裏切り者 7
翌朝――トンフィーは、いつもより一時間も早く園へと行った。教室の机の上に鞄を投げ捨て、急いで図書室へと向かう。
「オハヨウ! オハヨウ!」「グッモーニング! キエー! キエー!」
途中、廊下でピッピーとトリンケトラが挨拶してきた。
「おはよう。トリンケトラにピッピー!」
足早に通り過ぎると、背中越しに二匹の会話が聞こえる。
「アナタハイツモガミガミガミガミ! ソリャア、ダンナダッテイヤニナルワヨ!」
「ガミガミガミガミ、ワタシダッテイイタクナイノヨ! ダケドアノヒトッタラ、イクライッテモ!」
両手で耳を塞ぎながら、トンフィーは大急ぎでその場から離れた。
朝から賑やかなのは鳥達だけらしく、廊下は静まり返っている。遠く離れても二匹の声がいつまでも小さく聞こえる程だ。通い慣れた図書室のドアを開けると、誰もいない室内はいよいよ静かだった。自らの足音がとてもよく響く。実は、調べたい事があってこんなに早く(だってそもそも、トンフィーはいつもメルメルより三十分も早く来てるんだ)に、園にやって来たのだ。トンフィーは普段からしょっちゅう図書室に来て調べ物をしたり勉強したりしているから、目的の本がどの辺りにあるかおおよその検討は付いていた。
(えっと、確かこの辺に……。――あった!)
少し高い位置にある本を背伸びして取り出す。その場でパラパラとめくり中身を確認する。
(うん……。この本で良さそうだ)
満足そうに一人頷いて、本を持ったまま部屋の奥へと向かう。奥には大きなテーブルと、それを囲むように椅子が数脚置いてあり、トンフィーは、奥の隅の一番お気に入りの席へと座った。先程見つけ出した本をテーブルの上へと置く。
ナンブラカラコッツ著『命の石と死者の復活』
しばらく表紙を見つめ、ゆっくりめくり始める。
――まず、始めに。「命の石」とは何か。
そもそも命の石とは、トキアの国のカルカッチャ山の麓の洞窟から産出される青い石の事で、大きな魔力を含んでおり、もとは魔力増大の為のアクセサリーや、装備品、あるいは占いの道具などに使用され、トキアの国の(現在は闇の王国)最大の輸出品とされていた。
ちなみに、「命の石」の結晶であり、その「命の石」の数百倍の魔力を持つと言われている物が「女王の石」である。
「女王の石」とはトキアの国の女王の証しとして代々受け継がれてきた、二つの対の石の事である。
――トンフィーは無言で次のページをめくる。今のところトンフィーの知らないような事は載っていない。
女王には、石と共に受け継がれる復活の呪文というものがあり、「女王の石」と復活の呪文を合わせる事によって、失われた命を一度だけ救う事が出来ると言われている。そして、この事に目を付けて編み出されたのが「命の石」による死者の復活である。これは俗に悪魔の技法と呼ばれ、暗黒王の腹心でもある闇の王国の魔法使い、フィメロが編み出したものだ。
――まだトンフィーの求める問いへの答えは出てこない。更に先に進む。
悪魔の技法…。まだまだその詳細は謎に包まれているが、幾つかあきらかになっている点もある。
まず、死者の復活に必要不可欠なのは勿論「命の石」である。その「命の石」に、能力の高い魔法使い(恐らく二級以上の魔法使いと思われる)が、特別な魔法をかけるのだ。
この「特別な魔法」がいかなる魔法かは、残念ながら分かっていない。
特別な魔法をかけられた「命の石」を、死人の心臓に埋め込む。すると、その者は新たな命を得て復活するという。これこそが「悪魔の兵隊」と呼ばれる存在になのである。
――トンフィーは深い溜め息を吐いた。
これまではトンフィーの知らない新しい情報は何も載っていなかった。顔を上げ、壁に掛けられた時計を見る。
――もう、三十分経ってしまった。
慌てて先をめくる。
悪魔の兵隊とは、一体どのような存在なのか?
「命の石」を埋め込まれて復活した者は、決して生前のままとはいかない。肉体は腐り、脳もしっかりとは機能しなくなる。
私の知り合いにクラスラーと言う男がいる。流行り病で父親を亡くしてしまったのだが、彼はごく普通の葬儀をして、その死体を墓に埋めた。ところが十日後、何者かに墓を掘り起こされ、父親の死体を奪われてしまったという。後に分かった事だが、この地域の墓は全て闇の軍隊に暴かれ、死体は悪魔の技法によって悪魔の兵隊にされてしまっていたのだ。
さて。後にクラスラーは、トキアの国の兵士として闇の軍隊と戦う事になり、悪魔の兵隊となった父親と再会する事となる。
しかし、残念ながら彼の父親は、再び出会えた事を喜べる状態ではなかった。
かろうじて父親と分かる面影があるものの、片目は抜け落ち、皮膚は腐り溶けかけ、鼻がもげるような悪臭を放っていたという。それでも彼は父親に必死で呼びかけ、何とか家へ連れ戻そうとした。だが、相手は全く実の息子を認識しておらず、喋る事もままならなかった。頑なに戦い続け、矢が刺さり、片腕を切り落とされようとも逃げ帰ろうとはしない。諦めたクラスラーは、自らの剣で、泣く泣く父親の心臓に埋まった「命の石」を突き壊して、悲しい再会に別れを告げたという……。
トンフィーは思わず本を閉じた。
――やっぱり悪魔の秘法なんて……。
しかし、先日の女の胸に埋め込まれた「命の石」が頭の中に蘇り、閉じた本に目を落とした。
――あの人も悪魔の兵隊なのか? ……そんな風に見えなかった。
頭を振りながら、再び本を開く。
先程のクラスラーの話からも分かるように、悪魔の兵隊とは、ただ「命の石」によって動かされているだけの、魂の抜け殻の様な存在である。「命の石」を使って自らを復活させた者の命令を、死ぬまで遂行する事のみを目的とする存在なのだ。しかし――、
――嫌気がさして、ほとんど流すように読んでいたトンフィーは、この先に書いてある文章を見て目を見開き、顔を本に三十センチほど近づけた。
――しかし、何事にも例外というものがある。大方の悪魔の兵隊は腐った体をしているがこれは全てに当てはまらず、命の石を埋め込まれた時点で腐食は止まるので、真新しい死体であれば姿形は生前とあまり変わらない事もあるのだ。だが、それでも意思の無い、主の操り人形である事に変わりはないが……。
――トンフィーはがっかりして体を起こす。目線を上げ再び時計を見る。――あと三十分しかない。大した期待もなく先をめくった。
ところが、更に驚くような情報を私は入手した。
今度は、私の知り合いの知り合いの知り合いに、フィッツィという女性がいる。数年前に、彼女は戦で息子を亡くしていた。そして、先ほどのクラスラーと同じように、息子を墓に埋めたその日に、墓を暴かれ死体を奪われたのだそうだ。
ところが、その一年後に隣の町で全く生前と変わらぬ姿の息子に出会ったという。
私は直接フィッツィに話を聞く事にした。彼女は興奮して目をキラキラと輝かせながら語ってくれた。
フィッツィの息子――名をネムロンと言う――は、母親の姿を認め、「やあ、お袋」と、以前と変わらぬ呼び方で向こうから声をかけてきたと言う。一体全体どういう事なのかとフィッツィが聞くと、胸に埋め込まれた「命の石」を見せて、こう言ったというのだ。
「オレはベラメーチェというお方に、悪魔の技法で復活させて頂いたのだ」
このベラメーチェが何者かは分からないが、フィッツィは私の前で涙を流し、ベラメーチェという人物にとても感謝していると言った。
ネムロンは以前と比べると若干冷たいと言うか、素っ気ないような感じはしたが、昔の記憶もあり、喋る言葉も仕草も前とは変わらなかったという。ただ、フィッツィがいくら家に帰るよう頼んでも、それには応じてはくれなかったらしい。何でもネムロンが言うには、「私を蘇らせてくれたベラメーチェ様に、ご恩を返さなければいけない」のだそうだ。
私はフィッツィの話に驚き、この例を参考に他にも様々な情報をかき集めてみた。するとこの様な例が他にもいくつかあり、それを総合して分析した結果、いくつかの驚きの事実が浮かび上がってきた。
――トンフィーは興奮してページを先へめくる。ようやく求めていた答えを得られそうな予感に、こっそり後ろから覗いている人物がいる事にも全く気付かなかった。




