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最終決戦 10

 呼びかけてくる少女の声を聞きながら、もし叶うならいつものように薄く苦笑いでもしてみせたい気分だとラインは思っていた。

(石の力を借りてもこの程度だったか……)

 だが、それでも一応生きて降りる事には成功した。わずかに顔を傾け、おいおいと泣きながら自分の名前を叫ぶ少女を見つめる。何とか自らの首から石の付いたネックレスを外し、その手に渡した。 少女は目を見開いて、力一杯こちらの手を握り返してきた。

(温かい……)

 この手に触れられただけでも無理やり降りた意味があった。ラインは、今度は本当に薄っすらと笑った。

「……い……け……」

 潰されたヒキガエルのような声が出た。それでも意味は伝わった筈だ。今や、少女も少年も狂ったように泣き叫んでいる。

「……いっ……てく、れ……」

「わーんわんわん! ……いやだよ~! わーんわんわん! ラインさ~ん、いやだ~!」

 ラインは立ち上がり二人の背中を押してやりたかった。しかし、それはもう出来なかった。

「わーんわんわん!」

「ニャ~ン……ニャ~ン……」チリチリ、チリチリ。

「うえ~んえんえん!」

「ニャ~……」

 人も猫も、みんなで赤毛の女戦士を取り囲んで泣き声と鳴き声の大合唱。ぐらぐらと地面は揺れて、ガラガラと壁は崩れ落ちる。それでも誰も、そこから離れようとはしなかった。

 本当はそんな彼らをラインは怒鳴りつけたかったのだ。

 ――泣きわめきたいなら必死で生き延びてからにしろ! ……と。だが、もう口を開く事すら出来ない。

 ――助けてやってくれ。愛しい子供達を……誰か……。


「メルメル! トンフィー! ……一体どうし――」

 メルメルとトンフィーは驚いて振り返る。

 階段の下から顔をひょっこり出した彼女は、その光景に驚いて口をあんぐりと開けた。ぐちゃぐちゃで酷い顔の子供達の隙間に見える倒れた人影。その、鮮やかな赤色の髪。

「――ライン!」


 薄く開いた瞳にぼんやりと映り込んできた人物を確認して、ラインは心から安心した。いつものように、走っているつもりとは思えないような速度にも関わらず必死の顔になりながら、こちらに向かって来る。

「ライン! ……ああ! い、一体どうして……」涙もろい彼女は既に涙を浮かべている。

「ふえっ……ぺ、ペッコリーナ先生~! うわああーん!」

 メルメルもトンフィーも、そのぽっちゃりとした体に抱きついて泣き出した。

「ああ、ライン! ……! ら、ライン……こ、この矢は一体……何故なの……」

 ペッコリーナ先生は悲しそうに首を振りながら、ラインの背中から突き出ている矢を見つめ、優しくその赤い髪を撫でる。

「か、母さんが……うぅ。母さんがぁ~!」

 ペッコリーナ先生はハッとした顔をトンフィーに向けた。そしてその顔を見た瞬間全てを悟った。ひどく心が傷ついてしまったであろう子供の事を考え、両目から涙を溢れ出させる。

 ゴゴゴゴゴゴ……

「――! い、いけない……」今までに無いほどの地響きがしてペッコリーナ先生は厳しい顔付きになった。ラインの肩に手を置き、埃まみれの美しい顔を覗き込む。「ライン……動けないかしら?」

 ラインはわずかに瞳を動かしただけで返事をしない。口元も少し動いたようだが、声は聞こえ無かった。

「無理だよ! しゃ、喋るのも辛そうなんだ」

「ペッコリーナ先生! この前みたいに、魔法で持ち上げる事は出来ない? あれ、……ほら! 悪魔の兵隊を運んだ時みたいに!」

 良いアイデアだと思ったのだろう。興奮して頬が紅潮しているメルメル。しかし、ペッコリーナ先生は悲しそうな顔で首を横に振った。

「無理だわ……。魔力を使い果たしてしまったの。しばらく休まなければ、何の魔法も使えないわ」「そ、そんな……」

 メルメルはとてもがっかりした。しかしペッコリーナ先生の、暗い室内でもはっきり分かる程の疲れ切った顔に気付いて、何も言えなくなってしまった。それに、魔力が無くなるのも当然かも知れない。一人きりであの大量の敵と渡り合っていたのだから。ピッピーがいたから何とかなったのかも知れないが、ラインはペットを使った攻撃はとても魔力を消費すると言っていた。

「ねぇライン、何とか起き上がれないかしら?」

 ペッコリーナ先生はもう一度ラインの顔を覗き込んで尋ねるが、やはり返事は聞こえ無かった。少し開いた瞳にもほとんど生気が感じられない。

(これでは……もう……)ペッコリーナ先生の頬を涙がつたった。

「――分かったわ! …………よい、しょ!」

 ペッコリーナ先生はラインの首の下に腕を差し入れ、何とか起こそうと試みた。しかし、わずかに体が地を離れただけで起き上がらせる事は出来ない。メルメルとトンフィーは直ぐにラインに飛び付き、ペッコリーナ先生を助けて持ち上げようと力を込めた。それで何とか上半身が起きて、ペッコリーナ先生はラインを背負った。立ち上がろうと力を入れる。

「う、うう~ん! ふ、ふう~ん!」

 顔を赤らめ必死で踏ん張るが、どんなに頑張っても立ち上がれそうにはない。そうしている間にも絶え間なく地響きがして、時折外からドーン、ドゴーンと激しい音が聞こえてくる。もしかしたら建物の外壁が崩れて下に落ちている音かも知れない。ペッコリーナ先生は焦り、いよいよ顔を赤くして力を込めた。

「ふん! ……ふぬねぬぅ……!」

「ペッ……コ……リーナ……」

「ら、ライン?」

 ペッコリーナ先生は驚いて目を丸くした。ラインの顔を覗き込もうと懸命に首を捻る。体が起きた事で呼吸が楽になり、ようやく少しだけ声が出せるようになったようだ。

 ラインは絞り出すように言葉を続けた。「……おいて……行け……」

 消え入りそうなその言葉を耳元で聞いた瞬間、ペッコリーナ先生は驚愕の表情を浮かべ、ぴたりと動きを止めた。

「……たの……む……」

 わなわなと唇を震わせて、ペッコリーナ先生はきつく瞳を閉じた。ほんの少しそのままでじっとしている。そして閉じた瞳を再び開いた時、その顔は普段の優しい教師ものでは無く、戦を知る者の厳しいものに変わっていた。その表情の変化を見てメルメルはハッと息を飲んだ。――まさか……。

「……せ、先生?」

 尋ねるように呼びかける。そんなメルメルには構わず、ペッコリーナ先生はゆっくりと優しくラインを元の位置に戻した。一度愛しそうに頭を撫でてから、すっくと立ち上がる。

「ペッコリーナ先生!」メルメルはペッコリーナ先生の袖を掴む。

「――行くわよ」

「先生! い、嫌よ!」

 ペッコリーナ先生はメルメルとトンフィーの手をむんずと掴む。「行くわよ!」

 それは、悪戯に怒っている時に見せる顔よりも、もっとずっと恐い顔だった。だけれど恐い顔なのに、まるでそれは泣いているような顔でもあった。

「う……うわあーんあんあん! うわああーんあんあん!」

 ペッコリーナ先生は、泣きじゃくる子供を半ば引きずるようにして歩き出す。

「……生きるのよ……あなた達は絶対に、生きなくてはいけない……絶対に……絶対に……」

 ペッコリーナ先生の危機迫るような迫力に押され、ずるずると階段を降りながらメルメルは後ろを振り返った。涙で滲んで歪んだ世界に、大好きなあの人が寂しそうに横たわっていた。

「嫌よ~! うえ~んえんえん! 嫌よラインざ~ん!」

 必死で抵抗してようやくペッコリーナ先生の腕を振りほどいた瞬間、バチーン! と思い切り頬を叩かれ、メルメルは叩いた相手をギロリと睨み付けた。酷く興奮して震えるその姿も、ゆらゆらと滲んで見えた。

「あなたが一緒に死ぬ事を、ラインが望んでいると思うの!」「うぅ…………」

 その時――ガツンとペッコリーナ先生の頭に、天井から降ってきた石が当たってしまった。メルメルは驚いて息を飲んだが、当たった本人はびくともしなかった。

「……ラインは死ぬほど嫌でしょうけど、あなたはラインと一緒に無理やり死ぬの?」

 頭から血を流しながら、瞳からは涙を流しながらペッコリーナ先生はメルメルを見つめた。

 メルメルは天を仰いで口を開け、声も出さずに泣き出した。自分からペッコリーナ先生の手を握り、歩き出す。

「――ぅぁあああああん! ああああん!」


 三人は出口へと進む。体中に何か得体の知れないものがまとわりついたように重い。

 ――生きる事はこんなにも辛いのだろうか……。

 メルメルは喉をひきつらせ泣いた。頭も胸も喉も顎も心も、全てが痛い。こんなにも体のどこから水が出てくるのか不思議に思える程に泣いた。泣いて泣いて、どのように歩いたか分からない。分からないが、気が付けばメルメルは塔の入り口から遠く離れた場所に座り込んで、ペッコリーナ先生に強く抱き締められていた。

「うっ……うっ……ひっく……」

 目の前に、同じようにペッコリーナ先生に抱き締められているトンフィーの顔があった。ぐったりと相手に身を委ねて泣いている。ぼんやりとした頭でそれを眺めゆっくりと後ろを振り返れば、ガラガラと激しく音を立ててカルバトの塔はまだまだ崩れている最中だった。メルメルはふらりと立ち上がった。

「ズズズー……。メルメル?」

 ペッコリーナ先生は鼻をすすり不思議そうに首を傾げ、メルメルの腕を掴んだ。

「駄目よ……まだ、ラインさんが中にいるのに……」

 呟いて一歩足を踏み出す少女を、ペッコリーナ先生は強く引き寄せた。心配そうにその目を覗き込む。

 ――まさか、余りのショックに気がどうかしてしまったのでは……。

「メルメル……?」

「だって……だって、可哀想よ先生! あんな、あんな寂しい所に一人で……。ラインさん、可哀想じゃない……。あんな所で一人で――」

 ――死んでいってしまうなんて。

 頬を、また新しい涙がつたった。ペッコリーナ先生は苦しそうな顔で、そんなメルメルを見つめた。その目は正気を無くしたようには見えなかった。

 メルメルにだって分かってはいたのだ。どんなに嫌だと泣き喚いても、ラインが死んでしまうのかも知れないという事を。ペッコリーナ先生の言う通り、ラインはメルメルに残ってなんて欲しく無かっただろう。だから、勿論戻るなんて絶対駄目だと分かってもいる。ただ、崩れ去ってゆく塔を見つめる内に、どうにも堪らない気持ちになってしまったのだ。たとえ死んでしまうのだとしても、誰に看取られる事もなくこんな場所で、滅び行く塔と共に消えて行くなんて。

「こんなの、あんまりじゃない。酷すぎるわ……」

「メルメル……」ペッコリーナ先生は再び強く子供達を抱き締めた。

(酷すぎるわ。……誰か助けて。……誰かラインさんを救ってよ……。誰か……神様……)


「おーい! お前達、どーしたんだー!」

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