七色の勇者 12
トンフィーと二人で、散会して去っていく人の流れに乗って歩いていると、突然肩を叩かれ、メルメルはくるりと後ろを振り返った。
「……ラウルさん」
肉屋のラウルが苦笑いを浮かべて立っていた。
「メルメルちゃん……さっきは悪かったね。大人げない事ばかり言ってしまった」
「ううん。ワタシだってラウルさんと同じだもの。この間までレジスタンスなんて知らなかったし、暗黒王なんて興味なかったもの」
メルメルが顔の前で大きく手を振ると、ラウルは、――そうか、と笑った。
「なんだか、大変な事になっちゃったなぁ。……そう言えば、メルメルちゃん達はレジスタンスのメンバーなのかい?」
「……え? 違うわよ。どうして?」
メルメルのキョトンとした顔を見て、ラウルは再び笑った。
「だよな。まだちっちゃいもんなぁ。……さて、俺達もこれからは呑気にしてられないぞ! お互い闇の軍隊なんかに負けずに、明るく元気に暮らして行こうな! ――困った事があったらいつでも言ってくれよ」
「え……? あ、うん! ありがとう……」
メルメルは、手を上げて去っていくラウルの背中をぼんやり眺めていた。
「……る。……メルメル!」
「あ、な、なにトンフィー?」
メルメルははっと我に返った。余りにぼんやりとしていて、呼びかけられていた事に気付かなかったらしい。
「ほら、あれを見て……」
トンフィーの指差した先に目をやると、何やら深刻そうな顔でペッコリーナ先生が廊下の角を曲がるところだった。
「ペッコリーナ先生だわ」
「町長とマーヴェラ園長も一緒だったよ。少し……気にならない?」
メルメルが頷いて、二人はそちらに向かって歩き出した。
「あれ? いないわ……」
角を曲がると、もうどこにも人影はなくなってしまっていた。メルメルが首を傾げながら進んで行くと、横を歩いていたトンフィーが急に立ち止まってしまった。
「どうしたのトン――」
「しっ~! ……」
トンフィーは人差し指を自らの口に当てる。そして、目の前にある教室のドアに耳をピタリとつけた。メルメルはなんだかドキドキしながら、トンフィーの真似をしてドアに耳を押し当てた。
すると、部屋の中から人の話し声が聞こえてきたのだ。
「…………だったな。あの子のおかげで助かったよ……」
町長の声だ。
「本当ね。心の優しい子だわ……」
とペッコリーナ先生の声。
「それにしても町長……迷惑ばかりでごめんね。こんな酷い事になるなんて……」
マーヴェラ園長の声だ。
「何を言ってるんだマーヴェラ。結局私は大した事はしてやれなかった……」
「そんな事ないわよ町長。十一年前のあの時、もしもあんたが受け入れてくれなけりゃあ、私達は行く場所もなく疲れ果てて死んじゃったかも知れないんだから。あんたには本当に、心から感謝してる」
「私は――実はあの時、とても嬉しかったんだ。お嫁に行ってしまって何十年も前に町を出て行った君が、この町や私の事を覚えてくれていて、頼りにしてくれた事がね」
「町長……」マーヴェラ園長は涙声だ。
「だが、結局こんな風になってしまって……。これから、どこに行くんだ? あてはあるのか?」
町長は心配そうに言った。
「う~ん。まぁ、なんとかなるわよ」マーヴェラ園長の声は頼り無げだ。
「やはり、この町に全員が残れるように、軍隊と交渉してみた方が――」
「駄目よ町長。それは無理よ。……気持ちは嬉しいけどね」マーヴェラ園長は鼻をすすり上げた。
「そうよ。そんな事をしたら、またこの町に迷惑をかけるような事になりかねないわ。――大丈夫。レジスタンスの隠れ家はたくさんあるから、住む場所くらいなんとかなるわ」
ペッコリーナ先生が明るく言った。
「ペッコリーナ先生! 町を出て行っちゃうの?」
突然、ドアを勢い良く開け放ってメルメルが叫んだ。中にいた大人達は目を丸くした。トンフィーはメルメルの隣で、耳を押し当てた姿勢のまま固まってしまっていた。
「め、メルメル、トンフィー……あなた達……」
唖然として呟いたペッコリーナ先生のもとにメルメルは駆け寄り、その花柄のシャツを掴んだ。
「ねぇ先生……。出て行っちゃうの? どうしてよ」
「メルメル……」
ペッコリーナ先生は困ったようにメルメルの頭を撫でた。
「出て行くしかないのさ。ペッコリーナが町に残るのなんて絶対許されないんだからな」
「――グッターハイム!」
いつの間にか、ドアの外にグッターハイムが立っていた。
「……どうしてペッコリーナ先生は残ってはダメなの?」メルメルは口を尖らせた。
「町長。軍からの手紙を出してくれ」グッターハイムが歩み寄って、町長に向かって手を差し出した。
「え? あ、ああ……」
グッターハイムは、町長がポケットから出した手紙を受け取り、数枚あるうちから二枚を選び抜いてメルメルとトンフィーの方に差し出した。
「グッターハイム……何もこの子達に見せる事はないわよ」
眉根を寄せて言うペッコリーナ先生を無視して、グッターハイムはメルメル達の手に手紙を押し付けた。
「そこには、この町と隠れ家にいる全てのレジスタンスの名前が書かれている。一人残らず名前まで正確にな」
トンフィーは二枚の手紙を交互に見ながら頷いた。
「敵は、ブラッドさんから細かく報告を受けてたんでしょうから、当然ですね。――二枚に分けられてるのは、町に残る事を許された者とそうではない者ですか?」
トンフィーがきびきび言って、町長とマーヴェラ園長は驚いたように顔を見合わせた。
「その通りだ。片方の紙に書かれているのは力のない者達ばかりで、連中にとっては、要するに害のない人間と言える。それでも町の者でしっかり見張るよう命じてきてはいるが」
「なるほど……。じゃあ、こちらが出て行くように命じられた人達ですか。グッターハイムさんやペッコリーナ先生の名前が書かれている。ニレさんの名前も」
トンフィーが言って、グッターハイムは大きく頷いた。
「そう。隠れ家にいた者全員の名前と、町にいた力の強い者達――つまり連中にとって厄介な人間の名前が書かれている。だが、軍隊が命じてきたのは町を出ろなんて生易しい事じゃない。連中は、町の者に俺達の首を取って来いと命じてきたのさ」
「く、くびっ?」メルメルは目を丸くした。
「勿論大人しく差し出す訳にはいかないからな。俺達は首を取ろうとしてきた町の者に追われたが、その手を逃れていなくなってしまった。――そういう事にでもさせてもらう」
メルメルが悲しそうに見上げると、ペッコリーナ先生は仕方ないのよ、と言って笑った。
「メルメル、トンフィー……。私がいなくなっても、おさぼりしないでちゃんと勉強するのよ?」
メルメルは返事をせずに、口をへの字に曲げた。その顔を見てペッコリーナ先生は困ったように微笑んだ。グッターハイムは目を細め二人の子供をじっと見つめている。その時突然、一人考え込むように俯いていたトンフィーが、パッと顔を上げた。
「……僕も一緒に行っちゃ駄目でしょうか?」
「と、トンフィー!」
ペッコリーナ先生が悲鳴を上げ、グッターハイムはにやりと笑った。
「一緒に来るのは構わんが、一つ条件がある」
「グッターハイム!」ペッコリーナ先生が咎めるように叫ぶ。
「どんな条件ですか?」動じる事なくトンフィーが言った。
「レジスタンスに入る事だ」
グッターハイムが言うと、トンフィーは迷い無く頷いた。
「入ります」
「トンフィー! ――グッターハイム! あたな何を考えて――」
「うるさいぞペッコリーナ。今更こいつを子供扱いするのか? 下手な大人よりよっぽど使い物になると、お前が一番良く分かっているだろう」
「そんな……だからって――」
「ペッコリーナ先生」
駄々をこねるように首を振っていたペッコリーナ先生は、妙に静かなトンフィーの声を聞いて、はたとその動きを止めた。
「ペッコリーナ先生、もう決めたんだ。町を出て、レジスタンスに入って……僕、強くなりたいんだ」
「どうして……」
ペッコリーナ先生は半ば呆然として呟いた。メルメルは、ここのところ時折見せる大人びた表情をしたトンフィーの横顔を、じっと見つめた。
「強くなって、いつか母さんを倒したいんだ」
ペッコリーナ先生は青くなって叫んだ。「と、トンフィー! そんな事――」
「ラインさんは――」
思わずペッコリーナ先生が黙り込んでしまうと、トンフィーは辛そうに眉根を寄せた。
「――ラインさんは、いずれ母さんを倒すと言っていた……。母さんの為にそうするべきだと言っていたし、僕もその通りだと思ってる。それに、自分の罪を償いたいという気持ちもあるし、何よりあいつらから母さんの体を取り戻したい……。ラインさんの代わりに。――いや、初めから僕がやるべき事だったのかも知れない」
ペッコリーナ先生はもう何も言えずに、ただ、辛い経験のせいでやけに大人びてしまった少年の顔を、寂しげに見つめていた。
「もう、異論はないなペッコリーナ?」
グッターハイムの問い掛けに、ペッコリーナ先生は返事の代わりに諦めたような深い溜め息を吐いた。
「さて、と。それじゃあ……トンフィーは俺達と一緒に行くとして――」
「ワタシも一緒に行くわ」
メルメルが言って、ペッコリーナ先生は再び深い溜め息を吐いた。
「だって、おじいちゃんを助け出したいもの……」
メルメルはまるで言い訳するように付け加えた。別にそれは本当の気持ちだったが、理由はそれだけではなかった。
町に戻ってからずっと、メルメルは考えていたのだ。このまま何食わぬ顔で以前のような生活を送れるのか、と。考えて、考えぬいて、それは無理だと気付いた。
たとえ、もしプラムじいさんが帰ってきていたとしても、もう心からは穏やかで楽しい毎日は送れなかっただろう。メルメルの中で暗黒王に関わる全ての事が、「他人事」ではなくなってしまったのだから……。こんなに早く決断をする事になるとは思わなかったが、トンフィーやペッコリーナ先生が直ぐにも出発してしまうのに、自分だけぐずぐず迷っている訳にはいかなかった。
「……分かった。それでは、お前達にはこれをやろう」
グッターハイムが嬉しそうに懐から何かを取り出し、トンフィーに渡した。
「これ……」
それは変わった形をした「笛」だった。メルメルとトンフィーは一度だけ見た事がある。
「ラインの物だ。形見――というか、な。トンフィー、お前がラインの意志を継いで母親を打つ気なら、その励みにでもしてくれ」
「は、はい……」
トンフィーは手の中に渡された笛をじっと眺めている。その横で、同じように笛を見ていたメルメルの視界に、突然ぬっと剣の柄が差し出された。驚いてそちらを見ると、グッターハイムの差し出した剣の柄には、青く光る美しい石が埋め込んであるのに気付いた。
「カルバトの剣……」
「折れてしまった様だが、ちょっとした鍛冶屋に持っていけば、ちゃんと新しい刃をつけてくれるだろう。例えカルバト族の作った物じゃなくとも、命の石のおかげでそこいらの剣よりはましな物になる筈だ。いずれ役に立つ。持っていろ……」
頷いて剣を受け取ろうと手を伸ばすと、グッターハイムは何故か、すっと剣を引っ込めてしまった。一体どうしたのかとメルメルは眉をひそめた。
「……これをやるには、条件がある」グッターハイムがポツリと言った。
「条件? ……ああ。分かってるわよ。レジスタンスに入れって言うんでしょ?」
「それはそうだが、お前にはもう一つの条件がある」
「もう一つ?」メルメルは首を傾げる。
「……いや。条件なんておこがましい言い方だったな。――是非とも、メルメルにお願いしたい事があるんだ」
「お願いしたい事?」メルメルは更に首を捻った。
――一体、自分のような子供に何を頼みたいのというのか?
「レジスタンスのみんなに、お前が七色の勇者だと発表させて欲しいんだ」
「え……」
メルメルは思わず言葉を飲み込んだ。ペッコリーナ先生や他の皆に助けを求めるように視線をさ迷わせる。しかし、誰も何も言わずにメルメルの顔を見つめ返してくるだけだった。どうやらマーヴェラ園長達もすでに話を聞いているようだ。
「だ、だけど本当にワタシが勇者なのかどうか分からないし……」
「メルメルは勇者だよ」
根拠があって言っているのかどうかは分からないが、何故かトンフィーが断定的な言い方をした。ところが、ペッコリーナ先生でさえそれを否定しようとしないのだ。戸惑うようなメルメルに、グッターハイムは軽く頷いた。
「本物かどうか……その検証は難しい。だが、今確実なのはレジスタンスには七色の勇者が必要なのだという事だ」
それはそうだろうが、だからこそ余計に期待されても困ってしまうし(だって、もしも間違いだったらみんなに怒られちゃうと思ったんだ)そんなに慌てて発表する必要ないとメルメルは思うのだ。
そんな事を考えて黙り込んでいると、グッターハイムは弱ったように頭を掻きむしった。
「お前のプレッシャーになっている事は分かってる。だが、心の準備を整えている暇はない。お前には是非とも直ぐに、レジスタンスの希望になって欲しいんだ」
「希望って、そ、そんな事言われても――」
メルメルは顔を赤らめて首を横に振った。なんだか額に汗まで浮かんできてしまった。
「メルメル――」グッターハイムは、ぐっとメルメルの肩を掴んだ。「今、レジスタンスはラインという希望を失って、戦う意欲を無くしかけている。――参ったよ。なるほど、敵の狙いはこれだったかという感じさ……。あとであいつらに会えば分かる。このままだと、レジスタンスは終わっちまいそうだ。……リーダーの俺がそんな事言っては駄目か? ――だが、俺はヤツらに希望をもたらすほどの力はないんだ。――もともと、リーダーだって本来ならラインが務めるべきだったんだ。あいつがその気になるまで、俺は一時的にその役を預かっていただけのつもりだったんだよ。俺は……リーダーなんかの器じゃない……」
メルメルは驚いたようにグッターハイムを見つめていた。彼の顔が、まるで泣きそうに歪んでいたからだ。
――もしかしたら、誰よりも希望を欲しているのは、彼なのかも知れない。
「頼むメルメル……。俺達の希望になってくれ……」
メルメルはきつく瞼を閉じた。
グッターハイムは揺れる瞳でその顔を見つめていた。そして、閉じられた瞼が開き、そのキラキラと輝く瞳が現れた時に、やはりこの少女が七色の勇者に間違いないと確信したのだった。
「――分かったわ。ラインさんの変わりに、これからはワタシがレジスタンスの希望になるわ」
グッターハイムは深く深く頭を下げ、ありがとうと呟いたのだった……。




