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最終決戦 9

 ラインが縄梯子を落ちないように掴んで、メルメルとトンフィーがその縄梯子を使って下に降りる。

 今のラインに(顔も青白いし、話す声にも力が無いんだ)子供が掴まった縄梯子を支えられるのか多少の不安はあるが、まぁ、そこまでは取りあえず良しとしよう。だが、ラインが残ってしまったら誰も支える者のいない縄梯子を、一番体の重いラインが降りる事になってしまう。それは無理だ。まず間違いなく杭は外れて、縄梯子ごとラインは下に落ちるだろう。

「ワタシが残るわ! ワタシが梯子を支える!」

「め、メルメル……」

 トンフィーは困った顔でメルメルとラインを見比べた。メルメルの気持ちは分かる。けれど、この華奢な少女がラインの重さを支えるのは絶対に無理だろう。

「ハーハー……私は後からちゃんと降りるから。……早く……早く行け……」

「うそよ! そんなのうそだわ! 酷いわラインさん! こんな所でうそをつくなんて……うぅ……ず、ずるいわ……うっうっ」

 メルメルは、ラインの胸にすがりついて泣き出してしまった。

「ハーハー……。メルメル……」

 メルメルには分かっているのだ。ラインは、下に降りるつもりなど無い。子供達を下に降ろした後、自分は諦めてここに残るつもりなのだと。

「うっうっ……ワタシ、ワタシ絶対行かないわ……。ラインさんを置いてなんて……ひっく……絶対行かない……」

「……ハーハー……」

 ラインは、不安げにこちらを見つめている少年に目を向けた。次いで、自分の腕の中で、行かない、行かないと繰り返す少女に目を移し、自らの瞳を固く閉じた。強く決意をして瞼を開き、少女の肩を掴んで顔を上げさせる。

「メルメル……必ず私も下に降りる……私を信じろ」

 メルメルは涙に濡れる瞳でラインを見上げた。その青い瞳の奥に、真実が隠されているかのようにじっと見つめる。

「その代わりに、これを……ハーハー……少しだけ借りるぞ……」

 ラインはメルメルの首に手を回し、そこにかけられている赤い石の付いたネックレスを外した。メルメルは少し不思議そうな顔をする。それは以前ラインがプレゼントしてくれた物だ。首を傾げる少女には構わず、ラインはネックレスを自らの首に付けかえた。

「……ハーハー……これを返す為にも、私は必ず降りる……分かるなメルメル?」

 メルメルは答えられないままラインをじっと見つめる。

「トンフィー……。ハーハー……先ずはお前からだ」

「えっ! で、でも……」

「早くしろ……」

 トンフィーは困った顔をメルメルの方に向けた。メルメルは石のように固まってラインを見つめ続けている。

「……トンフィー」

 ラインの厳しい声に、トンフィーは仕方なく立ち上がった。

「じゃ、じゃあ、あの……。先に行くよ、メルメル……」

 返事をしない相手に、不安げな視線を送りつつ、トンフィーはメルメルのうさぎの鞄に、ミミとシバとアケを詰め込んで自らの肩にさげた。鞄はかなりギューギューで、重たくて足元がふらついたが、その程度の事でめげていられるかと、トンフィーはきゅっと口を引き結んだ。ラインは少し笑ったような顔で、そんな少年を見守っていた。

 よろよろしながら、縄梯子に足をかける。縄梯子を掴んだラインの体は、トンフィーが乗ってもピクリともしなかった。トンフィーは、ラインに負担をかけたくなくて急いで降りてあげたいと思うのだが、肩にさげた鞄の重さと、早くしなくちゃという気持ちの焦りと、ラインが死んで仕舞うんではないかという恐怖のせいで足が震えて、素早くなどは降りられないのだった。

「……ハーハー。焦るなトンフィー……ゆっくりでいい……」

 苦しそうなラインの声。優しい優しいラインの声。トンフィーは堪えていた涙をついに溢れ出させてしまった。

「うっうっ……ラインさん……し、死なないで……うぅ」

「大丈夫だトンフィー……ゆっくり……ゆっくりだ……」

 ラインは、しゃくり上げながら降りて行く少年を励まし続ける。ようやく下にたどり着き、不安そうに見上げてくる顔に何とか微笑みかける事ができた。そして、ラインはいまだにこちらを見つめ続けている少女に目を向ける。

「メルメル……お前の番だ……」

 メルメルは口をへの字にし、しかめっ面をして動かない。ラインは顔を近づけ、その目を覗き込んだ。

「メルメル……。ハーハー……私を……信じてくれないのか?」

「うぅ! ……し、信じるわっ」メルメルはひきちぎれんばかりの勢いで首を横に振り、バッと勢い良く立ち上がった。「約束よ……ラインさん……」

 ぎゅっとラインを抱き締め、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら梯子に足をかける。

「ラインさん……ひっく……ラインさん……ひっく」

「大丈夫だメルメル……必ず私も行く」

 嘘ではなかった。恐らく、その場しのぎの嘘ではこの少女をごまかす事は出来ないと悟り、何とか自分も下へ降りようと決めていた。

「……まったく。……そんなに、上ばかり見ていたら……足を踏み外してしまうぞ……。ハーハー……」

 自分の名前を懸命に呼び続けながら梯子を降りていく少女を見ている内に、ラインの中で、抑えていたある気持ちがどんどん膨れ上がってきた。

 ――死にたくない。

 思わず叫びたいような胸苦しさをおぼえて、奥歯を強く噛んでそれをやり過ごす。

 ――死にたくない。もっと生きていたい。

 久しく流していなかった涙が溢れ出しそうになり、先ほどと同じようにして、それも、何とか堪える事に成功した。

 たとえどんなに往生際悪く泣き叫んだとしても、運命を変える事など出来はしないのだ。

 自らの右胸に刺さっているこの矢。これが普通の矢では無い事に、ラインは始めから気付いていた。そこからは、瞬時に仕留められなかったとしても、確実にラインを殺してやろうという相手の強い執念が感じられた。そしてそれを感じ取った時、ラインは二つの事を同時に悟った。一つは、あの愛しい友が、本当にこの世界から消え去ってしまったのだという事実。

 その昔、ソフィーが赤軍の部隊長を勤めていた頃の事だ。紫の大臣むらさきのだいじん率いる紫軍しぐんが、ある村の反乱を抑える為に村の飲み水に毒を流し入れて鎮圧するという出来事があった。ソフィーは、正々堂々としない汚いやり方だ恥を知れ、と紫の大臣を罵った。怒り狂い、上官を愚弄したソフィーを死刑にするとまで言った紫の大臣を抑えるのに、ラインは随分苦労したものだ。

 紫軍は毒を飲み水に流し入れる際、村人が一人も逃げ出さないように村全体を包囲していた。もしも村から出てくる者がいれば、丸腰の者であっても全ての人間を殺した。

 村人は全滅した。

 そしてその中にはわずかだが、女子供もいたのだ。その後、ソフィーはラインに言った。

 ――戦に正々堂々も何も無いかも知れないけれど、私は毒を使うなんてやり方は大嫌いだ。毒なんて物は、生理的に受けつけないんだ――と。

 そう語った彼女の放ったこの矢には、その、毒が塗られていた。

 もう彼女はいないのだ。肉体は蘇ろうとも、そこから、あのおおらかで優しい心は抜け落ちてしまった。たとえ昔のままの記憶と能力を持ち得ようとも、あれは全くの別人に他ならないのだ。それが分かったと同時に、ラインは自分の命もまた、ソフィーと同じように尽きようとしているのだと悟った。

 やるせない気持ちで見つめる先に、二人の子供が不安と悲しみをないまぜにしたような顔で立っていた。

「ラインさん……」

 涙を流しながら呟いた少女を見つめる内に、何故かラインの頭の中に、ずっと昔の遠い記憶が蘇ってきた。まだ、ラインがメルメルと同じくらいに幼い頃で、母と二人、ある本を読んでいた時の記憶だ。

そこには鮭の一生というものが物語調で描かれていて、それを読み終えたラインは母に思わず言ったものだ。

 ――鮭って随分可哀想だね。一生懸命に長い長い旅をして、最後には子供を産んで死んじゃうんだから。きっと、こんなことなら子供を産むんじゃ無かったって後悔するだろうね。

 すると、母はラインにこう言った。

 ――でも、鮭は知っていたと思うわ。子供を産めば、自分が死んでしまう事を。それでも子供を産みたかったのよ。

 ラインは驚いた。

 ――すごい。鮭って随分優しいんだね。

 ――そうね……。

 ――私には無理だ。だって、死ぬのは辛いもの。私は鮭にはなれない。

 そう言って首を振るラインに、母は優しく微笑んだ。

 

 ――私なら……鮭になれるわよ……。


「ラインさ~ん……」

 少年の方が情けない声で呼びかけて来る。ラインは我に返って、思わず苦笑いした。

 ――何故こんな昔の事を思い出したのか……。

 強く握り締めていた縄梯子をようやく離し、ラインはゆっくり立ち上がった。足元がふらついて、思いの他いう事を効かない自分の体に、少しだけ苛立ちを感じる。だが、それでもやらねばならない。何故ならそれは、

(約束……だからな)

 ラインは目を瞑り、呼吸を整え、腰にさげたカルバトの剣をスラリと抜いた。目の高さにそれを掲げる。明かりの無い暗い部屋の中。漏れてくる光を受け鈍く輝くその刃は、半ばほどで折れてしまっていた。先程、黒騎士との戦いの末にそうなってしまったのだ。相手にも相当の深手を負わせたが、こちらは大切な剣を失い、最後には結局仕留められずに逃げられてしまっていた。

(この折れた剣で、はたして……)

 自信は全く無かった。毒は今や全身に回り、本当のところ立っているのもやっとといった状態だ。わざわざ無理をして降りる意味があるのか。ここで横になって死を待つ方が、ましではないのか。そんな気持ちがラインの中に無いわけではない。しかし……。

 ラインは少しずつ足を動かし、穴の縁に立った。目線を下げる。大した高さでは無い。普段のラインなら、普通に飛び降りる事すら出来る高さだ。だが、歩く事すらままならない今、何とも言えない恐怖をこの高さには感じる。

(人とは、おかしな生き物だな……)

 ラインはゆっくり瞳を閉じた。


 トンフィーは顎を上げ、目を閉じたラインを不安げに見つめた。

 ――どうやって降りるのだろうか?

 まさか飛び降りるのは無理だろう。そして、あの縄梯子を使って降りるのも無理だ。では、一体どうするのか? 大体、何故あんな壊れた剣を握り締めているのか。カルバトの剣が折れてしまっていた事にも驚いたが、それを掲げるラインはまるで戦いに敗れた戦士のようで、トンフィーは悲しくなった。

(無理だよ……)

 トンフィーはつい、そう思ってしまった。しかし、そんな気持ちは口に出せない。隣で、ラインが降りてくるのを一心に信じ続けているメルメルの前で、無理だなんて言葉が言える筈がない。

 ゴゴゴ……ゴゴゴゴゴ……

 地面が揺れて、ガラガラと天井や壁が剥がれ落ちる。もしかしたら、カルバトの塔は本当に崩壊してしまうかも知れない。トンフィーはゴクリと唾を飲み込んで、少しだけラインから別の場所に視線を移した。そこには巨大な穴が開いていて、明るい外の光が煌々と差し込んでいた。

 ――ガスバルドの攻撃が与えた衝撃に巨大鉄球が影響を受けて、劣化した壁を破壊しながら下まで転がり、挙げ句には外壁に穴まで空けてしまった――。そんな様々な衝撃で、カルバトの塔全体が崩れ始めているのかも知れない。トンフィーは、そう考えていた。

 ゴゴゴゴゴゴ……

 揺れ続ける地面に焦りを感じて再び上を見れば、ラインは手を振って二人に離れるようにと指示をしていた。戸惑いながらも、メルメルとトンフィーは後ろに下がる。二人はラインを見ながら、その手が止まるまで下がり続け、ふと気付くと元の場所より二十メートルも離れた場所にいた。

「ラインさん……」メルメルが、祈るように呟いた、その時――。

 ゆっくりと、スローモーションのようにゆっくりと、ラインの体が前方に倒れていった。

 ――落ちる! 

 トンフィーは息を飲む。それは確かにトンフィーの感じた通り、降りるというよりは落ちるという方が正しいような動きだった。剣を握り締め、重力に任せて頭から下に落ちて行く。

 メルメルは飛び出してしまいそうな自分を抑えて、体をぐっと前のめりにさせた。

(――ワタシはラインさんを信じる!)

 まなじりが裂けそうな程に目を見開いているメルメルの横で、トンフィーは遂に目を閉じてしまった。

(――もう駄目だ! ぶつかる!)


「うおぉぉ――クリムゾンファング!」


 ドゴーン!


「――!」

 強烈な爆風が起こり、遠く離れた二人の所まで、パチパチと小石が飛んできた。目を瞑ってしまったトンフィーには見る事が出来なかったが、メルメルはその瞬間を見逃さなかった。

 地面に激突する直前に、ラインが、折れたカルバトの剣を思い切り振ったのだ。その瞬間、床が爆発したように吹っ飛び、今もまだ収まらないほどの砂煙が上がっているのだ。

「一体……な、何が?」

 トンフィーは、爆音に驚いて頭を抱えしゃがみ込んでいた。その震える声を聞いて我に返り、メルメルは飛び出すように駆けだした。

「ラインさん!」

 徐々に収まっていく砂煙の中に、うつ伏せに倒れたラインがいる。

「ラインさん! ラインさん!」

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