レジスタンス 2
苦く笑いながら答えるのを聞いて、
(名前はさっきペッコリーナ先生が言っていたから知っているわ!)
どうやらメルメルは質問を間違えてしまったようだ。
部屋の隅では、二匹の猫にいつまでも威嚇され続け、うんざり顔の黒犬がまたシバを踏みつけて押さえている。よく見ればこちらは首輪をしているので、おそらくこのグッターハイムという男のペットなのだろう。
「グッターハイムさん、何故ワタシの家にいるんですか?」
「それは――」
「おじいちゃんはどこですか?」
本当は、最初からこれが聞きたかったのだ。グッターハイムは眉根を寄せて押し黙ってしまった。
「私も是非とも知りたいわ」
ペッコリーナ先生が言うと、グッターハイムは手でボリボリと頭を掻きながら、リビングを顎で示した。
「あれを見たろう? ペッコリーナ」
「……ええ。でも、何故悪魔の兵隊が?」
「まずはこれを見てくれ」グッターハイムはおもむろに、懐から封筒を取り出した。
ペッコリーナ先生はそれを受け取り、中身を取り出して目だけ動かし読み始める。
「これを、プラムがあなたに?」
「そうだ」
大人二人のやり取りを黙って見ていたが、メルメルは段々我慢出来なくなってきた。
「ワタシにも見せて!」
ところが、ペッコリーナ先生はすぐに手紙を渡そうとはしない。顎に指を当てて何か考えこんでいる。
「見せてやるがいいさ、ペッコリーナ」
「――でも」
「こうなっては隠し通す訳にはいかないだろう」
「……そうね」
メルメルには全く理解できないやりとりをして、まだ少し迷いながらもペッコリーナ先生はしぶしぶ手紙を差し出した。
妙な雰囲気にドキドキしながら、一体何が書いてあるのだろうかとメルメルは手紙をゆっくり開いてみる。
無敵の闇の軍隊を
まかす事が出来る
技法を編み出した
たいしょうに直接
に伝えたいので、
是非きてほしい。
確かにプラムじいさんの字ではあるが、メルメルにはその内容がさっぱり理解出来無い。二度読み返して、やっぱり訳が分からないので困り顔でペッコリーナ先生を見上げる。
するとペッコリーナ先生はうんうんと頷き、「メルメルには、訳が分からないでしょう?」
メルメルが無言で頷くと、ペッコリーナ先生はまた、うんうんと頷いた。
「メルメル。今からあなたには、とても難しい話をたくさんするわ。戸惑うこともあるかも知れないけれど、頑張って最後まで聞いてくれる?」
そんな言い方をされると、一体どんな話しをするのかと、メルメルはいよいよ緊張してしまうのだ。
「そんなに堅くなる必要はない。こっちにおいでお嬢さん」
そう言いながらグッターハイムはソファーの脇に立って、手招きをした。
(そういえば、さっきあのあたりでペッコリーナ先生が何か………………!)
歩いて行くと、突然、今まで死角になっていたソファーの影から人間の足の様な物が見えた。思わずメルメルは立ち止まって、それを凝視してしまう。
「大丈夫。もう動かないから」
ペッコリーナ先生に言われて、メルメルは恐る恐る近づいて行く。
ソファーの影で人間らしきものが、体のあちこちから白い液体を流して仰向けに倒れている。その皮膚がボロボロでドロドロなのと、鼻を摘みたくなるような匂いを感じて、メルメルは、
(こ、これはもしかしてトンフィーが言っていた……)
「悪魔の兵隊だ。お嬢さんは初めて見るのかな?」とグッターハイムは軽い口調で言う。
メルメルが二、三歩後ろに引きながら頷くと、グッターハイムはまたニヤリと片頬を上げた。
「逃げなくたって大丈夫さ。もう死んでいる……と言うか、死んでいると言えばとっくの昔に死んでいるんだがな。これをごらん」
グッターハイムが悪魔の兵隊の脇に屈み込んで、革の胸当てを剥ぎ取った。下からはやはりボロボロでドロドロの素肌が表れ、その心臓のあたりの皮膚に、メルメルの拳くらいの大きさの青色の石が埋め込まれているのが見えた。
「これが『命の石』さ。ひびが入っているだろう? おそらくどっかの誰かに魔法か何かでやられたんだな。こうなっては、こいつらはもう動けない」
メルメルは言われた言葉を理解するのに、しばらくは目をパチクリとしていたがふと気が付いて、パッと顔を上げた。
「ま、魔法か何かって、一体誰が? 大体、なんで悪魔の兵隊なんかが家にいるの?」
頭のなかはハテナだらけで、爆発寸前だ。
「……ここからは少しだけ難しい話になる。まずはプラムの――プラムじいさんの秘密から話さなければならないな」
「秘密……」
「フギャーォ!」
ミミが悲鳴を上げて皆驚いて一斉にそちらを見ると、ミミもシバと同じ様に黒犬の右足に踏み潰されたところだった。何とか逃れようと床に爪を立ててもがいている。左足の下ではすっかり諦めたシバがぐったりしていた。
「ククク……。ルーノ、離してやれ」
犬は渋々と二匹を解放し、グッターハイムの脇に来て大人しくお座りをした。
「その犬はグッターハイムさんのペットなんですか?」
メルメルが興味津々で言うと、犬は鼻を、「ハフンッ」と鳴らして、何だか不満そうにしている。
「クク……。確かに俺のペットだ。だが、犬じゃあない。……こいつは狼なのさ。名前はルーノルノーだ」
「ルーノルノー……」
狼だなんて何だかとっても強そうだな~と思いながらじっくり見ていると、ミミとシバが性懲りもなくまた無謀な戦いを挑もうとするので、メルメルは仕方なく二匹を両脇に抱えた。
「しょうのない子達ね。あなた達の勝てる相手じゃないのよ!」
二匹を胸に抱き抱えるとそれでやっと大人しくなって、メルメルにしがみつきながらルーノルノーをじっと見ている。
グッターハイムはそんな二匹の様子を可笑しそうに笑って、
「静かになったじゃないか? ノラ猫の割にはずいぶん懐いているな」
「おじいちゃんが毎日ご飯をあげてるから……」
――おじいちゃん、と口にすると、メルメルは何だか急に寂しくなって、しゅんとして涙ぐんでしまった。
「おいおい! 泣くなよお嬢さん! 何なんだ急に……」グッターハイムは大いに焦って、頭をバリバリッと掻いている。「何も、プラムじいさんが殺されたと決まった訳じゃないんだぞ!」
「……! ……ひっく」
これで遂に、メルメルは本格的に泣き出してしまった。
そもそもメルメルは、おじいちゃんが行方不明である事が悲しいだけで、殺されたかも知れないなんて思いつきもしなかったのだ。つまり、グッターハイムが慰めるつもりで言った先程の言葉は、まったくの逆効果になってしまっていたのだ。
ペッコリーナ先生はグッターハイムをギロッと睨んだ。
「もう! あなたは少し黙っていてちょうだい! 私から話すわ」
「――う!」とグッターハイムは言葉に詰まって黙り込んだ。
ペッコリーナ先生は、今度はメルメルの方を向くと、とても優しい顔付きに変わった。
「大丈夫! ……大丈夫よメルメル。おじいちゃんは勿論、殺されてなんていないから大丈夫。とにかくソファにでも座って、少し落ち着いてお話ししましょう」
ペッコリーナ先生はメルメルの手を握り、ソファに座らせ自分もその横に腰掛けた。
グッターハイムは何だか所在なさげに突っ立っている。ソワソワと棚に置いてあるリンゴを持ったり置いたりして、ちらちらとメルメルの様子を窺っている。
「まずは、おじいちゃんの秘密から話さなければね。――秘密のお仕事から」