最終決戦 13
グッターハイムが塔の中に消え去ってから、かなり長い時間が過ぎてしまっていた。ペッコリーナ先生が時折、「遅いわね……」とか、「大丈夫かしら……」とか呟く以外は、皆黙りこくって入り口の扉を見つめ続けていた。
大分前に、まるで何階かの床が抜け落ちてしまったんではないかというくらいの凄まじい爆音がして、ぐらりぐらりと塔の外にいるメルメル達の足元までが激しく揺れた。しばらくすると揺れも収まって、今では何事も無かったかのような静けさを取り戻している。
「……………」
トンフィーは扉から目を離し、改めてもう一度巨大なカルバトの塔を見上げてみた。もう崩れは完全に収まっているが、外壁はあちこちで剥がれ落ち、度重なる振動で中の支柱が折れたのか塔全体が僅かに傾いてしまっていた。そんな風に外から見ただけでも酷い有り様で、中はもっと大変な事になっているのではないかと余計な想像が働いて心配になる。何か話しかけてみようかと横を向くと、メルメルは何かを堪える様に顔を赤らめて扉をじっと見つめていた。もう待つのは限界だといった様子で、これはいつ飛び出しても不思議は無いと、トンフィーは焦って口を開いた。
「め、メルメル!グッターハイムさんて、とっても強いよね?」
「……………………」
「……ね? メルメ――」
「ラインさんの次にね」
「……………………」
「……………………」
「ほ、ほら、やっぱりさすがにリーダーだし、頼りになるよね~」
「……………………」
「……ね? メルメ――」
「ラインさんの次にね」
「……………………」
「……………………」
「そ、それにさ――」
その時突然、メルメルがかっと目を見開いたからトンフィーはちょっと驚いてしまった。
「来た」
「え……?」
戸惑うトンフィーをよそに、もう既にメルメルは走り出している。ようやく意味が分かったトンフィーは、先程までメルメルが食い入る様に見つめていた入り口の扉に目をやった。するとそこから、傷だらけでボロボロになった男がよろよろと出て来ているところだった。
「良かった! ちゃんと無事でいてくれたのね……!」
後ろからペッコリーナ先生の嬉しそうな叫び声が聞こえてくる。転びそうになりながらも必死で走り寄って行くメルメルとは逆に、グッターハイムは何だかぐったりと疲れた様子で、とぼとぼと歩いて来る。しかしその肩にはしっかりと、メルメルの待ちわびた赤毛の女性が担ぎ上げられていた。
「ラインさん! おじさ――グッターハイム!」
メルメルはグッターハイムの元に辿り着くと、ぴょんぴょんと跳ねながら満面の笑みで横に並んで歩き始めた。
「ね、ラインさんは大丈夫? ……ラインさん?」
背の高いグッターハイムに担がれてしまっているから、メルメルはラインに触れる事が出来ない。
「やっぱり……怪我の具合は良くないのかしら?」
グッターハイムの背中に回り込んで下から顔を覗き込んだが、ラインは顔を完全に伏せてしまって様子を見る事が出来ない。
「ね、そんな体制じゃラインさん苦しいんじゃないかしら? 一度降ろしてあげたらどうかしら?」
今度は前に回ってグッターハイムの顔を覗き込みながら言ったが、全くこちらに視線を寄越さず、しかめっ面で前を見据えている。
(……また、おじさんって言いそうになったから怒っているのかしら? それとも呼び捨てが気に入らないのかな)
「グッターハイムさん! よ、良かった……。本当に助け出して来てくれたんだ……」
息を切らしながらも、ようやくトンフィーが追いついて来てメルメルと並んで歩き始めた。
「実はさっきトンフィーと二人で、グッターハイム――さんより、ラインさんの方が強くて頼りになるなんて言っていたのよ?」
「………………」
トンフィーは、グッターハイムがしかめっ面のまま返事もしないので、慌ててメルメルの袖を引いた。
「め、メルメルったら……」
「でもね、ちょっと訂正するわ。グッターハイム――さんは、ラインさんと同じくらい強くて頼りになるわ!」
「そ、そうだね! やっぱりさすがはリーダーだよね!」
「……俺などラインの足元にも及ばんさ」
ようやくグッターハイムが口を開いて、メルメルとトンフィーはちょっとホッとした。
「そんな風に謙遜する事ないわ! ちゃんとラインさんを救い出してくれたじゃない!」
「そうだよ! 他の人だったら、あんな崩れかけた塔になんて入って行けないよ! かっこい~なぁ」
「…………」
ラインが助かった事で、すっかりはしゃいでいる子供二人をよそに、グッターハイムは再びむっつりと押し黙ってしまった。
「グッターハイム! ご苦労様……。随分遅かったから心配したわよ」
両手を広げ、笑顔でペッコリーナ先生が歩み寄ってくる。
「……途中で……フロア全体の床が抜け落ちてしまっていて……足場を探すのに手間取ってしまった。……すまない」
「そう……。それは大変だったわね。――ラインの様子はどう?」
「…………」
グッターハイムはピタリと立ち止まった。ペッコリーナ先生は不思議そうに首を傾げる。
「直ぐに隠れ家に連れて行った方がいいわね……。あなたも酷い怪我だもの。馬はどこにやったの? 私達のは向こうに繋いであるわ」
ペッコリーナ先生が森の方を指差すのを見て、メルメルはすぐさま駆け出した。
「ワタシ、取ってくるわ!」
「待て!」
突然、グッターハイムが大声を出した。その、今まで聞いた事の無い様な怒気を含んだ声音にメルメルはビクリとして立ち止まった。
「ど、どうしたのよグッターハイム……」
ペッコリーナ先生は驚いた顔でグッターハイムに歩み寄ると、その手に軽く触れた。
「……すまない」大声で怒鳴っておいて、今度は逆にしゅんとして消え入りそうな声を出している。「すまない……本当にすまない……」
驚いた事に、グッターハイムはボロボロと涙をこぼし泣き出してしまった。その様子を見てメルメルは、どっと自分の体中に汗が吹き出てきたのを感じた。心臓がドクドクと高鳴っている。
「わ、ワタシが馬を取って来るから、その間ラインさんを降ろしてあげた方がいいと思うわ! ずっとその体制じゃ辛そうだもの!」
心の動揺を誤魔化すように、メルメルは早口にまくし立てた。
「…………」
グッターハイムは目を瞑り、口をへの字にして涙を流し続けている。ペッコリーナ先生が優しくその手を掴んだ。
「降ろしてあげましょう……。グッターハイム……」
「うぅ……」
グッターハイムはがっくりと両膝をついた。その拍子に涙がボタボタと地面に落ちる。うなだれて顔を上げられずにいるグッターハイムの頭を、ペッコリーナ先生はぐしゃぐしゃと撫でた。撫でた方も涙で頬を濡らしていた。
メルメルは身動き出来ずにそれを見つめていた。指先一つ動かせず、瞬き一つせずに。
嗚咽を漏らしつつ、大人二人はラインの体を地面に横たえさせようと四苦八苦している。片方は片腕しか使えないし、片方は力無い女性で、しかも二人共悲しみのあまりに力が抜けきってしまっているのだ。見かねたトンフィーが手を貸すべく慌てて駆け寄った。手を伸ばし、ラインの体に触れた瞬間、一度ビクッとその動きを止めた。両目から、徐々に涙が溢れ出ていく。しかし、直ぐに溢れ出した涙を肩口でぐいっとぬぐい取り、改めてしっかりとラインの体に手を回し必死でその重さを支えた。
ようやく三人掛かりでラインをグッターハイムの肩から降ろし、地面に横たえさせようとした、その時。頭の辺りを支えていたトンフィーがよろめいて、ラインの体がガクリと傾いた。
メルメルはハッと息を飲み、とっさに皆の元に駆けつけていた。トンフィーと逆側に回り込み、手を体の下に差し入れると、
――目の前に、その人の顔があった。
メルメルは目を見開いて、それをじっと見つめた。
「め、メルメル……」トンフィーが心配そうに声をかける。
メルメルの、大きな愛らしいその目にまだ涙は浮かんでいない。
何故なら、まだ信じられないからだ。まだ、信じたくないからだ。ラインの瞼が薄っすらと開いて、いつも透明で美しい青い目が何だか白く淀んでいても、差し入れた腕が冷たい背中の感触しか伝えてこなくたって、まだメルメルは信じたくないのだ。
周りの人間がゆっくりとラインの体を地面に降ろして、メルメルも無表情でそれにならった。相変わらず、視線をラインの顔から外せずにいる。ふいにペッコリーナ先生が手を伸ばして、薄く開いたままだったラインの瞼を優しく閉じさせた。まるで、それが合図になったかの様だった。メルメルはラインの体に覆い被さって大声で泣き出したのだ。




