七色の勇者 1
ポクポクポクポク……
出発してから一時間以上経っているが、皆黙り込んでしまって、一言も言葉を交わす事は無かった。恐らく、それぞれあの人の事で深い思考に耽っているのだろう。
馬の背に揺られながら、メルメルは手の中の布袋をじっと見つめた。ずっしりと重いようでもあるが、これがこの世に残されたラインの全てだと思えば、余りに軽過ぎるという気もした。
「……これからどうするんだ?」
唐突にグッターハイムが口を開いて、メルメルはふと顔を上げた。隣を見れば、誰に顔を向けるでも無く、グッターハイムは前を向いたままこちらと同じ速度で馬を進めていた。
「どうするって? ――あなたの怪我の治療もあるし、先ずは隠れ家に戻るべきよ。あ、そうだ。ミデルから消えた残りの軍隊も気になるわね」
ペッコリーナ先生が答えると、グッターハイムは先ほどと変わらず前を向いたまま、再び口を開いた。「その後は?」
「その後? ……まぁ、消えた軍隊の動向次第でしょうけれど、ニレや他のみんなと相談して――」
「メルメルやトンフィーはどうするんだ?」
突然話を振られて、メルメルは少し戸惑った様な顔になる。グッターハイムの前に座ったトンフィーに目を向けると、やはり自分と同じ様な顔をしてこちらを見てきた。そんな二人の代わりにペッコリーナ先生が質問に答えた。
「そりゃあ二人だって私達と隠れ家に行くわよ。まさか子供だけで先に町に戻る訳にいかないもの。少し体を休めた方がいいし……」
「その後は?」
「その後は、町に戻るわよ。マーヴェラに報告したり、色々――」
「その後は? ――その後はどうするんだ、二人共」
「………………」
ペッコリーナ先生は眉根を寄せてグッターハイムの顔を見た。メルメルとトンフィーは困った様に顔を見合わせている。
――その後は?
もしかしたらこれは、ただの軽い質問では無いのかも知れない。メルメルがそう考えてグッターハイムの顔を見てみれば、向こうはいつの間にかじっとこちらを見ていたらしく、目がバッチと合って思わずドキリとしてしまった。
「……それはどういう意味なの? グッターハイム」
やはりペッコリーナ先生が答えて、メルメルは後ろを振り仰いだ。ペッコリーナ先生は探る様な目でグッターハイムを見つめていた。
「……プラムじいさんは再びさらわれた。ソフィーは――悪魔の兵隊になっちまった。二人共、もう一人ぼっちだ。この先、一体どうするつもりなんだ?」
「そんな事、直ぐには考えられないわよ。でも、いずれにしても私は二人を一人ぼっちにするつもりは無いわ。私のところに来るのでも良いし――」
「俺はメルメルとトンフィーに聞いてるんだ。――二人共どうするんだ? 大好きな爺さんがさらわれて、母親が悪魔の兵隊になっちまって――」
「どうもこうも無いでしょう? 悲しくても生きていかなくては。プラムやソフィーの事は私達レジスタンスで出来るだけの事はするわ」
「それでいいのか? ――人に任せていられるのか?」
「仕方ないでしょう? まだ二人は子供なのよ?」
「何度も言わせるな。俺は二人に聞いてるんだ。おい、メルメル、トンフィー!」
後ろからぐっと肩を掴まれて、トンフィーはビクリとした。
「ちょっと、脅かさないで頂戴!」ペッコリーナ先生は慌てて馬を寄せ、グッターハイムの手を掴んだ。「あなた、何を考えてるの? 二人はただの子供よ」
「ただの子供? ――メルメルは七色の勇者だぞ!」
「――!」
興奮して真っ赤に染まったグッターハイムの顔を、ペッコリーナ先生は驚いた顔で見つめた。メルメルとトンフィーは口を挟めず、大人二人の顔を交互に見ていた。しばらく睨み合うようにしてから、ようやくペッコリーナ先生が口を開いた。
「メルメルに、ラインの代わりは出来ないわよ。グッターハイム……」
「――――しかし」
「少なくとも、まだ、今は無理よ。この子がいくつか分かっているの?」
「………………」グッターハイムは、じっとメルメルの顔を見つめた。その表情が、段々情け無いものに変わっていく。「では――レジスタンスは、この先どうするんだ。ラインは……ラインはもう、いないんだぞ……」
「あなたがそんな事言ってどうするの。あなたはリーダーなのよ? しっかりして頂戴」
「……………………」
グッターハイムは俯いてしまった。その横顔はまるで子供のようで、メルメルはもしかしたら泣き出して仕舞うんではないかと心配になった。
「ラインがいなくなったからこそ、あなたがしっかりしなくちゃ。レジスタンスをまとめられるのはあなただけなのよ? 他の誰かに何とかして貰おうなんて無理よ」
ペッコリーナ先生はグッターハイムの顔を覗き込んで言った。メルメルはその様子を見て、本当に子供に言い聞かせている様だと感じていた。
――ラインを失った悲しみが、彼から自信を奪ってしまったのか。
「俺には……無理だ……」
グッターハイムが消え入りそうな声で呟き、ペッコリーナ先生は、もうかける言葉も無いとばかりに盛大な溜め息を吐いたのだった。
闇の中に、メルメルは一人ポツンと座っていた。遠くの方から、自分を呼ぶ声が聞こえる。
――メルメル……メルメル……。
「おじいちゃん……」
自らが発した声は、以上な程闇の中で反響した。まるで、お風呂の中で話した時のようだとメルメルは感じる。
――メルメル……お逃げ……。
耳の奥に響くプラムじいさんの声に、慌てて立ち上がった。
「おじいちゃん……どこ?」
――逃げるんじゃ……奴が来る……。
必死で首を巡らした。手の平にじっとりと汗を掻いている。誰もいない。――何も見えない。
――早く逃げるんじゃ……奴が……もう、直ぐそこに……。
「どこ? おじいちゃん。見えないわ。何も見えないの……」
――ほら……あそこに……。
指を指された訳でも無いのに、メルメルにはプラムじいさんが「あそこ」と示した場所が直ぐに分かった。
闇の中で、ウネウネと何かが蠢いている。
逃げ出す前にそれが一体何なのかを確認しようと目を凝らした。少しずつ闇の中に輪郭が現れて、それがもしかすると人かも知れないと分かって、同時に人だとすれば以上に大きな体をしている事に気付いて、メルメルは思わず数歩後退りした。顔とおぼしき場所に目をやれば、やけに黒々とした髭面が浮かび上がってきて、だんだんとその髭が涎でぬらりと光っている事さえも分かってきた。その頃になれば、その巨人の両腕が切り取られていて、体中に矢が突き刺さっている事も分かっている。
メルメルは血相を変えて逃げ出した。
(これは……夢だ……)
それを証拠に、まるで水の中を走っているかの様に足が重く、上手くいつもの様には走れない。耳の奥に心臓があるかの様にドクンドクンと、自らの激しい鼓動の音が聞こえる。
(怖い……恐ろしい!)
夢だと分かっているのに、現実でガスバルトに対峙した時よりも強い恐怖を感じた。
(助けて! おじいちゃん……!)
かなり長い間走り続けたが、後ろからは追い駆けてくる足音も気配も感じ無い。メルメルは少し安心して、ゆっくりと後ろを振り返った。
直ぐそこに、大口を開けた巨人の顔があった。
(助けて――ラインさん!)
「メルメル!」
体を揺すられて、メルメルはハッと目を覚ました。何だか、やけに焦げ臭い。
「メルメル、早く起きて……」
「トンフィー……」
少しずつ周りがぼんやりと見えてきた。メルメルはゆっくり立ち上がる。まだ、先ほどの夢のせいでやたらと鼓動が早い。
「大変なんだ。早く……!」
言い終わらない内にトンフィーは駆け出した。訳が分からないが、取りあえずついて行こうかと足を踏み出しかけて、メルメルは周りの景色に唖然とした。
メルメル達は夕べ、小さな湖に近い静かな林の中で野営をした。しかし、今や木のあちこちから炎が上がっていて、まだ日が昇っていないのというのに眩しいくらい周囲が明るくなっている。
「…………?」
その時、林の奥から剣と剣がぶつかり合うような激しい金属音聞こえて、メルメルはそちらに目を向けた。
「……ああ!」何と木立の向こうで、グッターハイムとあの黒騎士が戦っているではないか。「ど、どうしてここに黒騎士が……」
すると今度は、別の方角からヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、という変わった音が聞こえて、そちらに目を向けた。
「――ああ!ペッコリーナ先生!」数十メートル先で、ペッコリーナ先生が林に向かって猛スピードで矢を放っていた。木の影に、黒い人影が消えたり現れたりしている。「べ、ベラメーチェ……」
それは、ベラメーチェがワープの魔法を使ってペッコリーナ先生を翻弄している姿だと気付いて、メルメルは手助けをしなくてはと、そちらに足を踏み出した。
「わー! か、母さん!」
今度は、またまた別の方角からトンフィーの叫び声が聞こえて、一瞬躊躇したが先ずはあちらに行くべきだと判断して悲鳴の聞こえた方へと駆け出した。
「トンフィー!」
「か、母さん……や、やめて……」
声の聞こえる方へ走って行くと、林の向こうに湖が見えてくる。そして、木立の隙間に呆然と立ち尽くしている少年の姿がチラリと見えた。
「トンフィー!」
駆け寄ろうと林を飛び出しかけて、メルメルはピタリと足を止めた。トンフィーが見つめる先には、弓を構えた彼の母親が立っていて、その矢の先端を実の息子にピタリと向けている。
「ソフィー母さん……」
メルメルが呟くと、ソフィーはつと矢の方向を変えた。
「か、母さん……! お願い、止めて……」トンフィーは泣きべそで母親の顔を見つめた。
メルメルは拳を握り締め、自らの方を向いた矢の先端を睨み据えた。直ぐ横に生えた太い木の陰に隠れようかと一瞬考え、きっとその前に打たれてしまうと思い至り、結局身動き一つ出来ないまま時間だけが過ぎる。ソフィーがいつもの優しい笑顔では無く、ベラメーチェのように嫌らしくニヤ~っと笑ったその瞬間、
バサバサバサ! と木の上から何かが降ってきて、メルメルの目の前に降り立った。突然瞳の中に飛び込んでくる、鮮やかな――赤い色。
「ラ……イン……さん……」
メルメルの背後から風が吹き、柔らかそうな赤い髪がフワリと揺れた。
「ライン!」
キーンと耳に響く様なソフィーの叫び声。メルメルはハッと我に返り、目を見開いた。
「ラインさん! よけてーーーー!」
メルメルはあらん限りの大声を出した。しかし、何故かラインは優しく笑って、メルメルをギュっと抱き締めてきた。
「だ、駄目よ……。駄目よラインさん……逃げて!」
ドスンと背中に矢が突き刺さって、ラインの体がブルッと揺れた。
「あ……ああ、あ……うあぁぁー!」
「メルメル!」
メルメルはハッと目を覚ました。目の前に、心配そうなペッコリーナ先生の顔があった。
「大丈夫? 何か怖い夢でも見たのね……。酷い汗だわ……」
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……」
「……メルメル?」
夢と現実の区別がつかず、メルメルは怯えた様子で首を巡らし辺りを見回した。ペッコリーナ先生はそんなメルメルのおでこの汗を手の平で拭った。
まだ、辺りは暗い。メルメルの直ぐ斜め上に、上半身を起こしやはり心配そうな表情を浮かべてこちらを見つめているトンフィーがいた。その顔を見て、メルメルはようやくこれは夢では無く現実だと感じ始める。頭を撫でてくれているペッコリーナ先生の暖かい手のぬくもりを感じながら、少し離れた場所でパチパチと火の粉をはぜさせている焚き火をじっと見つめた。その燃え盛る炎の赤い色が、夢の中に出て来たあの人とダブって見えて、メルメルは心臓を鷲掴みにされたような痛みを感じ、思わずギュっと胸を押さえてうずくまった。
「メルメル……」
肩を震わせて泣き出してしまったメルメルの背中を、ペッコリーナ先生は優しくさすった。
「おい。どうしたんだ……?」
炎の向こう側から覗き込んでいたグッターハイムが慌てて(もしかして、自分の顔を見たせいで泣き出したのかと思ったんだ)声を掛けてきた。
「ラインさん……ワタシのせいよ……ワタシのせいで……」
「大丈夫。大丈夫よ……」
ペッコリーナ先生に背中をさすられながら、――ワタシのせいだ、と何度も繰り返しているメルメル。それを見て、トンフィーは、――もしかしたら、と考えた。
(もしかしたら、メルメルもあの事に気付いているのかも知れない……)
あの事とは、あの時起こった事だ。あの時とは、ソフィーの放った矢がラインの体を打ち抜いたあの瞬間の事だ。
あの悪夢のような瞬間、トンフィーは皆から少し離れた場所に立っていた。だから、全体の位置関係をしっかり掴めたし、ラインの動きが少しおかしかった事にも気付いた。――あの時……。
凍てつく朝の空気。地上より遙か遠く離れし塔の上。
――ライン! 彼の母親は声と同時に忽然とそこへ現れた。驚いて声も出せずにいるトンフィーの目の前で素早く矢を放ち、再び忽然と消えてしまった。その時は余りに動揺していて直ぐには深く考えられなかったが、今思えばあの時……と、その後落ち着いてからトンフィーは考えたのだ。
メルメルがラインに貰った剣を拾って嬉しそうに空に掲げた。それを見て微笑んでいたラインは、名前を呼ばれた瞬間――つまり、矢が放たれた瞬間、既に後ろを振り返っていた様な気がするのだ。恐らくソフィーが現れた気配を察知したんじゃないかと思う。ラインほどの戦士なら十分考えられる事だ。そしてラインは何故かもう一度前を――つまりメルメルの方に向き直り、ほんの少しだけ左に動いたのだ。
――あの時、ラインさんは矢を避ける事が出来たのではないか?
これが、トンフィーの考えていた「あの事」だ。いや、もっとはっきり言って仕舞えば、こうだ。
――あの時、ラインさんは、本当は矢を避ける事が出来た。しかし、あえて避けなかったのではないか?
何故、そんな事をしたのかという理由も、既に見当が付いている。
ソフィー、ライン、メルメルはあの時一直線に並んでいた。もしもラインが矢を避けて仕舞っていたら、その矢はラインの後ろに立っていたメルメルに当たっていたかも知れなかったのだ……。
トンフィーはこの考えを、まだ誰にも話していなかったし、この先も話す気は無かった。出来れば、メルメルがその事に気付いていなければ良いと思っていた。――しかし、
「ワタシのせいなの……ワタシの……」
「いいえ。あなたのせいじゃないわ……。大丈夫……大丈夫よメルメル……」




