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七色の勇者 2

 結局、夕べメルメルはあの後一睡も出来なかった。体は限界を感じる程に疲れきっているのに、眠れば再びあの様な恐ろしい夢を見るかも知れないと考えると、もう一度眠る気にはなれなかった。そんなメルメルを気遣って、ペッコリーナ先生はずっと頭を撫でてくれていた。

 ――だから、メルメルはそんなペッコリーナ先生を気遣って、目を瞑って眠った振りをした。

 そうして日が昇れば目覚めた振りをして起き上がり、なかなか喉を通らない朝食を無理やり少しだけ詰め込んだ。こんな風にご飯の味もしなくて、何だか心の中が空っぽでカサカサしたような毎日が続いて行くのかと思うと、メルメルは生まれて初めて生きる事が嫌になってしまったのだった。

 誰一人として口も開かず、まるで戦いに敗れた戦士の様に肩を落としながら馬に揺られていると、小高い丘にさしかかった所で、トンフィーがあっと驚いた様な声を出した。

「おかしいな……」

「どうしたんだ?」

 背中からグッターハイムに問い掛けられて、トンフィーは遥か彼方に見えている湖の方を指差した。

「フレンリー達の家が見えてしまってる。以前は確かに見えなかった筈なのに……。確か魔法をかけてあるって言っていましたよね?」

 グッターハイムは目を細めて湖の方を見た。メルメルも同じように目を凝らしてみたが、やはり今度も、湖の上に浮かぶ島さえ見えはしなかった。

「……あそこにかけてある幻影の魔法は、かなり高度なものでな。幾人かが力を併せて魔法をかけたんだ。その中には――ラインも入っていた」

「それじゃあ……」

「術者が死ねば……魔法はとけるものだ」

 メルメルは視線を落とし、いまだに手の中に握り締めたままの布袋を見つめた。

 ――術者が……死ねば……。

 その時、突然大きく馬の背が揺れた。メルメルは危うく布袋を落としそうになってしまった。

「ほらメルメル。落としてしまうわよ。しまっておきなさい」

 ペッコリーナ先生に言われて、メルメルは素直にそれに従う事にした。肩から下げたウサギの鞄の口を広げる。すると、布袋をしまおうと差し入れた手に、カサリと何かが触れた。大して気になった訳では無いが、何となく鞄の中を覗き込んでみる。

「…………?」

 見慣れない、白い封筒の様な物が入っている。メルメルはそれを取り出してみた。やはり封筒のようだ。中に何枚か紙が入っているらしく割と厚みがある。口は特に糊付けもしていなくてフワフワと浮いていた。裏側には何も書いていない。メルメルは手紙をひっくり返してみた。

「――――!」

 そこには、「メルメルへ」と書かれていた。大きく、少し乱暴な感じのする字だ。メルメルの「ル」の部分など、最後がやたらと跳ねすぎて尖っていた。

「ラインさん……」

「え……?」ペッコリーナ先生が後ろから覗き込んできた。

「ラインさんの字……」

「手紙? 一体いつ貰った物なの?」

「分からないの。今気付いたの。袋をしまおうとしたら……」

「あら……。じゃあ、あなた手紙が入っていたって知らなかったのメルメル?」

 メルメルは無言で頷いた。胸がドキドキしていた。

「いつの間にかラインがこっそり入れたのかしら……。何が書いてあるの?」

「なんだ。どうしたんだ?」隣からグッターハイムが声を掛けてきた。

「メルメルの鞄の中に、ラインからの手紙が入っていたんですって!」

 グッターハイム、そしてその前に座ったトンフィーも驚いて目を丸くした。

「何と書いてあるんだ?」

「まだ読んでないの」メルメルは首を横に振った。

「読んで見てくれ」

 勿論そのつもりだ。メルメルは頷いて、手の中の封筒から紙を取り出した。声に出して読み上げようと思っていたが、広げた瞬間にドキリと心臓が高鳴って、直ぐには言葉が出てこなかった。

「どうしたのメルメル? ……代わりに読みましょうか?」

 ペッコリーナ先生が気を使って言う。メルメルは首を横に振って大丈夫だと答えた。

「読むわ……」

 一度目を瞑り、軽く息を吐いて呼吸を整える。


 ――メルメルへ

 さて、一体何から書こうか? 余り手紙など書き慣れていないから、どうにも考え過ぎてしまうようだ。このままだと朝になって仕舞うから、取りあえず思った事をどんどん書き始める事にする。

 そうだ。まずは謝っておこう。私の字が余りに下手くそで読み辛い事は、長く私の補佐役をしてくれたニレのぼやきで良く理解しているつもりだから。だが、どうにか堪えて最後まで読み続けて頂ければ有り難い。

 そもそも、そのように余り得意でも無い下手くそな手紙を何故書く気になってしまったのか。それは、あなたに感謝の気持ちを伝えたかったからなのだ。言葉で伝えれば容易いのだが、そのような隙やタイミングが残されているのかが分からない。だから念の為、この様に手紙を残しておこうと思う。

 さて、今私はこの世にまだ生きているのだろうか? 生きていれば嬉しいが、恐らくは死んでしまっているのだろうな。この手紙を、あなたが読んでいるのが何よりの証拠と言える。私の死を、あなたが悲しんでくれているなら少し嬉しくもあるが、余り悲しまないで欲しいと思うし、万が一にも自分を責める事の無いようにと願う。何故なら――


「――な、何故なら、私は自分の死を前もって知っていたし、 それを避ける術も……持っていたから……だ……」

 ――知って、いた……。

 メルメルは驚いて、幾度も同じ文章を目で追った。

「おい! 一体どういう事だ!」

「ら、ラインは自分が死んでしまう事を知っていたの?」

「待って。まずは最後まで聞きましょうよ」

 騒ぎ出す大人二人を制して、トンフィーはメルメルへ先を読むようにと目で促した。メルメルは喉がやたらと乾いて張り付くようだったが、唾を飲み込んで無理やり先を読み始めた。

「……詰まり――」


 詰まり、私は自ら進んで命を落としたようなものだし、誰か他の人間が責めを負う必要は一つも無いという事なのだ。

 あなたは不思議に思うだろう。私が何故自分の死を前もって知っていたのか――と。その理由を知って、あなたは思わずバカバカしいと笑うかも知れないし、私も一緒になってそこで笑っているかも知れない。

 だが――私は知っている。バカバカしいと斬り捨てられない程、私の記憶に強く刷り込まれている。

「彼女」の占いが、驚く程に正確に未来を言い当てて仕舞うのだという事を。私は王宮で、何度も、何度も、繰り返しそれを見て来たのだから。そして――ある時は父の死さえも、「彼女」の予言によって前もって知る事が出来たのだ。その時私は、運命とは変えられないし、また、変える必要が無いという事も知ったのだ。

 私はあの日、あの「古の大占い師様」に有り難い予言を授けられた。彼女は私にこう言ったのだ。

 ――もしもこの先、あの少女と共に旅を続けるならば、いずれお前は必ず命を落とす事になるであろう――と。

 私は思わず彼女に尋ねた。それなら、直ぐに旅を止めてあの子と別れれば、私は命を落とさずに済むのかと。彼女はその通りだと答えた。だが、その言葉には続きがあった。

 ――少女の元を去ればお前の命は助かる。だが、代わりに、少女の方が命を失う事になる――


「なる……だ……ろう……」

 メルメルは愕然として手紙を見つめた。

 ――それじゃあ、ラインさんワタシの代わりに……。

 ペッコリーナ先生がそっとメルメルの肩へ手を置き、手紙を受け取った。俯いて黙り込んでしまった少女の代わりに、続きを読み上げる。

「少女の元を去れば――」


 ――少女の元を去ればお前の命は助かる。だが、代わりに、少女の方が命を失う事になるだろう。

 私はそれほどの善人では無い。正直に言おう。少しだけ、迷った。

 この手紙を書く前に、様々な思いを巡らしてみた。死について、そして、生きるという事について。 無限に広がる星空を見上げながら考えてみた。想像してみた。この生を失う事について。そして思ったのだ。――死にたくはない、と。

 まだまだあなた達と共に生き続けて、剣の稽古をつけたり、料理を教えてもらったり、歌を歌ったり、生まれた町の話をしたり、未来についての話をしたりしたい。そう考えた時、分かったのだ。 

 こうまで私が生き続けたいと願うのは、あなたと出会ったからなのだと。

 あなたと出会う前、私は生と死の境目を見失いかけていた。こんな事は生まれて初めての事だった。

 人は、命あるものは皆、いつかはその命を大地に返さなければならない。例えどれほど不平等な世の中だとしても、死だけは全てのものに平等に与えられる。だからこそ命は輝くし、生きる事は美しい。だが――死ぬ事も生きる事も同じだと考えては、命は輝かない。必死で生きようと思ってこそ、命は輝くと思うのだ。

 どのような姿で生まれたか、どのような場所で生まれたか、どれほどの長さを生きられるのかさえも関係無い。百年生きようが、次の日に死んでしまおうが、その瞬間を生きている事実には全く変わりが無いのだから。平等に与えられた命だからこそ、それぞれの思うままに精一杯輝かせ、より良い明日を目指して必死で生きるべきだ。――私はそう考えていたし、それが信念でもあるから、周りの人間にもそうするように勧めてきたし、自分自身もそのように生きてきたつもりだった。

 だが――あの日。自ら望んで挑んだ戦いに大敗し、大勢の愛する者を失ったあの日から、私は自分を失いかけていた。苦しみを背負って生きるよりも、死んでしまった方が楽になれるのではないかと考え、そしてどうせ死んでしまうなら、一生懸命努力する事に何の意味があるのかと思うようになっていた。いつの間にか、一番嫌っていた死を言い訳に生きるような人間に、私自身がなっていたのだ。

 それではいけないと思ってはいた。他人をそんな風に生きるなと叱りつける事さえもあった。それなのに私自身は生きる事は空しい事だと感じ始めていた。理屈では無かった。どんなに自分を奮い立たせ、前向きに生きて行かなくてはと言い聞かせても、心はついてこなかった。情けなく、惨めで、これほどに自分とは弱い人間なのだと知って、とても自分が嫌いになった。馬鹿な話だ。自分で自分を嫌うなど、これ程バカバカしい話は無い。

 だが、人とはそういうものだ。結局、私はそういうものだという事さえもまだ分かっていなかっただけなのかも知れない。きっと、苦しみから抜け出せそうな今だからこそ、その事が分かるのだろう。

 私は今苦しみから抜け出し、生きる喜びを感じる事が出来る。明日も生きていたいと願う事が出来る。

 それはきっと、あなたと出会ったからなのだ。

 あなたやトンフィーが見せてくれた希望――夢――未来。そこには、空しさを掻き消す命の輝きが溢れていた。それに触れた時私は、もっと生きていたいと感じる事が出来たのだ。だから、あなたに言いたい。

 ありがとう、と。

 私はもうすぐ死んで仕舞うのかも知れない。あなたと出会わなければ、もっと長く生きる事が出来たのかも知れない。だが、それでも私は心からあなたに感謝しているのだ。何故なら、死んでしまった方がましかも知れないなどと思いながら生き続けるよりも、生きていたいと願いながら死んでいく方が、ずっとずっと幸せな事だと思うからだ。

 私が死んであなたは悲しんでいるのだろうか? 苦しんで泣いてしまっているのだろうか。もしそうなら、そんな必要は無いと今のあなたに言っても心はなかなか解放されないだろう。私は経験上それを知っている。だけど忘れないで欲しい。私はあなたに出会えて幸せだった。死ぬ瞬間まで、あなたが今も生きているのだろうと考えられる事が、とても嬉しかったのだ。

 さあ――生きてくれメルメル。命を輝かせ、明日を輝かせてくれ。 野原を駆け回り、大声で歌い、友と笑い、喜び、もがき、泣き、苦しみ、怒れ。それで、いいのだ。

 それでも生きていて良かったと、あなたには感じていて欲しい。私の、勝手な願いだ。

 長くなって済まなかった。これ程に読み辛い字を良く我慢して最後まで読んでくれたものだ。ありがとう。

 ――そうだそうだ。終わりにしようと思ったが大事な事を思い出してしまった。最後に一つお願いがあるのだった。

 スリッフィーナの首輪を外してやって欲しいのだ。あの子を自由にしてやって欲しい。今の内に外そうかとも考えたが、恐らくギリギリまであの子の力が必要になってしまうだろう。きっと私には外してやる事が出来ないと思うから、よろしく頼む。それでは、今度こそ終わりにしよう。さようなら。

 願わくば、あなたの未来が平和であるように。


「…………ライン」

 メルメルは馬の背に体を突っ伏してむせび泣いた。やはりペッコリーナ先生はそんなメルメルの背中を撫で続けていた。グッターハイムは呆けたような顔で、トンフィーは心配そうな顔でその様子を眺めていた。

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