ミミとシバ 5
―― 一時間目 歴史 ――
「では、教科書の三十一ページを開いて」
ペッコリーナ先生が言って、皆一斉にパラパラと教科書をめくった。
メルメルは教科書を適当にめくりながら、早くも、お昼休みにならないかな~、などと考えながら欠伸をしていた。
「そういえば、そろそろ今学期も終わりですね。一年の締めくくりにまとめのテストでもやってみましょうか?」
「えーーー!」生徒達は悲鳴を上げる。
思わずメルメルの眠気も吹き飛んでしまった。チラッと左隣を見ると、想像通りトンフィーは平然としていた。
「まぁまぁ……。テストとは言っても、隣の人と話し合いながら答えを埋めていくっていうだけにするから、そんなに難しくはないでしょう?」
まだ他の生徒からは不満げな声があがっているけど、メルメルは密かにラッキーだなと思っていた。だって隣はトンフィーだ。
「それじゃ問題用紙を配るから後ろに回していって下さいね。一年勉強してきたことのまとめなんだから、真面目にやるように。楽しいお喋りの時間じゃありませんからね!」
メルメルはプリント用紙を後ろに回しながらチラッと問題を覗き見てみた。
『問一 闇の王国の暗黒王が、トキアの国の女王を人質にして起こした戦争を何というか?』
(これは分かるわ。青暗戦争ね)
『問二 では、問一が起こったのは星歴何年?』
(………………)
「ね、これ何年だっけ?」
メルメルに声をかけられ、問題用紙に目を通していたトンフィーは顔を上げた。
「ん? 今が二二五五二年でしょ、青暗戦争が起こったのは、メルメルが生まれた年だから……」
「十一年前ね。じゃあ……二二五四一年だわ」
トンフィーは満足そうに頷いた。「そうだね。机をくっつける?」
「そうしましょう」
トンフィーが、ガタガタと机を引きずっている間にメルメルは次の問題を見てみた。
『問三 かつてトキアの国には七人の大臣がいた。大臣達はそれぞれ一つずつの異なる色の石を持っており、その色にちなんだ呼び名が付いていた。その名前とは、白の大臣、黒の大臣、赤の大臣、紫の大臣、黄の大臣、橙の大臣で、後り一人の大臣の呼び名は?』
「何だっけ? 紫なんていたかしら? えーと、白、黒――」
「どれどれ? ……ああ。ほら、これはずっと最後まで抵抗し続けて、行方不明になってしまったと言われている大臣だよ。みー――」
「みー…………みどりね! 緑の大臣だわ!」
「正解。じゃあ、次。問四はずいぶん長いね。青暗戦争で、何処からともなく現れた暗黒王は、女性しか王にはなれないという決まりがあるトキアの国を滅ぼし、自らが王なって闇の王国を作った。激しく抵抗したトキアの国を打ち負かした最大の要因と言われた、俗に悪魔の技法と呼ばれているものは一体何か? ……命の石による死者の復活だね」
「悪魔の兵隊じゃなくて?」
「これは技法についての問だもの。それによって作られた兵隊の名前を聞いている訳じゃないから」
「そっか。……でも、本当に死んだ人が生き返るのかしら?」
メルメルが不思議そうに言うと、トンフィーは何故かとても小さな声になって言った。
「本当さ。僕、母さんの薬を買いに隣町に行った時、見たことあるんだ。数人の悪魔の兵隊が一列になって歩いていたんだ。何だかすごく臭かったし、皮膚もボロボロだった。マンガに出てくるゾンビみたいだったよ」
メルメルは思わず想像してブルブルっと震えた。
「もしもワタシが死んでも、絶対悪魔の技法だけはやめてね! ゾンビはゴメンだわ!」
「でも、元々魔力の強かった人なんかは、同じ悪魔の兵隊でもほとんど生きていた頃と変わらなかったりするらしいよ? 噂だけども……」
トンフィーの言葉にメルメルはうーんと唸って考えこんでいたが、急にハッと顔をあげた。
「じゃあ、もしかしたら私達の町にも悪魔の兵隊がいたりするんじゃない? だって生きていた頃と変わらないなら、すぐ隣にいたって気づかないもの……!」メルメルは目を見開いた。「ま、まさかトンフィー……」恐ろしげな顔でトンフィーを見つめながら、精一杯体を後ろに引く。
「ぼ、僕は違うよ! ほ、ほら、僕の心臓を見てよ! 青い石なんか埋まってないだろ!」
「こら! そこ、もう少し小さい声で相談しなさい!」
ペッコリーナ先生に注意されてトンフィーは首をすくめている。メルメルは堪え切れずにクスクスと笑いだしてしまった。
「冗談だったら。トンフィーったらやーね、そんなに慌てて。……ぷぷっ!」
「ひどいや、メルメルったら……」
その後、授業が終わるまでずっと、メルメルは思い出してはクスクス笑いを繰り返して、ペッコリーナ先生に何度か注意されしまった。トンフィーはその様子を見ながら耳を赤くし、珍しく少し怒っている様子だった。
――そしてその頃……。
いつものように、のんびり屋のワーチャが大っきな欠伸をしかけたところで、目の前をピューッ! と、いつもの三倍のスピードでミミとシバが通り過ぎていった。ワーチャの欠伸の記録は残念ながら八回で止まってしまった。
さーてさて、二匹は何故そんなに急いでいるのか? 実はとっくにプラムじいさんの家にご飯を貰いに行く時間を過ぎてしまっているからなのだ。
今日、二匹がボルディーのところで遊んだ後、いつものようにおやつでも食べようと、肉屋ラウルの裏のゴミ袋をほじりに行ってみると、
『チュー!』
先客は二匹に驚いてラウルの家の縁の下に開いた小さな穴めがけて、大急ぎで逃げて行った。
ミミのヒゲがピクピクッとして、目にも止まらぬ早さで飛びついたけれど、取り残された細いしっぽの先をかすめただけだった。二匹はじっと穴の前で待ち構えたけれども、まったく出てくる気配が無い。そのうちシバが飽きてきて、プラムじいさんのクタクタ煮の事を考えながら後ろ足で耳の裏を掻いていると……、
『チュチュー!』
シバのすぐ横を別のが通り過ぎて、あっという間にさっきのとは違う穴に入って行った。
ミミが慌ててそちらに飛んで行ったら、今度はさっきまで見張っていた穴から、『チュー!』っと一瞬飛び出して、飛びつく間も無く、またまた同じ穴に引っ込んでしまった。
ミミとシバがそれぞれ別の穴の前に立ち、今度こそ石のようになって動かずに我慢したけれども、どんなに待っても、うんともすんともチューとも言わない。そのうち二匹と仲良しの恥ずかしがり屋のミカミカが現れ、こそこそとゴミ袋をあさって去って行き、お母さん猫のハナチョチョが来て、一緒に穴を覗き込んだりした。そうして、ようやくミミがご飯の事を思い出し(シバはとっくにその事で頭が一杯だったんだ)慌てて走り出した時には、もうすでにいつもの時間はとっくに過ぎてしまっていたのだ。
ミミが慌て過ぎてシバの事を考えないで走るものだから、ミミとシバの距離はどんどん離れてしまう。シバは一生懸命走りながら、頭の中ではササミとレバーのクタクタ煮と大好きなプラムじいさんの顔が交互に、浮かんでは消え、浮かんでは消えしていて、ミミが急に止まってしまったのにも気付かず、「ニャフン!」とミミのお尻に鼻をぶつけてしまった。
ミミは二軒手前の家の塀の影から、じっとプラムじいさんの家の方を見つめている。シバはミミの後ろからひょっこり覗き込んでみた。プラムじいさんの家の大きなドアはちゃんと開いていた。しかし、プラムじいさんの姿は見当たらない。美味しいクタクタ煮の匂いもしない。その代わりに、風に乗ってとても嫌な感じのする、生臭いような、何かが腐ったような匂いが漂ってきた。シバはとてもお腹が空いたけれども、大好きなプラムじいさんにも会いたいけれども、何だか動けずに、じっとミミと二匹して大きなドアを見つめ続けているのだった。




