ミミとシバ 4
教室に向かって二人が階段をかけ上がって行くと、少しぽっちゃりした体を揺らしながら、慌てた様子でペッコリーナ先生が降りてきた。
「ちょっと園長先生を起こして来るから、席について待っていなさい。……まったく、マーヴェラは何度言っても……ブツブツ」
ペッコリーナ先生の姿が見えなくなると、トンフィーはホッと胸を撫で下ろした。
「良かった。先生たいして怒ってないみたい」
「ペッコリーナ先生はいつも、そんなには怒らないわよ」
「でもさ、ほら、喧嘩の後だとさ……」
メルメルは、ペッコリーナ先生が夫婦喧嘩の後に、とても機嫌が悪くなる事を思い出した。
「確かにそうね……。園長先生のおかげで私達へのお小言も忘れてもらえそうだし、ラッキーだわ」
メルメルが機嫌よく教室のドアを開けると、先生がいないのをいいことに、生徒はみんなそれぞれに席を離れてお喋りをしていた。メルメルがいつもの顔ぶれを見回すと、一番後ろのはじの席からニヤニヤ顔でこちらを見ているドミニクの顔が目にとまって、いっぺんで嫌な気持ちになってしまった。
トンフィーは、ドミニクの顔を睨みつけて動かないメルメルの袖を軽く引いた。
「メルメル、席に座ろうよ……」
「…………」
メルメルは一番前の、ドミニクとは真逆のはじの席に(ケンカばかりするから、ペッコリーナ先生に離れた席にされたんだ)座った。トンフィーがその隣にソワソワと座ると、視界の片隅にドミニクが立ち上がってこちらに歩いて来るのが見えた。トンフィーは心の中で、ペッコリーナ先生が早く帰って来るように強く祈った。しかし願いも虚しく、ドミニクは目の前で立ち止まり、相変わらずのニヤニヤ笑いを浮かべながら、トンフィーの机をコンコンッと拳で叩いた。
「おいチビ助」
「何よ、このデカ男!」
「オレはチビ助に話しかけてんだよ! まったく、ママがいないと一人でお喋りもできねぇのか?」
ドミニクにその大きな体を屈めて覗き込まれると、トンフィーは耳を赤くし、泣きそうな顔で俯いてしまった。するとドミニクはトンフィーの首根っこを掴んで持ち上げて、無理やり立ちあがらせた。見上げるようなドミニクの大きさに圧倒され、トンフィーは手の平に汗を一杯掻いてしまった。
「さ~て……。ちゃんと成長しているか、身体検査をしてやろう。――服を脱ぎな!」
「なに言ってるのよ! 放しなさいよ!」
「ママは黙ってろよ! このブスっ!」
メルメルが立ち上がって拳を握り締め、今にもドミニクに飛びかかってやろうかと思ったその時、
「グゥゥゥ……」
ドミニクの後ろから、耳の先の尖った大きな猫のような生き物が現れた。
「ひゃ!」トンフィーは驚いて、思わず飛び上がってしまった。
「……な、何よ、またペットを変えたの?」
メルメルは恐怖で後ろにさがりそうな自分を何とか抑えたけれど、トンフィーは我慢出来ずにヨロヨロとさがって、後ろの机にお尻をぶつけてしまった。
「もう前のは飽きたからな。新しいのを親父に買ってもらったんだ。――どうだ? かっこいいだろう。サーベルって言うんだ。名前はビッグさ!」
メルメルは、そのビッグとやらの首にかかっている、ど派手で趣味の悪い柄の入った首輪を見て、これじゃあ台無しだわと思ってしまった。
「教室の中にペットを入れないでよ!」
すると、ドミニクは教室をぐるりと見回した。「他の奴らだって入れてるじゃねえか」
確かにドミニクの言う通り、教室のあちこちにはウサギのような生き物が好き勝手に跳ね回っていたり、リスを肩に乗せた生徒がいたり、トンフィーと同じように猫を抱いている生徒がいたりした。そして、どの動物も必ずアケやドミニクのサーベルと同じように首輪をつけていた。
「みんなはいいのよ。ドミニクはペッコリーナ先生に注意されたでしょ!」
「それはこいつの前のペットの時だ」
メルメルはあまりの屁理屈に唖然としたが、こちらを見ながらゆっくり長い尾を振るサーベルを見て我に返り、背中に冷や汗を掻いてしまった。
「じゃあ、今度のペットは入れて良いのかペッコリーナ先生に聞いて見るから!」
メルメルが言うと、ドミニクは嫌そうな顔をしてサーベルを顎で示した。
「コイツが勝手に入って来るんだよ」
「何言ってるのよ! ちゃんと言うことも聞かせられないなら、ペットなんて飼う資格ないわ!」
「何だと! 言うことを利かせられないかどうか試してみようか? お前を噛みつくように言ってな!」
ドミニクが怒鳴ると教室は静まり返り、メルメルもトンフィーもさすがに青くなって黙り込んでしまった。
「さ~て……。どうしようかぁビッグ?」
サーベルの背中を撫でながら、ドミニクは勝ち誇ったようなニヤニヤ笑いを浮かべている。
トンフィーは、横で顔を真っ赤にして唇を噛んでいるメルメルの姿を見て、この前の帰り道にメルメルが泣いてしまったのを思い出し(ウンピョウに脅されて木から降りれなくなった事が、よっぽど悔しかったんだ)もしかしたらまた泣くんじゃないかと、一人でハラハラドキドキしてしまっていた。
「は~……。みんなおまたせ! まったく困ったもんだわ本当に……」
ガラガラッとドアを開けて、ペッコリーナ先生が戻って来た。
トンフィーは嬉しくて先生に抱きつきたいくらいだったし、メルメルもホッとして、またまた泣きそうになってしまった。ドミニクは口笛を吹きながら何事もなかった様な顔をして、席に戻って行こうとした。――しかし、
「ドミニク」
ペッコリーナ先生に呼び止められて思わずドミニクは、「何もしてないよ」
「何も聞いてないのに、わざわざ何もしてないなんて言われると、何だか何かをしていたように聞こえるわね~」ペッコリーナ先生はサーベルを横眼でチラリと見た。「ペットは教室に入れないように」
「か、勝手に入って来ちゃうんだよっ」
「じゃあ、檻に入れておきまおきましょうね。――ルルル~ララララ~、――檻よ現れよ!」
ペッコリーナ先生が呪文を唱えると、サーベルは突然現れた光の檻に囲まれてしまった。
「あ、あ~! ビ、ビッグ~」ドミニクは悲鳴をあげた。
メルメルがこっそりと面白い顔で舌を出して見せたので、トンフィーはそれを見て思わず吹き出してしまい、ドミニクに恐ろしい顔で睨まれてしまった。
ペッコリーナ先生はパンパンと手を叩いた。
「はい、それじゃ授業を始めるからみんなちゃんと席に座りなさい! ――ほら、ルーク。あなたのペットがオシッコしているわよ。ちゃんと拭いておきなさい」
慌ててルークが後ろから雑巾を持って来る。他の生徒もそれぞれ席に着いて(ドミニクも肩を落としながら自分の席に戻って行ったんだ)ようやく教室内は静かになった。
「――はい。それでは一時間目、歴史の授業を始めます」




