裏切り者 19
ソフィーの顔や、布団からでた腕や肩――いや、蒲団の上からでも分かる。体中、まるでお湯が沸騰した時のようにボコボコと膨らんでいるのだ。
「あ……あぁ……」
トンフィーは恐ろしさの余り、言葉にならない様な声を漏らした。
「フッフッフ……。さぁ――感動の再会だよ」
ベラメーチェの言葉に応えるように、急にソフィーの体の異変が止まった。そして、
「――か、母さん……!」
くわっと、ソフィーが目を見開いた。そのまましばらく、天井を見つめて動かない。
トンフィーは喜んで抱き付くなどという気にはなれなかった。不安と期待に胸を高鳴らせ、様子を見守る事しか出来ない。
「さぁ……。起き上がるがいいソフィー」
ベラメーチェに言われて、ソフィーはむくりと体を起こした。ベッドから足を下ろして立ち上がると、トンフィーには目もくれずにベラメーチェに向き直る。
トンフィーは、一度は死んでしまったはずの母親の顔をじっと見つめた。死ぬ前と何ら変わったところは無い様に見える。やはり、ソフィーは普通の悪魔の兵隊としてではなく、特別な状態で復活したのだろうか? ――いや、まだ分からない。まだソフィーは口を開いてはいないのだ。まともに喋っているのを聞くまでは安心出来ないと思った。
「気分はどうだいソフィー?」
ベラメーチェが優しい声音で話し掛けると、ソフィーは軽く頷いた。
「とてもいいです」
「フッフッフ……。どうやら復活の儀式は完全に成功だったようだねぇ。――ソフィー、あんたを復活させたのはこの私――ベラメーチェだからねぇ。忘れるんじゃないよ……」
「はい……。勿論、分かっております」
ベラメーチェが満足そうに頷く。トンフィーは二人のやり取りを複雑な様子で聞きながらも、心の中では、段々不安よりも喜びの感情の方が強くなり始めていた。
(本当に……生き返ったんだ。母さん……)
じわり、と涙が出てくる。
「それじゃ、あとは親子水入らずでおやりよ。邪魔者は消えるからねぇ」
ベラメーチェはいつものようにニヤ~っと笑い、クルリと踵を返した。
「あ、あの、ベラメーチェ様!」
ソフィーが慌てた声を出して、ベラメーチェの足が止まった。
「……なんだいソフィー?」
「私は、一体これからどうすればよろしいのですか?」
ソフィーが如何にも不安そうに訪ねると、ベラメーチェはチラリとトンフィーに視線を寄こした。
「……ここで、坊やと今まで通り暮らしておやりよ」
ベラメーチェに言われて、ソフィーはトンフィーへとようやく顔を向けた。その瞳を見て、トンフィーは背筋がゾクリとしてしまった。
「今まで通り……ですか? ――ベラメーチェ様と一緒に行ってはいけないのですか?」
ソフィーの目は、まだトンフィーの顔を捉え続けている。どちらかというと睨み付けているというのに近い。しかもその瞳には嫌悪感が浮かんでいる様に思える。トンフィーは「命の石と死者の復活」の本の中に、生き返った息子がどことなく素っ気なく冷たいという話が載っていたのを思い出した。
「駄目だよソフィー。あんたはここで息子と暮らすんだ……。わがまま言うんじゃないよ」
「し、しかし――」
まるで子供にでも言い聞かせるようにベラメーチェが言って、ソフィーはいやいやをする様に首を振った。トンフィーは眉をひそめてそんな母親の様子を見ていた。
「ソフィー……これは命令だよ」ベラメーチェが急に冷たい声を出した。
「…………分かりました」
ソフィーはがっくりと肩を落とし、俯いた。トンフィーはソフィーの余りな落ち込みように、とても惨めな気持ちになった。
(どうして――そんなに僕と暮らすのが嫌なのかな……)
「それじゃあ私は行くよ……。坊や、またね」
ベラメーチェは、意味深な笑いをトンフィーに残して去って行った。そして――、
残されたのは、ほんの一時間前までは互いに自分の事以上に相手の身を案じるほど愛し合っていた、母と子。だが、その母は今まで向けた事の無い目で息子を見つめ、深い溜め息を吐いた。
「……お前がベラメーチェ様に頼んだの? 一緒に暮らすように、って」
冷たい、感情の無いような声に、トンフィーは思わず首をすくめた。
「べ、別に僕は何も――」
「……ふん」
ソフィーは不機嫌そうにトンフィーから視線を外し、どっかりとベッドに腰を下ろした。むっつりと押し黙ってしまったソフィーの様子を、トンフィーはドギマギしながら見ていた。
「か、母さん、具合はいいの? ど、どっか痛い所とか――」
「うるさいな……。別に無いよ」
「そ、それってもしかして命の石のおかげかな? びょ、病気も治ったのかな? ――どう? 母さん、自分では何か体調の変化とか感じたり――」
「うるさい!」
大声で怒鳴りつけられて、トンフィーはビックリしてソフィーの顔を見た。口を歪め、目を吊り上げて、不愉快そうにこちらを睨み付けている。
「少し黙っていろ……。うるさいガキだ――あっちへ行け!」
トンフィーは目を見開いた。
――この人は本当に母さんなのか?
ソフィーは腕を組んで不機嫌そうな顔のまま目を瞑ってしまった。あっちへ行けと言われたので、トンフィーは仕方なしに立ち上がった。肩を落とし俯きながらトボトボとドアに向かって歩き出す。すると、下に落ちていた「何か」を軽く蹴っ飛ばしてしまって、そちらに視線を向けた。
それは茶色の紙袋だった。
紙袋を拾い上げ、瞑想するように目を瞑ったままのソフィーの前まで行った。
「母さん」
呼びかけられて、ソフィーはゆっくりと目を開いた。トンフィーは手にした紙袋を差し出す。
「これ、メルメルのおじいさんに貰ったんだ。サツマイモのタルト。――母さん、サツマイモ好きでしょう?」
パーン、とソフィーは差し出された紙袋を思い切り払い飛ばした。
「そんな物いらないよ。あっちへ行けと言っただろう? 母親の言う事が聞けないのかい?」
ソフィーは背筋の凍るような目で息子を見上げた。
「……分かったよ」
トンフィーはクルリと後ろを向いて大股で部屋を出て行った。
「ニャ~ン……」
自分の部屋へ入ると、いつの間にかアケがベッドにちょこんと座っていて、こちらを見上げ悲しそうに鳴いた。トンフィーはアケを抱えてベッドに倒れ込んだ。
――あれは母さんじゃない。
「ニャ~……」
――もう母さんは、この世からいなくなってしまったんだ……。




