レジスタンス 6
トンフィーが肩で息をしながら走り寄って来た。その右の肩には自分の革の鞄を下げ、左の肩にはうさぎのアップリケのついたキルトの鞄を下げている。
「どうしたの、トンフィー!」
メルメルは嬉しくてトンフィーに駆け寄り両手を握った。しかしトンフィーは青い顔で固まって、メルメル、ペッコリーナ先生、グッターハイム、そして穴の中の悪魔の兵隊をキョトキョト繰り返し見ている。
「誰かな? お嬢さんのボーイフレンドかな?」
グッターハイムはニヤリと片頬をあげ、ペッコリーナ先生はふぅと溜め息を吐いた。
「こ、こ、これはどういう事? な、何で悪魔の兵隊が……」
「トンフィー、落ち着いて聞いて。あのね――」
「待ちなさいメルメル」
メルメルがトンフィーに事情を説明しようとすると、ペッコリーナ先生がきつい声でそれを制した。
「トンフィー……授業はどうしたの? まだ終わっていないでしょう?」
それ程怒りを含んだ声ではなかったけれども、トンフィーは耳を真っ赤にしてしどろもどろに言い訳を始めた。
「あ、あのっ、僕凄く心配で、お昼休みが終わってもメルメルが帰って来ないから……その、お弁当も置きっぱなしだから……。お、お腹も、空いちゃうだろうしと……」
トンフィーの余りに動揺した様子を(だってトンフィーはメルメルと違って優等生だから、怒られた事なんてほとんどないんだ)グッターハイムは楽しそうにニヤニヤ笑って見ている。
「ククク、とんだ王子様の登場だな」
「だ、大丈夫メルメル? おじいさんは無事だったかい?」
トンフィーに心配そうに訪ねられて、メルメルはどこから話そうか迷ってしまう。メルメル自身もまだ頭の中がこんがらがっているのだ。しかもトンフィーが来てくれて、とても安心してまた涙が込み上げてきてしまったので、それを我慢していると余計に考えがまとまらないのだった。
「トンフィー、あのね」
「メルメル」ペッコリーナ先生が再び話を遮った。少し怖い顔をしている。「……トンフィー、メルメルが心配で授業を抜け出したのは大目に見るわ。でも、あなたはこのまま家に帰りなさい」
「せ、先生!」メルメルは不満の声をあげる。
「で、でも僕……」
「あなたに聞かせられる話じゃないのよ。あなたの優しさは十分分かってる。でもね――」
「いいじゃないかペッコリーナ」
腕を組んで、ドアにもたれながら見守っていたグッターハイムが口を出した。足下にはいつの間にかルーノルノーが寄り添っていて、それに気が付いたトンフィーの肩が少しビクッとした。
「いいって、何がよ?」ペッコリーナ先生はとても不満そうだ。
「王子様にも聞いてもらえばいい。お嬢さんも一人じゃ心細かろうよ」
「私たちがいるじゃない」
「物知り顔の大人だけじゃ不安だろ。見てみろよお嬢さんの顔を。さっきまでよりずっと硬さが取れて、可愛さ百倍じゃないか」
ペッコリーナ先生はメルメルの様子をチラッと見て、グッターハイムに視線を戻した。
「なるべく子供は巻き込みたくないのよ」
怒っているというよりは、どちらかと言うと困った顔でペッコリーナ先生が言う。確かにトンフィーには迷惑な事かも知れない。悪魔の兵隊やら、レジスタンスやら、あげくには暗黒王まで出てくるのだ。ただでさえ怖がりのトンフィーなのだ。メルメルは不安になってしまった。
「僕……巻き込まれてもいいです!」トンフィーがメルメルの不安を吹き飛ばすような大声で言った。
一瞬の沈黙。
「ガハハハハハ! よく言った! なかなかどうして見込みある男だ!」
グッターハイムは大爆笑している。ペッコリーナ先生はまだ渋い顔を崩さないでいる。
「諦めろペッコリーナ。どうせ今帰したところで、後でお嬢さんは全部喋っちまうだろうさ、クックックック」
ペッコリーナ先生は、ハフッと特大の溜め息を吐いた。「まったく……仕方ないわね」
トンフィーとメルメルは顔を見合せてニッカ~と笑った。
足元ではアケとシバが鼻面を合わせて挨拶をしている。グッターハイムのペット、ルーノルノーは呑気そうに欠伸をしているし、ペッコリーナ先生の肩に止まっているピッピーはミミにジッと見つめられて落ち着きを無くしていた。
「センセ! センセ! ギャギャ! ヤダワ、ワタシッタラマタ……ギャギャ!」
「……とりあえず中に入ろう。じっくり作戦を練らなくちゃいけないからな」
「作戦?」
まだ詳しい事情を知らないから、トンフィーはきょとんとしている。しかしメルメルが手を引くと、首を傾げながらも大人しくついてきた。人も猫も狼もぞろぞろと家の中に入って行く中、ピッピーだけは見張りをする為か、あるいはミミが嫌なだけなのか、飛び去って行ってしまった。
家の中に入ると、メルメルのお腹がググ~ッと鳴った。しかし今日は誤魔化す気にも、ましてや歌う気にもなれなかった。
(こんな時でもお腹は空くのね)とメルメルは何だか悲しくなってしまった。
「お昼ご飯抜きですものね。何か作りましょうか?」
ペッコリーナ先生が言うとメルメルは寂しげに首を横に振った。
「ワタシは、おじいちゃんの作ってくれたお弁当があるから大丈夫です」
メルメルの代わりにグッターハイムがお腹をさすりながら、
「ペッコリーナ! 俺も朝から何も食べてないんだ」
「はいはい。それじゃ少し待ってね。すぐに作るから」
ペッコリーナ先生はキッチンに立ってさくさくと料理を始めてしまった。メルメルはそのポッチャリとした後ろ姿を眺めながら、見慣れない景色が不思議なような、プラムじいさんの後ろ姿を思い出して寂しいような気持ちでいた。
とりあえず、ペッコリーナ先生の入れてくれたポカポカジャスミンティーをみんなで飲みながら、メルメルは考え考え、分からない事はペッコリーナ先生やグッターハイムに質問しながら、トンフィーに経緯を説明した。そうしているうちに、メルメル自身もようやく状況を飲み込み始めていた。トンフィーは、戦争の話や暗黒王の話にはやっぱり恐ろしげに顔を青くしていて、話が終わった後もしばらくは茫然としていた。しかし少しすると震える手でメルメルの手を強く握り、珍しく固い声で言った。
「じゃあ、おじいさんを助けに行かなきゃ」
思わず、メルメルはハッとした。トンフィーがそう言うまで、その事には思いが至らなかったのだ。
(その通りだわ。助けに行かなくちゃ!)
「そうね。焼いてしまった紙切れには預かったとあったから、プラムは間違いなく生きているし、恐らくはどこかに捕らえている筈だわ」
ペッコリーナ先生が、出来上がったピラフのようなものを自分とグッターハイムの前に並べながら言った。
「そ、それじゃ早く助けに行きましょう!」
グッターハイムは、ピラフを無言でガツガツ食べ始めた。ペッコリーナ先生は全員分のスープをテーブルに並べていく。
「あり合わせで悪いけど、召し上がれ」
あっという間に出来てしまった料理にメルメルは少し驚いた。ペッコリーナ先生はプラムじいさんの半分の時間で料理を作ってしまった。グッターハイムはすぐさまスープをズズーッと飲んだ。
「なかなか美味いな! さすがベテラン主婦だな」
「そう? ありがとう」
大人二人の呑気な会話を聞いて、メルメルは逆に焦ってきてしまった。
「先生! 食べ終わったら、すぐ助けに行きましょうよ!」
ペッコリーナ先生は溜め息を吐いた。
「メルメル落ち着きなさい。助けるって言ったってどこに行くの? まだ手懸かりが無さ過ぎるわ」
手懸かりと聞いて、とっとと食べ終わったグッターハイムがばつの悪そうな顔をしている。
「でも、早くしないと」
「そんなに焦らなくたって大丈夫さ。紙を燃やしちまった事は本当に申し訳ないが、あれにはこう書いてあった。――爺は預かった。返して欲しければ――続くのは、おそらく何らかの要求だろう。それならまた要求を出しにのこのこと向こうからやって来るさ」
グッターハイムが言うと、ペッコリーナ先生もそれに頷いた。
ところがここで、「そうでしょうか?」トンフィーが首を捻って言った。皆が一斉にそちらを見たので、少し耳を赤くしている。
「果たして、また要求を出しに来るでしょうか? 僕は少なくとも、直ぐには来ない様な気がします」
「何故だ?」グッターハイムは目を丸くしている。
「その敵っていうのがこの町にいるとは思えません。おじいさんがレジスタンスだと知ってさらったのなら、この街には、他にもたくさんのレジスタンスが潜伏しているという事を知っていたでしょう。その可能性が高いと思うんです。それならそんな危険な町に隠れたりはしないでしょう。悪魔の兵隊みたいな目立つ存在が、コソコソ隠れていられるとも思えないし……。だから遠くにいるなら、こちらに要求が伝わって無い事も、直ぐに向こうには分からないじゃないですか」
トンフィーがまるで、授業で問題に答える時みたいにハキハキと発言すると、グッターハイムは何故か愉快そうな顔になった。
「確かにな。だが、いずれは気付くさ。手紙を渡しに行った兵隊がいつまで経っても戻って来ないんだ。そりゃあそうだ。俺が奴を焼いちまったんだからな。おかしいと思って、そのうち様子を見にやって来るさ。そうすりゃあ、そん時こそ、そいつをふん捕まえて……」と指をポキポキと鳴らした。
「それじゃあいくらなんでも呑気過ぎですよ」
トンフィーが突っ込むと、グッターハイムは少々鼻白んでしまった。
「何でだよ? 焦ってもしょうがないだろ。手懸かりもないんだ。いや、そりゃあ俺が悪かったけど……。でも、時には待つことも戦いには必要なんだ。果報は寝て待てと言ってなー」
「善は急げとも言います」
さすがにグッターハイムはムッとした顔になった。トンフィーはその様子に少し怯んだが、珍しくめげなかった。
「あ、あの、ゆっくりしていると、要求に答える気が無いんじゃないかと思われるのが心配なんです。あげくには、悪魔の兵隊を一人倒してしまったし……。こ、交渉が決裂したなんて思われたら、おじいさんの身が危険になってしまうと……」
思わず、その場にいる全員がハッとした。メルメルはドキドキしてきてしまい、じっとして居られなくなって立ち上がった。
「そうよ! 急がなくちゃ!」
興奮して叫ぶと今度はトンフィーが慌てて、メルメルを止める様に手を広げた。
「急ぐって言っても、手懸かりがないと……」
メルメルはムッとした。「何よ! それじゃあ、結局急ぎようが無いじゃない!」
八つ当たりだと分かっていながらも、ついメルメルは怒鳴ってしまった。勿論泣き出す寸前だ。
「まぁまぁ、お嬢さん落ち着いて。だが確かに坊やも悪いぜ。それじゃあ、不安をかき立てただけさ。俺たちだって情報集めくらいはする。だが無闇に焦るなと言っているだけだ」
ペッコリーナ先生がメルメルの隣に座って頭を撫でながら慰めている。ついに泣き出してしまったのだ。
「ピンクのカーテンの人です」トンフィーが、メルメルの様子を気遣わしげに見ながら言った。
「何だって?」
「さっきメルメルが説明してくれた、ピンクのカーテンから覗いていた人です。ルイーズさんだっけ?」
後半はメルメルに向かって言った。しかしメルメルは何となくトンフィーに対して拗ねていたし、怒鳴ってしまったせいでちょっぴり気まずくなっていたので返事をしなかった。代わりにペッコリーナ先生が、
「確かそうね。ルイーズさんがどうしたの?」
トンフィーはメルメルに無視されて、かなり動揺してしまった。
「め、メルメルは前にも覗いてたって言っていたけど、僕も見たことがあるんだ。い、いや、見られた事があるのか……。しかも何回も。メルメルの家に遊びに来る度だから、それこそ本当にたくさん」
グッターハイムは思わず呆れ顔になった。「そりゃあ……怖いオバハンだな」
「いつもピンクのカーテンからコッソリだから、メルメルは気付かなかったかも知れない。つまり、ルイーズさんはいつも同じように通りをコッソリ覗いているんだ」
耳を真っ赤にして一生懸命言うのを聞いて、ようやく皆は、トンフィーの言いたい事が分かってきた。ペッコリーナ先生は誇らしげな顔で我が生徒を見ている。
「僕が聞いてきます。先生やグッターハイムさんでは、余計な事まで勘ぐられてしまうかも知れないし、警戒されてしまうかも知れない。子供の僕が聞いた方が、変に疑われないと思うんです」
確かにもっともだ。大人二人はまさに顔負けといった様子でトンフィーを見つめている。
「ワタシも行くわ!」
メルメルが勢い込んで立ち上がった。トンフィーは少しの間メルメルをじっと見つめた。
「……そうだね。メルメルのおじいさんの事だもんね。よし、一緒に行こう」と言うなりトンフィーもすっくと立ち上がった。
「おお! ちゃんと姫を守って来いよ王子様! 頼りにしてるぜ」
グッターハイムも立ち上がってトンフィーの背中をバン! と叩くと、トンフィーは思わずヨロヨロとよろけてしまった。
「守るも何も直ぐそこに行くだけよ。でも気を付けてね。もう敵は近くにいないと思うけど、一応用心して……」
ペッコリーナ先生が言うと、やや緊張しながら子供二人は頷いてドアを開け、外に出た。




