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最終決戦 11

 ちょっと場違いな、呑気過ぎる声だった。メルメルはペッコリーナ先生に抱き締められていたから顔を確認したわけではないが、誰が発した声なのかは直ぐに分かった。

(遅い……遅すぎるわよ!)

 この声を聞くのがもっと早ければ、状況は随分違っていた筈だ。

 メルメルは、駆け寄って来たその人物を怒鳴りつけようと、伏せていた顔をぐいっと持ち上げた。

「お、おいおい……。どうしたんだお前ら? 何をそんなに泣いて――」

 男は不思議そうに、三人の泣きはらした顔をかわるがわる見ている。

 その姿を認めた途端、メルメルは、来るのが遅いなどと文句を言う気はすっかり失せてしまった。

「グッターハイム……。あなた、酷い怪我だわ」ペッコリーナ先生が思わず呟いた。

 グッターハイムが着ている服はあちこちボロボロに焼け焦げ、そこから露出した肌には酷い火傷の跡があった。そして、右腕はだらりと下がり先程から全く動いていない。その指先からは血が滴り落ちている。寄り添ったルーノルノーが気遣わしげにその手を舐めていた。

「あなた程の人が、一体誰に……」

「――ん? あ、ああ……。こいつはその……まぁ……実はさっき、ソフィーの奴にちょいとな……」

 トンフィーはハッとした顔になった。申し訳なさそうに俯き、いたたまれなくて後ろを向く。

「まぁ、安心しろ。――ってのも変な話しだが、こてんぱんにやられた上にまんまと逃げられちまったからな」

(母さん……)

 恐らくソフィーは、ラインに矢を放った後ここから逃げる最中にグッターハイムとかち合ったのだろう。

(全部僕のせいだ……)

 トンフィーは涙をこらえて、カルバトの塔を睨み付けるように見た。

(……あれ?)

 塔に目を向けたトンフィーは、ある事に気付いて僅かに首を傾けた。

 そんなトンフィーの方を気遣わしげにちらりと見て、ペッコリーナ先生はグッターハイムに向き直った。

「あなたも大変だったわね……。ニレはどうしたの?」

「おお。あいつはミデルを出た後隠れ家に向かったんだ」

「何故隠れ家に? 何かあったの?」

「ミデルからは、敵の軍が完全にいなくなっていた。あれだけ大量の軍を、一体何故一人残らず移動させたのか不思議に思ってな。それで少し、残った街の人間に話を聞いてみたんだ。すると街の奴ら不思議な事を言うじゃないか。ミデルから出て行く時、軍が二手に別れてたってんだ」

「二手に? どういう事?」

「半分は十日程前に出て行って、残り半分は、たったさっき出たなんて言いやがるんだよ」

「たったさっき? ど、どういう事かしら……」

「分からん。――だが、どうにも不気味だ。一体、連中はどこに向かったのか……情報収集が必要だ。だからニレは隠れ家に向かった。ウォッチはこちらに送ってしまったしな」

「確かにそうね……」ペッコリーナ先生は腕組みをして顎に指を当てた。

「そっちはどうしたんだ? 随分と派手にやったじゃないか」

 グッターハイムはカルバトの塔を顎で示す。

「……ええ」

 ペッコリーナ先生はカルバトの塔をじっと見つめた。メルメルも涙ぐみながらそれにならった。塔は激しい音を立てながらボロボロと外壁が崩れ落ちている。落ちた外壁が地面の砂を巻き上げて、カルバトの塔の周りはもくもくと白く煙っている。その砂煙の向こうに見えている入り口の扉も、開いたままで斜めに歪んでしまっていた。

(おかしい…………どうしてあれが無いんだ?)

 その異変に気付いたのはトンフィーだけだった。そこにあった筈の「あるもの」が無くなっているのだ。一人顔色を無くし、キョロキョロと目を動かして入り口付近を探す。

「ところで、ラインはどうした?」

 びくりとメルメルの肩が震えた。ペッコリーナ先生はずるずると鼻をすすり上げる。

「どこに行ったんだ? おい……ペッコリーナ」

 三人の奇妙な雰囲気を感じとったのだろう。グッターハイムはいつものちゃらけた感じでは無く、やけに真面目な声を出した。メルメルはその声を聞いて、押さえていたものが込み上げてきた。

「うぅ……あ、あのながに~」メルメルの指差した先には、今にも全壊しそうなカルバトの塔がある。 グッターハイムは目を丸くした。頬をひきつらせ、後ろからペッコリーナ先生の肩を掴んだ。

「ど、どういう事だ……。おい! どういう事なんだ!」

「ラインは、あの中で致命傷を負ってしまって……。立ち上がる事さえ出来なくて、それで……それで……」

「ぅぁああん! ら、ラインざ~ん! ぅぁあああああん!」

「そ、そんなばかな……。まさかラインが……」グッターハイムは愕然とカルバトの塔を見つめる。


「大変だ! ガスバルドがどこにもいない!」


 突然、トンフィーが勢いよく立ち上がった。

「な、なんだ? ガスバルドってのは……」

 トンフィーの見つめる先には塔の入り口がある。グッターハイムとペッコリーナ先生は不思議そうにそのひん曲がった扉を見つめた。

 メルメルだけはトンフィーの言いたい事がすぐに分かった。トンフィーが見ているのは扉ではないのだ。扉の横に据えられている戦士の銅像の方を見ているのだ。ここに来た時、ハゲタカもどきに掴まれて空を飛びながらも、メルメルは入り口の銅像を確認していた。カルバト族の戦士を模写したのだろうか。それはとても大きな銅像で、空に向かって掲げた剣が二階まで届いてしまう程だった。ところが、その掲げていた筈の剣が無くなってしまっているのだ。今、戦士の銅像は腕を振り上げただけの、ちょっぴり間の抜けた状態になっている。

「け、剣がないわ……。だ、だってあれにはガスバルドが……」

 ――一体、どこに消えたんだ?

 その時、急に日が陰った。トンフィーとメルメルはハッと空を見上げた。晴れ渡り雲一つ無い青空が広がっている。メルメル達はカルバトの塔の周りにぐるりと作られた大きな広場にいて、そこは視界を遮る物は全て取り除かれ、木など一切生えていなかった。それなのに、

(何故……影が……)

 何か大きなものがメルメル達の後ろに現れたのだ。良く見れば、落ちた影は人の形にも見える。

 メルメルとトンフィーはゴクリと唾を飲み込み、ゆっくりと後ろを振り返った。


「グガオオオォォォォー!」


 澄み渡った青空に響き渡ったのは、獣の咆哮そのものだった。

 その目は完全に正気を失って血走っていて、体中に突き刺さったままの矢も、まともな人間なら致命傷といえる無数の傷痕も、そしてその背中から胸へ突き抜けた巨大な銅の剣も、この大男が既に化け物以外の何者でも無くなってしまっている事を証明していた。

「わああああああ!」

 トンフィーは叫び声を上げて、思わず体を伏せてしまった。何故ならその巨体がこちらに向かって倒れて来たからだ。両腕を無くした大男に残された最高の攻撃だったのだろう。その体の下敷きになれば間違いなく無事では済まされない。トンフィーはぎゅっと全身を強ばらせた。

「…………………………?」

 何もおきないし、やけに静かだ。トンフィーはゆっくりと顔を上げた。「――!」

「ぐぐぐぐぐ……」

「グッターハイムさん!」

 何と大男の巨大な体を、グッターハイムが一人で支えていたのだ。

「が、頑張って……」その光景に圧倒されながらも、メルメルは震える声で呟いた。

 ペッコリーナ先生は驚きの余りに口を開けたまま、声も出せずに固まって(もしかしたら気絶しているかも知れないんだ)しまっている。

 ズズズ……。とガスバルドを支えているグッターハイムの足が後ろに下がった。縦にだけでは無く横にも十分大きなガスバルドの体。それが一体何キロあるのか正確には分からないが、支えるのには相当な力がいるだろう。グッターハイムは背も大きくがっしりした体をしてはいるが、それはあくまでも一般人と比べての話だ。相手は巨大な化け物。しかも、なんとグッターハイムはそれを片手で支えているのだ。恐らく怪我をした左手を使う事が出来ないのだろう。

「ぐぬぬぬ……」少しずつ押され始めている。

「頑張って――――グッターハイムおじさん!」

 メルメルが叫んだその瞬間、ぐいーっと大男の体が起き上がった。グッターハイムは、その右腕に渾身の力を込める。「ぬ……おおおおお!」


 ズドーン!


「やった……!」

 ガスバルドの巨大な体は仰向けになって、沈み込むように倒れた。メルメルとトンフィーは両手でガッツポーズを決めた。

「はぁ、はぁ、はぁ……め、メルメル」グッターハイムはメルメルの顔を見ながら、腰に下げた剣をスラリと抜いた。「おじさんはやめろと言っただろうが……」

 呟きながら倒れたガスバルドに歩み寄る。巨人は虚ろな目をして、あらぬ方を見つめていた。そして、

「フィメロ様……」ぼんやりと、呟く。

 その左の胸に光る青い石目掛けて、グッターハイムは躊躇無く剣を振り下ろした。

 パキーン!

 まるでガラスが割れたような、そんな音だった。大男はびくりと体を強ばらせ、それきり動かなくなってしまった。メルメルは立ち上がってグッターハイムの隣に走り寄り、大男の顔を覗き込んだ。意外にも安らいだような表情を浮かべていて、少しだけホッとした。

「……おじさんじゃなかったら、何と呼べば良いのよ?」

 メルメルはグッターハイムを見上げる。グッターハイムはニヤリと片頬を上げた。

「――名前で呼べば良いだろが」

「……グッターハイム?」

「呼び捨てかよ……。まぁ良しとするか。おじさんよりはましだ」言いながら視線をカルバトの塔に向ける。「ラインは塔の中にいるんだな?」

「そ、そうよ……」

 メルメルは再び涙ぐんで答えた。グッターハイムと同じように視線を向ければ、まだ塔の崩れは収まりそうにも無く、今や上の方などは外壁がほとんど剥がれ落ちて、中が剥き出しになってしまっていた。

「わ、ワタシ達、ラインさんを置いてきてしまったの……ひっく。し、仕方なかったの……ひっく。だって、も、持ち上げる事も出来なくて……」

 グッターハイムはぐっとメルメルの肩を掴んだ。「それでは、俺が助け出して来よう」

「え……」

「待っていろ。すぐ戻る」グッターハイムはひらりと身を翻して、塔へ向かって走り出した。

「ルーノお前は待っていろ。連中を守ってやってくれ」

 グッターハイムの後ろを追走していたルーノルノーは不満そうに、「グウ」と鳴いて立ち止まった。

「グッターハイム!」ペッコリーナ先生が悲鳴を上げる。「無茶よ! 貴方まで死んでしまうわ!」

 グッターハイムは振り返りもせずにひらひらと手を振った。

 砂煙を超えて歪んだ扉の向こう側へと消えて行く。

 メルメルとトンフィーは祈りを込めて、その大きな背中を見送った。

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