カルバトの塔 4
「ら、ラインさんの剣て、も、もしかしてカルバト製なんですか?」
興奮し過ぎてすっかりひっくり返ってしまったトンフィーの声を背中で聞きながら、メルメルは瞳を輝かせた。
「そう。この剣は、紛れもなくカルバト族の作った物だ」
――なるほど。良く見ればとても美しい剣だ。柄の部分には精巧な細工が施されている。そして、全体的に青いキラメキを放っているその細工が、ある物をメルメルに連想させた。
「水……」
思わず呟いたメルメルに、ラインが微笑んだ。
「そうだ。この剣ははるか昔、まだトキアの国とカルバト族が仲良くやっていた頃、水の都とも呼ばれているハルバルートをイメージして、カルバト族からトキアの国の女王に親愛の証しとして送られた物なんだ」
「それを何故ラインさんが……」驚いたようにトンフィーが呟く。
「私はかつて、トキアの国、バルディア共和国、イルデ・ミルド公国の――三大国武道大会で優勝した事がある。その時、女王から褒美にこの剣を頂いたのだ」
ラインは何でも無い事のようにサラリと言ったが、メルメルもトンフィーも驚いて言葉を失った。
(思ってたよりもラインさんて凄い人だわ)
メルメルは半ば呆れながら、いまだかざされたままの剣を眺めていた。
(……命の石だわ)
柄には、恐ろしい程に青の濃い大きな石がはめ込まれていた。
「……ラインさんは、どうしてレジスタンスのリーダーにならないの?」
突然の、思いもよらぬ問いかけに、ラインは少し驚いてメルメルを見つめた。濁りの無い二つの瞳が、真っ直ぐに見つめ返してきた。
「め、メルメル……」
後から、トンフィーが慌てたような声を出したが、メルメルは気にせずに続けた。
「おじさんが――グッターハイムおじさんは、リーダーをラインさんに代わってもらいたがっていたわ。ラインさんは昔、赤の大臣だったのでしょう? それなら、確かにおじさんよりもラインさんの方がリーダーになった方が良さそうだわ。きっと、レジスタンスのみんなも喜んで、――何て言うか……その……」メルメルは言葉を探すように、大きな黒目をさまよわせた。「――そう! 活気づくと思うの!」
余りにストレートな発言に、トンフィーは青くなってラインの背中を見つめた。ラインは驚いた顔でしばらくメルメルを見つめていたが、やがて、ふと笑ってゆっくりと剣を鞘に収めた。
「……私はかつて、信念の為に戦っていた」
何の前触れもなく唐突に語り始めたラインに、メルメルは首を傾げた。
「戦いの中では、時に人の命を奪う事もあった。その者達は私の中で亡霊となり、私の足に絡みつき、その重みを引きずるように私は生きてきた。だが――その苦しみも、信念があればこそ耐える事が出来ていたのだ」
ラインは険しい顔で、まるでそこに亡者でもいるかのごとく前方を睨みつけている。
「信念?」
首を傾げて見上げてくるメルメルに、ラインはゆっくりとその青い瞳を向けた。
「私はそれ程の善人ではないが、多くの人と同じように平和というものを愛している。――人が争う事なく、笑顔の絶えぬ世の中。そんなふうになればいいと――そう思わないか?」
問うように言われて、メルメルは考えるまでもなく頷いた。
「……だが、それはあくまで理想だ。完全なる平穏な世の中を作る事など、私ごときの力では出来はしない。この世には様々な人間がいる。同じ人間など二人といないのだから、意見が食い違ったり、分かり合えない事があって当然なのだ。分かり合えなければ――争い事が起こるのも、また、当然だ」
少し難しい話しになってきたが、ラインの真剣な声を聞いて、何とか理解しようとメルメルは頭を捻った。
(……ワタシとドミニクみたいなものかしら?)
気の合わない二人はいつも喧嘩ばかりしているし、時には取っ組み合いになる事もある。
「――しかし、私ごときには何も出来ないと諦めた訳ではない。私なりに出来る精一杯がある筈だと考えていた」
ラインの話に耳を傾けながらも、いつの間にか背中の重みが消えている事にトンフィーは気付いた。
「人が争えば、時に殺し合いになる。その末に殺された者を愛していた人々は悲しみ、笑顔で生きる事も出来なくなる」
ラインの言葉にメルメルは、ニレが妹の話をした時に見せた辛い表情や、トンフィーの悲しい涙を思い出していた。
「私は、苦しむ者を少しでもなくす為に、時には剣を振り下ろす事も必要なのだと考えた。――それが、私に出来る精一杯だと決めた。そして、それこそが私の信念だったのだ」そこでラインは眉根を寄せた。「だが…………」
何かを考え込むように黙り込んでしまったライン。再び口を開くのを、メルメルは辛抱強く待った。 そうしてふと空を見れば、日はいよいよ傾いて、辺りがオレンジ色に染まっている事に気付いた。
「……昔、ある人が私に言った事がある。戦を収める為に戦をしていたのでは、一生争いは無くならず、平和な世の中など訪れはしないと。言われた時は、意見の一つとして受け止めていた。だが、それで自らの信念を疑いはしなかった。――しかし……。赤軍を率いて暗黒王に戦いを挑み、その果てに大敗を喫した時、私はその人の言葉を思い出していた。つまり――私は迷い始めていた。今まで私がやってきた事は正しかったのかどうか……。もしかしたら、間違いがあったのではないか、と」
その迷いを映し出しているかのように、ラインの瞳がオレンジの夕日を浴びて揺れている。
メルメルは「ラインさんは正しかったはずよ! 間違ってなんかいないわ!」と言ってあげたかったが、根拠がなかったし、喉に言葉がつかえてしまったようで声にならなかった。
「人は誰しも生きていれば迷いもあるし、後悔だってするものよ……。もしも間違いがあっても、それを教訓にして過ちを繰り返さないようにすればいいの」
すっかり眠っていると思っていたペッコリーナ先生が口を開いて、メルメルは驚いてしまった。体を捻って後ろを振り返る。どうやらラインも少し驚いたようで、首を捻って後ろを見ている。
「……確かに普通の人間ならそうだろう。だが、私には迷いも間違いも許されなかった。何故なら、私はある時から人の命を預かる立場になっていたからだ。部下達は、自分の本意では無くとも私の命令には従わなくてはいけない。時には私の選択によって命を落とす者もいたのだ。それなのに私が迷ったり後悔したりしてはいけないだろう? 私が部下ならそんな指揮官はごめんだ」
メルメルは一生懸命体を捻って後ろを振り返り、ペッコリーナ先生の顔を見つめた。何か言ってくれるのではないかと期待したが、残念ながら悲しそうな顔をするばかりで、ラインを慰めるような言葉は出てこないようだった。
「――だから、レジスタンスのリーダーにならないんですか……」
溜め息でも吐く様に呟いたトンフィーに、ラインは無言で頷いた。それで話は終わりだと言うように前を向いてしまったラインの背中に、――でも、とトンフィーは言った。。
「誰かが――人間がたくさん集まったら、必ずまとめる誰かが必要だって、思うんだ。園に園長先生がいるように。クラスにクラス委員長がいるように。ラインさんは嫌かもしれないけど。――でも、みんなが望んだら、他にふさわしい人がいないなら、ラインさんはリーダーになるべきなんじゃないかって、思うんだ。僕も――レジスタンスに入ったら、ラインさんの下で働きたいって思うし……」
ラインは驚いた顔でトンフィーを見つめた。そして、メルメルも同じように驚いた顔でトンフィーを見つめた。




