最終決戦 7
バガガ…………。
「……………………」
メルメルとトンフィーは無言で立ち尽くした。恐らく隣を見れば、お互いに全く同じ顔をしている事が分かるのだが、二人は今や立ち位置がすっかり入れ替わってしまった大男と女戦士を食い入るように見つめ続けていた。その目も口も間抜けな程パッカリと開いている。
「なに、が……」
ようやくトンフィーが言葉を発して、メルメルはつられたように目をパチクリさせた。
――一体何が起こったのか? トンフィーは、本当はそう言いたかったのだろう。
ガスバルドの斧は地面に突き刺さったまま動かない。次の攻撃を繰り出す様子も無い。それに、先程の攻撃も中途半端なものだった。ほんの少し地面に亀裂が走っただけで大した威力は感じられなかった。だが、メルメル達が驚いているのはその事ではない。何故ガスバルドが中途半端な攻撃しか出来なかったのかは分かっているのだ。それは、
斧を地面に振り下ろす途中で、腕が自分の体から離れてしまったからなのだ。
「グワアァァァ!」
ガスバルドは膝をつき、獣のように吠えた。腕を切り離された痛みからか、両腕を失った事によって勝負が一瞬でついてしまった事への嘆きで叫んでいるのかは分からない。その後はうなだれて下を向き、「……うっ……ううっ……」と、まるで泣いてでもいるかのように(実際、よだれかも知れないけど、うなだれた顔からはポタポタと何かがたれていたんだ)呻き声を上げていた。
「は、速すぎて、僕、良く見えなかった……」トンフィーが思わず呟いた。
メルメルも同じ気持ちだった。――ガスバルドが斧を振り下ろし、その横を一瞬にしてラインは通り過ぎた。ただ、通り過ぎただけ。そう、見えた。メルメルとトンフィーには、どのようにガスバルドの腕を切り落としたかまでは見えなかった。余りに動きが速すぎたのだ。
膝をつき、うずくまったガスバルドのすぐ向こう側にラインは立っている。僅かに顔をガスバルドの方に向け、ゆっくりとスリッフィーナの剣を振り上げる。
――トドメを刺す気だ。
トンフィーもメルメルもぎゅっと目を瞑った。
「イーッヒッヒ! ――赤の大臣よ!」
突然、耳障りな笑い声が明け方の空に響き渡った。
「――――!」
ラインは剣を振り上げたまま、慌てて後ろを振り返った。
(あ、あれは……!)
トンフィーは驚いて目を見開く。うずくまったガスバルド、その後ろで剣を振り上げたライン。更には、そこから離れた向こう端に、地面から突き出た棒に縛られているプラムじいさん。そして、そのプラムじいさんの後ろに、
「べ、ベラメーチェ……」「え……?」
驚愕の表情を浮かべたトンフィーの横で、メルメルは目を凝らした。目の良いトンフィーには良く見えているかも知れないが、メルメルには容姿までは分からないのだ。しかし、何者かがプラムじいさんの後ろに急に表れたのは分かった。ラインは既に、猛スピードで走り出している。
「――頑張ったのに残念だったねぇ? お前達……」
赤い唇をつり上げ、ベラメーチェはニヤ~っといつものように笑った。プラムじいさんが慌てたように叫ぶ。
「ライン! メルメルを――」
パッとその姿が、後ろにいたベラメーチェごと消えてしまった。
「――くっ!」
――そんなに遠くには飛べない筈だ。
ラインは二人の消えた場所に全力で駆け寄り、塔の縁に立って下を覗き込んだ。
――いた!
ラインのいる場所から遥か斜め前方。飛び去る巨鳥の上に、二つの人影。その片方が振り返り、勝ち誇ったようにニヤ~っと笑った。その顔を睨み付けながら、ラインは右手の剣先をつと地面に付けた。グニャリと剣が歪み、瞬く間に赤毛の豹が現れた。
「――スリッフィーナ。……頼む! 追ってくれ!」
スリッフィーナはラインの隣に並び、飛び去って行く巨鳥の姿を確認した。さっと身を翻し、階段へと走り出す。その背中を追うように視線を巡らし、視界の片隅に映った巨大な人影に、ラインはハッと息を飲んだ。
――しまった!
大きな体を揺らしながら走って行くガスバルドの後ろ姿を見つけて、ラインは再び全力で走り出した。
――間に合うか!
巨体は想像通り俊足とは言えないが、ここからでは余りにも距離がある。
「あわわわわ……」
完全に正気を無くしたガスバルドがみるみるうちに近付いてきて、トンフィーは腰が抜けそうになってしまった。両腕を無くした体で、一心不乱に向かって来る様は、余りに恐ろし過ぎた。足がガクガクと震える。
「トンフィー、ギリギリまで我慢して避けるわよ。…………トンフィー?」
返事をしない相手に内心で首を傾げながら隣を見れば、トンフィーは恐怖の表情を浮かべ固まっていた。とても動けそうにない。だが、大男はもう目前だ。メルメルは青くなった。
「トン――」
ドッ ドドドッ ドドドドドドドド
ドーン! とメルメルはトンフィーを突き飛ばしながら横に飛び退いた。
――ゴン! 「いてっ! ……いてててて」
「…………」トンフィーに覆い被さったまま、メルメルは少し考える。
(こんなに頭をぶつけてしまって、トンフィーったらお馬鹿にならないかしら? せっかくお利口なのに)
「う~ん……」
トンフィーは頭を抱えて呻いている。メルメルは体を起こし、ぐるりと周りを見回した。
「………………」
やはり、大男の姿はどこにもなかった。あの勢いで来たのだ。恐らくそうなるであろうとは思ったが……。それでも、
(まさか本当に落ちるなんて……)
心臓がドキドキする。思わず胸を押さえてふと横を向くと、塔の縁に立ち下を覗き込んでいたラインと目が合った。涼しい青色の目。しかし何故か暖かく感じるその目を見て、少し心が落ち着いた。
「わわ~……。す、すご……」
いつの間にか起き上がって、後ろでトンフィーが下を覗き込んでいた。顔が真っ青になっている。
「……どうなってるの?」
メルメルが恐る恐る聞くと、トンフィーはゴクリと喉を鳴らした。
「と、塔の入口の横に、ど、銅像があったでしょ?」
メルメルは目玉を上にして考える。
(うん……。確か鎧を着て、剣を掲げていた…………! ま、まさか……)
青くなって隣を見れば、トンフィーも同じ顔色で頷いた。
「く、串刺しだ」
「うへぇ……」メルメルは酸っぱい顔をした。
ズズズーン
「――な、なに?」「わわわわ……」
突然、地響がして、地面がぐらぐらと揺れた。トンフィーとメルメルは顔を見合わせる。
「急ぐぞ二人共。さぁ、立て」「あ、はい!」
厳しいラインの声に、メルメルとトンフィーは慌てて立ち上がった。立ち上がりながら、メルメルは先程までプラムじいさんが立っていた場所にチラリと視線を送った。
「スリッフィーナに追わせはしたが、追いつくのは難しいだろう……」
まるで心を読み取ったようにラインに言われて、メルメルは少しだけ俯いてしまった。
「ワープの魔法ですか? ……あれなら、そんなに遠くには飛べませんよね? まだこの塔の中にいるんじゃ――」
「いや、ガルーダを用意していたんだ。それに乗って、もう飛び去ってしまった」
「が、ガルーダってすごく貴重な鳥ですよね? そんなものまで用意していたんだ……」
トンフィーは気遣わしげに、しょんぼりと俯いたメルメルを見た。
(おじいちゃん……せっかく会えたのに、また連れ去られてしまった……)
ズズズーン……ドドドドド……
「ま、また……」
再び地面が激しく揺れた。しかも今度は、小さな揺れが中々収まらない。トンフィーは不安げに目をきょときょとさせた。
「とにかくここから出よう。もしかすると、敵が塔を崩れさせるような仕掛けでも用意していたのかも知れない」
「し、仕掛け……」
ラインの言葉を聞いて、トンフィーは慌てて階段へと走り出した。メルメルもとぼとぼとその後を追う。そんなメルメルの丸まった背中を、ラインは優しく叩いた。
「生きている事が分かった。それが分かっただけでもいい。生きてさえいれば、きっとまた会える」
メルメルは、ラインの澄んだ瞳を見上げ、その言葉の意味をしばし考えた。
「……はい!」
にっこり笑ったメルメルに、ラインも薄っすら微笑んだ。
「早く早くー!」
我先にと走って行ったトンフィーが、階段の前で手を振っている。ところが、足を早めたラインの横で、メルメルは何故か急に立ち止まってしまった。踵を返し階段とは別の方へと走って行く。
「メルメル?」ラインが首を傾げる。
「ごめんなさい! ちょっと忘れ物……」
メルメルはキョロキョロと辺りを見回す。
(確か、この辺にあるはずなんだけど……)
「何してんのさ、メルメル……」
心なしか地面の揺れが激しくなってきて、トンフィーはヤキモキしながらメルメルを見ていた。何かを探すようにキョロキョロしているメルメルの周りには、無数の亀裂があった。先程ガスバルドの攻撃によって出来たものだ。
(まさか、あの攻撃のせいで塔が崩れてきたんじゃ……)
有り得ない事でもない。何せ五百年間、手入れ一つしなかった塔なのだ。ちょっとした事で崩壊しても不思議では無い。トンフィーはそわそわとメルメルを見た。
「あ! あったわ!」
目的の物を見つけてメルメルは駆け寄る。亀裂の隙間に半分隠れてしまったそれを掴み取り、高く掲げて振り返る。
「あったわ! ラインさん!」
それは、ラインに貰った剣だった。先程ガスバルドとの戦いのどさくさで落としてしまったのだ。ラインはそんなメルメルを見て微笑んだ。
「――ライン!」
聞き覚えのある声。驚いたようにラインが振り返る。
――――ドスン!




