レジスタンス 4
ペッコリーナ先生は少し青みがかった瞳でメルメルを見据え頷いた。
「ここからが肝心の話よ。さて、と……。――女王様を殺され、白黒両大臣も倒され、ハルバルートの都は完全に敵の手に落ちたのだけれど、残されたトキアの国の人々にはまだ一縷の望みがあったの」
ミミとシバがのそのそと起き上がって、メルメルの狭い膝の上に無理やり乗ってきた。しょうがないので両手で抱き止めて、二匹の一番大好きな首の下をコチョコチョしてやると、コロコロ言いながらまた寝息をたて始めた。そんな二匹の頭をペッコリーナ先生は撫でながら、
「トキアの国には、裏切り者の紫の大臣の他に、まだ一人だけ大臣が残っていたでしょう?」
「……赤の大臣?」
「そうよ。赤の大臣は隣の国との国境で起こった争いを沈めに遥か遠くまで行ってしまっていたんだけれど、知らせを聞いてすぐ取って返し、七日後にはハルバルートの都に戻って来たの」
「七日後……。間に合わなかったんだ……」
メルメルが溜め息混じりに言うと、今度はグッターハイムが話しを引き継いで語り初めた。
「都は落ちてしまったが、まだまだ諦める必要はなかった。赤の大臣率いる赤軍は、トキアの国で一番大きく強かった。赤の大臣自身も国で一、二を争うほどの剣士で、兵士たちの信頼もとても厚かった。赤の大臣が都に馳せ戻って行く途中には、逃げ延びた兵士や、各地で腕に覚えのあった者、果ては鍬をもった農家の親父まで、様々な人々が何とか赤の大臣の役に立ちたいと集まって来ていて、赤軍はその数が三倍にも膨れ上がっていた。そして赤の大臣は、途中で何度となく襲いかかってくる闇の軍隊をものともせず、勝利に勝利を重ねていった――」
メルメルは結果が分かっているのに、何だかドキドキと期待してしまった。
「そして、トキアの国の人々の期待を一心に集めて、遂に赤の大臣がハルバルートの都にたどり着いたのだ……!」
ここで一旦グッターハイムは言葉を切った。そして深く溜め息を吐く。
「――ところがここで、戦局を変えるような重要な問題が起きた。実は赤の大臣自身も、その率いる赤軍も、都にたどり着く直前まで女王が殺された事を知らなかったのだ。女王が殺されたのは都にたどり着く前日だったし、都が落ちてしまったので、赤軍は正確な情報を得られなかったんだ。いざ戦に望むぞというところで、女王の死の知らせが届いてしまった……」
メルメルは不思議に思った。「それがそんなに重要なの?」
女王様が死んだのを知ったのは悲しいだろうけれど、戦いには影響が無い気がするのだ。
「そんなに重要だったのだ。その事にほとんどの者が気づかなかったがな……。それまで赤の大臣は皆にこう言って志気を高めてきた……女王を救い出すのだ!」
「……それなのに女王様が死んでしまっていたから、みんなガッカリして志気が落ちて、それで負けてしまったの?」
首を傾げながら聞くと、グッターハイムは目を閉じ黙り込んでしまった。メルメルは辛抱強く次の言葉を待った。すると突然目を開き、
「分からないのだ」
「え……?」
「お嬢さん、俺にも分からないんだよ。女王の死を知るまで破竹の勢いで勝ち進んできた赤軍が、あんなにもあっさりと負けてしまった理由が……」
遠くを見て、いかにもその時の情景を思い浮かべているといった顔のグッターハイム。そんな、日に焼けた男の横顔を眺めながら、メルメルは話の内容とは関係ない事を考えていた。
――何故、この人はこんなに当時の事に詳しいのか? 教科書には乗っていないような事ばかりで、しかもまるでその目で見てきたように詳細な内容だ。
「私はこう考えたわ。つまりそれが、要を失うことの恐ろしさなのだと」
メルメルは、ペッコリーナ先生もまたしかりだと思う。
「とにかく女王様を失った後の赤軍はとてももろかったわ。そしてあっさり暗黒王率いる闇の軍隊に負けて、都で生き延びた者はほとんどいなかった……。みんな殺されてしまったわ……」
悲痛な声に、メルメルも何だか胸が苦しくなってきてしまった。
「その後はひどかった……。ハルバルートの都は完全に閉鎖されて闇の軍隊の人間以外はすべて追いやられてしまったの。暗黒王に逆らえばもちろん殺されてしまったし、ハルバルート以外の街や村も暗黒王に支配され、中には闇の軍隊に虐殺されたり、逆らって村ごと滅されたなんて事もあったわ……」
ペッコリーナ先生は言葉を区切って、グッターハイムの方を見つめた。
「彼の生まれた村もそうよ……」
グッターハイムは腕を組み、眉根を寄せて目を瞑っている。メルメルは何も言えなかった。ただ、何だかとても悲しくなってきてしまった。
「トキアの国は暗黒王が支配するようになってから、闇の王国と呼ばれるようになった。あれから十一年間、元からいたトキアの国の人々は闇の軍隊に監視されて、皆息を潜めて暮らしているわ」
「で、でもこの町は大丈夫よね?」とメルメルは恐ろしくなって聞いてみた。
「大丈夫……だったわ」
何とも煮え切らないペッコリーナ先生の言い方に、メルメルはとてつもなく不安になってしまった。
「私達はここまで都から離れれば、きっと敵の監視から逃れられると思ったの。だから十一年前、青暗戦争で生き延びた人々と共に、マーヴェラ園長の故郷であるこの町で新しい生活を始めたのよ」
メルメルは驚いた。ということは……。
「先生達は、トキアの国の兵士だったんですか?」ペッコリーナ先生とグッターハイムを交互に見た。
「兵士だった者もいれば、そうではない者もいるわ。ただ共通しているのは、あの戦争の時にハルバルートにいた者達だという事ね」
「この町の人達みんな? おじいちゃんも?」
メルメルはプラムじいさんからそんな話を聞かされた事はなかった。
「町の人達みんなではないわ。ほんの一部の人達よ」
「おじいちゃんは?」メルメルは食い入るようにペッコリーナ先生を見つめる。
するとグッターハイムがさらりと言った。
「プラムじいさんもそうさ。戦いに敗れ、我々と共に逃げ延びたんだよ。幼いお前を抱いてな」
メルメルは改めて驚いてしまった。
毎日、メルメルの為においしいパンを焼いてくれるおじいちゃん。
頭を悩ませながら一緒に宿題をやってくれるおじいちゃん。
少し音痴だけれど歌が大好きで、いつもメルメルと一緒に歌ってくれるおじいちゃん。
ポカポカニッコニコ笑顔の、優しい、大好きなおじいちゃん。
そんなおじいちゃんに昔そんな出来事があったなんて、
(とても信じられないわ!)
「そんな話はまったく初耳だと言う顔だな。だがプラムじいさんの秘密はそれだけじゃない。――いよいよ本題だ」
メルメルはゴクンと唾を飲み込んだ。今日はどれだけビックリすればいいのだろう? 混乱して、頭が爆発してひつじマンになりそうだ。そしていよいよ話の続きをペッコリーナ先生が語り始めた。
「逃げ延びた人々は闇の軍隊に怯え、全てを諦めて暮らしているだけではなかった。その中には、闇の軍隊に友を殺されたり、家族を殺されたり、生まれ育った村を奪われたりして、怒りに魂を震わせる人達がいた。何とかトキアの国を取り戻したい……平和を取り戻したいと願う人達もいた。そんな人達の思いは寄り集まって、一つの共通した大きな目的に変わったわ。それは――闇の軍隊を討ち滅ぼし……そして――」
「暗黒王を殺す」
そう言ったグッターハイムの顔は、さっきまでよりずっと険しくて、メルメルにその真剣さが伝わってきた。この人達は本気なのだ。
「……レジスタンス?」
メルメルが呟くと、ペッコリーナ先生はビックリ顔になった。
「プラムから聞いていたの?」
「――違うわ。昨日の夜変な人が家に来て、おじいちゃんとお話ししていたの。詳しい内容は聞こえなかったけど、その人がボソボソとレジスタンスがどうのこうのって言ってたわ。そうしたら弓の授業の時、ピッピーがレジスタンスって叫んだから、何だか気になってて……」
ペッコリーナ先生は顎に指を当てて考えた。
「昨夜来た変な人も、たぶんレジスタンスの人間ね。近頃、闇の軍隊がこの町の近くまでやってきたりしていたから、潜伏している仲間同士で話し合っていたの」
「仲間同士って……おじいちゃんもレジスタンスなんですか?」
メルメルはついに我慢出来ずに聞いてしまった。本当は聞かなくても答えは分かっているのに、聞かずにはいられないのだ。
(やっぱり信じられないわ!)
そんなメルメルの気持ちを置いてきぼりにして、「そうだ」とまたあっさりグッターハイムは言った。
「暗黒王を倒すために集まった者達はレジスタンスとして各地に潜伏して散らばり、こしたんたんと機会を窺っているんだよ。プラムじいさんもその一人だ。ペッコリーナも俺も、マーヴェラも」
「ドラッグノーグもね」
ペッコリーナ先生が言って、ちょっとメルメルは驚いてしまった。ペッコリーナ先生がそうなのだから、旦那様のドラッグノーグ先生もレジスタンスに決まってるんだろうけど、何だか凄く似合わない。そんな風に思っていると、
「まぁ、あれはあれで生意気に正義感のようなものを持っているからな」
少しおどけた感じでグッターハイムが失礼な事を言った。ペッコリーナ先生は別段怒るでもなく、同意するようにうんうん頷いている。
「おいおい、納得するなよ。私の旦那を馬鹿にしないで! とか怒れよ」
「だってその通りなのよ」
メルメルは二人のやり取りが面白くて、つい笑いそうになったけれど、すぐに笑っている場合では無い事を思い出した。
「それで、おじいちゃんやみんながレジスタンスだって事は分かったわ。でも、でもそれとおじいちゃんがいない事と、どんな関係があるの?」
「そこで出てくるのが、この手紙だ」グッターハイムは先程の手紙をもう一度懐から出し読み上げた。
「無敵の闇の軍隊をまかす事が出来る技法を編み出した。たいしょうに直接に伝えたいので、是非きてほしい」
「たいしょうって、どういう意味なの?」
メルメルが首を傾げるとグッターハイムはそんな事も分からないのか、という様な顔をした。
「そりゃあ、たいしょうは大将――リーダーの事だろうから、俺の事だろうさ」




