掴んではいるが、どうやらその重さに耐えられる力が無い様で、カルバトの塔に向かって半ば落ちるように飛んで行った。
一見、巨大なハゲタカのようにも見えるが、ウロコのような長い尾が生えていて、直ぐに尋常ならざる生き物である事が分かる。月明かりに一瞬、その首輪がキラリと光った。
不気味な後ろ姿を睨み付けて、ラインはギリリと歯噛みした。
「メルメルーーー! ――くそっ!」




