戦士ライン 14
彼女は、水を打ったような静けさの中、地面を踏みしめる自らの足音をやけに大きく感じていた。夕べ以外に冷え込んだせいで、辺り一面、薄っすらと靄が立ち込めている。
チチチ、チチチ……と鳥のさえずりが聞こえてきて、ようやく朝の訪れを感じさせていた。
ヒュ~~~パス!
林の奥から奇妙な音が聞こえてきた。鳥と彼女以外にも、随分と早起きな者がいるものだ。彼女は奇妙な音の聞こえる方へと、あえて足を進めて行った。そこに何者がいるのか、おおよその検討はついている。
少し行くと大きなヒノキの大木があり、その三百メートル程手前に、ずんぐりとした背中が見えた。普段の立ち姿からは想像出来ない。シャンとしていて、背中に板切れでも入っているかの様に背筋が真っ直ぐ伸びている。そうして彼女は、しばらく声を掛けずに、その背中を見守ってみる事にした。するとその者がおもむろに、背中に背負った筒から矢を一本取り出した。手にした弓に矢をつがえ、ヒノキの大木に向かって矢を放つ。
ヒュ~~~パス!
矢はしっかりと大木に刺さったようだ。その間、わずか一秒もかかってはいない。これが、ハルバルートで他を寄せ付けない名射手、ペッコリーナの早打ちだ。
「朝から精が出るな、ペッコリーナ」
「あらライン! おはよう。随分早起きね」
ラインは微笑む。
「そちらの方がよっぽど早起きだ。汗びっしょりじゃないか、大分前から起きていたんじゃないか?」
ペッコリーナ先生は、首に下げたタオルで額から流れ出る汗を拭う。そして、照れたように笑った。
「違うのよ。大して長く練習した分けじゃないんだけれど……。もう駄目ね。年には勝てないわ。すぐ息があがるの」
「いや、いまだにアーチャーペッコリーナ健在――と言った感じじゃないか」
「そんな事ないわ。当時なら、あと三十メートル手前からでも正確に打つことが出来たのに……」
当時と言うのは、暗黒王が現れる前の、トキアがまだ平和だった頃の事だろう。
歩き出したペッコリーナ先生の脇に並んで歩きながら、ラインはペッコリーナ先生の横顔を眺めた。 ――確かに、少しシワが増えたか……。
「教師という仕事はどうだ? 楽しいか?」
自分より、頭一つくらい大きなラインを見上げ、ペッコリーナ先生はニッコリ微笑む。
「楽しいわよ~。そりゃあ、勿論大変な事はたくさんあるけれどね。やんちゃをする生徒はいるし……。メルメルなんてね、毎日同じクラスの男の子とケンカするんだから」
クスクスと笑うペッコリーナ先生。それにつられてラインも笑ってしまう。
「フフフ。それは――勇ましいな」
「相手はクラスのガキ大将でね。恐らくメルメルに好意を持っているのよ。男の子って、好きな子につい意地悪するじゃない?」
「なるほど……。メルメルは可愛いからな」
「そうなの。それで、メルメルはトンフィーと仲良しだから、ドミニク――そのガキ大将はドミニクって言うんだけど――ドミニクはトンフィーをいじめるのよ。メルメルはトンフィーを庇うでしょ? そうすると、またそれが気にいらなくて、ドミニクはまた二人に意地悪をして……。だから毎日ケンカ。時には取っ組み合いするんだから!」
呆れたように言うペッコリーナ先生。
「男らしくない奴だな。好きなら好きと言って、トンフィーと決闘すればいい。そのガキ大将を殴り飛ばして、根性を叩き直した方がいんじゃないか?」
ラインは怒ったように拳を振り上げ、鼻息荒く言う。ペッコリーナ先生はケラケラ笑った。
「子供の話なのよライン? 勿論、時には叱りつける事も必要だわ。だけれど、大人が介入し過ぎてもいけない事がたくさんあるの。その辺りが――難しくて、大変なのよ」
「そんなものか……」ラインはゆっくりと拳を下ろす。
目の前にヒノキの大木があり、先程ペッコリーナ先生が放った矢が刺さっている。矢は、小さな枯れ葉を突き刺していた。ペッコリーナ先生は矢を引き抜く。
「そんなものね。でも私は、メルメルも、トンフィーも、いじめっ子のドミニクだって、生徒はみんな可愛いわ。子供達はまだ見ぬ未来に向かって、瞳を輝かせながら、不安や戸惑いを乗り越えて、どんどん成長していくの。私はそんな子供達を見守っている事が、とても楽しいの」
自分自身もキラキラと瞳を輝かせながら語るペッコリーナ先生を、ラインは隣でじっと見つめる。
「……私は、とても驚いた」
「驚いた? 何に?」
ペッコリーナ先生がラインを見上げると、ラインは遠い目をして空の彼方を見ていた。先程まで青白いだけだった空の色が、赤く染まり始めている。
「隠れ家には子供がいないだろう? だから、久しぶりに小さな子供達――メルメルとトンフィーに会って、その、無限大の可能性に驚いたのだ」
「無限大の――可能性……」
ラインは地平線の彼方にひょっこり現れた太陽の光に顔を赤く染めながら、キラキラと瞳を輝かせた。
「そうだ。あんな子供達が、未来のこの国を……トキアの国を作り上げて行けば、あるいは暗黒王など、恐るるに足りないのかも知れない……」
「………………」
ペッコリーナ先生は、赤く染まるラインの横顔を見つめ、その瞳の先にある太陽を、目を細めて見つめた。
「時代が……変わろうと、動き出したのかもしれない……」ラインが呟いた。その時、
ガサガサガサガサ! 二人とも驚いて振り向く。
「あ! ペッコリーナ先生とラインさん!」
どうやら林を掻きわけて進んで来たらしく、頭に葉っぱをたくさんつけてメルメルが現れた。朝の光を浴びて、ニコニコと顔を輝かせている。ラインは目を細めて、眩しそうにそれを見つめた。
「――良くここが分かったな」
「声が聞こえたの! 目が覚めたら二人ともいないんだもの。こんなに朝早くに何してるの?」
走り寄ってきて、二人を見上げ首を傾げる。ペッコリーナ先生は、メルメルの頭についている葉っぱを払いながら、「秘密の話し」と、ニッコリ笑った。
「え~、な~に? 秘密って?」
メルメルはワクワクして、ラインに目を向ける。クリクリとした瞳に期待を込めて見つめられ、ラインは少し困ったように笑った。
「えっと、あー……」
「ラインの初恋の話よ」
ペッコリーナ先生が悪戯っぽい顔でウインクした。メルメルは目を輝かせる。
「ラインさんの初恋? どんなの? どんなの?」
「実はね~……」
「こら、ペッコリーナ! ――実は、本当は朝の稽古をしていたんだ」
「朝の稽古?」
ラインの初恋も気になるが、稽古と言うのにもとっても興味を引かれてしまう。メルメルは、またまたワクワクとする。まんまとメルメルの興味が移った事にラインはこっそり胸をなで下ろした。
「私は剣。ペッコリーナは勿論弓の稽古をな。そう言えば――メルメルは将来どんな武器を使いたい?」
へんてこりんな質問だ。普通は、将来使いたい武器など考えたりはしない(ラインは親も兵士で、生粋の武人だから、子供の時からそんな事を考えてるのが普通だと思ってたんだ)。無論メルメルはそんな事考えた事がない。思わず首を捻った。
「う~ん。使いたい武器?」
剣、槍、弓、鞭、斧、色々な武器を頭に浮かべる。メルメルが大真面目な顔で真剣に悩んでいると、ペッコリーナ先生が思わず横で吹き出した。
「うふふ。ラインたら、それを聞くなら将来何になりたいのか、でしょ? 戦士になるかも分からないのに、いきなり将来使う武器なんて……。花屋になりたい子だっているのよ?」
ラインは首を捻って考える。――確かに、花屋に武器は要らない。
「なるほど。では、質問を変えよう。メルメルは、将来何になりたい?」
これもなかなか唐突な質問だ。メルメルは、またまた首を捻って考える。
「それは、大人になってやりたいお仕事と言う事かしら?」
「そうだな。仕事や、夢の様な物でも良い」
仕事……夢……。メルメルははっきりと、「自分のなりたいもの」を決めてはいなかった。腕を組んで、頭を右へ左へ捻って悩む。
(おじいちゃんとお菓子屋さん――は、大人になる前にやりたい事だし、お料理が好きな訳ではないから、コックさんも違うしな……。ワタシはお勉強も好きではないから、トンフィーのように学者にはなりたくないし……)
う~ん う~んと唸りながら悩み続けるメルメルを、ラインとペッコリーナ先生は微笑みながら見守る。
「フフフ。難しい質問だったかな?」
「メルメル、誰か憧れる人なんかはいないの? この人のようになりたい――とか」
ペッコリーナ先生に言われて、メルメルは目の玉を上にして考える。
(ミラークルクルマン――は男の子だし……。ミミとシバのおかげで、半分夢はかなったし(本当はメルメル自身が変身したいから、半分なんだ)憧れる人……)
メルメルは何気なく、悩む自分を優しく微笑んで見ているラインの顔を見た。
(……ラインさんて、初めは少し冷たい感じがしていたけど、全然そんな事なかったわ。とっても優しくて、あったかくて、強くて、綺麗で……)メルメルは、パッと顔を輝かせた。
「そうだわ! ワタシ、ラインさんのようになりたいわ!」




