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裏切り者 18

 家の中は静まり返っていた。ソフィーの声は聞こえて来ない。トンフィーが帰って来たことに気付いていないのか。それともいまだに意識が戻っていないのか。

 出来ればトンフィーは、いつものようにソフィーに「おかえり」と言って貰いたかった。そうすればこの恐ろしさと悲しみでカチカチに凍ってしまった心が、少しは溶けるかも知れない。

「ニャ~ン」

 トンフィーの腕を飛び出して、チリチリと鈴を鳴らしながらアケがソフィーの部屋へと入って行った。そのちょこちょこ走る可愛い後ろ姿を目で追いながら、トンフィーはドアを背にして茫然としていた。余りに立て続けに色々な事が起こりすぎた。頭の中はぐちゃぐちゃで、だけれどもぐったりと疲れて、整理する気も起きないのだ。

「ニャ~ン! ニャ~ン! ニャ~ン!」

 アケが激しく鳴いている。トンフィーはハッとしてドアにもたれていた体を起こした。

「ニャ~ン! ニャ~ン!」

 心臓が激しく高鳴り始める。ただならぬアケの鳴き方。ソフィーは夕べから意識がない。トンフィーが帰って来た事にも気が付かない。

 ――お迎えが来たみたいなんだ……。

 ドク、ドク、ドク、ドク。

 トンフィーは自分の心臓の音に息苦しくなりながら、フラフラとソフィーの部屋へと向かった。

「ニャ~ン……ニャ~ン……」

 ベッドの枕元にアケがいる。ソフィーの顔を覗き込むようにして、悲しい声で鳴いている。トンフィーは、ソフィーの顔が見える一歩手前で立ち止まった。

 そして、ゆっくりと首を伸ばすようにして枕元を覗き込む。

 眠るように安らかな顔で瞳を閉じた、愛する母親の顔がそこにあった。

 十二年間、欠かすことなく毎日見続けた顔だ。怒ると、時にはその目が般若のように吊り上がる事もあったが、トンフィーは暖かくて優しい自分と同じ色をした薄茶色の瞳が大好きだったのだ。

 その瞳は、残念ながら今は瞼が固く閉じられていて見えない。

「かあ……さん?」

 小さな声で呼びかけて見た。――全く反応は無い。

 胸に、どっと後悔の波が押し寄せてきた。やはり傍を離れるべきじゃなかった。一日手を繋いであげていれば良かった。

(こんな薄暗い部屋で――一人で――たった一人きりで)

「母さん……」

 再び呼びかけ、涙に濡れる目を向けたその時、ピクリとソフィーの瞼が動いた。トンフィーは目を見開く。

「か、母さん!」

 ソフィーはとてもゆっくりと瞳を開いた。トンフィーは喜びで涙が溢れ出し、止まらなくなった。

「……た……」

 小さな、小さな声でソフィーが何か呟いた。

「えっ? 何母さん」トンフィーは慌ててソフィーの口に耳を寄せた。

「良かった……」

「な、何が? 何が良かったの母さん?」

 一生懸命呼びかけないと母親が再び目を閉じてしまうのではないかと思って、トンフィーは声を思い切り張り上げた。

「頑張って……良かった。お前に……最後に、会えた。ちゃあんと、神様って、いるんだね」

 ――最後。

 ソフィーの言葉に、トンフィーは唇を噛んだ。

 ――泣いている場合じゃない。一言も聞き逃しちゃいけない。

「トンフィー……。負けないでおくれ」

「……………」

「愛する私の子、負けないで……」

 ソフィーはそう言って、ゆっくり瞳を閉じてしまった。安らかな顔だ。薄っすらと微笑んでいるようにさえ見える。


「……母さん?」

 

 トンフィーはまなじりが裂けそうな程目を見開いた。


「母さん、母さん、母さん!」


 母親の肩を何度も揺する。

 トンフィーは、本当はもう分かっていたのだ。もう、二度とソフィーが目を開く事はないと――。

 その魂は、手の届かない遠い場所に行ってしまったのだと。しかし、トンフィーは呼びかけずにはいられなかった。すぐには受け入れる事が出来なかった。

「母さん! 母さん! 母さん……。かぁ、さん……。うぅ――あぁぁ」

 母親の亡骸にすがりついて泣きじゃくるトンフィーの頭に、アケは何度も体をすり寄らせていた。

 チリチリリ、チリチリリン……。

 

 何時間そうしていたのか。時間の感覚も無くなって、流しても流しても枯れない涙で、ソフィーにかけられている布団をグッショリと濡らしながら、トンフィーはソフィーの最後の言葉を思い出していた。

 ――負けないで。

(何に……)

 生きる事にだろうか? これから一人きりになってしまうから、負けずに頑張れという事か。

 ――ちゃあんと、神様っているんだね。

(神様なんて――)

 ぎゅっと拳を握る。

(この世から、僕から母さんを奪っていって――)

 トンフィーはガバッと起き上がった。


「神様なんかいないじゃないか!」


 バーン! 


 突然、物凄い勢いで入り口のドアが開いた。いつもなら飛び上がるところだが、今のトンフィーは、心も体も反応が鈍くなってしまっている。

 ゆっくり首を巡らせ、入り口に立っている人物に目を向けた。

 上から下まで漆黒の衣装に身を包み、肩にイタチのような見慣れない生き物を載せた「あの女」が立っていた。

(そういや、ベラメーチェというんだっけ……)

 ぼんやりした頭でトンフィーは考えていた。ベラメーチェは音も無く傍まで近づいてきて、真横に来た所で立ち止まった。

「遂に死んじまったのかい?」

 片眉を上げて、少しおどけたような顔でソフィーを見つめている。トンフィーはそんなベラメーチェを無表情で見上げた。

「さて。――どうする坊や?」

 ベラメーチェは視線をトンフィーに移し、その右手の拳を差し出しニヤ~っと笑う。ゆっくりと、拳を開いた。

「……………」

 そこから出てきたのは、トンフィーの握り拳くらいありそうな程に大きな、青い色の石だった。トンフィーの瞳はそれに釘付けになった。

「フッフッフ……。勿論使うだろう?」

 トンフィーはゴクリと唾を飲み込んだ。

 ――トンフィー、負けないでおくれ……。

「大丈夫さ。今までと全く変わらず母さんと楽しく暮らせるよ。坊やの母さんだってそれを望んでいるだろうしねぇ」

 トンフィーは母親の顔を見つめた。頬や瞼に赤みがさし、まるでまだ生きているかのようだ。先程と同じように目を開き、再びこちらに語りかけてきそうなくらいだ。

 ――負けないで。

「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。すぐに済むからねぇ。――さぁ、おどき」

 ベラメーチェは、ソフィーの前に立っているトンフィーを手で追い払おうとした。

「……駄目だ」トンフィーは、逆にその手を振り払う。キッと顔を上げてベラメーチェを睨み付けた。

「なんだい。――どういう事だい?」

「やっぱり止めた。命の石は使わない! 母さんはそんな事望んでない!」

 このセリフに、ベラメーチェは一瞬鼻白んだ顔になった。目を細め、トンフィーを見下ろす。

「今更なんだい。いいからおどき!」 

「もういいんだ! 命の石なんていらないから、あの手紙を返してよ!」

 ベラメーチェの顔が恐ろしく歪み、ダーンと物凄い力でトンフィーの肩を掴んで跳ね飛ばした。

「……うぅ」壁に叩きつけられて、トンフィーは痛みに顔を歪める。

「――ふんっ。そこで大人しく見ているがいい。……マクロトラナリデ、ペカレスケラーデ」ベラメーチェはブツブツと呪いの様なものを唱えながら、手の平に載せた命の石を高く掲げた。「タスマルバコダ! フレキラバコダ!」

 命の石がぼおっと光りを放ち始める。

「や、やめろ……」

 呟いたトンフィーをベラメーチェはチラリと横目で見て、ニヤ~っと笑った。

「ロリノロリノロリノロリノロリノ――」

 ソフィーの胸に、青白く光る命の石を押し付ける。


「やめろーーーーー!」


「ブラキオベラメーチェ!」


 一瞬、目を背けたくなる程の眩い光を放ち、ズブリ、とソフィーの胸に命の石が沈み込んだ。

「……………………」

 そして訪れた静寂。ソフィーはピクリともしない。

(もしかしたら、失敗した……とか?)

 トンフィーはホッとしたようなガッカリしたような、複雑な気持ちでソフィーを見つめていた。

「…………?」

 ――気のせいだろうか? ソフィーの顔の表面が何だか動いたような気がして、トンフィーは身を乗り出した。

 ……ボコ……ボコ……。

「――!」

 今度は完全に気のせいではなかった。ソフィーの頬や額の肉が盛り上がったり引っ込んだりしている。

 ボコッ……ボコボコッ……ボコボコボコ……ボコボコボコボコボコボコ!

「――わ、わあぁ!」

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